1年次冬期休暇

第14話 こいつらは富士山だ

 期末テストが終わると、残りわずかな二学期はあっという間に過ぎていった。


 テストの結果に一喜一憂したり、三者面談で親と一緒のところを知人に見られて気まずさを感じたり、終業式での校長の長話にうんざりしたり。

 そして冬休みに入ると、もともと学校の中だけの交流だったこともあり、繭墨や百代とはいっさい会わなくなった。

 直路だけはときどきアパートまで晩飯をたかりにきて、そのたびに食卓から肉が奪われていった。


 冬休みの日々は特に何事もなく、平穏に流れていく。クリスマスパーティなんて本当にやるのだろうか。あの約束は、僕の記憶ちがいか、あるいは独り身のさびしさが見せた幻ではないかと疑いはじめた、クリスマスイブの、前日イブの朝。百代から電話がかかってきた。


『もしもし、阿山君、起きてる?』

「おはよう、元気そうだね……」

『えっへへ……、そりゃもう、2学期はよく頑張ってたって、先生もおかーさんもほめてくれたし』

「そりゃあよかった」

『これもみんな阿山君のおかげだよ、ありがとね』

「僕は別に何も……、全部、百代さんの力だよ」

『だよねー』

「いや少しは僕も貢献したけどね?」

『お願いがあるんだけど』

「何。クリスマスがらみ?」

『今から部屋そっちに行くね。どうせ一歩も出てないんでしょ?』

「失礼な。僕はアクティブだよ」

『ウソぉ、ホントに?』


 受話器越しに、本気で驚いた様子の百代の声。

 僕はスマホを耳から離す。声がでかい。


「今朝も燃えるゴミを出してきたところだし」


 前日の夜に出しておくなんてマナー違反はやらないのだ。


『じゃあすぐに行くから』


 ブツン、と一方的に通話が切れる。

 僕の扱いが日に日に雑になってきている気がした。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 すでに朝食を終えて掃除も済んでいる。

 室内を見回しても、見せられないようなものは出ていない。

 百代を迎えるには問題のない状態だった。


 このタイミングで来るということは、やはりパーティの打ち合わせだろう。

 前日に飾り付けをしておくつもりだろうか。それだけならいいが、クリスマスツリーを運び込まれたりするのはさすがに面倒だ。などとあれこれ考えて、ロクに集中できない読書をしているうちに、百代がやってきた。


「おじゃましまーす」

「あれ、1人なんだ」

「そーだよぉ、極秘ミッションだもの」


 百代は意味不明なことを言いながら入ってくる。荷物を置くと、室内を見回して歓声を上げた。


「わぁ、部屋すごいキレイにしてる。どーせあたしが電話したあと、あわてて片づけたんでしょ」

「ベッドの下は探らないでよ」

「大丈夫、ヒメには黙っておいてあげるから」


 百代はにししと口元を手のひらで隠しながら笑う。


「で、極秘ミッションって?」

「明日のパーティで手料理を出したいの。だから、その練習も込みで……、今日と明日、台所を貸してください」


 百代は僕をあがめるように両手を合わせる。冗談めかした仕草だが、その目はやる気に満ちていた。


「そりゃ、まあ……、かまわないけど。そういう話はもう少し手前にした方がいいよ。僕が用事で家を空けてたらどうするつもりだったの」

「阿山君に用事なんてあるの?」

「あらゆる可能性はゼロと1の間で無限に存在して――」

「あたし、こういう料理が作りたいの」


 百代は僕の話をさえぎってスマホを取り出し、画面をこちらに向けてくる。


 最初に現れたのは鳥の丸焼きだった。巨大な銀皿の上に鎮座ちんざしたグリルチキン。周囲には色とりどりの野菜が盛られて見た目にも鮮やかだ。


「一羽丸ごとの鶏肉って予約とか要るんじゃないの」

「なんとかなるって。次はこういうの」


 続いて一口クラッカー。整然と並べられたクラッカーにはそれぞれ違った具材が乗っており、つまんで食べられるためビュッフェ形式のパーティにはもってこいの料理だ。


「いかにもリア充ホームパーティ御用達って感じが鼻につくなぁ」

「あと、これとか」


 3品目は山のように盛り付けられたポテトサラダ。よく見るとブロッコリーやミニトマトが埋め込まれていて、クリスマスツリーのような色合いに仕上がっている。これはまあ、分量を減らせばできないことはない。


