エピローグ

エピローグ

 アルファルドたちが帰宅した日の夜。


 ハダルはイオの安宿に入って魔力通信機リンカーを繋げていた。通信相手は献金の計算を終えたばかりのアルファルドだった。端末のホログラムに弟子の顔の輪郭がくっきりと浮かんでいる。


「——私の請け負った依頼はお前たちの保護と容疑者の身柄の確保——あるいは遺体の回収だったというわけだ。それ以上のことは求められていない」


『ハンターギルドからそう依頼されたんですか?』


 アルファルドの問いかけにハダルはただニヤッと笑みを浮かべた。


「実際には教会からギルドを通して私に渡ったようだ。お前が受け取った通り、報酬は結構なものでな。卵運とやり取りを繰り返しながらあの場所まで来た。それと、この依頼に対して余計な詮索はするな」


『そういうことにしておきます。ハンターの掟ですからね』


 弟子は素直に忠告に従った。


 依頼主が誰であろうと報酬を確実に受け取れるのであればそこに善悪は存在しない。ハダルが常々アルファルドたちに伝えてきた教えだ。


「敢えて口ずっぱく言うが、ハンター稼業は報酬第一だぞ?」


『わかっています。でも、結果的に僕たちはホロスを救ってしまいました。この功績もまた、秘密にされてしまうのでしょうか?』


「それが『名もなき英雄』と呼ばれる私の所以だ」


『勿体ないですよ。やはり師匠の功績は称えられるべきです』


「それはカペラたちにも言われたさ。でもいい。報酬さえ受け取れるならな――」


 しばしの会話の無い時間が流れると、アルファルドが思い出したように話題を振る。


『師匠はこの後どうされるんですか? こちらに戻られますか?』


 ハダルは「いいや」と言って首を横に振った。


「前に言っただろう、一年ほどの期間を要する依頼があると。今回はその途中で受けたものだ」


『お忙しいんですね……』


 ホログラムのアルファルドは、少しがっかりしたような表情を見せている。


「突然ふらっと戻るかもしれないな。まぁ、私の気分次第だ」


 ハダルはさらりと言ってのけるが、アルファルドとしてはいい迷惑だとも思った。


『危険な依頼をこなしてそんな風に言えるのはあなただけですよ。でも、いつでも帰ってきてください。歓迎しますので』


 アルファルドは呆れていたが、すぐに優しそうな笑顔を見せた。


「はははっ、有難い」


『師匠も依頼の続きがあるんですよね? 早く寝た方がいいですよ』


 相変わらずハダルの心配をするアルファルドだったが、師匠にとっては弟子に無視されるよりはよっぽどましだった。


「言われなくてもわかってる。お前も休め。慣れない作業で疲れただろう」


『本当に疲れました……僕、本当にハンターとして生き抜けるのだろうかと不安になるくらいには……』


 思い出すだけで嫌になったのか、アルファルドの顔がげっそりとやつれていた。そんな弟子を見て、師匠は嫌みを含まない笑みを広げた。


「スイと共に聖女の力に打ち勝ったんだ。私の目に狂いはない。ただし、これからも納金は面倒くさがるなよ」


『そこは何とかします。今はスイもいるので、たぶん大丈夫かと』


「ならいい。さて、私も休むとしよう」


 ハダルは軽い別れの挨拶を呟くように告げた。


「はい。おやすみなさい、師匠——」


 通信が切れ、途端にベッドと椅子があるだけの小さな安宿が静寂に包まれた。何の変哲もない白い壁を一点に見ながら、ハダルは佇む幽霊のような人影を見たような気がした。きっと長年の疲労により幻影を見てしまったのだろう。しかし、その人影が見覚えのある人物へと変化したのだ。


 金色の麦のような髪に透き通るような青白い肌の女性。

ミモザだった。


 ひっきりなしに依頼を抱えるハダルを空から見て不安に思っていたのかもしれない。


「——あなたまで心配しているのですか?」


 ハダルがフッと口角を上げると、人影も控えめに笑った。元気そうにしていると解ると、すぐに姿を消して元の壁に戻った。


 魔力不全の人たちを助けてほしい。


 ハダルはミモザの最期の手紙に書かれていた内容を反芻した。


「あの時の約束は果たしました。ですよね?」


 壁に問いかけても返事はなかった。


 それでいい。


 自分の愛したあの人は、きっと安心して宇宙へ帰っていったのだ。


 それだけでいい。


 不思議な一夜を過ごしたハダルは、今も変わらぬミモザへの想いが渦巻いていることを胸の鼓動にそっと触れて確かめた。


 翌日、一人の上級ハンターは何事もなかったかのように宿を後にすると、初夏の風と共に静かにホロスを去っていった。


 一年後、名もなき英雄が世界中を救う冒険譚が口承となってテトラネテスの各地で誕生するが、彼の正体を知るものは誰一人としていなかった。


   *


 遠く暗い宇宙の中で燦然と輝く聖女が無重力の上を立っていた。

 

 ステラは誕生した二つの命の器を見届けた後、大小さまざまな惑星に目を向けながら、ビエラに力が宿った時とスイに覚醒を知らせた時を反芻していた。

 

 幸いにも一つの国が、一つの大陸が、一つの惑星が滅びるまでには至らず、今後もステラへの信仰が平和を維持する一つの指針となって民は生きていくだろう。


(——ステラ様! 聞こえますか?)


 未来を見据えて考えていた矢先に、交信が聴こえてきた。明らかな少女の声、正体はスイだった。


(スイ。あなたが勝利したのですね)


 姿は見えないが、どの方向から交信を送っているかも理解できる。


(でも、わたしはビエラさんを殺せませんでした。正確にはわたしの師匠が止めを刺しています)


 見えない相手と繋がっているステラはうんうんと何度か頷きながら真剣にスイの話に耳を傾けた。


(これは間違いなく、あなたとお師匠さんの手柄です。ホロスを、世界を救ったのですから、どうか誇ってください)


 ステラはそう伝えた。誰が滅びゆく世界を最後に食い止めたかは関係ない。必要なのは実際に危機を脱したという過程が重要なのだ。


(……)


 スイは言葉を発せないでいた。ステラの助言に二の矢が放てず何を話していいのか分からなかった。聖女は自分から話を切り出した。


(薄々気付いていると思いますが、あなたと私は間もなく交信ができなくなります。それは命の器が機能を停止するのと同じ意味に値します)


(何か最後に伝えたいことはありませんか?)と、ステラが更に付け加えた。


(あのっ――あのっ――)


 何かがつかえたようにハンター見習いの頭の中からなかなか単語が出てこない。


(ふふっ。落ち着いてください。まだ時間はあります)


 見えない相手に向かってステラはニッコリと笑みを浮かべた。きっと星にいる彼女にも届いている。だから自信を持って笑う。聖女はそれだけの自信をみなぎらせていた。


(今まで力を貸してくださり、ありがとうございました。失うもののあったけど、守りたい人たちを守れました)


 スイはきっとペコリと頭を下げているのだろう。そんな恭しさがステラにまで伝わってくる。


(救ったのは間違いなくあなたの力です。私だけでどうにもなりませんでした。自分に拍手を送って下さい)


(あ、ありがとうございます……)


 スイはの声はなんだか照れているように聞こえた。


 ステラが言い終えた時、交信に狂いが生じ始めた。もう間もなく、命の器は役目を果たすようだ。


(さぁ、別れの時です。たとえあなたが力を失ったとしても、私は宇宙からあなたをずっと見守っています。今を生きているこの時も、命が尽きて星になった時も、あなたに加護を与えていきます。どうかそれだけは忘れないでください)


 やや間があった。スイは頷いていたらしい。


(はい。ステラ様も、どうかお元気で)


(私はいつでも元気ですよ。さようなら、スイ……)


 ステラは自ら交信を終了させた。大きく繋がりが狂う前に、できる限り明瞭な交信の状態で別れたかったためだ。


 交信の消えた静かな宇宙へと戻った真っ暗な海は、バクテリアを発光させる魚たちを映して止まない、忙しない世界へと変貌していた。否、寧ろ最初から慌ただしく作られていたのかもしれない。


 幾つもの銀河が広大な暗室を照らし続け、星々の命が尽きるまでこの輝きは消えないのではないかと錯覚を起こしている。


 宝石たちを眺めるステラはただ、果てしない宇宙の先々へ思いを馳せていた。


   *


 ホロスのニュースを彩る新聞記事の一面には、ガニメデ山中の大規模な陥没の画像が飾られていた。各地の記者による記事の内容もほぼ同一で、聖女複製計画の一部が行われていたのではないかと現地の教会が徹底的に調査を進めているというものだった。


