第二十七話 過去/夜と夕
心地よい夜風が宿のカーテンをなびかせた頃。
部屋に戻ったハダルはベッドの上で胡坐をかいた。そして四苦八苦しながら
ホログラムで浮き上がる不慣れな操作盤に指で触れ、光が肉体をすり抜けていった。
「ふぅ……」
何度かの入力ミスを経て登録を終えると、一仕事したように大きく息を吐いた。
教わったとはいえ端末を使い始めた初日なのだ。
慣れた者になら簡単な操作なのかもしれないが、初心者にはなかなか難易度が高い。
「あとは通信か」
病院は急患を除いて閉じられるが、現時点でイザールの夜勤の有無はわからない。
不在の連絡が来ることを想定して試しに連絡を入れてみる。
登録されたIDを選択し浮かび上がった『通話』ボタンを押す。
無音の画面に『接続中……』の文字が表示され十秒ほど経過したのちに相手が応答した。
『こちら『陽炎』。見ないコードネームだが、もしかしてハダルか?』
「こ、こちら『飛電』。そうです。私です」
やや緊張した声で初の通話が始まった。
画面には『陽炎』の文字の下に『通話中』と小さく表示されている。
『随分と待ちくたびれたぞ。そんなにてこずったのか?』
「繋げていい時間帯かどうかわからなかったんですよ」
『まぁ、そういうことにしておくか』
ハダルは言い訳を告げたが、イザールには見透かされていた。
『今日は夜勤が入ってなかった。いいタイミングだ』
「それで、どうしてメラクを通してまで私にこれを持たせたんですか?」
『時間短縮のためだ』
もっともな回答だった。
「ということは相談か何かですか?」
『これから本題を話す。お前の着ている
「報酬でいただいたものを自分で改造したんですよ。非売品です。それが何か?」
なぜこんなことを聞くのかと首を傾げそうになったが、丁寧に答える。
『突然だが、それを医療のために使ってみたいとは思わないか?』
「またいきなりですね。仕事道具ですし、無いと困るんですが……」
『量産すればいいだけの話だろう』
「はい?」
訳が分からず素っ頓狂な声が端末を通してイザールに伝わる。
構わず医師は会話を続けた。
『ミモザと知り合ったらしいな』
「彼女、先生の担当だったんですか?」
治療院では面会者の記録も取っているので、そこから割れたのだろう。
『まぁな。その彼女を救うかもしれない人間がお前だ』
「私が、ですか?」
目の前に医師がいると錯覚を起こしながら思わず自分を指さした。
『そうだ。医師として患者の病状を少しでも改善させたい。この『依頼』に協力してくれるか?』
「ちなみに報酬は何です?」
『装甲衣の特許権だ。ハンター以外の収入を得られる、いい機会だと思わないか?』
思わぬ言葉に耳を疑った。
「ちょっと待ってください。私が販売を独占していいんですか? 安定して生産ができる企業に任せた方がいいのでは?」
通信の向こう側では「いいや」とイザールが首を横に振る姿が容易に想像できた。
『万が一これが医療服としてではなく、武器として転用されては堪らないからな。必要な力だ』
改造した装甲衣の取り扱いを最もよく知る本人だからこそ、その権限を渡したいのだろうと察した。
「しかし……」
幾つか納得がいかず言葉に詰まった。
『ミモザはいたくお前を気に入っている様子だ。相思相愛の患者を支えられて一石二鳥だぞ?』
「なっ!? 私たちはそういう関係では――」
『院内では秘密にしておいてやるよ』
余計に気遣われてしまい、たじたじになった。
「それよりも、さっきのことです。言いたいことはわかりますが、先生に得がないじゃないですか」
ハダルは医療に明るいわけではないが、せいぜい学会に行って発表する程度の事しかイザールに利益は生まれないのではないかと懸念する。
『俺にとっては一人でも多くの患者を救えることが一番の願いだ。それに教会からたんまりと金を貰っているからいらん心配はするな』
「言ってくれますね……」
彼の本心は患者の前では言えない内容も含んでいた。
『改めてどうだ? 悪い話だとは思わんがな』
ミモザの喜ぶ姿が頭に浮かんだ。
初めて会ったあの時の事を自然と思い出していくうちに、心臓の鼓動がまたしてもテンポの速い打楽器のごとく演奏を始める。
言うまでもなく偶然出会った彼女の虜になっていた。
数秒の間を置いて決断する。
「——少しでも長くあの人のそばにいられるなら、やりますよ」
『決まりだな』
無機質な画面の向こうでイザールがニッと笑っている姿を思い浮かべた。
「これなら老後も安心できそうです」
『医療用の装甲衣が完成してからそれを言え』
「はははっ。そうですね」
そう笑ったハダルだったが、ミモザの患っている病気の詳細についてはまだ触れられていなかったことを気にしていた。
そしていつになく真剣な表情で担当医に問いかける。
「——それで、彼女の病状は実際どうなんですか?」
「実はだな――」
通話はこの後もしばらく続き、接続を切った時にはどっと今日一日の精神的な疲労が全身を支配していた。
主治医から真実を聞いたハンターはしばらくぐるぐると思考が定まらない状態が続く。
