第四十八話 記憶/命が消失した日
黒い仮面が射出した弾はシュウたちの間を抜け、その先にあった発着場の壁を爆破した。周囲には中規模の衝撃が走り、爆風が波紋のように広がった。破壊力のある魔導銃の一発が明らかな敵意を逃走する二人に示している。
この場を離脱する魔導機の盾になるようにシュウは所長たちの前に出た。
「失敗作は殺せと言ったはずだ」
所長の口調は怒りを通り越し、たおやかで優しかった。
「……」
仮面は銃口を下げて沈黙している。
「俺にはできません。人道に反する行為です」
当然のようにシュウは首を横に振る。
「我々は上の指示に従い、人道に関係なく作品を開発し続けてきた。成功があるのなら当然失敗もある。すべてを成功に導くための処分だ。違うか?」
入所前の契約で散々言われてきた語群の数々に否定できなかった。
「確かにそうです。他の所員もそういう規則だと指示を受けてきました」
「ならなぜ反した?」
「俺たちは親子だからです。父として、娘を生かします。これだけは譲れません」
一歩も退かないシュウに所長は苛立ちを覚え始めた。
「お前たちの家族ごっこに付き合っている時間はない。第一に血の繋がりもないお前たちを――健常者と失敗作を親子と認めるわけにはいかん」
所長はシュウの発言を切り伏せる。
「失敗作だからすべてを奪うというのですか?」
「すべては組織の方針だ。我々はただ、完璧な人体の創造を行うのみだ」
人工子宮の中で育っていた頃の娘の記憶がよぎった。
他の育てられた子どもたちを目にする機会が日に日に減っていた事実に目を背けていたわけではない。彼女を育てている時間の最中、シュウの知らない場所でことごとく失敗作が殺処分されていた現実を痛感していた。
自分の担当するスイを同様に殺してはならない――それだけを念頭に置き、日々の食事から訓練に至るまで策を張り巡らし、ほぼすべての所員や同僚を欺いて見せた。必死に隠し通していた秘密も、スイの眼鏡をきっかけに大きく展開が転がってしまった。
「俺にとって間違った行動は一つもありません。すべては彼女の未来のために心血を注いできました。それを否定するなど――」
「御託はもういい」
シュウの言い分が所長の持つ火に油を注ぎ、怒りは静かに頂点に達した。
「失望したぞ。裏切り者が」
裏切り者。今のシュウを表すのには極めて精緻な一言だった。
もはや父だったシュウも、娘だったスイも、ここに居場所はない。逃げるか死ぬか、それだけの違いだった。
「殺せ。跡形も遺すな」
「……」
仮面が無言で頷き、「《
シュウもスイを乗せた魔導機を守るようにして前進する。
機体はゆっくりと上昇を始め、発着場から遠ざかろうとしている。
仮面の者はそれを黙って見過ごすわけにはいかない様子だった。
撃墜を目的とする数発の撃鉄が重力に逆らって遥か上方の魔導機に襲いかかる。
「《
一つの呪文が先ほどの銃撃を妨げるように唱えられた。
シュウの右手によって放たれた透明な光弾が銃弾の効果を打ち消し、隕石のように発着場の床に次々とすさまじいスピードで墜落していった。
この時、シュウはうまく重力を操作して所長たちを狙うように軌道を反らせた。
数発の銃弾の大半は見事に光源を鏡で反射させるがごとく敵対する二人を狙い撃つ。
しかし、すべての銃弾の軌道は変えられず、反らせた一発がシュウの近くで爆発した。
耳鳴りを起こすほどの強烈な爆音と共に煙を巻き起こし、景色が一時的に遮られてしまう。
魔力を解放していたとはいえ、呪文を唱えた直後の無防備な身体に堪えるものがあった。
「がはっ……」
シュウの身体が空気の入った球のように簡単に吹き飛び、一気に蓄積したダメージによって発動が解除されてしまった。
床を何度か転がって仰向けになった後、咳き込みながら天を仰いだ。この混乱に乗じてうまいことスイが逃げてくれればいい。あとは
ゆっくりと身を起こして周囲が破壊された床を見下ろす。
煙が晴れたその先に視線を移せば、当然のように両足でしっかりと屹立している所長と仮面の人物がいた。
咄嗟に魔力障壁を形成して全体を守っていたようで、二人の周りの床は傷一つ付いていなかった。
「スイはお前のサポートなしでは生きられない。どうせ今回も長くは持たないだろう」
逃走を許した前例を知っているのか、所長は諦観するようにシュウを見やった。
「《
目が合った仮面がシュウに向かって稲妻を纏った弾を撃ち込んだ。どうにかして避けて反撃を試みようと一瞬の思索が仇となって回避できず、電撃による猛烈な激痛と痺れが交互に襲ってきた。
すさまじい威力だった。全身をくまなく電撃が走り、二人に強く抗うには耐えるしかなかった。
「計画に対する投資を無駄に費やした罪は重いぞ? 永く苦しみ、永く悶えながら死ね」
所長があざ笑い、長い道のりの果てにある死を宣告する。彼の隣にいる残忍な黒い銃使いは時間をかけて殺人を実行するのみだった。
わざと急所を外し、気絶すらさせてくれない仮面の人物をシュウはひどく恨んだ。
