第四十七話 記憶/真夜中の脱出劇
シュウが意識を取り戻したのは模様の無いシンプルなデザインを誇る独房の中だった。硬いベッドの上に運ばれていた身体は痺れが残り、まだ思うようには動かせない。
水滴の垂れる音が鳴り、最低限の水回りが存在しているようだ。
強制的に記憶の空白が形成され、気を失う前の状態を取り戻すのに数分かかった。
強化魔法で強引に身体を動かそうとも考えたが、四方八方から妨げるように魔力障壁が飛び出し、無駄に足掻くのを諦めさせていた。
照明は灯されておらず、僅かに開かれている窓の外では先の見えない宵闇にも似た世界に包まれている。
重たい頭を上げ、模様の無い壁を目標にゆっくりと起き上がる。
真っ暗な部屋は猫の額で、映像機(モニター)のような機械はまったく見当たらない。
服装は研究室にいた時のままだが、留めたボタンが所々外れている。
散らばってしまった記憶を整理していくうちに自分たちは囚われてしまったようだ。
最後に見た光景は災いを呼び寄せるような忌まわしい仮面が煙の中から現れ、銃を撃ち放ってきた。
撃たれた時の衝撃は、痛みを伴う傷のように鮮明に記憶の中に刻み込まれた。
そうだ、スイはどこだ? 今までのことなどどうでもいい。声よりも心が先に彼女を探している。
「……ない」
自然と胸ポケットの中を探るが、
まずは落ち着いて目を閉じ、イメージを増幅させてレーダーみたくスイの魔力を探知する。このような図解を拡大していく魔法は、今ではテクノロジーの発展によって上級魔導士の資格を持つ者にしかこの業は使えなくなっていた。
施設内の設計図を想像力で押し広げ、魔力の波を操作してシュウの中心から敷地の空間を認識していく。
幾重もの壁を魔力が貫き、僅かながら発している人間の魔力を近くで検知した。
感じ取る形からどうやら横たわっている人間らしい。
はっきりとした輪郭は捉えられないものの、香りや味のように感じ取る分には今まで関わってきたスイの魔力紋が壁越しに確認できた。強力な呪いの副作用ゆえに意識を取り戻すのが困難な様子だ。
閉じ込められた部屋が近かったのは第二の幸運だ。
まだスイを脱出させる可能性は残されている。
人の姿を成した魔力の反応はこれだけに収まらなかった。
看守と見られる魔力の塊は、独房の出入口に構えている。
数では不利だが指輪を持っているシュウならば勝機はある。
実力が雲泥の差と考えられるのは、看守が重点的な防衛魔法と基本的な攻撃魔法の指導を受けているのに対して、シュウは類まれな魔導の才能を最大限にまで活かせる研究者だ。看守が常人の罪人に対応できる手練れであっても、強力な魔法を使える凶悪犯を捕らえたままにするには一筋縄ではいかない。
脱出には独房の施錠や内部で
(待つしかない、か――)
声を漏らさぬよう、頭の中で綿密な脱出計画を練り続けた。
格子状の窓の隙間から星空が透き通って見えた頃、シュウの身体は痺れから自由を取り戻した。彼は新たな方法でスイの救出と脱出を試みる。
独房の施錠がカチャリと小さな音を立てて解除される。魔法に頼らない古典的な錠のおかげで簡単に開錠できた。実体化させた魔力で透明な鍵を形成し、外側から鍵を操作すると簡単に開いた。例によって独房周辺の
見た目以上の重量を持つ扉を開け、身体強化魔法を展開。交代に来ていた二人の看守を難なく仕留める。息の根を止めるまではいかなくとも、しばらくは気絶してくれそうだった。
事前の魔力探知ではスイは意識を取り戻している。混乱しているのか、独房の中をおろおろと動き回っており、現状を脱しようと模索を繰り返しているようだ。
シュウは自らを落ち着かせながら指輪を操作してスイの牢獄を開錠する。金属の擦れる鈍い音が鳴って扉が開いた。見つめる先には記憶が刷新されたスイの姿があった。
何者かによって着させられたボロボロのコートが囚人服を彷彿とさせるような風貌を醸し出していた。
「だっ、誰ですか!?」
スイは飛びのいて驚きを隠せなかった。それもそのはず、自分の存在を認知できない状態で放り込まれ軟禁されていたのだから無理もない。
「自己紹介は後だ。逃げるぞ」
「待ってください! あなたは味方なんですか? どうしてわたしはここに——」
スイの質問攻めにあうシュウだったが、ここは一つ一つ答えてなどいられない。その時間すら惜しかった。
「俺は味方だ。とにかくここを離れるぞ」
「えっ、わっ、ちょっと……!?」
