第三十四話 過去/魔封じの領域

 ハダルとアラシアの乗せた魔導機は進路を北の地域・ガニメデへと進んでいた。トンネルを何度もくぐりながら山々を抜け、シャウラの潜む領域へとひた走る。スクリーンに映し出される景色も暗闇と青空を交互に切り替え、運転席と助手席に座る二人を飽きさせないという余計な配慮がなされていた。山々に囲まれた扇状地に居座る高い建造物たちが目を引く。だが、肝心の目的地はそこに存在しない。正確には隠されているのだ。


 スクリーンの近くに固定した魔力通信機リンカーを二人はちらりと見る。導入されたばかりのレーダーには極端に空気中の魔力が薄い領域を突き止めていた。最新式の端末を契約したことが今になって活きている。


 ホロスに大小さまざまな施設に設置する大掛かりなレーダーが普及した頃、『魔封じの領域』と言われる地点が度々観測されるようになった。原因は不明だが「異世界に繋がっている」だの「流星が降るときよりも恐ろしい魔物が現れる」だの、いずれも確認の取れない眉唾ものの噂でしかない。しかし、アラシアは一見すると無色透明なその域にこそ、シャウラは隠れているのだという。


 山沿いの陸路を外れ、機体を傾けながら山を登っていく。周囲が良く晴れた景色だった。木々の無い岩肌が露出し、皺だらけの武骨な老人を思わせるほど不規則に形作っていた。この地に来た数多くのハンターが機体を停めると考えられる、不自然なほど広く平らな盆地に到着した。


「ここから先は慎重に進むのじゃ」


 操縦するハダルは頷いて魔導機を減速させ、画面の指し示す領域の直前で着陸させた。機体が地に着いた拍子に多少の砂ぼこりが舞った。ひとたび魔封じの領域に入ってしまえば魔導機は動力源となる魔力を失い、帰還する手段は消える。極秘の遂行となるため外部からの助けは望めない。そう判断した二人は魔導機での移動を止め、歩いて先へと進むことを決めた。通信機のレーダーを頼りに領域へ踏み込む。


 歩き始めてからほどなくして視界が濃霧に包まれたように天も地も真っ白になった。最初から何も存在しないと言い張るがごとく景色は一色に染まり、代わりに数々の灰色や黒の小さな球体がぷかぷかと宙を浮かぶだけだった。


「ここが魔封じの領域……」


 何処にも壁がないにも関わらず、ハダルの一言は反響した。


「うむ。お主を訓練したのもすべてはここに入るためじゃ。問題なく装甲衣が機能しておるようじゃのう」


 魔封じの領域は文字通り対象者の魔力を封じるほどの過酷な環境に置かれる。よほど鍛錬を積んでいない者が入れば気付かないうちに体内の魔力を奪われ、あっという間に死の谷へ真っ逆さまに落ちる。


「アラシア様は平気なのですか?」


 人ならざる姿に変身できる力を持つからにはゆうに人一倍の魔力は持っている。そうだとしても見るからには無策にしか見えない。


 アラシアは自信満々に自分の胸を掌でポンッと軽く叩いた。


「大丈夫じゃ。似たようなところで何日も探索を続けたこともある。元冒険者を舐めるでないぞ?」


「言ってくれますね……」


 ハダルは苦笑した。


 言葉の端々から人外じみた発言がにじみ出ていた。彼女は蛇への変身と念話は後天的に身に着けた術だと訓練の際に言っていた。その延長線上で長命な肉体を手に入れたのだと思うと頭が上がらない。


「そして、あれが魔封じの箱プリベント・ボックスじゃ」


 アラシアの指さす先には黒く輝く四つの立方体が合体した、更に大きな立方体が宙に浮かんでいた。ゆっくりと横に回転する様は謎の文明が作り出したロストテクノロジーだろうと思わせる外観で実際にその通りだった。一辺の大きさはアラシアの身長ほどはあり、歩いて近づくほど不気味さが増していた。


「これが領域を作り出しているというわけですか」


「魔力を減退させる元凶じゃ。じゃが不用意に破壊してもならん。魔力が暴走する可能性もあるのじゃ」


 この世のものとは思えないほど精緻に作られた人工物に目を奪われるが、それも一瞬のうちに興味が失われた。


「——!!」


 先に気配を察知したのは耳をぴくりと動かしたアラシアだった。続いてハダルも全身に悪寒を感じ取り、周囲の異常を感知する。


「よく来たな」


 どこからともなく一人の男の声が響いた。指向性がなく、全方向から耳を伝い入ってくる。無数に浮かんでいる球体の仕業だ。多方向から声が溢れだしている。

 

 声から身を守るように二人は背中を合わせ、どの位置からの襲撃にも対応する態勢を整える。目線を細かく移しては注意深くあたりを見渡すが、彼ら以外の存在を未だ目視できていない。


「貴様らを盛大に歓迎するとしよう!」


 またしてもありとあらゆる方向から一人の声が飛ぶ。ギラギラと乱反射する光のごとく音が跳ね返り、警戒を解く余裕はまったくと言っていいほどなかった。


 その時、無の空間をつんざく銃声が稲妻のように轟いた。


「上じゃ!!」


 音の出どころに気付いたアラシアが真上を視認しながら叫ぶ。


 二人はお互いに背中を合わせていた状態から前に跳んだ。ハダルは黒い箱の方向へ、アラシアはその反対方向へそれぞれ退いた。二人がいた場所には瞬く間に閃光が走り、地に落ちて大規模な轟音と爆発が起きる。とっさに距離を取り、爆風に巻き込まれることはなかったものの、白く染まった地面に細かなひびが入った。


