第8話 藍色の悪魔と赤髪の剣士⑤
マスターは通常通りの酒場を始めるために1階にいたのだが、どうやら朝からあまり機嫌がよろしくないらしい。
私のせいかな、アスリアが怯えていたので、その原因をはっきりさせることにした。
「どうした?」
「お、起きたか」
いつもの気に入らないが愉快な顔に戻ったマスター、どうやら俺達が原因じゃないらしい。
「ならなんでそんな顔してるんだよ」
「見張られてるな。なんでここがバレたんだか」
「それは考えても意味ないだろう。勘でも理論でも見当をつけられてたら同じことだ」
「まだ朝だし、この辺りには人通りも少ないからな。お前達を狙って……嘘だろ」
独り芝居をされても困るので、俺もマスターの見ている驚きの光景とやらを見る。
「わお」
つい俺も発言してしまったが許してほしい。
そいつの匂いも漂ってきた。
「……獣の匂い。なんで?」
ドルーハウンド。黒猟犬という異名の通り犬ならばまだ可愛いのだが、実際は狼に近い。体は濃い紫の体毛で覆われているため、暗い中だとよく見えない。群れはあまり作らず、一匹で森の中をうろうろしているところをよく目撃されている。
街の中にいれば本来は騎士が討伐しに来るはずだが今回は様子もちょっとおかしい。
先ほども言った通りあの犬は単独行動をするのが基本だ。しかし今この宿屋に向かってきている連中は群れを成している。その数は十体以上で同士討ちもしていない。元々群れの中で生まれた個体でなければ集団行動をするようにはならない。
「何者かに調教されている飼い犬だな。厄介な……街に解き放てば、人を食うぞ。だが、どうやら狙いはお嬢ちゃんだな。においを追って着実にこっちに来ている。追い詰められれば不利になるだけだ」
ならば出るしかない。
幸い自分の警戒度が上がっていたため剣はすでに鞘に入れて腰に装着している。
「獣なら大丈夫です。私も」
「危険だぞ、一年生ごときで」
「前に言ったけど私は上位騎士見習い。獣の討伐くらいなら大丈夫よ」
俺のイメージとしてはいくら騎士学校に行っていても、彼女はお姫様のイメージが強い。前線に立って戦う姿など想像できない。
しかし、確かに一人で相手するには骨が折れそうな数だ。
「マスター、もしもの時は助けに入ってくれ」
マスターも酒場の主人のくせに俺の剣の師匠だ。獣に後れを取る男ではないだろう。
「いいだろう」
俺は剣を手に、酒場の表の道へと出る。
外に出た途端、一匹の獣が突出して、俺に迫ってきた。剣を鞘から抜き迎撃の体勢を取る。
鱗は持たないので、刃は通りやすいが、それでも簡単に倒せるというわけではない。その分厄介になるのは脚力が生み出す素早さだ。
本気になれば、人の大人の身長の二倍ほどまで跳躍できるだろう。
もちろん牙は相当な危険がある。鉄くらいなら楽に噛み切るので、噛みつかれでもしたら、人間の肉など一瞬で引き裂かれ持って行かれる。
軽装で挑むなど、自殺行為だ。殺されてもおかしくはない。と、昨日と同じような薄っぺらな服を着ている俺が言えたものではないが。
だが俺の場合はその限りではない。
この程度の相手なら、いっぱい狩ってきた。何度も焼き肉にしておいしくいただいたことがある。朝飯にはちょうどいいかもしれない。
威嚇をしても動じない敵を見た狼は、とうとうしびれを切らしてこちらに襲い掛かってくる。
ドルーハウンドが跳びかかってくるのを、俺は右に避ける。その時周りを見た。万が一にもほかに敵がいないか確かめる。しかし見えず、気配も感じなかった。後ろから隙を突かれることはなさそうだ。
狼は自分の勢いをつけた攻撃が外れたため、着地だけでは反転するための減速が間に合わず、たたらを踏む。
その数歩の間という隙を逃すつもりはない。というよりドルーハウンドはこの隙を突くのが一番いいと、これまでの経験で把握している。