シュウは錯乱したままのスイの腕を引いて独房を後にした。監視機に干渉しているため、強化魔法で急がずに彼女の走るペースに合わせた。
魔力検知を拡大していく限り、二人は発着場からは最も離れた棟の中に位置している。
幾つもの連絡通路を渡っては昇降機(エレベータ)を使い、横へ上へと突き進んでいく。今まで教えていた魔法も忘れてしまっているスイは慣れない動きに悪戦苦闘していたが、それも徐々に慣れ始め、何も理由が分からぬままシュウに手を引かれるままついていく。
シュウは移動中にスイから何度か質問を受けるが「理由の代わりに助けるだけだ」の一点張りで押し通した。組織や施設に関わる情報を少しでも遠ざけなければ自分以上に彼女の命が危ない。
遂に脱走が判明した途端、通路から数人の追手が出現した。スイを守りつつ魔法で応戦し難を逃れたのも束の間、次々と行く手を塞がれそうになった。シュウは何としてでも彼女を脱出させねばならないという一心で絶対の死守を貫いた。
道中倒した追手の一人から
何度目かの襲撃を跳ね除けて屋上の発着場に到着することにはシュウの息が荒く、極度に魔力を消耗していた。証拠に疲労がピークを迎えており、彼の活動時間と範囲はとっくに限界を超えていた。研究職ばかりしていた運動不足の付けがここにきて大打撃をシュウに与えていた。
「やっとここまで来たか……」
「はぁっ……はぁっ……」
懸命に後を付いてきているスイもまた呼吸が整わない状態だった。記憶が無い中、訳も分からずシュウを追いかけてここまで一緒に来られたのはある意味奇跡だろう。短い間だった逃避行もまもなく終わる。
シュウはスイを乗せる予定の魔導機を指さした。
「あの丸い機体に乗り込んだらすぐにベルトを締めろ わかったな?」
「あなたは……どうするんですか……?」
息も絶え絶えになりながらスイはシュウの身を案じようとした。
「自分が助かる道を進め。死にたくなかったら言う通りにしろ」
少女の心配はありがたくも感じたが、冷たい表情を彼女に向けた。様々な意味で自分の娘ではないのだと言い聞かせるように。
「は、はい……」
極度の疲労の中で見せる冷淡な返答にスイも押し黙ってしまった。
「行くぞ!」
それを知ってか知らずか、最後の力を振り絞ってシュウはスイの手を引いて全力で発着場を走り抜ける。両足が悲鳴を上げて動かなくなろうが深刻な呼吸困難に陥ろうが関係ない。今はただ、かつての娘だった一人の、いずれ人外と呼ばれ始めるだろう少女をここから救い出す。ただそれだけを念頭に置いてなりふり構わず彼女を連れて走った。目標は発着場に着陸していたずんぐりむっくりの魔導機。翼を以て空を飛ぶ機体と言うよりも脱出用ポッドに近く、搭載された魔石も機体を着地させるだけの最低限な出力しかもっていないようにも見えた。それでよかった。まっすぐ目的地へ飛ばずに辺境の地へ落ちてしまうよりも幾分ましだった。
シュウがレバーでハッチを開け、急いでスイを乗せる。スクリーン越しに魔導機に不慣れな彼女があたふたしながらなんとかしてベルトを締める。
完全にシートに固定されたスイを見たシュウは外側からハッチの隣にあったコンソールを操作して卵運(たまごはこび)を呼び出した。
『ご用件をお願いします』
不愛想な女性の声で機体が応答した。
「卵運に命じる。この機体を今すぐイオに飛ばせ。そして優れた魔導士に拾わせろ」
『命令を受諾しました。直ちに実行に移します』
機体は頷くように応答すると、浮遊させるための反重力装置が起動し、僅かに宙を浮いた。
「……!! ……!?」
スクリーンから見えるスイは何かを叫んでいたようにも見えるが、聞こえないふりをしてその場から素早く去ろうとシュウは後ろに離れた。その直後だった。
弾丸と思われる小さな塊がシュウと魔導機の袂を分かつように高速で横切った。
「《
なけなしの魔力をつぎ込んで戦闘態勢に入り、弾の飛び込んできた方向を見やった。
強力な魔導銃を持った仮面の人物と、施設の人間を意のままに操る所長がすぐそこまでやってきたのだ。
魔導機は起動したばかりでまだ飛び発てない。操縦の権限すべてを卵運に任せてしまったがために時間を稼がなければならなかった。
シュウとスイによる脱出劇は、大きな瀬戸際に立たされていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます