第二十八話 過去/装甲衣
翌日の午前中。
ミモザはイザールの回診によって日課となっている血液検査の結果を告げられた。
魔力不全の自覚症状が起きるまでには至らなかったものの、一時は危機的な数値にまで達した体内の魔力量が回復し、担当医は安堵している。
「魔力は正常値に戻ったが予断は許さない。安静にしているんだぞ」
「はーい」
身を起こしていた彼女はしぶしぶ言うことを聞く子どものように返答し、枕に頭を預けた。
このやり取りは入院して以降何度も経験しており、耳にタコができるほど聞いた忠告だった。
口を尖らせているミモザの表情を受け流したイザールが話を続けた。
「それから、医療服開発の協力に感謝する」
医療用の
「先生があのハンターさんと繋がっていたなんて、昨日まで知らないままでした」
ハンターギルドから聞いたランクから実績があることは窺えたが、他方面でも彼の名が知れ渡っているのも言わずもがなだった。
「長い付き合いでな。無駄に魔力は消耗させるわ余計な怪我こさえてくるわでいい迷惑だ」
「その割には嬉しそうですね」
「たまに来ないと娘が不機嫌になる。どういうわけか世話を焼きたがるんでな」
「あらあら。人気者じゃないですか」
「色々と縁があって今に落ち着いている」
ミモザは楽しそうに彼に関わる話に耳を傾けていた。
「時に聞くが、君はハダルの事をどう思っている?」
「わたし、ですか?」
先生はどうしてそんなことを聞くのだろう。疑問で一杯になった。
「これから長い事あいつと接する時間が増える。信頼を積み重ねるうえで正直に話してもらえるとありがたい」
質問の意図が知らされると、ミモザは考え込むように身を起こした。
「そうですね……」
彼を想像すればするほど丁度いい表現が出てこない。
二度の面会を通してみても、彼は不思議な魅力を持っている。
遠いようで近い、家族のようで血は繋がってはいない。でも、放ってはおけない。
ハダルの顔を思い出しつつ、頭の中の辞書を引っ張り出しては必死に言葉を探す。
「歳の近い弟が、できたような感じでしょうか……」
ゆっくりと言葉を選びながら、現状でしっくりくる例えを導き出した。
「面会に来る子どもたちのようなものか?」
「ちょっと違います。何処か、赤の他人ではないような、そんな雰囲気がします」
「嫌いではないということだな?」
「はい。でも何でしょう……よくわかりません……」
ミモザの心の中でもやもやとした感触が全身に行き渡っていた。
納得できる答えが見つからず、晴れない気分に占領されていた。
「やつの印象が悪くないなら、それでいい」
イザールは白衣から
「続きは次の回診で話す。また話そう」
「わかりました……」
踵を返したイザールが病室を去ると途端に空間が静まり、いつもの日常が始まった。
窓から入る風が部屋のカーテンをこじ開けて入り込んだ。
病室の窓から差し込む光が熱を持ってミモザに注がれていた。
*
真昼の流星が観測され、街に鐘の音が鳴り響いた頃。
ハダルは装甲衣の改造を行うべく、フォージ家の空き部屋を借りていた。
部屋はホロスの一般家庭の書斎ほどの広さで、大人一人分であればそれほど狭いわけでもない。
机や椅子はなく、床にカーペットが敷かれているだけの殺風景な部屋だった。
普段から胡坐をかいているハダルにとっては寧ろ好都合な環境だ。
裁縫道具の入った小さな箱と二着の装甲衣を持ち、丁寧にカーペットの上に置いた。
腰を下ろして準備を始めていると、あらかじめ呼んでいたメラクが合流し、部屋の中に入ってきた。
勿論ただで呼んだ訳ではなく、手伝ってくれた分の賃金を出すという条件の下で彼女は快諾してくれた。
「来ましたよー」
「おお、来たか。待っていたぞ」
「父さんから聞きました。装甲衣を患者さんのために使うんですよね?」
メラクは街で守衛が身に着ける衣服を物珍しく見ていた。
「ああ。先生からの頼まれごとでね。久々に刺繍を入れようと思ったんだ」
「刺繍って、ハダルさん不器用そう……」
メラクの口から不安げな声が出た。
「失礼な。私の装甲衣は問題なく機能している。大丈夫だろう」
そう言いつつ懐から掌よりも一回り小さな黒い石を取り出して床の上に置く。
