第三十三話 過去/一瞬か永遠か

 翌日、ハダルの日常に大きな変化が訪れた。


 一つは医療服が異例の早さで認可されたこと。即席で作った装甲衣からメラクの入れた刺繍のものに改めて変えられ、病衣の上から常に着用できるようになった。新しく生まれ変わったような感覚にミモザは嬉しくなり、自力で治療院の中庭で散歩を始めた。ハダルは吉報を知り、彼女の回復が確かなものだと目を細めた。


 もう一つは、短い時間ながらアラシアからの訓練を受けたこと。シャウラとの戦いが決まり、洞窟に赴いては過酷な状況下で動く必要があった。形成された空気中の魔力が薄い空間の中で彼女と手合わせを行った。彼女によると装甲衣アーマーが通用しなくなる環境に追い込まれる危険性があり、改良された服が耐えうる状態なのかを試していた。結果は吸魔石の効果も相まって十分な強度を持っていると判断され、ハダルの心はより一層引き締まった。


 更に翌日、標的との戦い準備を終えたハダルはミモザに会いに行った。

 

 机に飾られた花が寂しそうに頭を垂れている。


「行ってしまうの?」


 突然の事実を打ち明けられ、彼女は戸惑いを隠せなかった。彼が行かなければホロスは無に帰すという現実も最初は受け入れられなかった。


「服に使う魔石と引き換えに、戦うことに同意しました。もう避けられません」


 連続する恋の鼓動ではなく、ドクンという一つの緊張の心音が響いた。


「……どうして?」


 今まで彼を弟のように接していたミモザの心は乱されていた。


「言った通りです。そういう条件で——」


「違うの。どうしてそこまでして、わたしに尽くしてくれるの?」


「あなたが好きだからです」


 彼女は「ううん」と首を横に振った。


「それは知っているわ。でも、あなたの命に私が代わる理由なんて……」


 ミモザの言葉が詰まった。


「私にとってあなたは運命の人でした。誰に何と言われようと、あなたを救おうと決めていました。その過程でホロスを救うために私は動きます」


 理由を示したのはハダルだった。


「簡単に言わないで。本当のわたしは、もしかしたら……」


「深刻な状況にあることは承知の上ですが、医療服があります。諦めては――」


「違うの。この先であなたと一緒にいられなくなるのが怖いのよ」


「ミモザさん……?」


 思いがけない答えだった。言い切った彼女もまた、自分が信じられない言葉を口にしたことに気付いてしまった。いつの間にか心が動かされていた。


 ハダルと共に過ごした短い期間の間にミモザは弟として見ていた感情を徐々に持たなくなり、彼を一人の男性として想いを抱き始めていたのだ。

救世主として崇めるような立場でもなければ、主従関係を結ぶような間柄になるわけでもない。対等な友人関係といえば聞こえはいいが、ニュアンスが違う。あらゆる関係を当てはめたが、しっくりするものが浮かび上がったのは一つだけだった。


「今まではお姉さんらしく年上ぶっていたわたしがいたの。あなたのことはきょうだいのような近さで接していた。服の開発がうまくいかない時が続いた時に、だめかもしれないと諦めかけていたわたしを励ましてくれた。先生と同じくらい心強かったわ」


「……」


「あなたを知って一緒に過ごすようになってから、治療院で一日を過ごすのが嫌じゃなくなったの。来ない日もあるでしょ? そんな時はあなたと一緒にいた時を思い返すの。そうすると、毎日の採血も定期的な輸液もあっという間に終わってしまって、気づいたら服を持ったあなたがやってくる。楽しみで仕方なかったわ」


