第四十九話 仮面は二度裏切る

 魔封じの領域では長い間沈黙が守られていた。

 

 特にアルファルドはシャウラがフードを取って顔を露にした直後から言葉が出ていない。

 

 多くの傷を与えていたはずの首謀者に跡は一切残っていなかった。大きく勘定を誤ったと理解するまでの時間は異様に早かった。


 

「……っ!」

 

 アルファルドが発しようとしたテトラネテス語は、深い疑問だった。

 

 なぜだ? その一言を口から出すまいと奥歯を噛み締める。


 

「驚いたか? 若きハンターよ」


 シャウラはアルファルドの心情を見透かしたように薄ら笑いを浮かべていた。


 そんな馬鹿な――ハンターは心の中で叫んだ。表情にはかろうじて出さなかったものの、心の奥底から沸々と湧き上がる動揺を隠すまでには至らなかった。

 

 師匠の名もなき英雄という功績は、師匠と共に戦ったアラシアの努力は、すべて無駄だったというのか? アルファルドはハダルの手記との食い違いをその場で埋められずに困惑する。


「なぜこのわしが傷跡もなく正常だと、さぞかし不思議に思っているのだろう?」


 首謀者は鋭利な微笑を邪悪な静音の旋律に乗せた。


 アルファルドは答えなかった。本音を認めたくなかったからだ。


装甲衣アーマーを貰った礼だ。特別に教えてやろう」


 すべてを見通すように一人のハンターへ打ち明ける。理由が解ったところで手の打ちようがないと知っているだけの余裕があった。


「複製技術によってわしは二人存在した。同等の力を持ち、聖女の供物としてハンターや騎士の命を数多く奪っていったのだ」


 強かな魔力を持っている上級のハンターや教会の騎士が派遣されても戻ってこなかった背景に彼が一枚噛んでいたようだ。


「それも万能ではなかった。互いの魔力を共有しなければならないという欠点があったのだ。一方が消耗すればもう一方も抗えず疲弊してしまう。だが、貴様の師匠がわしの片方を殺してみせた。自分の力が衰えていると確かめられた貴重な経験だったぞ?」


 自慢話のように語るシャウラの表情は愉快で、余りにも命を軽く見ているとしか言いようがなかった。


「これを機に、わしに代わる新たな命を創造すると決めた。それが成功してハレーやビエラが誕生し、残った数多くのなりそこないの人外を処分した。貴様とスイ以外はな」


 アルファルドは共に生きるはずだった子どもたちが目の前の首謀者によって殺された過去に、怒りで表情が軋んだ。自分たちの命はこの男の野望に振り回されるためにあるのではない。先ほどから抱えている怒りを何とか抑えようと必死だった。抑えなければ彼らの思うままであるとわずかに冷静さを取り戻す。


「よくぞ生きてここに帰ってきた。わしは嬉しいぞ」


 アルファルドの情動を煽るようにシャウラが軽蔑した笑顔を見せる。


「僕はちっとも嬉しくない。お前とは馬が合わなそうで吐き気がする」


「口を慎め。今の君は何もかも抗えないとわかっているだろう?」


 ハレーは持っていたリボルバーの銃口をアルファルドに向けて抵抗を妨げようとした。


 それを制止したのは上司であるシャウラだった。


「まぁ待て、ハレーよ。威勢があるのは健全な証拠だ」


 今にもアルファルドを撃ち抜こうとしたハレーが、いったん引き金から指を離す。先ほど銃を構えたのはあくまでも脅しだったようだ。


「……」


 アルファルドが沈黙を再開した。


 想定していた状況が覆った以上、新たな策を作らなければこの場を凌げない。

 