「じゃがいもがいくつ必要かな」

「え。ポテサラって出来合いのじゃダメなの?」

「それだとたぶん数千円かかる」

「ウソぉ? イモのくせに」

「なんかごめん」

「? どうして阿山君があやまるの? あやまくんだけに?」

「小学校以来のいじられネタ……」

「えっとぉ、最後はこれね」


 一番の問題は、この4品目だった。

 ブッシュドノエル。ご存知クリスマスケーキの定番、丸太のような外見のロールケーキである。ケーキを自作したことはないが、お菓子系の材料はこの部屋にほとんどない。かろうじて砂糖があるくらいだ。あとクリスマスシーズンのイチゴの高価さを百代は知っているのだろうか。それでも絶対イチゴは外せない、と言い切りそうだよなぁ。


 すべて突っぱねて現実の厳しさを教えてやろうと思った。しかし、百代はすでに、きらびやかなクリスマスディナーを眼前に思い描いているらしい。あまりにも夢見るような顔をしているので、全否定するのは良心が痛んだ。


「……どれか1品だけなら、作ってもいいよ」

「えー! いっこだけ? なんで!?」

「百代さん。こいつらは富士山だ」

「どゆこと?」


 百代は首をかしげる。


「百代さんの料理経験は?」

「目玉焼きなら作れるよ」

「それはせいぜい学校の裏山だね……」

「あ、でも黄身がいつも潰れちゃうの」


 裏山すら登り切れない有様とは。


「学校の裏山で遭難してるようなザマで、富士山に登れると思う?」

「そ、それは……」


 うろたえる百代に、淡々と説明を続けていく。


「まず時間がない、場所もない、作ったとしても保管場所がない、自宅で作って持ってくるのもNG。冬場だから温度はいいとしても、こんなチマチマしたのは持ち運べない。だから全部ウチで作ることになる。4人前となったら1品が限界。初心者の調理はただでさえ時間がかかるし、平行作業となったらミスも増えるからね。あとは出前……、も無理か、クリスマス当日に頼んでも込み合ってるだろうし。仕方ないから冷凍のピザとかパックの寿司で我慢しよう」

「そ、そんなぁ」


 落胆する百代。しかし、1品だけというのは絶対に譲れないラインだ。


「あれもこれもと手を出して中途半端なものを作るくらいなら、1つに絞っていいものを作り上げよう。そこは僕も協力するからさ」


 そして、最後に選択を突きつける。


「さあ、百代さんはどれを選ぶ?」



  ◆◇◆◇◆◇◆◇



 百代が選んだのは、予想どおりブッシュドノエルだった。スマホで料理のサイトを見ながら材料を買い揃え、出かけたついでに昼食も済ませて、再び部屋に戻ってくる頃には14時近くになっていた。


「材料を準備するだけでも、結構時間かかるんだね」


 百代が掛け時計を見ながらそんなことを言う。


「僕の心配がわかってもらえたかな……」

「今日ばかりは先生の指示に従いますよぉ」


 楽しげに手を挙げる百代を横目に、僕は購入した材料を台所に並べていく。

 薄力粉、グラニュー糖、卵、ココア、生クリーム、エトセトラ……。


 ちなみに、ケーキスポンジを既製品で済ませるという提案は却下された。

『ひとつに絞っていいものを、って言ったのは阿山君でしょ』

 そう返されては何も言えなかった。


「それにしても、まさかケーキを自作することになるとは思わなかったなぁ」

「えっ? 作ったことなかったの?」

「ないよそれは……、家でケーキ作る男子高校生とか、ちょっとアレじゃない?」

「確かにアレかもしれないけど、阿山君だったらやってそうだなって」


 そうか百代は僕のことをアレな男子だと認識していたのか。


「あ、そうそう、エプロンしなきゃ」


 カバンからエプロンを取り出し、私服の上からかけていく。

 前掛けの位置を調整し、後ろのひもを結ぶ仕草は手慣れたものだった。


 私服エプロン姿の女子が、自分の部屋の台所に立っている状況は、なんというか、こう……、とてもそわそわしてしまう。しまわない?


