第9話 わたしの存在証明
わたしは男性に対して、頼り甲斐や自立性を求めているのだと思います。
わたしの家――
幼い頃のわたしは、自分の家が学校の友人たちと比べて大きく、裕福であることに、それほど疑問を感じていませんでした。
性別や容姿と同じように、各家庭の経済状況も最初から決まっていると思っていたのです。それは現状に不自由していないがゆえの思考停止だったのでしょう。
そんな満ち足りた生活に疑問を抱く、きっかけとなった出来事があります。
ある日、まったく知らない中年の男性に、道端で
お前の父親は何もせずに金を手にしたロクデナシだ、手を汚してさえいないぶん、犯罪者よりも
最初は見ず知らずの大人の、乱暴な言葉づかいが恐ろしかった。その恐怖が落ち着いてくると、やがてわたしは、男性の言葉の意味を考えるようになりました。
何もせずに金を手にした。
わたしは父の仕事を知りませんでした。
毎日のように高級外車で出かけているのが、職場へ向けて通勤してるのだと思っていたくらいです。
父の服装は年齢の割に非常にラフで、友達の親が仕事の際に着用しているスーツ姿や、あるいは作業着の類を着ているところなど、ほとんど見たことがありませんでした。
指摘されて初めて、違和感に気づいたのです。
わたしは恐る恐る、父親にたずねました。
お父さんのお仕事は何? と。
資産管理だよ。
そんな返事が返ってきました。
幼いわたしにはよくわかりません。
首をかしげていると、大きくてきれいな手が髪の毛をなでてきます。
この家にはたくさんのゲンキンやキキンゾクやケンリショやキンユウショウヒン――つまりは宝物があるんだよ。お父さんはそれを守っているんだ。
宝物は、どこから持ってきたの?
……最初からあったんだよ。
私の質問を受けて、父はわずかに視線をはずしてそう答えました。
それは嘘ではありませんでしたが、本当とも言いがたいものでした。
いくつかの説明を意図的にはずして、耳ざわりのよい言葉を並べた子供だまし。
事実はこうです。
繭墨家は広大な土地を持っていました。
利便性が薄く、資産価値の低い、山間部の土地です。
しかしある日、その土地が高速道路建設のために用地買収されました。二束三文だった土地が、高値で買い上げられたのです。
棚からぼた餅とはこのこと。
職を転々としていた父の稼ぎで、その日暮らしだった家族は、本当に突然に、なんの努力も積み重ねもなく、〝宝物〟を手に入れたのです。
母からこの話を聞き出すために、わたしは少々、悪巧みをしました。
普段は貞淑な女性が、酒に酔ってつらい昔のエピソードを語りだす――そんな物語のワンシーンを参考にしたのですが、思いのほか、コトは上手く進みました。
その日は母の誕生日だったのに、父は家を空けていました。
そんな不義理が母の精神を揺さぶり、深酒を促したのでしょう。
母がジュースのようにグラスをあおり、そのたびにわたしはワインを注いで。
母の口がどんどん口が軽くなっていくのは楽しかったですが、勢いあまって、子供の前でするべきではないような話も聞いてしまいました。
〝宝物〟がなければ、たぶん、あの人とは別れていたでしょうね――
そのつぶやきは、その最たるものでした。
小さなわたしよりも前の、もっと幼い頃のわたしは、あまり綺麗とは言えない集合住宅に住み、おしゃれではない服を着て、父も母も余裕がなくて。
宝物のおかげでそんな生活から抜け出すことができたというのに、わたしはその宝物を、どこか空虚なものに感じていました。
◆◇◆◇◆◇◆◇
そういう経緯もあり、進学先は許される範囲で最も遠い高校を選びました。
通学には片道1時間近くかかります。多少の苦労はありますが、それでもわたしは、わたしの家庭の事情を知る人がいない場所へ行きたかったのです。
長い通学時間のおかげで、家族と接する時間は激減しました。
顔を合わせない日すらあります。
今も父は〝宝物〟を守っているのでしょう。
わたしはそれを、悪いこととは思いません。
そのおかげで、不自由ないどころか、裕福と言える生活ができるのですから。
だけど――
わたしの生活は、降って湧いた幸運によって支えられている。
それを意識すると、わたしという人間がひどく不確かで、
錯覚を振り払うために、わたしは勉学に励みました。知識を蓄え、試験でよい点数を取って、空虚な自分の〝中身〟を積み重ねていく。それがわたしの存在証明だったのです。高い能力で周囲を圧倒している人に惹かれてしまうのは、そんな不安の裏返しだと思います。
伯鳴高校の生徒の中で、進藤直路という人物の能力は突出していました。
才能という、本当の宝物を持っている人。
そんな人が同じクラスにいて、わたしを気にかけてくれたということに、舞い上がってしまっていたのです。
舞い上がって、しかし、何もしないでいるうちに、進藤君は曜子と付き合うようになりました。
曜子が相手なら仕方ない、とは思いませんでした。むしろ、やられた、先手を取られた、という思いが強くありました。
曜子が付き合えたのなら、わたしでも先に告白していれば了解を得られたのではないか。そんな傲慢な考えを抱いたりもしました。
それでも、二人が上手くいっているのなら、あきらめようと思いました。もともと進藤君の才能とつりあう女子など、この学校にはいないのですから。曜子なら仕方ないとは思えなくとも、曜子ならまだ許せる、という程度には譲歩していました。彼女には恩があります。
曜子はクラスで最初に声をかけてくれた女の子でした。
知り合いが1人もいない教室で、もともと人見知り気味のわたしに話しかけてくれたのです。孤立してもいいとあきらめていた高校生活ですが、にぎやかな曜子を窓口にして、私もクラスメイトと少々の交流を持てるようになったのです。
ところが、曜子と進藤君が交際を始めてしばらくたっても、二人の距離感は、さほど近づいていないように見受けられました。
手を繋いで下校したり、デートをしたり、キスをしたり――
そういった男女交際の手順書にでも書かれているような行動を取っていて、表面上は付き合っているかのように見えます。ですが、二人の間の敬意や信頼、情愛の深まりが、あまり感じられないのです。
もっともそれは、わたしの中の嫉妬心が、二人の関係を否定的に見せているだけなのかもしれない。そう自分に言い聞かせて、馬鹿なことは考えないようにしてきました。
自制はできていた、と自負しています。
――あの二人、付け入る隙はあると思うよ。
阿山君が妙なことを言い出すまでは。
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