第三十一話 過去/名もなき英雄
ギルドマスターはハンターが最も逆らってはいけない相手だ。
有事の際は指示に従わなければ資格の剝奪などの重い処罰を一言で実行できてしまうだけの権限を持っていた。
更に彼女が述べたように仮に初代ギルドマスターであるとするならば、ハンターより前の冒険者ギルドが設立された当時から生きていることになる。
第一線から退いているとはいえ、歴代のマスターに対して問題を起こせば速やかにギルドへ報告される例も少なくない。
「大変申し訳ありませんでした。権威のある方とは知らずに戦おうとしてしまって……」
「処分は保留じゃ。今のわしはお主という活きのいいハンターに出会えて楽しいのじゃ」
「は、はい……」
ハダルは内心びくびくしていたが、アラシアは嬉しそうに笑っていた。
「なぜあのような姿でおられたのですか?」
「先ほどまで今のギルドマスターと念話しておってのう。あの姿でなければ繋がることができぬ。喋る手間が省けて楽なのじゃ」
身体の体積が大きくなるのでかえって不便なのではないかと思うが、本人はそれが便利らしい。
「この洞窟には何か用があったのですか?」
「用も何も最近になってこの洞窟の管理を始めてのう。天井が明るくて地上のような場所じゃから、試しに植えたリンゴの木の様子を見に来たのじゃ。もう収穫できるところまで来ておる」
そう言いつつたわわに実った果実の色合いを見ては満足そうにうなずく。
「お主は探し物をしていると言っておったが、それは見つかったかのう?」
「いえ、まだです。昔の情報なのでそれがあるという確証もつかめていません」
「それは吸魔石のことか?」
「ご、ご存じなのですか!?」
耳に入った言葉に反応する。それは喉から手が出るほど欲しい情報だった。
「わしを誰だと思っておる。かれこれ六百年は生きておるのじゃぞ?」
アラシアは腰に両手を当ててわざとらしく威張っている。
「四星暦の前からとは……とてもそうは見えませんが、本当なのですか?」
「若い頃は冒険者として世界中を旅したものよ。今やその仕事はハンターに代わったが本質は変わっておらぬ。百五十年前には世界的な飢饉があっての……」
ハダルはアラシアに昔話の一部始終を一通り話すことを許してしまう。
彼女も無駄話をしていたということに気付いて自ら話を打ち切った。
「——年寄りの話は長くなってしまうのでここまでにするとしよう。それよりお主のことじゃ。なぜその石を望む?」
「大切な人を救いたいのです」
アラシアは真っ先に首を横に振った。
「吸魔石にそれほどの効果があるとは思えぬぞ?」
彼女の言う通り吸魔石そのものに大きな効果があるとは言い難い。だとしても石を入手し組み合わせを試さなければ道は見えてこない。
「駄目で元々です。私はこの石の可能性に賭けています。どんなことでもいいのでお聞かせ願えばと」
アラシアが「うーむ……」と悩みながらハダルに問いかける。
「お主よ、ハンターランクは幾つじゃ?」
「? A-3ですが、それが何か?」
疑問符を浮かべながら答えると、更に「ううむ……」と考え込む様子を見せ――
「もっと上でもよかろう。S-10に昇格じゃ。推薦状を書いておくとするかのう」
アラシアは決まりよく手をポンと叩いて勝手に納得していた。
「ちょ、ちょっと待ってください! まったく意味が解りません!」
何をもってこのような評価に変わったのか理解が追いつかなかった。
「今にわかる。情報の通りここでは昔から吸魔石はこの洞窟で採取ができるぞ」
吸魔石が採れることに安堵するも、一見無関係なハンターランクの上昇が余計に目立つ。
「な、ならばなぜ私が昇格など……」
「それがわしの下す無礼をしたお主への処罰なのじゃ」
「はい……?」
更に理解に苦しんだ。いったいどうしてこれが処罰だというのか? 同時に言葉に裏があると疑った。
「それを説明する前に、まずはお主の経歴を聞かせてくれぬか?」
彼女の声が真剣になり、空気さえも様変わりさせてしまった。
*
アラシアは近くの大きく平べったい岩を浮遊魔法で浮かし、他の丸い岩と組み合わせて即席のテーブルと椅子を用意し、そこに座るようハダルに促した。
石の椅子に座ると、光を反射した石の熱がじんわりと衣服を通って伝わった。
「——つまり
「はい。これなしではもうハンター稼業が成り立たちません」
「限界以上に力を引き出すのは暴走に近いのう。明らかな自殺行為じゃ」
「やはり、そう見えますか?」
「とうに命を棄てておるようにしか思えん。死が怖くないのか?」
二人の間に一瞬の間が置かれた。
「——生きるのに精いっぱいだった当時を忘れたくないんです」
そう言ってハダルは穏やかな表情と複雑な心境を彼女に打ち明ける。
「孤児だった私は教会の下で建てられた学校に通い、卒業後はハンター稼業を選びました。そして、教会の騎士たちと合同で要人の警護を請け負った時のことです。まだCランクで心許ない装備だった私に、当時の騎士団長が報酬としてこの装甲衣を渡してくれました」
ハダルは着用している装甲衣の胸部分に手を当てた。
「そのランクのハンターが使うには高価な代物じゃからのう」
「はい。正直に言えば私には勿体ない防具でした。それでも身を挺して魔物から守護してくれた礼だと押し切られる形で受け取りました」
