第六十五話 帰還

『地上へ向かう登り坂です。間もなく落盤が来るので一気に駆け上がってください』


 アルファルドたちの危機的状況は滝の水のように延々と続いていた。


 装甲衣は常に活動状態で、魔法を発動する分の魔力をすべて身体強化につぎ込んでも間に合わないほど切迫している。


 地上に向かう道のりは未だ遠く、崩落の止まらない地下道を卵運が導くままに上へ上へと突き進んでいる。


 体内に秘められた魔力のバランスまでもが崩れ始めたらしく、魔導機を追う二人の筋肉が悲鳴を上げていた。


『その場で止まってください』


 前方を飛んでいた卵運がその場でくるりと振り返りながらホバリングを始めた。


 魔導機の指示に従って一度足を止めた後、アルファルドとスイは呼吸が荒く、酸素の供給が追い付かないほど全速力で走っていたことを自覚する。


 アルファルドは身体中が引き裂かれるように時々激痛が走った。こんなに生身の身体を動かしているのは学校の授業以来かもしれない。


 隣にいるスイも必死で呼吸を整えようと胸を押さえている。

 

 目の前では落とし穴のように大きく空いた穴へ向かって多数の岩石が流れるように落ちていく。それだけ地下の変動は激しかった。


『一時的な危険が去りました。すぐに跳び越えてください』


 卵運は後ろ向きのまま素早く大穴の上を通過した。


 呼吸の整わせる間もなくアルファルドたちは最大限の跳躍で奈落の底を退けると、後ろにあった道は跳び終えた直後に崩れ落ちていた。それを振り返る余裕すら与えられなかった。


 地上の光を目指して登っていく度に難所が訪れるが、卵運の的確なナビゲーションによってほとんど止まらずに乗り越えてきた。


 走りに走り、跳びに跳んだ暗闇の先で、遂に出口となる光が差し込む世界に足を踏み入れる直前までやってきた。しかし、周辺では今もなお空間の崩壊が止まらず、喜ぶ暇はない。


『一時停止です。この先は崖になっています』


 先を急ぐアルファルドたちだったが、魔導機が出口の直前で二人に留まるよう指示した。急ブレーキで足を止めた師弟はぜぇぜぇと激しく息を吸って吐き、何とか卵運の言葉を受け入れるので精いっぱいだった。


「何か策はあるのか……?」


 背後ではぐらぐらと今にもすべての天井が落ちてくる音が迫っている。


『はい。私の合図で跳び降りて下さい。ただし、重力操作はせずにお願いします』


 二人は卵運の指示に疑問を持ったが、彼のおかげで危険な道を渡ってきたことをすぐに認め、素直に従うように頷いた。


 決壊が進む空間を背にして卵運のカウントダウンが進む。


『三……二……一……今です』


 魔導機が再び先行し、アルファルドとスイは合図で走り出した。眩い光に包まれた外の世界に久しぶりに飛び込むと同時に、陽光の降り注ぐ崖から跳び降りた。


 二人と一機は決して後ろを振り返らなかった。既に飛び出した出口と足場は崩れてきた巨岩で塞がってしまい、後戻りなどとうにできない。


 アルファルドたちが見下ろす先にはガニメデ特有の硬い地面ではなく、屋根のない四人乗りの魔導機が真下に浮かんでいた。


 操縦席にはフォーマルハウト、助手席にはカペラが位置しており、二人にとっては馴染みのあるハンターたちが真下から手を振って合図していた。


 そういうことか――師弟はそう理解すると空中で身体の向きを変えるため、ほんの少しだけ魔力を操った。しゅたっという音と共にアルファルドが座席の上に着地し、続いてスイも無事に落下の衝撃を抑えながら座った。魔導機に二人分の重みが加わり、機体がわずかに揺れた。


