第10話 前を向いているけれど、後ろ向きな気持ち

 曜子と進藤君の仲は、未だ不安定なまま。

 

 それがわたしだけの思い込みではなく、阿山君も同じように感じていたのならば、チャンスはあるのかもしれません。


 わたしはかすかな可能性を信じて行動を開始しました。

 進藤君と朝を共にするために。


 ――誤解をまねく言い回しでした。


 進藤君は毎日、野球部の早朝練習に参加しています。その場に曜子はいません。あの子は致命的に朝が弱いのです。


 なので、狙い目は早朝練習が終わってから、朝のホームルームが始まるまでの間。そのわずかな時間帯ならば、進藤君と二人きりになれるはずです。わたしはひと気の少ないグラウンドの周囲を歩き回りながら、彼との遭遇を待っていました。

 

 そして、張り込みを始めて5日目にして、ようやくタイミングよく鉢合わせることができました。


「……進藤君、偶然ですね。おはようございます」

「おお、おはよう繭墨」


 合流すると、進藤君はわたしに合わせて歩くスピードをわずかに落としてくれます。


「調子はどうですか」

「ああ、さすがに朝とかは運動するのがキツくなってきたかな」

「寒くなってきましたよね」

「曜子も言ってたな、布団から出るのがつらいって」


 その名前が出たところで、わたしは話題を一歩前進させます。


「その、曜子との調子はどうですか?」

「……まあ、順調にやってるよ」

「冬時間で部活が短くなって、一緒にいられる時間を長く取れるようになったんじゃないですか」

「でも、そのぶん自主トレしてるしな……」

「やはり将来のことを考えて、ですか?」

「いや、そこまでは……、単に秋冬の間に鈍っちまうのが嫌なだけだ」


 なんという意識の高さでしょう。ストイックなスポーツマンの鑑です。

 戦う相手は外ではなく自分の内側にこそ在るのですね。


「そういや曜子がさ、弁当を作ってくるって張り切ってたけど……、あいつは料理できるのか?」

「さあ、聞いたことはありませんけど……」

「だよな、少なくとも家庭的なイメージは皆無だ」

「そう見せておいて、死角からの必殺〝肉じゃがで家庭的な女子アピール〟を敢行するつもりかもしれませんよ」


 わたしの推測に、進藤君は首をかしげます。


「どうだかなぁ。付き合ってるんだから、それらしいことがしたい、っていう動機だぞ?」

「いささか不純ですね」

「ピュアじゃねえよな」

「でも曜子らしいです」


 わたしは小さく笑って、それから気を引き締めます。

 ここからが、本題です。


「……進藤君は、あの子のどんなところが好きなのですか?」

「どんなって……」


 進藤君は視線をさまよわせ、数秒ほど黙り込みます。


「まあ……、明るいから一緒にいて気楽なところとか、野球を見に来てくれたり、ドリンク差し入れてくれたりして、オレのために色々してくれてるっていうか、がんばってくれてる感じとかもうれしいと思うし、あと、やっぱりかわいいし……ってなんかハズいな、こういうこと話すのって。あいつには言わないでくれよ」

「ええ、わかっています」


 自分で話を振っておきながら、返事を聞くと、やはり心にダメージを受けてしまいます。うれしさと恥ずかしさが入り混じった表情で彼女の良さを語る彼を見て、気持ちが沈んでしまうのは自明だったのに。


 仮に阿山君の言葉どおり、二人の間に付け入る隙があったとしても、その隙をわたしが突けるかどうかはまた別の問題です。

 それに、曜子と進藤君の仲は決して険悪ではありません。ギクシャクした気まずさはあっても、互いを嫌っているわけではないのです。


「繭墨さ、なんかあったのか?」


 黙って考え込んでいるのを不自然に思われたのでしょうか。進藤君が問いかけてきます。


「いいえ、どうして?」

「話題が、らしくない気がした」

「そうですか?」

「好きとか嫌いとか、あまりそういう話しないだろ。……もしかして、曜子からなんか相談されたか?」

「いいえ。……何かあったのですか?」


 進藤君からの探り・・を回避して、逆に聞き返すと、彼はわずかに顔を背けました。


「いや、なんも。そうか、……いや、聞いてないならいいんだ」


 この揺らぎっぷり。

 やはり二人の間に何かがあったのは間違いなさそうです。


 どうしてわたしに相談してくれないのでしょう。先日の様子からして、おそらく阿山君は事情を知っているはずです。あとから入ってきた彼が知っていて、わたしだけが蚊帳の外というのは、不公平ではないでしょうか。ですが、あまりしつこく追及して、鬱陶しい女と思われても困りますし……。


 そんな迷いが、致命的な遅れを生んでいました。

 先に進藤君が口を開きます。


「もしかして繭墨、好きなやつでもできたのか?」

「……ど、どうしたんですか急に」

「恋バナを振ってくるのって、そういうことなんじゃないのか? 誰だよ? クラスのやつ?」

「いませんよ、そんな……」


 ポーカーフェイスに失敗したわたしを、図星を指されて焦っている、と勘違いしたのでしょう。進藤君はイタズラっぽい顔になって、さらに尋ねてきます。


「じゃあヨソのクラス? だったらキョウくらいしかいないよな」


 ひどい勘違い!

 いつかの心配が現実のものになってしまいました。


 想いを寄せている相手に、別の誰かとの恋仲を疑われるのが、こんなにもつらいだものだったなんて。


 実感が、じわじわと染み込んできます。


 わたしが誰かを好きだとしても、進藤君はその感情に〝お友達〟以上の興味を持っていない。その温度差に絶望してしまいそうでした。


「――違います!」


 思わず大声が出てしまい、進藤君が目を丸くしています。


「違うんです、わ、わたしは――」


 彼の表情は当惑。

 こちらの反応が理解できない様子です。


 このときのわたしは、相当に追い詰められていました。

 もうあとのない崖っぷち。

 だったらせめて、飛び降りる場所くらい選びたい。


 前を向いているけれど、後ろ向きな気持ちです。


 今はまだ始業前で、飛び降りてからが、むしろ1日の始まりだというのに。

 ほとんど遺言みたいなつもりで、その言葉を発してしまっていました。

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