夜が更けていくことを忘れてしまうほどに、ミモザに対する思いが次第に強くなっていった。
*
翌日の夕方、依頼を終えたハダルは再びミモザと面会した。
独りで会いに行くことに抵抗はなかったが、いかんせん緊張で心拍は上昇し、両手に汗を握っていた。
「また会えて嬉しいわ」
病室では相変わらず病衣を着た彼女がベッドの上に座っていたが、以前とは異なり点滴で身体が繋がれていた。
魔力を多分に含んだ輸液製剤がチャンバーを通じてぽたぽたと内部に落ち、ゆっくりと左腕の血管の中に注がれている。
(やっぱり――)
心の中でつぶやきながら、近くに置かれていた椅子に腰かけた。
「手ぶらですみません。依頼から直行したもので、何も用意できませんでした」
申し訳なさそうに謝るが、ハンターの職業柄そうであることを彼女も理解していた。
優しくゆったりとした声で彼に言葉を返す。
「いいのよ。だいぶ忙しそうだし、そういう日もあるわ」
特別気にする様子もなく、彼女は笑顔を振りまいていた。
「今日は何を話そうかしら?」
昂った気持ちを抑えるために一呼吸おいて話を切り出した。
「あなたのことを知りたいです」
「わたし?」
その問いかけにハダルは頷く。
「イザール先生から病気の事を聞きました。どうして時間があるって嘘をついたんです?」
昨夜の通話でイザールの話した内容が、想定していた以上に深刻な状況だった。
敢えて口には出さなかったが、残された時間が少ないことをハダルは危惧していた。
それを自覚しているのか、彼女はおどけた表情を見せた。
「あら、嘘つきなのはお互い様じゃない」
「え?」
ミモザの思わぬ返答に虚を突かれた。
「この間の充魔石の話。本当は遺跡に子どもたちを連れて探したんじゃないかしら?」
図星だと言わんばかりに両肩が勢いよく跳ねた。
「——ばれちゃいました?」
顔は複雑な表情が現れ、口から何とも言えない声がこぼれた。
言い出したら聞かないカペラと取引をした際、そのまま三人で石を探して街へ戻ってきたのだ。
その後手に入れた石を面会の日まで大切に預かり、単独で見つけてきたように見せかけていたが、しっかりとミモザに見抜かれていた。
「あの子たちの親御さんには黙っててあげるわ。ここだけの秘密ということにしましょう?」
「そうしていただけるとものすごくありがたいです……」
弱みを握られたように申し訳なく委縮した。
「あ、あれから充魔石はお役に立ちましたか?」
ついた嘘から話を逸らせようと話題を変えた。
「ええ。亡くなった兄を思い出すの」
ミモザは近くに置かれた机の上にある二つの石を見やった。
「お兄さんはハンターだったんですか?」
問いかけると充魔石の一つを手に取った彼女が言葉を紡ぎ始めた。
「そうよ。カペラとフォーが兄を慕っていたのだけれど、依頼中に魔物に殺されてしまって……」
「そう、だったんですね」
重たい空気が部屋一面に走り、自然と口数が減った。
ハンター稼業は免れない死で溢れている世界だ。誰しもが一度は憧れるが、その現実は凶悪な魔物の群れのように残酷だ。大車輪の活躍ができるのはほんの一握りに限られている。
「そういえば子どもたちが私を『おじさん』と呼んでいましたが、まさか……」
「あなたと兄を重ねて見ていたのかもしれないわね」
最近まで自分が老けているとばかり考えていたが、先ほどの話を聞いてそうした意味合いが含まれていたことに納得した。
「兄はAランクだったの。あなたと同じね」
「ひょっとして興味が湧いたのはお兄さんの強さを知りたかったから、ですか?」
「ずっと入退院を繰り返してて、一度も雄姿を見られなかった。だから、あなたを通して少しでも頼もしかった兄を知りたかったの。悪く思ったらごめんなさい」
俯いたミモザを見て、ハダルは彼女に顔を上げるように促した。
「い、いえ。気にしないでください。私もあなたの役に立てるのなら、それだけで嬉しいです」
瞳をまっすぐ一人のハンターに向けた彼女は微笑んだ。
「なら、良かったわ」
笑顔を見てドクッと心臓が跳ねた。
酔った時のように赤面しているかもしれないと思うと、後から照れが溢れだして全身が暑くなった。
「な、長い事話してしまいました。そろそろ行きます」
「待って」
照れ隠しをしようと踵を返すと、不意に装甲衣の裾を掴まれた。
「え、ええっと……?」
彼女に向かって振り返りつつ思いがけない行動に困惑する。
鼓動が聴こえているとするならそれはもうバクバクとした音が鳴るだろう。それだけ胸が高鳴っている。見透かされまいと必死に平静を装う。
一方の掴んだ本人は円らな瞳でこちらを見つめていた。
「もう少しだけ、いていいわよ」
その一言に、掴まれた手を放して拒むことなどできなかった。
「そんな顔されたら断れないじゃないですか」
色々と余裕のない中で、精いっぱいの笑顔を浮かべた。
ハダルは苦しくて心地よい気持ちを心の中にとどめ、短くも長い数分を病室で過ごした。
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