「そう、でしたか……」


「でも、あなたは戦場へ行ってしまう。それを聞いてもう二度と会えないんじゃないかって思うと、途端につらくなっちゃって、どうしたらいいのかわからなくて……」


 ミモザの心の中はざわざわとしていた。これから彼は想像を絶する熾烈な世界へ身を投じ、命を削って戦う。場合によっては二度と治療院を訪れなくなるかもしれない。


「私から一つだけ約束をさせてください」


 不意にハダルはそう彼女に提案した。


「約束……? えっ……」


 そう返しながら薄々勘づいていた様子で目を丸くする。


「はい。この戦いが終わったら、どうか私の恋人になっていただけませんか?」


 数秒間硬直してから先にかぁっと顔を紅潮させたのはミモザだった。


 ハダルは真顔だ。それだけ本気の眼差しを彼女に向けていた。


「——こっちに来なさい」


 ミモザはあふれ出そうな感情を必死で押さえつけながら、ぱんぱんとベッドのマットを叩いた。今にも爆発してしまいそうなほど手が震えている。


「え、えっと……」


「いいから来る! 早くして!」


 言われるままにハダルはミモザの隣に座った。悪い取られ方をしてしまったのではないかと捉えたが、それは予想を大きく裏切られる結果となった。


 怒りに満たされているにも関わらず、ミモザは優しくぎゅっと包み込むようにハダルを抱擁した。


「ちょ、ちょっと何して――!?」


 予想外の行動に今度はハダルが赤面しながら動揺していた。彼女の温度と甘い香りを至近距離で確かめた。


「馬鹿ね。そんな約束したらあなたは死んでしまうでしょ? わたしは今から、あなたの恋人よ」


 次第にミモザの抱きしめる力が強くなっていくのを感じた。


 生きてきた中でも最も幸福な時間だった。今までの自分はハンター稼業に忙殺され、行き着く間もなく魔物を殺しては怪我と魔力不全を被る無茶を繰り返してきた。依頼で子どもたちを救い、石を渡すだけだったはずの関係は聖女のいたずらによって進展し、今に至っている。その今という瞬間が何にも代えがたい幸せを全身で受け止めていた。


「受けて、いただけるんですね……?」


 驚きから緩んだ表情に変わったハダルは、今まで触れることなかったもう一つの心臓の鼓動の音を聴きとっていた。


「その代わり、生きて帰って来なさい。絶対よ?」


 密着していた首筋に温かい水滴が触れた。見るまでもなく、彼女は静かに涙を流していた。


 告白を聞けた嬉しさなのか、惜別の悲しさなのかはわからない。いや、その両方とも取れる。


「はい。必ずここに戻ってきます」


 耳元で囁くように決意した。


 希望に満ち溢れた二人とは裏腹に、飾られた花は少ししおれて生命力を失いつつあった。


   *


 一面に雲が敷き詰められた空が広がる地帯があり、その真下では純白に近い色に染められた研究施設が建造されていた。


 屋上の周辺は転落防止のために金属製の柵が張られ、その中心に白衣を着た一人の男が立っていた。

 

 何度も浴びたであろう高所から吹く強風に白衣をはためかせている。


 短い茶髪に所々顔に皺を持つ彼はアルカイックスマイルを作り、目にできた皺の溝をわずかに深くして機を待っていた。


 すると、白衣を着たもう一人の若い男性研究員が棟の出入り口からつかつかと歩いてきた。


「主様。アラシアが動きました。魔導機が二時間後にこちらへ向かってくるとの情報が入っています」


 主様と呼ばれた男の名はシャウラ。聖女複製計画のリーダーであり、その昔に教会によって処刑された――はずだった。彼はおよそ二百年の間に複製した自分に魂を入れては乗り換えて今を生き延びていた。複製の代償はほとんどなく、あるとすれば体内の魔力が極めて高濃度な状態を保っているだけだ。つまり軽々と多くの騎士やハンターと対等に戦い、殺せるだけの力を秘めている。


「迎え撃つとするか」


 アラシアという存在はシャウラにとって最大の脅威だ。公式の記録からは抹消されているが、過去に活躍していた際のランクは最高のS-1で、歴史上でも数えるほどしかいない最強の二文字を誇る凄腕の冒険者だった。現在は功績を伏せて退いているものの、彼女の実力は計り知れない。


「承知しました。諜報員によりますと他にもう一人Sランクのハンターが乗っているそうです」


 若手研究員の報告に眉がピクリと動いたが、それ以上の動きは見せなかった。


「ふん。少しは骨のあるやつを連れてきてほしいものだ。人を狩るのに雑魚を寄こすなと言っているだろうに」


 余裕しゃくしゃくのシャウラは二時間後にこの地を踏み入れる二人の存在をあざ笑った。


「彼女が引き連れてきた者です。主様であっても油断は禁物かと……」


「わしは絶対に負けん。計画を実現させるまでな」


 研究員の助言を遮った。


 中年の見た目には合わない老人の一人称を発した。長い年月に比例して言葉も古ぼけていた。


「あなたを失ってしまっては計画には大きな痛手です。荒事は他の者に任せ、研究に専念することも考える時期だと思います」


 研究員は再度助言したがそれも却下された。


「いいのだ。ハンターギルドに最大の恐怖を与えるなら、わしが出るのがちょうどよい」


 幾度となく上級ハンターに命を狙われていたシャウラはすべて反撃に成功し、


「承知しました。どうかご武運を」


「死体の数を増やすだけだ。今度の襲撃も同じに決まっている」


 報告を終えた研究員が一足先に屋上を離れ、再び棟の中へと戻っていった。


 絶え間なく吹いていたはずの風が止み、一瞬の静寂がただただ川のように流れるだけだった。


 シャウラは一丁のハンドガンタイプの魔導銃をホルスターから取り出した。銀色の銃身が目立つ大きなリボルバーだった。魔石を加工した弾丸は装填済みで、ずっしりと金属の重みを感じ取る。だが、今まで奪ってきた命と比べたら一枚の紙のように軽かった。


「まだここで終わるわけにはいかないのだ……」


 聖女の復活という信念を背負った男は銃を眺め、そして銃に向かって話しかけるように呟いた。

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