第11話 優等生のくせに友達の彼氏に告った繭墨さん

「繭墨に告られた」


 直路から驚天動地の報告を受けて、保健室へやってきた。繭墨がここで仮病を使って休んでいるらしい。僕も仮病を使って授業を抜けてきたのだが、普段の生活態度はすこぶるいいので、教師にサボりを疑われることはなかった。


 音を立てないよう静かに戸を引いて、保健室の中へ。カーテン越しのやわらかい陽光で、居眠りにはちょうどいいくらいのあたたかさになっている。あくびをかみ殺しつつ、室内を見回した。


 教師用のデスクには誰もおらず、保健の先生は不在のようだ。


 三つあるベッドのうち、手前の二つは空っぽで、一番奥の窓際のベッドだけが、カーテンで仕切られていた。そのカーテンには、ちょうど人が寝ているくらいに布団が盛り上がったシルエットが映り込んでいる。


「繭墨さん」


 呼びかけると、影がわずかに身じろぎした。しかし、それ以上の反応はない。


「学年主席の優等生の繭墨さん」


 二度目の呼びかけに対して、影は無反応だった。


 僕はいちおう廊下の外に人の気配がないことを確かめてから、三度目の呼びかけを行う。


「学年主席の優等生のくせに友達の彼氏に告った繭墨さん」


 影が隆起した。

 シャッとカーテンが開き、ベッドの上に仁王立ちをした繭墨が姿を現す。


「……この鬼畜!」


 いつもと印象が違うな、と思ったら繭墨は寝起きで眼鏡を外していた。


「なんなんですか、い、いきなり人の恋愛遍歴をペラペラと! ほとんど性的悪戯ですよ、この下衆の極み男!」


 真っ赤な顔でまくし立ててくる。


「それに、優等生のくせにってなんですか。成績がいい人間は恋愛をしてはいけないんですか? 勉強だけしていろと? 劣等感が透けて見える浅はかな物言いですね」


 あごをくいっと上げて、高圧的に見下ろしてくる。


「だいたい、横恋慕はそんなに悪いことですか? 出会うタイミングが合わなかったからと言って、あきらめていい理由にはならないでしょう?」


 眼鏡を持ち上げようとして、今は外していることに気づき、そっと手を下ろす。


「相手がきちんとパートナーを想っているのなら、浮気なんてしないはずです。寝取りも浮気も成田離婚も、される方にだって非はあるのでは?」


「……ええと」


 ようやく繭墨乙姫という嵐が過ぎ去ったあと、僕の頭からは用意していたセリフの多くが吹き飛んでしまっていた。


「なんか……、ごめん」


 校舎の端にある保健室には、音がほとんど届かない。僕たちが黙ると、しん、と耳が痛くなるような静けさが下りる。


 繭墨の顔から表情が抜け落ち、ぺたん、とその場に座り込んだ。はねのけた布団をたぐり寄せて、身を守るように肩から羽織る。それから枕元に手を伸ばして眼鏡を取った。


「……わたしを笑いに来たんですか」


 眼鏡をかけた繭墨の視線は鋭かった。先ほどの怒りに満ちたそれとは違う、束ねられて指向された、理性と知性を感じさせる視線だ。


「違う。謝りに来たんだよ」

「なぜあなたが謝るのですか?」


 僕は頭をかいた。

 言うか言うまいか、迷う。


「……いや、ひょっとして、まさか、可能性としてはっていうだけで、僕の考えすぎだろうとは思うんだけど……」

「前置きは不要ですので本題に入ってください」

「思ったより元気だね」

「空元気です。しぼんでしまう前に、速やかにしゃべってください」


 自分でそれを言ってしまうのは、余裕か虚勢か。


「……急に告白したのは、僕のせいじゃないかな、と思って」

「わたしの告白はわたしのものです」

「この前、話したじゃないか。あの二人には付け入る隙があるかもしれないって。だから、それを真に受けて暴走しちゃったんじゃないかと」

「真に受けてとはなんですか。わたしが人の話を簡単に信じるチョロい女みたいじゃないですか」

「違ってるならいいけど」

「もちろんです。暴走したことは認めますが……」


 繭墨は羽織っている布団を抱き寄せて顔をうずめる。


