第三十二話 過去/プロトタイプ

翌日の午後。

 

 ハダルは約束通り大量の吸魔石をアラシアから受け取り、いつもの宿に戻った。

 

 ごつごつとした石は契約に使ったリンゴとは対照的に白金色にきらきらと輝いている。

 

 試しに変換魔法を施すと同色のさらさらとした質感の糸に変化を遂げた。

 

 効果を確かめるために自分の装甲衣に少し乱雑な刺繍を作って実験を始める。


 試作品が完成し、はやる気持ちを抑えながら羽織って起動の呪文を唱える。


 装甲衣が発光し、体内と服が魔力で満たされた瞬間、目が点になった。


「こんなことが……あり得るのか……?」


 全身で感じたのは圧倒的な魔力の回復速度だった。強化魔法を展開し続けると急速に魔力の消耗によるひどい倦怠感を覚えるのだが、吸魔石の糸が混ざった装甲衣は完全にその欠点を払拭し、氾濫する川のように次々と魔力の洪水を体内で引き起こしていた。


 驚くほど身体が軽い。死の危険を背負っていた以前とは勝手が違う。


 気分までもが高揚し、目に見えない誰かが頭の中へ干渉し「戦え」と鼓舞している。


「すべてが、軽い……」


 ふと右手の甲に浮かぶ契約紋を見つめた。


 ホロスを救うことを処罰だと言ったアラシアには感謝しかない。


 その処罰を受け入れたからこそ、想いを寄せる者の命を救える可能性のあるところまで手が届いている。


 糸の配分を調整しつつ予備の医療服に刺繍を施すと、着の身着のまま飛び出すように治療院へ直行する。


 時間は限られている。


 ミシンを使えるメラクを待っている余裕はない。すぐにでも魔力不全に対する効果を見たかったのだ。


 面会を通してわずかでもミモザの生存に繋がるのであればそれでいい。


 人々の視線も気に留めず、医療服を持って一心不乱に大通りを疾走した。




 その日の予定になかった面会者との遭遇に最も困惑したのはミモザだった。


「どうしたの? 次に会うのは明日だったはずよ?」


 今日は特に点滴に繋がる日でもなく、ベッドの上でいつもの晴れた外の景色を見ながら佇んでいた。


「すぐに確かめたいことがあって急いで来ました」


 焦りを含んでいるのか、病室に入っても呼吸が整わない。


「これを着ていただきたいのです」


 持ってきた医療服を両手に持って広げた。


「模様が違うわね」


「私が作った予備のものです。後日になったら今までのものに統一しますので我慢していただければと思います」


「今までとはどう違うの?」


「循環石に加え、吸魔石という石を組み合わせて身体の中に魔力を逃がさない改造を施しました。新たなプロトタイプです」


「見た目はちょっと地味だけど着る価値はありそうね」


 ミモザから素の感想がこぼれ、ハダルは苦笑した。


「既に私が試しましたが、成功すれば負担はかなり軽減されます」


 医療服を広げ、優しく彼女に羽織らせた。


 やはりハダルが制作したこともあってか、所々刺繍の歪みが目立っている。


 袖を通した彼女はしげしげと医療服を眺めた。


「最近は眩暈が多かったのだけれど、それがなくなるかしら?」


「開発が順調にいけばなくなるでしょう。少なくとも生活は大きく変わります」


 一時的な魔力不全に陥ると引き起こされる眩暈も、これできっと頻度は減る。


 循環石の糸が含まれているのであればいつものように魔力が流れ、体内と服を巡ってくれるはずだ。


 二人いわおのように動かず、医療服が反応を起こす様をじっと待った。


「……」


 いつもは他愛のない話を続ける二人だったが、今日は会話を挟むのが惜しいと思えるほど沈黙を欲した。


 さあ来い! そうハダルが心の中で声高々に魔力を呼び込もうとしていた。


「……」


 だが、一向に服に付けられた糸は輝きを見せることはなかった。


 両手から力が抜け、だらりと下がっていた。


 一人間が着ただけでは何も起こらないのだろうか。

 