剣を地面と平行に、刃先を標的の方向に向け、柄を顔の真横に来るように構える。
俺は、その態勢のまま凶悪生物にむかって突進、そして身を投げ出すように前方向に踏み込み、全体重と共に剣を前に突き出した。
剣先はその紫の体に吸い込まれるかのように向かっていき。
俺の命を奪おうとした狼は、その体を、黒い剣に貫かれた。
それを見た黒い犬は俺を危険な奴と判断したようで、今度は俺を一気に襲いに来そうな動きをしている。
しかしすぐには飛び掛かってこない。
アスリアが家から飛び出してきた。その手には細身の美しい剣が握られている。
「やれるか?」
俺が訊くと、
「任せて」
自信ありげに、なんとその場で剣を振った。危ない。近くに俺がいるのだ。
気合が入っている証拠だろう。
そう思いきや実はそうではないようだ。
アスリアの剣が緑の光を帯びていたのに気が付いた。
法理剣術か。
そう思った次の瞬間に俺は今日二回目驚かされることになる。
まだかなりの距離が空いていたにも関わらず、犬を斬り裂くように白い筋が発生し、犬を完全に斬り裂いたのだ。
遠隔斬撃など、アスリアがその場で剣を振り続け、それに呼応するように白い筋が斬撃となって離れている犬たちを斬り裂いていく。
身の危険をとうとう感じ取った犬は逃げるか襲い掛かるかの二択に分かれた。
逃げる奴はどうでもいいとして、襲い掛かってくる犬を逃がすつもりはない。距離を詰めてきた獣は俺が相手をすることに。
そして逃げるやつも、アスリアの遠隔斬撃が容赦なく斬り裂く。
全滅は目に見えていた。
アスリアの立ち振る舞いを見ても初心者の剣捌きとは思えない。
騎士学校で学んだだけではなくおそらくもっと前からしっかりを修業を積んでいたのだろう。
「強いな」
「まあね。昔から騎士様に鍛えてもらってたから」
「そうか。でも、どうして鍛えてもらってたんだ? 普通お姫様は考えないだろう」
「お姉ちゃんもそうだったんだけど」
え、お姉ちゃんいたの?
初耳だったが今は口を挟まないことに。
「騎士が戦っているときは自分は援護でもなんでもいいから、護られるばかりじゃなくて自分でも行動できるようになりたいの。それは一つ。でも、みんないなくなってからはそっちよりも別の意味で強くなりたいと思ったかな」
「それは?」
「いつか、私の家をめちゃくちゃにした奴を殺したい」
穏やかじゃない夢が単純明快に語られた。
それはそうだろう。あの日から俺よりもきっとアスリアが辛かっただろう。
大切な人を殺されたら復讐を考えるのは当たり前のことだ。俺は人殺しを生業としやすい身として、そして友を失った身として、その気持ちは理解できなくもない。
「失望した、こんな俗っぽい理由で」
「いいや、むしろ好感度上がった。変な正義感じゃなくて普通の人っぽい理由だったから」
「それは良かったわ。ローグに嫌われるのはいやだもの」
「そうなのか?」
「だって、私にとってたった一人の親友だもの」
嬉しい言葉だ。
俺と同じことを考えてくれていたとは。
「さて、せっかくだ。焼いて食うか」
「賛成」
「……食えるのか?」
「美味よね」
昔は肉は好まなかったはずだが、アスリアは俺が想像している以上にお姫様を脱却しているのかもしれない。
俺は近くの一匹を取ろうとその死体に近づく。
「なんだぁこれは?」
まずい。
騒ぎを大きくし過ぎたか。この場に新しい人間が現れた。
俺は一度拾うのは中止し、声が聞こえた方向を警戒する。
見ている向こうから男女二人、アスリアとよく似た服装で同い年くらいの人間がやってきたのだ。
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