結城 基

 ーージュウソウ、ジュウソウです。お降りの方は足元にお気を付けください。次は蛍ヶ池ーー

いつも通り、カバンに本を詰め込んでコーヒー片手の電車旅。だけど、今回はいつもと

わけが違う。いつもはせいぜい二冊の本が、今回はキャリーケースにぎゅうぎゅうで、私自身はというと二十年近く住んできた郷土を離れ、大阪に住処を移そうとしている。砂糖を入れすぎてドロリとしたコーヒーを捨てるに捨てられず、ちゃぷちゃぷと手元でもてあそびながら、わたしは乗るべき電車を何本も見送っていた。薄雲に白んだ空を見上げながらほうっと息を吐きだす。私が物語の主人公になろうとするたびに、それをいつも妨げてきたこころが、やたらに早鐘を打つ心臓が新しい何かが始まるのを拒絶している。駅についてから五本目の電車が発とうとしている。

その時ぺしゃ、と音がして、目の前を光輝くなにかが転がった。ステンドグラス調の栞。脇にぼろぼろになった本を抱えながらキャリーケースを引きずる同じくらいの歳の男の子がそれに気づかず歩いて行く。

「あ、あの!」

 咄嗟に出した大声がホームに響き渡る。怪訝な顔をしたサラリーマンがこちらを向く。顔が熱くなる。聞こえそうなくらい心臓が脈打つ。ホームが喧騒を取り戻す。私に見据えられた男の子だけがきょとんとこちらを見ている。話さなきゃ。

「しおり……落ちました」

 男の子はそれをそろりと受け取った。男の子も真っ赤な顔をしていた。

「あ、りがとう、ございます」

 消え入りそうな声でそう呟くと、男の子は顔をゆがめた。それがぎこちない笑顔だと気が付いた時には、男の子は既に、逃げるようにコンビニエンスストアに駆け込でしまった後だった。

 少しだけ、頑張ってみよう。もしかしたら、お気に入りの本にお気に入りの栞を挟むような人が、他にもいるかもしれない。次の電車は雲雀丘花屋敷行き、五分後の快速。

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結城 基 @Azyu-Seeds

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