仮面はお構いなしに一瞬で楽にできるだけの能力を備えた銃弾を一発一発、全力で苦痛を与えるためだけに威力を調整して撃ち込んでいく。
反射するように悲鳴が上がった。耐えがたい痛みに身体が拒否反応を示している。全身からこの場を離脱するようにと警報(アラート)が鳴り響く。
今ここで死んだらどんなに楽だろうか。早くこの肉体を聖女のいる宇宙へと葬ってほしいと願わずにはいられない。
もう少し、あともう少しで自分は死の先へ行く。
人生の中で類を見ない劣勢に立たされているというのに、シュウは笑っていた。
ぐったりと消耗した身体に反して瞳の輝きは未だ失っていなかった事実を二人はまだ知らない。
「とうとうおかしくなったか。そんなお前に宇宙(そら)行きのチケットをくれてやろう。片道でな」
所長は孤独に耐え忍んできたシュウに対しての勝利を確信した。口の間から見える白い歯が闇の中で輝いているように見えた。
ある意味望んだ結果なのかもしれない。自分は信心するステラの御前へ訪れるのだと無意識にとらえながら――。
最期を看取る弾を込めた仮面の人物は、待ち望んでいたかのようにゆっくりと銃口をシュウの頭部に向け、引き金を絞ろうとした。絞ろうとしただけだった。
「……!」
あと一発撃つだけなのに指が動かない。それだけではない。全身のありとあらゆる動きが止まり、博物館に展示された絵画の人物のように動けなくなっていた。
それは所長も同様で、発着場の風でたなびく白衣が擦れる感覚が非常に鋭敏になるほど全身が硬直していた。
「お前、何をした!?」
自由自在に動いていた四肢を操り人形のように支配された所長は一転して動揺を隠せなかった。
「俺は想像しただけです。この場所すべてが滅びると念じながら――」
生き返った死体のようにゆらゆらと立ち上がったシュウがそう言葉をこぼした。
シュウは力を込めて合図するように両掌を素早く握った。次の瞬間には内部の力を使い果たしたように指輪にひびが入り、遂には粉々に砕け散った。
発着場から遠く離れた敷地の地下から爆発音が響き渡り、それに伴って発着場が小刻みに揺れる。
「まさか……お前……」
所長に悪寒が走った。真っ先に叩き出した計算により、死を悟った。
「はい。すべてを終わらせました」
すべてはあの日、スイから受け取った指輪から動き出していた。
シュウは拘束される直前、上級の魔導士か銃の使い手が自分を捕まえに来ると読んでいたが、予想は的中した。仮面を付けており表情は見抜けなかったが、銃を持っていた時点で脱出作戦を敢行できる勝算はあった。寧ろ魔導士でなかっただけ運が良かったと、独房の中で前向きに考えられた。
魔導士とは異なる銃使いは、身体強化などを自分に関わる呪文の類を解除しなければ攻撃できない仕組みになっており、しかも撃てば撃つほど身体的な負担は重くのしかかる。所長の悪趣味な銃撃の指示が、かえって状況を逃げられなくするシュウ側の罠として成り代わってしまう。
そして、地下室に潜り込んだ際に仕掛けた、魔封じの箱(プリベント・ボックス)の真下に設置した円盤。その正体は炎属性の爆発石を加工したものだった。それを遠隔で発動させる前に、シュウは徹底して相手を油断させ、仮面の人物の魔力を削いだ。念には念を置き、シュウにとどめを刺す直前まで仮面の人物をある種の弱体化をさせたうえで指輪の機能を駆使して二人の足止めに成功し、爆発石の力を解放して今に至る。
「俺はここで死にます。あなた方を道連れにして――」
結果的にこれがシュウの最期の一言となった。
ここに起きた事象は伝えるのもおぞましいほど凄惨な状況へと変わり果てる。
襲い来る波たちは寝静まった空間の中にいた職員たちの体内に存在する魔力を次々と暴走させて死に至らしめた。発着場までは聞こえない、
救いのない悲鳴たちが耳に入ってくるようだった。
見るのも恐ろしい真っ黒な津波が暗闇に紛れながら発着場にいた三人を猛烈な速度で飲み込もうとしていた。
波にのまれる直前の所長は絶望の淵に立ち、今まで積み重ねてきた功績と生命が瓦礫のごとく崩れ去った現実に蝕まれながら絶叫し、絶命した。
仮面の人物は膝から崩れ落ち魔力が完全に尽きたのか、光の粒子と化して風と共に去っていった。
しまいにシュウが施設に所属する人間としては最後に魔力の暴走が始まった。酷使した身体がバラバラになってしまいそうなほどの激痛が全身に行き渡っていく。暴走を終えた頃には、既に彼の身体に魂は残されていなかった。
自らの死体を見下ろすように、シュウの魂が自然と空へと上昇していく。肉体のしがらみから解放された感覚は何物にも代えがたい快楽だと他者に伝えたくなったが、時に死人に口なしで伝える手段はなくなっていた。
スイはわずかに託した希望によって救われるだろう――シュウは選んだ選択が間違っていないと信じ、ステラの統べる宇宙へと旅立った。
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