「直路も反省してたよ。悪いことをしたって」

「悪いこと……。そう思っているということは、つまり、わたしは断られるのですね」


 それについてはノーコメントだ。

 直路から相談を受けたとき、あいつは確かに動揺していたが、その感情の揺れのなかには、困惑も喜びも入り混じっていた。


「ご自分の正義を守れてよかったですね。お望みどおり、わたしは敗者ですよ」


 繭墨は肩をすくめる。

 いつかのやり取りのことを言っているのだろう。


 僕が君を敗者にする、か。

 売り言葉に買い言葉とはいえ、無茶苦茶なことを言ったものだ。


 たしかに繭墨は敗北したが、実情はそこまで一方的ではない。

 だからといって、正直にそれを伝えることはできないのだ。

 直路のアホが、告白にけっこう揺れていることを知れば、繭墨は希望を持ってしまう。


 希望の芽は摘み取らなければならない。

 だけど絶望に叩き落すのも気が引ける。


 戦争と恋愛ではwあらゆる手段がw正当化されますw、などと茶化してはいけない。

 敗北の事実を思い知らせつつ、しかしいつの日か立ち上がれるように。それっぽい言葉を並べて、落としつつも持ち上げなければ。


「繭墨さんは準備が足りなかったんじゃないかな」

「準備……、ですか?」

「ゲームの話で恐縮だけど、ボスを攻略するためには、レベルを上げて、装備を整えて、情報を集めて、万全の状態で挑むものだよね」

「ええ、よほど経験値稼ぎをしていない限りは……」


 繭墨はゆっくりとうなずく。


「今日の繭墨さんはそうじゃなかったよね。いきなりボスに遭遇して、しかも逃げられる戦いだったのに、動揺したまま当たって砕けてこのザマじゃないか」


 繭墨がビクンと肩を震わせる。


「そうですね……、友達の彼氏に言い寄った女というレッテルを貼られ、わたしはこれからどうやって生きていけばいいのでしょうか」

「生き死にの話に持ち込まなくても……。大丈夫、繭墨さんが何も言わずにいれば、直路もたぶん、黙っててくれるよ」


 繭墨と百代の関係に気を配ることはもちろんそうだが、もうひとつ理由がある。

 あいつだって気持ちが揺らいだ手前、うしろめたくて百代かのじょに話せるわけがない。


「そうですね、進藤君は優しいですから。もちろんkindnessカインドネスの意味で」

「なんでわざわざ注釈を?」

「阿山君もやさしいです」

「うん。……続きは?」

「わたしたちの間に言葉なんて必要ないでしょう」


 その割には口数が多いし、言葉も鋭利なものを選ぶ傾向がある繭墨である。

 ただ、まあ、今は言葉の刃を僕に突き立てることで、精神の安定を保っているのだろうから、大目に見てやることにしよう。


「上からの目線を感じますね……」


 奇遇である。僕もだ。


「気のせいじゃないかな。それより、繭墨さんとしては、今後はどうしたいの?」

「そんなの、まだ考えられません」

「でも、フラれたわけだし」

「ふら……! わっ、わざわざ言葉にしなくても……」


 繭墨の反応はいちいち大げさで面白い。普段が淡白なだけに、余計にそう感じる。


「それを認めないと、前には進めないよ」


 僕はさらに言葉を連ねる。決して心の傷をえぐっているわけじゃないし、それを楽しんでいるわけでもない。一応、理由あってのことだ。


 実際のところ、繭墨はまだフラれてはいない。

 直路から聞いたところでは、一方的に告白をされて、その場から走り去ってしまったらしい。だから一応、直路の返事を待っている状態ということになる。


 だからこそ、もう断られたのだと印象付けることで、繭墨が今後、気の迷いを起こさないように誘導できるのではないか。失敗したことにして、終わらせられるのではないか。


「繭墨さんはまるで全部終わったみたいなことを言ってるけど、フラれたからって、友達としてのつながりが消えるわけじゃないよね。そこは百代さんも含めて、今までどおりの関係を続けていきたいんじゃないの」