右手をかざしてイメージを始めると、直後に小さな声で呪文を唱えた。
「《
白く発光した石が瞬く間にきめ細やかな糸に変化を遂げる。
それはまるで幼虫が蛹に、蛹が蝶に変貌する神秘的な光景にも見えた。
この石は
「これを使うんですか?」
横で見ていたメラクが糸の方を指さした。
「そうだ。刺繍から糸を馴染ませることで服の本来の力を発揮できる」
「それならうちのミシンを使ってくださいよ。手縫いじゃ時間がかかります」
「あいにく機械は信用していない」
ハダルにとって仕事道具は自らの手で管理したかったため手作業に拘った。
「もう、変なところで頑固なんですから。私が使います」
「ああ。頼んだぞ」
「これもバイト代の為です」
そう言うとメラクは循環石と装甲衣を手に持って部屋を出て行った。
ああいう言葉をこぼしていたが、本当はハダルに頼りにされるのが嬉しくて仕方がないという本心を隠している。
「さて、やるか」
針と糸と服を手ににらめっこが始まった。
改造する装甲衣は女性用で、男性用に比べて全体的に小さく設計されていた。
事前にイザールから受け取った女性用の病衣のメモを参考に装甲衣を入手している。
二着のうち一着は予備として刺繍入れとデザインをメラクに一任する形で依頼した。
学校で家庭科の授業も受けているはずなので、不器用でなければミシンを駆使して良いものができるだろう。
刺繍針に変換した糸を通し、慣れた手つきで玉結びをする。
ハダルは壊滅的にセンスがないため、比較的単純なステッチで放射状の小さな模様を作るだけにとどめた。現状仕事道具として使っている装甲衣も同様の理由で派手な模様は描かれていない。
服の裏側で玉を結び、糸切り鋏でちょきんと切って一セット。これをひたすら繰り返す。
縫い付ける作業を一時間ほど繰り返した時だった。
前面、背面、両袖に万遍なく花火のような模様が広がった。
仕上がり具合を確認していると、ぱたぱたと廊下を歩いてきたメラクがドアを開けた。
「じゃーん!」
ミシンで刺繍を施した装甲衣を両手で持って見せつけた。
暗い空に散りばめられた黒い星々が浮かんでおり、後ろも星に加え中心に黒い三日月が施されていた。
「おお。星と月か」
灰色と黒という色合い以上の意図に感心した。
外出の困難な患者を楽しませるには彼女のアイデアがうってつけだと感じた。
大人用の医療服としては子どもっぽいと思われるかもしれないが、それなりの遊び心は重要だ。
早速立ち上がってメラクの持つ装甲衣に触れ「《
すると真っ黒だった小さな星たちと一つの衛星は光を放ち始めた。きらめくさまはあらゆる光を撥ね返す宝石のようにきらきらと輝いていた。
「いやぁ、我ながら凄いなぁ」
メラクはそう感想を漏らした。
「《
手を放して解除したハダルがそう言うと彼女は嬉しそうに笑った。
「循環石の糸って大量に魔力を通すと光るじゃないですか? 生地を夜空に見立てたらきっと綺麗になるだろうなと思って、作ったんです……」
照れながら説明するメラクを微笑ましく思った。例えるなら年の離れた兄の後をついてくる妹のような存在だった。
「メラクはきっといいお医者さんになれる。是非先生の後を継いでほしい」
「当然です。これからもっと学んで、治療院で医師として働きます」
堅い決意表明をするメラクを見て自然と笑顔になった。
「手伝ってくれてありがとう。これがバイト代だ」
ハダルは財布から五枚の紙幣を取り出し、直接メラクに渡した。
「え……? こんなにいいんですか?」
受け取った彼女は目が点になっていた。
決して金銭感覚が麻痺しているわけではない。期待以上のものを制作してくれた、相応の金額だった。
「私の感性ではここまでの大作は作れない。否が応でも使わせてもらおう」
「あ、ありがとうございます。で、でも私、貰い過ぎじゃないですか?」
遠慮しがちなメラクを制止してハダルは押し切った。
「いや、これがちょうどいい。先生には内緒だぞ?」
「は、はいっ!」
メラクの表情は晴れ渡っていた。
自分が患者のための少しでも力になれることが、何よりも嬉しかったのだ。
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