『お見事です』


 卵運は着地した二人の目の前で褒めちぎった。


「ナイスタイミング! 二人ともお疲れ様!」


 助手席から振り向いたカペラがアルファルドたちを歓迎していた。頼もしい協力者たちと再会した二人も喜びに溢れていた。


「無事に世界ホロスを救えたようだね。さぁ、俺たちの街へ戻ろう」


 フォーマルハウトが魔導機を操縦しながら安堵した声を上げる。


『私がカリストまで案内します』


「オッケー、頼んだよ!」


 卵運は前の席に座る二人とも面識があったようで、すんなりと移動用魔導機のナビゲーションシステムとドッキングし、フォーマルハウトの操縦を補助する態勢に入った。


「でも、ハダルさんがまだ——」


 スイの顔が暗くなったその時、アルファルドの魔力通信機リンカーから着信が入った。


『こちら『飛電』。 寄り道は終わった。これから私も帰る』


「えっ……!? よ、良かった……本当に良かった!!」


 端末越しに声を聴いたスイは一瞬の混乱の後に、表情がぱぁっと晴れやかになった。


「こちら『遠雷』。依頼お疲れさまでした。気を付けて合流してください」


『はははっ。これぐらい軽いもんよ。お前たちも気を付けて戻れ』


 ハダルがそう言い終えた途端に通信が切られた。どうやらハダルの方から切ったらしい。


 やっぱり師匠は師匠だな。そう結論付けたアルファルドは背中を後部座席に預けて一気に脱力した。


「師匠、まだまだ現役じゃないか」


「アル師匠、まさか知ってたんですか? ハダルさんが無事だってことを……」


 言葉が気になったのか、スイが質問した。


「知っているも何も、師匠の実力は折り紙付きだよ。そうやって僕たちは信じてきた」


「そうそう! ハダルさんはどんな苦境も乗り越えてきた人だから、あたしたちも安心して背中を預けられるってわけよ!」


「スイちゃんはようやくあの人の強さに気付いた。ただそれだけの事さ」


 フォーマルハウトがそう言い終えるとスイは急に顔を伏せた。


「どうしたんだ?」


 どこか様子がおかしいスイを前にしてアルファルドは気遣おうとしたが、それは稀有に終わった。


「——本気で心配したわたしが恥ずかしいです」


 アルファルドがスイの顔を見ると赤面し、更に耳まで赤らめていた。


   *


 平和なホロスの夕方。


 カリストの発着場に到着したアルファルドたちはカペラとフォーマルハウトに別れを告げ、卵運と一緒に帰宅を果たした。そしてレンズが光る小型魔導機もまた、この地を離れなければいけないと伝えてきたのだ。


 ドアの後ろで並んだ二人が卵運の前に立った。


『本当はもっとお伝えしたいことがたくさんあったのですが、申し訳ありません』


 卵運は過ぎていく時間の中でアルファルドたちに詫びた。


「最後に聞いておきたかったんだけど、君の所属はどこなんだ?」


 隠されていた素朴な疑問をアルファルドが問うた。


『今まで明かせませんでしたが、私はハンターギルドに所属しています』


「どうしてあの時、師匠に所属を言わなかったんだ?」


 ギルドに所属し、Sランクを取得しているハダルにすら説明しなかったことに疑問が残っていた。


『私の初号機はイオのハンターギルドで作られ、始まりの終わりリバース・ピリオドのスパイとして仕事をこなしていました。聖女複製計画が継続されていた疑いを明確にするために派遣されたのです。そんな折、組織を裏切ったアンカ様があなたを私が統括する機体の一つに運びました。あのままハダル様に所属を伝えていれば、組織が私の行動記録を特定し、アルファルド様の命が脅かされるのではないかと懸念しました。そのため伝えられなかったのです』


「それまで組織を欺いていたってことですか?」


 スイがあまりの性能の高さに驚いて目を丸くしている。


『その通りです。イオを始め、ホロスのテクノロジーは大変優秀だと感じています』


 アルファルドは自律する魔導機が「感じる」という言葉を使うのは不思議に思ったが、彼にも自我が存在するので、見た目以外は人間そのものだとも捉えた。


『ですが、今回の一件は高度に成長してしまったテクノロジー同士が衝突し、互いを潰して腐敗する可能性がありました。それを止めてくださったお二人には大変感謝しています。ハンターギルドは今後も教会と協力し、大きな争いが起こらぬよう努めて参ります』


 アルファルドとスイは魔導機を見つめ、一つ頷いた。


「時々ここに来てもいいんだぞ?」


『その際はご連絡させていただきます。私はこれから報告のためにギルドへ戻りますので、それでは、またどこかでお会いしましょう』


 無意識のうちにアルファルドは手を振り、スイは見守るように魔導機を眺めた。


 浮遊する魔導機は急激に高度を上げると一気に空中で加速し、カリストから飛び去った。


 星が見えだした空があまりにも煌びやかなグラデーションを描いており、アルファルドは思わず細部まで眺めてしまう。


「——行ってしまいましたね」


 しばらく沈黙が続いた後、スイが先に呟いた。


「元の日常を過ごせるのなら十分だ。色々とあった一日だったけど、これでいい」


 我ながら大仕事を果たしたように思えた。敵対していた組織の人間と相まみえ、曲がりなりにもホロスという一つの国が滅びぬように最善を尽くした。


 今のスイからステラの力が失われたが、これからは命の器がなくとも八面六臂の活躍がすぐにできるようになるだろうと予測していた。それだけ彼女の潜在能力は高く、ハンターの師匠ですら嫉妬してしまいそうになる。


 ついでにハダルを通じてハンターギルドからたんまりと高額の報酬を得た。何か月も旅ができてしまうほどの資金に思わず目がくらんだ。懐事情は非常に温かくなった――というよりはむしろ熱くなっている。これまでの節約に励んだ慎ましい生活を維持できるか、己の欲望との勝負になりそうだ。

 

 アルファルドがつま先立ちをしながら両腕を空に伸ばし「んんー」と声まで伸ばしていた。


「アル師匠、もうひと頑張りですね」


「えっ?」


 スイの一言は完全にアルファルドの虚を突いた。何かあったか? 必死に思い当たる節を探したが、彼女の答えが早かった。


「ハンターギルドの特別報酬から教会への献金を納めないと罰金ですよ?」


「そうだった……」


 アルファルドは完全に失念し肩を落とした。これから銀行口座に振り込まれていた大金を事細かに捌いていかなければならない。本音を言えば面倒で絶対にやりたくない作業の一つだ。しかし、疲労困憊の身体に鞭を打ってでもこなそうと決め込んでいた。


「大丈夫ですよ。わたしも手伝いますから」


 スイが聖女のように優しく微笑んだ。


「ありがとう。僕は本当にいい弟子に恵まれたな――」


 隣にいる弟子の笑顔をできる限り守っていきたい。その一心が面倒を後回しにしてきたアルファルドをまた一つ邁進させた。

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