第2話 あなたの部屋へ行きたいです

「わたし、進藤君のことが好きなんです」


 衝撃の告白を聞かされて、僕は途方に暮れていた。


 友達の彼氏を好きになるというのは、割とよくある話かもしれない。だけど、それを公言してしまうのは倫理的にどうなのだろう。にもかくにも、反応に困る。


 聞かなかったことにして帰りたいと思っていると、ポケットの中で電話が鳴った。スマホを取り出して画面を確認する。直路からだ。友情を感じるタイミングだった。


「もしもし」

『キョウ、今どこだ?』

「球場の外野席だけど」

『繭墨も一緒だろ』

「うん」

『じゃあ二人で球場の外へ来てくれよ、4人でメシ食おうぜ』


 お前の彼女の友達がお前を好きだって言ってるんだけど、同席させてもいいの?


 球場の外で直路たちと合流して、近くのファミレスへ向かった。試合を終えたばかりのエースは腹が減っていたのだろう。

 4人掛けの席では、一応付き合っている直路と百代に気を使い、二人に並んで座ってもらう。なので必然、反対側の席には僕と繭墨がつくことになる。


「ナオ君、今日もすごかったね」


 百代がさっそく彼氏の活躍を持ち上げるが、直路の方は自分のピッチングに満足していないらしく、彼女のほめ言葉を素直に聞き入れようとしない。


「んー、そうか? けっこう長打も食らったんだけどな」


「勝ったんだから結果オーライじゃん」


「そりゃ後続のピッチャーがしっかり抑えてくれたからで、俺はむしろ足を引っ張ってたからな……」


 直路はむずかしい顔をして、ハンバーグステーキにフォークを突き刺す。


「それくらいじゃ足りないんじゃない? あたしのも食べる?」


 百代は自分のパスタの皿を寄せつつ、直路の方へ身体を寄せた。積極的なスキンシップである。


「いや、大丈夫。汗臭いからあんま近寄らない方がいいぞ」


「……そっか」


 百代は一瞬だけ表情を曇らせるが、すぐに笑顔をとりつくろい、


「ありがと、気を遣ってくれて」


 と逆に礼を言って、寄ったぶんだけ遠ざかる。


「へえ、意外だね。直路が汗の臭いとかのエチケットを気にするなんて」


 二人の間がぎこちなくなる前に、僕は直路をからかってやる。


「当たり前だ。朝練から戻ったら女子がうるさいんだよ」


 案の定、直路はげんなりした表情を作ってため息をつく。だが、声のトーンは深刻ではない。あくまでも軽口の範囲だ。


「あ、あたしは言わないよ? いつも頑張ってるの知ってるし」


 と百代が慌ててフォローをする。


「理解あるんだね、百代さん」


「彼女だもん、とーぜんでしょ」


 百代はここぞとばかりに背筋を伸ばして直路との関係をアピールする。同時に、学年でもトップクラスだと思われる胸もまた、その存在感を主張していた。うっかり視線が吸い寄せられてしまい、僕はそっと窓の外を向いてごまかす。ごまかせていただろうか。


「そういえばキョウ、俺のピッチングはどうだった?」


 直路は彼女を差し置いてこちらに話を振ってきた。

 ちなみにキョウというのは直路が僕を呼ぶときのあだ名だ。下の名前の一朗から取った、比較的シンプルな由来である。ビジュアル系バンドのメンバーのようなキザな響きが少し苦手だが、訂正するのも自意識過剰な気がして何も言えないでいる。


「球威は悪くなかったけど、コントロールはイマイチだったね」


 僕はそう応じて、投球内容やペース配分など、ちょっと専門的な野球の話を直路と語り始める。


 ところが、これがよくなかった。百代が混ざれないのだ。


「前半ちょっと飛ばしすぎだったんじゃないの」

「変化球が調子悪かったせいで球数を投げ過ぎたんだよ」

「だから後半バテて高めに浮き始めたと」

「やっぱり走り込みを増やすしかないのか」


 僕と直路のやり取りを聞きながら、百代は「うんうん」「なるほど」などと知ったかぶって相槌を打っていたが、そのうち飽きてしまったのか、正面の繭墨に声をかけてしまう。しかもそちらの会話の方がよっぽど弾んでいた。


「ヒメって少食だよね、それでお腹空かないの?」

「わたしは燃費がいいみたいだから」

「スタイルもいいよね、スレンダーって言うの?」

「曜子はグラマラスね」

「こんなのただの重りだよー、肩もこるし」

「所得税と思ってあきらめなさい」


 とまあ、こんな具合である。

 男子は男子、女子は女子と、会話の相手がはっきり分かれてしまった。これは完全に、失敗する合コンのパターンだ。合コンに参加したことはないが、たぶんこういう感じだろう。そして女性陣は男性側に支払いを押し付けて帰ってしまうのだ。この流れはよくない。


「……そういえば、百代さんがボークについて詳しく知りたいって言ってたけど」


 僕は強引に話を振って、どうにか立て直しを図る。


 その甲斐あって、直路と百代は野球の話題で場をつないでいた。直路の話を百代が黙って聞いているだけの一方的なもので、それが彼氏彼女の会話として正しいのかはわからない。しかし、男子と女子で分断されてしまうよりはマシだろう。

 

 繭墨は、そんな二人を静かに見つめていた。どちらか一方を、というのではなく、二人を同時に視界に収めている。百代と直路のぎこちないやり取りを、そっと見守るような、おだやかな表情だった。




 ファミレスを出ると、その場で解散となる。


「ナオ君は?」

「学校へ戻って自主練だな」

「ヒメは?」

「ごめんなさい、このあと用事があるの」

「阿山君は?」

「僕もちょっと用事」

「へー意外」


 僕だけ反応が違うのは明らかに偏見だったが、百代は、


「そういうことなら仕方ないね、じゃあバイバーイ」


 とあっけらかんと手を振りながら、市街地の方へと歩いていった。


「さようなら、二人とも」

「ん」

「ああ、またな」


 繭墨が軽く会釈をして遠ざかっていく。


「……じゃあ俺も腹ごなしにランニングしながら帰るか」

「タフだね」


 直路はバッグをかつぎ直すと、本当に走って帰ってしまった。


 百代と直路が遠ざかり、姿が完全に見えなくなるのを確かめてから、僕はその場を後にする。


 数百メートルほど歩くと、指定されたコンビニが見えてきた。店の前には一人の女子が姿勢よく立っている。長い黒髪に白い肌のコントラスト、そしてよく目立つ紅色の縁のメガネ。


「お待たせ、繭墨さん」

「いいえ、いま来たところです」

 そりゃそうだ。

「……それで、話って何?」

「こういう場所では、ちょっと」


 繭墨は辺りを見回して、苦笑いを浮かべる。


「どこか座って話せる場所へ行く?」


 なけなしの勇気を振り絞って、リアル慣れした男子高校生のように問いかけたというのに、繭墨は首をゆっくりと横に振った。


「じゃあどこへ……」

「あなたの部屋へ行きたいです」

「え?」


 聞き間違いではなかった。

 繭墨は上目遣いで僕を見ながら、同じ言葉を繰り返した。


「あなたの部屋へ、行きたいです」

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