「そ、そう、ですね……、わたしも、人間関係に波風を立てることは本意ではありません」


 寝取りも浮気もされる方が悪い、と宣言していたやつの言葉とは思えない。


「今日の告白のことは、なかったことに――とは言わないけれど、蒸し返さないようにしよう。直路は優しいから、繭墨さんの気持ちを推し量って、そっとしておいてくれるよ」


 それはさっき、彼女自身も認めたことだったので、渋々といった様子でうなずいた。


「なかったことに……、なるのですね」


 そうつぶやいて窓の外を眺める繭墨が、あまりにも儚げだったから。

 僕は致命的なミスを犯してしまった。


「そんなことは――ないんじゃないかな」

「気休めはやめてください」

「女子に告白されたら、その子を意識してしまうものだよ、男子ってのは」

「フッた相手でも?」

「うん」

「付き合うつもりなど微塵もない相手でも?」

「それどころか、面識がほとんどない相手だとしてもね。告白された理由を考えてしまったり、どんな子なのか想像したり、歩いていてもふと姿を探してしまったり……」

「……それは、阿山君が非モテだからでは?」


 はい辛口いただきました。

 こちらの動揺を見逃さず、繭墨はさらに攻撃を浴びせてくる。


「つまり経験の浅さから来る幻想と妄想によって、異性を必要以上に美化してしまい、男女交際への過度の期待から、輝かしい未来を夢見てしまうのですね」

「いいいんだよそういう年頃なんだから!」

「若さを理由にするのは幼い証拠ですよ」


 ふぅ、と繭墨はため息をついた。そういう反応をされると地味にキツい。恥ずかしさでいたたまれなくなる。屋上から叫びたくなる。


「でも、そうですか……。告白されたら相手を意識してしまうもの、なんですね」

「そうそう、だから――」

「今はシフクのときということですね」

「至福?」むしろ失意だろうに、と首をひねる。


 ――すぐに誤変換を訂正。雌伏だ。


「突然、告白してきたかと思えば、翌日にはそれをなかったかのように振舞う美少女――男子なら気にならないわけがありませんよね」

「んん?」いま自分のこと美少女って言ったな……。

「まもなく期末テスト期間に入りますし、ちょっと距離を置いたとしても、それが駆け引きだとは思われないはずです」

「……あの、繭墨さん?」

「さすがに、クリスマスという期日は難しくなってしまいましたが……、ここはひとつ、進藤君の心にまいた種がいつ芽吹くのか、それを待つ楽しみができたのだと、そう考えることにしましょう」

「いや、もうフラれてるし」

「いいえ、そんなことはありません」


 繭墨は布団を放り投げてベッドの上で立ち上がった。


「一方的に告白をしただけです。まだ返事はもらっていません」

「される前に逃げ出したんじゃないか」

「もちろん、進藤君はどう断ったものかと悩んでいるでしょう。しかし、わたしが告白などなかったかのように振舞えば、その態度に疑問を感じて、わたしを強く意識するようになります」


 繭墨は自分の胸に手を当てる。彼女自身があまり信じていない言葉を、どうにか飲み下そうとしている、そんな仕草だった。


「進藤君がわたしの告白をはっきりと断らず、そして、わたしのことを考えてくれているうちは、まだ失恋ではありませんよね」

「飛躍しすぎじゃない?」

「恋心には翼があるんです」


 あ、これもう何を言っても無理なやつだ。

 完全に声が届かないところまで飛んで行ってしまっている。


「つまり……、しばらく様子見をするってこと?」

「いいえ、恋の風待ちと言ってください」


 まだ飛んでなかったのかよ。

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