第六十四話 脱出
アルファルドたちは地下の落盤に備えるだけの魔力が残っていなかった。徐々に魔力は回復していたが、激しい戦闘を繰り広げた後の身体は疲弊し、魔力障壁を放出して維持するだけのイメージが困難だった。
魔封じの領域に支配された空間では立っているだけでも消耗し、ここを全速力で走って脱出しようものなら、あっという間に酸欠のような状態に陥って脱出までには至らないだろう。
二人の頭上から次々といびつな落下物が降り注ぐ中、アルファルドは何としてでもスイだけは守り切りたいと切に思った。
その時、天井から落ちた巨大な破片が崩落した。咄嗟に装甲衣のフードを被った若き師匠は弟子の頭を守るようにして抱きしめた。ここまできて死なせるもんか。この命に代えてでもスイだけは救う。親心のような感情が不思議と芽生えていた。背の低いスイの顔にアルファルドの胸が来るような位置になり、彼女の頭部をひしっと両腕で包み込むように守ろうとする。突然の事態にスイは状況を飲み込むまで時間を要しており、守ろうとしていたアルファルドの判断に混乱しているように見えた。
落ちてきた巨大な瓦礫の塊はまさに二人を無慈悲に押しつぶそうとしていたが、それは起こらなかった。
「《
遠くから聞こえた男の声が呪文を唱えると、瓦礫で埋め尽くされようとした空間はみるみるうちに氷の壁に阻まれていき、アルファルドとスイを直撃するはずだった瓦礫も宙に浮いているように見えた。透明で著大な氷の柱が床からにょきっと生え、若い師弟を守るように魔力障壁を形成している。
頭上を覆いかぶさるような頭上の氷を見た二人はすぐにそれが誰の魔法なのかを理解した。間違いなくハダルのものだと解った。
「師匠!」「ハダルさん!」
遠くで魔力障壁へのイメージを続けているハダルは応えようとはしない。その代わりに次々と氷の壁を展開して崩落からアルファルドたちを救っていた。
二人は間一髪で命を救われた。ここまで運に恵まれるなんて思いもよらなかったと驚いた。それにしても依頼を受けていたはずの師匠がどうしてここに? まさか、これも依頼の一つだったのか?
「アルファルド、スイ、ここを離れろ!」
「はい!」
「了解です!」
今は考えるのはよそう。とにかく死なないために、この崩壊から逃れなければいけない。
脱出の命綱だった
そこでハダルは全員の身を護るように連続した強固な氷のアーチを幾重にも構築する。氷で彩られたアーチの先は、とある一か所の壁に導かれていた。
「《
右手を伸ばしたハダルが至近距離から長剣に似た氷の刃を勢いよく放出すると、頑丈そうな壁が破片と共に簡単に砕けてぽっかりと大きな穴が開いた。
「か、隠し通路!?」
アルファルドもスイもぎょっとしたが、師匠は若い師弟を促すように穴へ向かって指を差した。
「先に逃げていろ」
「待ってください! ハダルさんはどうするんですか!?」
逃げるどころか来た道を戻ろうとするハダルにスイが必死で呼び止めようとした。
「ちょっとばかり寄り道していく。死にはせんよ」
「で、でも今は――」
スイが引き留めるための言葉を伝えようとした時、アルファルドが遮った。
「——依頼、なんですよね?」
ハダルはかつての弟子が意図を理解したのを確認すると、ニヤッと笑みを浮かべた。
「ああ。内緒だぞ?」
ハダルとアルファルドは目を合わせて頷いた。まるで最初から示し合わせていた秘密の合言葉のような、阿吽の呼吸が合わさった瞬間だった。
「スイ、行こう」
アルファルドは躊躇うスイの手を引いた。
「わかりました……」
手を引かれた弟子は諦めたように師匠の指示に従った。生きて帰ってきてほしいという気持ちは一緒だった。
地揺れの収まらない空間を離れ、二人は新たな闇へ足を踏み入れていく。
洞窟のような世界に入り込んだ途端、ハダルの姿は完全に消えてなくなった。