 ハダルはおそらくこの周辺に来ているだろう。今は助太刀に向かっている師匠と合流するために、何としてでも時間を稼ぐ必要があった。


「だがこの部屋において、身体はいつまで持つかな?」


 あざ笑うシャウラの言う通りだった。外界では装甲衣アーマーを脱いだとしても最低七二時間は何もせずに健康な状態を維持できる。しかし、魔封じの領域という極めて異質な空間では急速に体内から魔力が失われてゆく。生まれつき魔力の保有量が少ないアルファルドからすれば圧倒的に不利な環境だ。額から徐々に脂汗が滲み出てきた。まだ大粒に変化しているわけではないが、手先と足先から水分が出始めている。魔力不全の最初期における症状だった。じわじわと体内の魔力が奪われていく細々とした感覚が、死へと繋がる太い一本道へ少しずつ幅を広げていた。


「この世界の再起動を特等席で見られるのだ。こんな機会はまさに一生に一度だぞ? 喜ぶがいい」


 冗談じゃない――そう胸の奥で返答する。直接口で言わなくとも、おそらくシャウラには筒抜けだとアルファルドは理解するしかない。どこまでも無力な自分を恨むようにして、時間が過ぎて行った。


   *


『——このメッセージを見る時にはおそらく、お前は記憶を取り戻したばかりだろう。今までどんな時間を過ごしたんだ? いい魔導士ひとに出会えたか? 未来で話したいのは山々だが、ここまでにしておこう。どんなに大変な時でも俺はスイのお父さんで、ずっと空からお前を見ている。最後に――愛しているよ、スイ』


 ホログラムがにこやかな笑顔を示すと、光が歪んでメッセージと映像がノイズを混ぜながら部屋の中で消えた。


 椅子に座るスイの背後にいたビエラは彼女の顔を覗き込むと大きな異変に気付いた。


「貴女、泣いているの?」


「えっ……」


 スイは魔導機の画面を見たまま、両目からぽろぽろと温かい雫を落としていた。視界が滲んでうまく周囲を視認できない。確かに自分はここで生まれ、ここで育った。その事実は避けて通れない。


 再生された映像の中に、シュウはもういない。


 限られた時間の中にあったホログラムとして残された記録が記憶と統合された際、大粒の涙を流す副作用を引き起こした。


 何秒か時間をおいてようやく感情が大きく揺らいでいると確認できたスイは涙を指で拭った。彼女はただ「すみません……」と謝った。ビエラは少々呆れていた。


「その様子だと、今まで覚えていた出来事を思い出したようね」


「全部というわけではないですけど、お父さんといた毎日は確かに頭の中から溢れてきました」


 元々スイは記憶を失っていても、失う前の感情や感覚は確かに残っていた。その残された二つの要素が記憶へ結びつくように、シュウが企てていたのだろう。


「わたしの記憶が戻るように、事前にお父さんが指輪の力を使って姿を見せていたのかもしれません。あの時に気付けて本当に良かったです……」


 スイが椅子から立ち上がり、胸元に右手を当ててホッとしたように安堵する。


「私も良かったわ。


 ビエラの一言に、スイの背筋がぞくぞくと震えた。優しい口調だったはずの彼女が急に牙をむいたように語気を強めたためだ。


「どういう、ことですか――!?」


 振り返った時には遅く、驚くように両目を見開きながら意識をかき消された。


 安全装置を解除したビエラの魔導銃がスイに向かって火を噴いていたのだ。


 スイは床に吸い付くように倒れ込んで動かなくなった。


 魔導銃は胸元に一発——その一発が今まで保たれていた均衡を大きく揺らがせる。

 シュウの拘束に使った弾と同様に雷属性で、効果も強いショック与えるものだった。


 装甲衣の生地を貫かないほどに調整されていたようだったが、それでも気絶させるだけなら十分な威力を誇っていた。


「資格を持つのは、どうやら私と貴女だけのようね」


 銃口から吐き出される硝煙を見つめながらビエラは呟く。


「——選ばれるのはどちらかしら?」


 銃を右足のホルスターにしまったビエラは、スイを両腕で抱き上げて研究室を後にした。


 すべての人間が滅んだ施設の一角で、一つの仮面が二度目の裏切りを始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る