「あ、そういえば、今日のことって直路は知ってるの?」

「極秘って言ったじゃん、教えてないよ」

「そう……」


 脳内が盛り上がらないように冷静な話題を振ったのだが、あまり効果はなかった。これ以上、下世話な方向に意識が向くのはよろしくない。僕はお菓子作りに専念することにした。

 そう、僕はスイーツ男子。食べるだけでは飽き足らず、自作するまでに至ってしまった筋金入りの、甘味好きだが甘くないスイーツ男子。そんな自己暗示をかけた。


 レシピを見て手順をシミュレートしていると、それほど難しくはなさそうだった。多少の手間はかかりそうだが、各工程とも落ち着いてやればできる作業ばかり。


 やはり材料や道具を揃えることが心理的なハードルになっていたのかもしれない。理解が深まったからといって、菓子の自作にまで手を出すつもりはないけれど。


「じゃあまずはスポンジ作りから行こうか」

「はい先生!」


 材料をボウルに投入してかき混ぜるだけのシンプルな作業だ。腕まくりをしていた百代は、途中ではた・・と顔を上げた。


「かき混ぜてくれるマシーンはないの? ウイーンって回るやつ」


 両手の人さし指を立てて、トンボの目を回させようとするみたいに、指先をくるくると回してみせる。


「男所帯に泡だて器があることを幸運と思ってほしい」


 泡立て器という道具は、卵をかき混ぜるくらいしか使いどころが思いつかないが、それすら箸で済ませられるせいか、今まで使ったことがなかった。

 どうしてこんなものを買ってしまったのだろう。日用雑貨をそろえるときの、あれもこれもと欲張ってしまうおかしなテンションのせいに違いない。陽の目を浴びることができたから良しとするか。


 まずスポンジ作り。

 最初の作業で百代はいきなりやらかし・・・・かけた。

 すべての材料を目分量で入れようとしたのだ。


「ちょっと待ったぁ!」

「はい先生!」

「コレを使って」


 僕はそっと計量カップを渡した。


「はーい」

「ちなみに液体と粉とで目盛が違うからね」

「あ、ホントだぁ」


 計量カップを目元に近づけて確認し、心の底から驚いていた。これは想像以上に手ごわそうだ。吹き荒れる嵐を予感させる出だしである。


 百代はたどたどしい手つきで材料を量っていく。

 ときどき、「あっ」とか「いっけない」などとつぶやきながら、なんとかすべての材料をレシピどおりに量り終える。


「それじゃ混ぜるよぉ」

「ちょっと待った」

「なんなの先生」

「予熱」


 僕はオーブンレンジを指さす。


「オーブンを熱しておかないと、レンジと違ってすぐに熱くなるものじゃないから」

「えっ、レンジでチンじゃダメなの?」

「実はダメなんだ」


 一事が万事こんな調子である。どうやら百代は根本的に、調理についての経験が足りていないらしい。


 それでも、ミスをやらかしそうになる前に、その都度、軌道修正をかけていく。

 どうにかスポンジを焼き、チョコクリームを作るところまではたどり着いた。


 スポンジにクリームを塗っていき、平らにならしたところでゆっくりと巻いていく。

 ところが、ここでもトラブルが。


「そーっと、そーっと……、ってなんか生地硬いんですけど、……あっ」


 スポンジの表面が焦げ付いていたせいか、無理に巻こうとしたら折れてしまった。

 百代が涙目でこちらを向く。


「どうしよ、これ……」

「巻かないロールケーキっていう新機軸もアリじゃないかな」

「……阿山君、なんかメンドーになってきてない?」

「百代さんは失敗したんだ。それを心に刻み付けるためにも、見た目のダメさは残しておかなきゃならない」


 僕はそろそろ面倒くさくなってきていたので、教訓めいた理由をでっち上げてごまかした。百代は難しい顔をしてうなずいていた。


「それじゃあ、あとは冷蔵庫で20分ほど寝かしたら完成だね」

「完成……、ねえ阿山君、完成ってなんなのかな……」


 お菓子作りという名の迷宮ラビリンスに迷い込んでしまった百代は、うつろな顔で哲学的に聞こえなくもない疑問を口にするのだった。

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