アルファルドとスイは掌から放つ光魔法で周囲を照らしながら走り続けた。魔封じの領域から離れていくにしたがって、装甲衣も本来の力を取り戻している。ハダルのことは気にかけているが、アルファルドは共にいくつもの修羅場を潜り抜けてきた師匠を信じるだけだった。
「アル師匠」
「なんだ?」
アルファルドがビエラを倒した時から、スイが彼女の死を引きずるのではないかと気にかけていた。
「わたしは、大丈夫です。逃れられない運命に逆らうことはできません、から」
彼女の吐露する感情は少しずつ現実を受け入れていたが、まだ半分ほどは理解が追いついていないようだった。
「スイ」
「はい……」
弟子は力なく返事をした。
「無理をしなくていい。時には泣いたってかまわない。でも、今は辛抱が大切だ」
「わかって、います……」
スイは言葉を詰まらせた。
自らの半身のような存在を失ったスイは、消えない喪失感を背負ったまま引きずるように師匠の後を追っている。弟子である以前に、あの場に残っているハダルも気にかけるほどの優しい少女だった。時折アルファルドが後ろを振り向いて彼女の表情を伺うが、目線が下がって気分が晴れないのも無理はない。ここで切り替えろと言うのは厳しいくらいだ。それでも、アルファルドは精神面でスイを引っ張っていくほかなかった。
悲しみと共に揺れの収まらない洞窟を急いで進んでいくと、人工的に作られた階段が左右に分岐していた。あからさまな分かれ道に迷っている場合ではない。どちらも登りの階段の為、地上には出られそうだった。
「さて、どっちだ?」
「——片方は光が差しています」
右側の階段の上方から光が降りて幾らか影を作っている。地上の陽光と繋がっているのであれば、ここは右を選んでおいた方がよさそうだ。迷っている間にも地下施設は崩落し、この抜け道もすべて失ってしまうかもしれない。一時ハダルの笑顔がよぎったが、今は先へと進むしかない。
「右へ行こう」
アルファルドたちが光の差す方向へ走ろうとした時、何者かが師弟を背後から呼び止めた。
『お待ちください。右へ進んではいけません』
何者かと思ったが、妙に不愛想な声を発する機械の声は初めて聴いたものではなかった。
言葉もなく即座に二人が振り返ると小さな卵型の魔導機が一台、ぽつんと宙に浮かんでいた。単眼のような監視機のレンズが、灯された光魔法の明かりに反射してキラリと輝いていた。
『お久しぶりです、アルファルド様。お初にお目にかかります、スイ様』
自律と自我を有する機体の発言は淡々としていた。
「誰ですか……あっ……もしかして……!」
最初は困惑したスイだったが、三日前に共有した話の内容からすべてを察する。
魔導機の言う「久しぶり」という単語がアルファルドの中に引っ掛かった。間違いない。夢の中にあった存在が、現実にいたのだ。
「
アルファルドは心の半分だけ自信を持ち、残り半分の疑いを持ったまま機体に問いかけた。
『その通りです。一六年ぶりにお会いできたことを嬉しく思います。ですが、今は共に危機を抜け出しましょう――』
卵運がそう言い終えた刹那、ズズンッと大きな縦揺れが起き、波に揺られる船の上に立った感覚に襲われた。ガラガラと地盤が崩れる音と共に光の漏れていた階段に大量の岩と土砂がなだれ込んでくる。
脱出への希望となるはずだった階段の光は瞬く間に閉ざされ、再び二人の灯す明かりだけが頼りとなる。
後ろで浮遊する機体が逃げるアルファルドたちに追いつき、呼び止めなければ命はなかった。あと少し呼びかけが遅れていたらと思うと、危ない橋を渡っていることを自覚させられた。
「本当に行ってはいけなかったんですね……」
予言のような卵運の警告に、スイは正直な心情を吐いた。
『左側の階段を上ってください。私が案内します』
ほんの少しだけ風を切りながらアルファルドたちの間を抜けた卵運が階段を先行する。
先ほどの事の顛末を見た二人は、不愛想な声の主を信じて再び走り出した。
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