 街を歩くイオの人々の目に留まる号外が各地で瞬く間に広まり、それはホロスから遠く離れた東端の国にも例外なく情報が渡った。


 話題沸騰の事件から数日後。


 アルファルドは自宅に訪れたリゲルを迎えた。ハンターの身に着ける装甲衣アーマーは半袖の夏服仕様となっており、涼しそうな雰囲気が漂う。一方の神父は相変わらずキャソックだが、汗水一つたらさない表情を見せるので冷却機能を備えた布を使用しているのだろう。二人は椅子に座りながら今回の一件に関わる内容をハダルの部屋で話していた。


 最初にハンターギルドからの最終報告では、手柄がハダルとその弟子たちによるものと認定し、三人分の特別報酬を渡し終えたことが改めて確認された。


 事前に依頼を受けていたハダルによってシャウラ、ハレー、ビエラの遺体は回収された。その後、遺体は教会に引き渡されて宇宙葬を行ったと報告を受けている。


 リゲルとの戦いに負けたエンケもまた、教会によって身柄を拘束されていた。


「エンケは全面的に同胞を殺した容疑を認めている。始まりの終わり(リバース・ピリオド)の証人としてこれから話を聞きださなきゃならねぇ。ごたごたはしばらく続くだろうな」


「罪状はどうなるんだ?」


「おそらくは極刑になる。記憶を書き換えられたとはいえ、罪の重さは変わらねぇ」


「そうか……」


 リゲルの言う通り、当然と言えば当然の結果だった。


 アルファルドは落胆もしなかったが、一つのボタンの掛け違いから敵対する人間となった彼らを恨むことなどできなかった。もしかしたら自分は優しすぎるのかもしれない。だが、同時に罪を背負った以上は裁かれなければならないのが現状だ。そういう決まり事なのだと納得するしか方法はなかった。


「まぁ、あまり気に病むな。アイツらを捕まえるなり倒すなりしなかったら、ホロスどころか大陸が滅んでいた所だ」


「——それもそうだな」


 アルファルドはリゲルのフォローで諦めたように吹っ切れた。この聖職者は今までの行動を肯定してくれている。なんだかんだ大切な友人なのだ。


「報酬をだいぶ上乗せしてもらったし、オレたちのやるべき依頼はこれでおしまいって感じだな」


 話し込んでいた矢先、誰かがコンコンと部屋のドアをノックする音が聴こえてきた。


「入っておいで」


 アルファルドが答えた。


「お待たせしましたー」


 若干間延びした声でスイが部屋に入ってきた。


「おお、スイちゃん! イメチェンしたのか!」


「——初めて着てみたのですがいかがでしょうか?」


 照れた表情を見せる眼鏡の少女は新たな装甲衣アーマーを身に着けていた。アルファルドと同様に長袖から半袖に仕様を変えているが、本当に重要なのは下半分だ。今までパンツスタイルだった服装は動きやすさとお洒落を意識してひらひらとしたスカートに変貌している。真っ白な素足がスカートの下から姿を現してホロスで流行しているファッションを引き立たせるように控えめながらも存在感を示している。