 一朝一夕でうまくいくほど服の開発は甘くないのは承知していた。


 それでも落胆は小さいものだった。失敗は失敗だ。また次に向けて作り直さなければならない。


「やはりこれだけでは——」


 そうハダルが言いかけた時だった。ミモザが「待って」と制止したのだ。


「身体が軽いわ」


 彼女はふわふわと宙に浮いてしまいそうなほどの感覚に陥った様子だ。


 余計に入っていた全身から力が抜け、今ならどんな楽しいダンスでも際限なく踊れると自負したいほどに。


「だるいって感じていたのに、今は力が溢れてくるみたい」


 見るからに身体に対する反応は医療服から見て取れる情報は少ない。


 ハダルの頭の中で信じられないという感想が第一に漏れる。


 発光する循環石の特徴を吸魔石がうち消した可能性がある。


 絵の具のように異なった魔力が混ざり合うとかえって目立つ特徴が無くなる、極めて不思議な現象だった。


「まさか、成功した……?」


「そう、みたいね。患者のわたしが言うんだから、確かなことよ」


 うきうきしながら身体の感触を確かめるようにベッドを降りてスリッパを履き、周辺をぺたぺたと歩いてみせる。


 一瞬だけ生まれ変わった自分を体現したくなったのか全身で深呼吸した。


 その姿は遠い未来でいつか冒険に出ることを夢見る少年に似ていた。


「うん。今なら何でもできそう!」


 笑顔のミモザから歓喜の声が聞こえた。


 釣られて嬉しくもなったが、彼女の行動が危なっかしく見えた。


 医療服による安定化が進み、一時的に回復できているとはいえ仮にも患者だ。


「安静にしてください。それに服もまだ開発段階ですし」


「大丈夫よ。あなたがいるんだもの」


「だとしてもイザール先生に怒られますよ? 時間も時間なので服は没収です」


「いやよ。せっかく自由の身になれたのにお別れだなんて」


 カペラの言動をまねるようにミモザは拒んだ。


「子どもじゃないんですから。服をこちらに」


「はーい」


 観念して脱いだ医療服をハダルに渡し、いつものベッドに戻った。


 空を飛ぶような軽さを誇っていた全身が鉛のように重たく感じ、ミモザは不満気にムッとしていた。


「早く完成してほしいわ。そうすれば、きっとどこにだって行けるのに」


 今までの不自由を取り戻した自分を嘆いた。


「明日改めて調整したら、あとは先生からの認可を待ちましょう」


 ミモザは「そうね」と、寂しく笑った。


「どうかしましたか?」


 彼女の表情が先ほどとは打って変わって曇っているように見えた。


「——いえ、何でもないの」


 首を横に振ると不安げだった感情を振り払っていつもの顔に戻った。


「来てくれてありがとう。いい夢を見られたわ」


「夢の続きは現実のものになります。もう少しの辛抱です」


「そう、よね……うん、また待ってるわ」


 いつもより歯切れの悪い返事だった。


「?」


 ハダルは彼女の言葉に引掛かかりを覚えたものの、変換した糸の組み合わせが成功したという達成感で満たされていた。


   *


 宿に戻ったハダルはベッドの上で胡坐をかき、アラシアと通信を行っていた。


 契約の儀を終えた後、彼女と共に戦いに繰り出すことを約束していた。


 通話の主の声が他者に聞こえないようにするという条件の下で通信が始まる。


『そろそろお主には戦いの準備をしてもらうとするかのう』


 世間話でもするかのような、最初はたおやかな始まりだった。だが最初だけだった。


「単刀直入に聞きます。標的は何です?」


 いきなり空気をぶった切ったのはハダルだった。彼女を信じないわけではない。ただ、嵐の前の静けさを感じ取ったのだ。この先は間違いなく話の展開が荒れるだろうと踏んでいた。


 見越していたのか、アラシアも冷淡な声に変わった。


『——聖女複製計画を知っておるならわかるはずじゃ』


 大きな災いを招こうとした、狂信者たちによる凶行。


 その事件は今も絵画や文献によって歴史の表舞台で語り継がれていた事例。


「遠い昔の話じゃないですか。今になって浮上するとは考えづらいです」


『残念ながら本当の話なのじゃ』


 アラシアの告げた内容が事実であるとするならば、先は目に見える形で引き起こされるものだ。


「これからホロスに大規模な災害が起こると?」


『災害という一言で終わればいいがのう……』


 不確定な音声が部屋に響いた。


『計画の指揮を勤めておったシャウラという司祭が生きておった。生前に自らを複製し魂を器に入れ換えて生き永らえていたようじゃ』


 己の身体を創りながら生き続ける行為はホロスの生命倫理の範囲を超越している。現行の法律では明らかな違法行為だ。


 そもそも失敗に終わったと言い伝えられているはずの計画がなぜ人間で成功している? 目的はいったい? 不可解な点は拭えなかった。


「どうしてシャウラは今になって復活を?」


 一瞬だけ空白が形成された。どうやらアラシアが首を振っていたらしい。


『何がやつを突き動かしているのかまではわからぬ。ただ、世界の均衡を破ろうとしていることだけは確かじゃ』


 たった一人の男の行動が天変地異を起こし、世界中を滅ぼさんとしている状態にあると知ったが、あまりにも突飛な事象にハダルはすべてを受け入れられないでいた。


『お主はわしと共にシャウラの災いを止めなければならぬ。改めて力を貸してくれぬかのう?』


 ホログラム越しに手を差し伸べられたような錯覚が起きた。この手を握った瞬間に命運が託されるのだと本能が叫んでいる。だが逃れられない定めだと知ったとしても躊躇ってしまう。


「わ、私でいいのですか? なによりもっと優れた適任者がいるはずでは……」


『もう残ってはおらぬ!』


 アラシアの語気が強くなった。


 通信越しの迫力に身体が反射的に跳ねた。


『今まで数々の上級ハンターや手練れの騎士がやつを葬るために動いた! じゃが、誰一人歯が立たず散っていった! すさまじい勢いでのう!』


「それなら尚更私が選ばれる理由も見当たりません。アラシア様の言葉が正しければ単純な強さで返り討ちに遭います」


『勝負は力量だけではない! 今こそ装甲衣アーマーという武器を持ったお主が必要なのじゃ!』


 恐怖を抱いている素振りは見せなかったが、その言葉以上に追い詰められている状況にあることを悟った。


 彼女も感情が前面に出たことに気付き、平静に戻って言葉を紡いだ。


『一目見ての昇格は性急かもしれぬ。それでも暴走を恐れぬお主の強い魔力に可能性を賭けたいのじゃ。粗削りじゃからこそ伸びしろがある。この命に代えてでも失うわけにはいかぬ。絶対にのう』


 アラシアは何にも代えがたい信念と覚悟を持って念じていた。


 残された猶予は想定以上に少ない。ホロスを救えなければミモザも医療服の開発も無に帰すどころではない。


 そう考えていた矢先、遠方でゴゴゴゴッと地鳴りが聴こえた。直後、グラグラと部屋が小刻みに横揺れを起こした。机や棚に置かれていた陶器がおずおずしながらカタカタと音を鳴らす。


 未だかつてない災厄を呼び起こす前触れを示しているようだった。


「——その言葉、信じますよ?」

 

 ハダルが告げると同時に、地揺れは収まった。

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