「なるほどのう。それで、どうやって今の形に変わったのじゃ?」
「最初は好奇心からでした。空気中に含まれる魔力を体内に取り込むことができれば更に強くなれるのではないか、と。そう思い立って循環石を糸に変換する魔法を本で学び、刺繍を施しては実践しました。これが使えるようになってからは瞬く間にランクが上昇しました」
「それだけ死に物狂いだったのじゃな?」
「必死でした。あらゆる物事が目まぐるしく動いたので細かくは覚えていません。実験が成功してからは依頼の範囲が驚くほど広がりました。体内の魔力を失う代償も大きいですが、もう元のやり方には戻せません。私はこれからもこのやり方で行きます」
傍から見ればハダルの装甲衣に対する考え方は身を亡ぼす依存症に近い。装甲衣のコントロールにはギリギリの綱渡りが続いていた。
「これも生き方の内じゃ。わしには責めることなどできん」
経緯を聞いたアラシアは呆れていたが、同時に諦めるように溜息をついた。
「——じゃが、恐れぬお主だからこそ、ここにたどり着いたのかもしれぬ」
不審なほどシンプルな一本道の洞窟で思い当たる節はあった。
「ひょっとして蝙蝠の群れのことですか?」
アラシアは「うむ」と頷いた。
「やつらは積極的に人を襲う上に死ぬと爆発する危険な魔物じゃ。殺した規模によってはお主も命を落としていたかもしれぬ」
それを聞いたハダルは自分の勘と経験が間違っていなかったことを確信した。
「氷魔法で仮死状態にしました。普通の洞窟でないと思いましたので殺さない方向で立ち回っていましたが、やはりそのような魔物でしたか」
あの時、魔物たちの命をみだりに奪おうとはしなかった。
確かに魔法で一蹴したものの、進行するうえで邪魔になる存在だけを対処するだけにとどめておいた。
「伊達に死線をくぐってはおらぬようじゃのう」
感心した様子で一人のハンターを見据えた。
「それほどまでに救いたい者がおるのか?」
ハダルは何も言わずに頷いた。
「お主は猛々しい。最初は人の話を聞かぬし無茶をする若造だと思っておったが、ギルドが力を信頼しておるのは理解できる」
彼女の言葉に引っ掛かりを覚えた。
あらかじめ何かを知っていたかのような口ぶりだった。
「アラシア様。もしかして私がここに来ることをご存じだったのですか?」
「内緒にしておったが以前からギルドからの念話でお主の話題が出ていたのじゃ。いずれここに来ることは知っておった」
ハダルはアラシアに試されていた。
Sランクの資格を持っているか否かを蛇のような鋭い両目で見定めていたのだ。
それに気付いた途端、自分がいかに無知で向こう見ずな人間なのかを知って恥ずかしくなったが、彼女は気に留めていなかった。
「後ろ姿を見てさほど強いとは思えんかったが、目が合った途端に身震いがしてのう。あれだけの魔物の群れを突破できる者であれば当然の顔つきじゃった」
アラシアは状況を思い出しては鳥肌を立たせている。
「まだまだ粗削りじゃが、将来性を考慮して前渡しでS-10のハンターランクと吸魔石をやる。勿論、わしに対する無礼があったことからタダではやらぬ」
「処罰、ということですね?」
「そうじゃ。一生消せぬ傷になるかもしれんということは覚悟しておれ」
「承知しました」
不思議と躊躇いはなかった。
すべてはミモザと出会ってから決まり切っていたことなのかもしれない。
「石が手に入るというのであれば、罰でも何でも受け入れます」
偽りのない言葉で彼女に誓った。
「内容を聞かなくてよいのか?」
「はい。大方の予想は付いています」
「察しがいいのう。決まりじゃ。契約の儀に入るとしよう」
「契約の儀?」
アラシアが立ち上がり、数あるリンゴの中から一つを収穫すると黄金色に輝き出した。そしてハダルの傍までもっていき、受け取るように促した。
「一口食べるがよい。これでお主は一時的に歴史の表舞台から姿を消し『名もなき英雄』となるのじゃ」
「名もなき……英雄……」
その言葉を頭の中で反芻する。
途轍もない領域へと足を踏み入れるのだと理解はしていたが、これほど内密にしなければならないものとは思ってもいなかった。
「ハンターに名声などいらぬ。必要なのは物理的な報酬のみじゃ」
アラシアの声は氷のような冷徹さを帯びていた。
報酬のために動くのがハンターの務めだと信念を貫いてきたため、妙なほど腑に落ちていた。
「……」
ハダルは右手に持った光り輝くリンゴをしばらく見つめ、そして肉食獣のように豪快に齧りついた。
豪華な見た目に反して味はせず、口に含んだ食感だけがリンゴだと認識していた。
しばらく咀嚼して飲み込む。当然ながら味わうのは無味無臭な果実だった。
するとリンゴを持った手の甲が輝きだし、蛇の姿をかたどった二重の円形の模様が浮かび上がった。どうやら契約が正式に結ばれた様子だ。
「うむ。では契約の儀を終えるとしよう。リンゴを渡すがよい」
言葉の通り素直にアラシアへ渡すと、彼女の表情は毅然としたものに変わった。
「お主への処罰はホロスに迫る危機を退けることじゃ。全力で働いてもらうからのう?」
拒否権はなかった。
ミモザの命とホロスの未来、その両方を救うためにハダルは奔走を始めた。
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