「これがファッション性を高めた新たなハンターの戦闘服だ。夏限定でね」


 アルファルドはしげしげと食い入るように見とれていた。


 正確には装甲衣の生地をもとにして製造型の魔導機が作ってくれた。新たな装甲衣の形を表現できているように思える。


「いいじゃん! こういうハンターの憧れとしてバリエーションが増えそうだな!」


 リゲル戦闘時のワクワク感を思い出しながら興奮し、スイと顔を急接近させていた。


「あ、あの……リゲルさん見過ぎです……顔も近いし、ええっと……」


 リゲルにじろじろと見られ続けてきたスイは頬を赤らめて視線を逸らした。神父はスイの赤面が伝染して顔が赤くなっていた。


「わっ、悪ぃ……別にそんなつもりじゃなかったんだけどな……」


 卑しい目で見ていたのではないかという誤解を与えてしまったリゲルが謝罪する。


 しかし、それを聞いたスイは神父をからかうようにわざとふてくされた。


「もう、ホロスの神父さんはみんなこうなんですか? 今日は前倒しでわたしの願いを叶えさせてもらいますよ?」


「なっ……」


 リゲルが本質を読み取って思わず「しまった」と口に出しかけた。


「——スイちゃん、今日の昼飯は俺の奢りだ」


 弱みを見せてしまったリゲルが折れ、がっくりと頭を下げた。


「わかっているならいいんです」


 スイはこれまでにないほどの満面の笑みで部屋を覆いつくした。


 アルファルドは呆れたまま苦笑いを浮かべていた。


「どうせ流星が流れる時間帯だ。ろくに仕事はできねぇだろうしな」


 スイの調子に乗ったリゲルに、アルファルドが反論する。


「ちょっと待て、この件は完全に終息を迎えているわけじゃない。僕たちが呑気に食事が摂れると思うか?」


 リゲルは自信を持ってアルファルドの反論をバッサリと斬っていく。


「前にも言っただろ? こんな大変な時だからこそ飯に行くんだ。あれだけ戦って、こうして生きて帰って来れたハンターなんてオレらぐらいしかいねぇんだからよ。生きているうちは楽しまなきゃな」


 リゲルは複数の細長い紙を複数枚カードでも出すように指の間に挟んでひらひらと左右に揺らした。


「最近オープンした無国籍料理のレストラン、食べ放題のパスがちょうど三人分あるんだ。せっかくだから行こうぜ」


「ぜひ行きましょう! アル師匠も食べたいでしょう?」


 この日一番の元気が溢れているスイを横目に頷いた。


「仕方ないな……」


 やれやれ、と言った表情のアルファルドだったが内心は満更でもなかった。


 リゲルは驚きながらスイへ耳打ちした。


「——アイツ、なんだかんだ嬉しそうじゃねぇか」


「今日のアル師匠、仕事終わりで朝ごはんを食べていないんです」と小声で彼女から返ってきた。尚、この会話はアルファルドには一切聞こえていない。


「なるほど。まぁ、とにかく楽しもうぜ。食道楽も悪くねぇ」


「はい!」


 スイはアルファルドにもわかるようにはっきりと返事をした。


「つーわけでオレは先に店に行く。位置情報を送っておくから、二人とも準備ができたらすぐに来いよ!」


 リゲルは一足先に部屋を後にしてレストランへと駆け出した。


 寂しそうに見送った部屋のドアがキイキイと鳴いていた。


「わたしたちも支度をしましょうか」


 スイが部屋を出ようとしたその時「そうだ、スイ」と、アルファルドが彼女を呼び止めた。


「どうしました?」と、弟子は聞き返した。


「昨日聞きそびれたけど、ステラ様にお別れは言えたかい?」


「はい。そのことでしたら――」


 スイから一部始終を聞いたアルファルドは納得し、清々しい気持ちになった。弟子から命の器は失われたが、今の彼女にはハンターのあらゆる知恵を持っている。正式なハンターになるまでは一七歳を待つしかないが、本職への準備は着々と進んでいた。


「やっぱり、ほんの一時の力だったんだな」


「平和な日常では使っていけない力だったんです。役目を果たしたら、そっと手放すべきものでした」


「最適解だ。僕が君の立場だったとしても、同じ答えを導き出していた」


 アルファルドは「それだけだよ」と付け加えて話を打ち切った。スイの中にある命の器は二度と使われない。平穏な日常においては大量破壊兵器にしか成り代わらないからだ。それがわかっただけでも大きな収穫だった。


「僕たちも出かけよう。美味しい料理が待っている」


「はい!」


 外出の準備を済ませた師弟は初夏の日差しを浴びながら自宅を後にした。味わったことのない食を探求する料理人のように、まだ見ぬ景色を辿る旅人のように、ただ楽しく、そして身軽に歩みを進めいていく。

 

   *

 


 この世界にはアルファルド孤独な者という名前を付けられた一人の青年がいた。彼は最初の作り手から永遠の孤立無援を宣告されていた。


 しかし、暗闇の中で浮かぶ星は決して孤独などではない。


 この星は独りに見えてしまうほどの強い輝きを発している。


 眩い輝きに引き付けられるようにして多くの星々が集約し、一つの銀河系を作っているのだ。


 誰もが煌めく星となって生き、誰もが最期には星に還る、それだけの世界が広がっていた。

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