 爆発の起きなかった地面に着地したあとも構えを解くことはなかった。


 アラシアと分断されたハダルは煙が舞い上がる状況のさなかに空間の均衡を破った存在を見やる。


「お前がシャウラか」


 警戒を怠らない中、辺り一面の煙が徐々に晴れて実体が露になった。


「若きハンターよ、会えて嬉しいぞ。わしの挨拶に満足していただけたかな?」


 シャウラは戦闘に特化していると思われる、ぴったりと身体に合う白い祭服を着込んでいた。右手には銀色の拳銃を持ち、先ほどの銃声が彼の仕掛けたものだと否が応でも認識した。


 正面を向くシャウラを横から挟む形で二人は対峙している。


「こんな場所にわしらを誘うとは、よほどお主は計画を貫きたいようじゃのう」


 アラシアが穏やかに話しかけるが、瞳は一切の笑みを許さなかった。


「貴様に何がわかるというのだ?」


 シャウラは顔の向きを変えずに返答した。


「何もわからぬ。じゃが、ホロスを滅ぼすには随分と早すぎる」


「わしはこの国に、技術に失望した。貴様らの信じるステラ様によってな」


「どういうことだ?」


 ハダルが問うた。


 シャウラは静かな怒りを込めながらにその一端を話し始めた。


「その昔、妻子に恵まれた信仰心の厚い男がいた。当時最先端と言われていた通信機の発明に心が躍り、ホロスの未来はいい方向へ進むだろうと確信していた。だがある時彼の妻子は忽然と姿を消した。自力で捜索を続けてしばらく、家に教会の幹部がやってきて『機器の誤報によってあなたの妻と子を殺してしまった』と謝った。怒りが収まらず殺した者の居場所を特定したが、それは無意味に等しい。なぜなら殺した者もまた教会によって処刑されていたからだ。その後、男は教会を、そしてホロスを創ったステラそのものを恨む。聖女の目指す未来が凄惨な結末を迎えると宣言してな」


 アラシアはひどく嘆いた。聖女複製計画というはかりごとの裏側に彼に起こった悲劇が起こっていた事実を知って。


「——それが、お主じゃったというわけか」


 言い終えた直後、即座に首を横に振った。動いたのは感情だけだった。


「じゃが、それが許されるわけではない。お主が企てている計画は無関係な者まで纏めて殺戮する。ギルドとしても大きな損失じゃ。野放しになどできぬ」


「なら敢えて貴様らに告ぐ。この話をあの世の土産にくれてやる。命はここに置いていけ」


 シャウラは宣告した。全力で二人を殺しにかかるつもりだ。


「お前の話には同情するが、私の大切なものまで消すというのであれば容赦はしない」


 ハダルの心はとうに決まっていた。生きて戻ってくると約束したミモザの顔が浮かんだ。彼女だけではない。依頼で救った子どもたち、世話になっている治療院の親子、ハンターギルドの職員、すべてがかけがえのない存在だ。彼にとっては支えてくれた人たちの命を守る上でどうしても外せないだった。


「ハンターが正義を語るか! 金でしかものを見定めない亡者に何が分かる!」


 至極まっとうな反応だった。金に生き、金に死す時世を表すには『亡者』と言う表現が最も似合う。


「勘違いするな。私には正義も悪もその中間もない。あるのは前払いされた報酬のツケだけだ」

 

 すべてはミモザの命を繋いだ吸魔石の付けのために眼前の者を消す。目的は変わらない。


「元来わしらは損得で動いておる。そのためにお主を舞台から退場させるだけじゃ!」


 アラシアもまた、まだ見ぬ報酬を手にしようと画策し、瞳の色が変わった。正確には蛇に似た目つきになり、今にも強敵に喜びながら変身を遂げようとしていた。


「殺せるものなら殺してみろ!」


 シャウラの意識が立方体に集中した。このロストテクノロジーには隠された機能があった。魔封じの箱は意思を持っており、起動させれば所持者と認めた者に最大限の魔力の補助を行う。同時にそれ以外の者の魔力をじわじわと削っていく仕様だった。元々の領域の機能も相まって所持者に敵対すれば知らず知らずのうちに消耗しきったうえで死を迎える。どう足掻こうと箱の恩恵を受けるシャウラ以外の者は絶望を受け取るしかなかった。


「《開錠オープン》!」


 箱に対する引き金トリガーが引かれた。


 綺麗に接着されていたように見えた四つの立方体がわずかに間隔を空け、所有者の声を以て光を放ち、起動した。


 集約された負の感情を思わせる闇が爆音とともに広がりを見せた。白に包まれた景色に反して暗黒に輝く津波が箱を中心に加速して押し寄せてくる。万物を支配する宇宙の色に染めるがごとくハダルとアラシアを飲み込んだ。


 空間は地響きが鳴り、呼応するように大揺れを起こした。再び静寂に包まれた時には黒い光が消え、もとの白さへと帰結する。

 

 圧倒的な魔力の差で勝利を手繰り寄せようとしたシャウラにとって景色が変わったとみなしたのは、前方に一人と一匹の存在が目に留まった時だ。


『——お主が箱を解放する作戦は織り込み済みじゃ。これ以上Sランクのハンターを殺すことはわしが許さぬ』


 懐に入ったハダルの端末からアラシアの声が聴こえる。彼女は最大限の力を引き出すべく大蛇に変身し、ハダルは装甲衣を展開して戦闘態勢に入っ

た。本当の意味での訓練の成果がここに結実したのだ。


「来い!」


 ハダルが人差し指を動かす。舞台上の悪役は、挑発に乗って襲い掛かる。


「いいだろう! 消してやる!」


 一発の銃撃が飛んだ。


 同時に始まりの終わりリバース・ピリオドが近づいた。

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