第二十六話 過去/医師の娘
数日後の午後。
ハダルはとある待ち合わせに遅れた。
昨日は依頼を立て続けにこなしており、その疲労によって当日の昼すぎまで爆睡して今に至る。
失念していた約束事に間に合わせるために大慌てで服を着て宿を出る。
ハンターギルド前で待っている顔なじみの少女が目に留まると、急ぎ足で人波をかき分けながら進む。
彼女は学生服を身に着けており、遠目でもはっきりと視認することができた。
宿からここまで息を切らしながら完走すると、彼女は両手を腰に当てて不機嫌そうにムスッとしている。
右手に持った懐中時計のようなもので時刻を見ると、両目の端を吊り上げた。
「五分遅刻!」
イザールと同じ髪の色を持つメラク・フォージ。十六歳。男勝りで相手が年上でも容赦なくずけずけと自分の意見を主張する、強く芯のある少女だった。
「はぁ……はぁ……すまない……完全に寝過ごした……」
「女の子を待たせるなんていい度胸ですね。約束通りケーキ奢ってください」
呼吸を整えている最中でもメラクは待ったなしで彼に対する処罰を要求する。
事前に宿に届けられた手紙にそのような文章が追伸で書かれていたことを思い出す。
「——まったく、血は争えないな」
心拍が正常に戻った際、メラクに気付かれないようにぼそっと呟いた。
「今何か言いました?」
彼女の地獄耳は聞き逃さない。
「いや、何も。早速行くとするか。ケーキが食べたいのだろう?」
「やったー! ハダルさん聖人!」
両手を突き上げてぴょんっと跳び上がり、先ほどの不機嫌さが嘘のように歓喜へと変わる。
喜怒哀楽のわかりやすい彼女を連れて店へと向かう。
向かったのはメラクが特に気に入っている煉瓦造りの古い喫茶店だった。
ハダルも度々利用するが、誰かを連れて入ることは稀で、あるとするならばこうして待ち合わせに遅刻するかしないかの『賭け』に負けて一緒に行くぐらいだ。今回入店したのはその稀な例に入った日だった。
メラクは席に着くなりウェイトレスにチーズケーキとカフェオレをオーダーし、それに遅れまいとハダルもレッドベリーの紅茶を頼んだ。
向かい合った二人の座る姿は周りから見れば若いハンターと学生というカップルに見えなくもない。
実際にはなじみ深い医師の娘と情報交換のために一緒にいるだけだ。
チーズケーキと飲み物がやってくるとメラクはウェイトレスに礼を言う。
「いっただっきまーす!」
瞳をキラキラと輝かせながらフォークを手に持って黙々と食べ始めた。
表情にはなかなか出てこないが、手や口が止まらないのでとにかく言葉が出ないくらいに美味しいということなのだろう。
温かい真っ赤な紅茶を一口含む。甘酸っぱい風味とわずかな渋みが口の中に行き渡る。いつもと変わらない店の味だ。
目の前では相変わらずメラクが至福の時を噛み締めて過ごしているのが見える。
「——それで、今日呼び出したのはケーキを食べるためじゃないのだろう?」
ケーキを完食してカフェオレを半分ほど飲んだ頃に話を切り出すと、メラクも正直に頷いた。
「父さんからの伝言を幾つか持ってきました」
両手を膝の上に置き、先ほどとは打って変わって真面目な顔に変わった。
「やっぱりそんなところか」
医師として多忙な日々を過ごすイザールがメラクを通して伝えてくることは何度かあり、やってきたお礼にメラクへ食事に誘うということが恒例化している。
「まず『
言わんとしていることは彼自身も理解している。
毎度のように待ち合わせて伝えるのは非常に効率が悪い。
据え置きの魔力通信機すら設置されていない宿で過ごすハダルには不便としか言いようがない。
「機械の操作は最小限にとどめたいのだがな……」
普段から操縦する魔導機以外の機械類には疎く、できればこのままを維持したいと頭を掻きながら考えていた。
「もし乗り遅れたら高額な依頼を真っ先に取られて収入が減りますよ?」
機械化が予断を許さないところまで追いついてきたことをメラクは指摘すると、単純に驚いてしまった。
「そ、そうなのか!?」
それを見たメラクは呆れていた。
「相変わらず現金ですね――ってどうしてハダルさんがそのこと知らないんですか」
機械化が進むような出来事は未だ表面上には浮かび上がっていない。
予想以上に驚いてしまった顔が紅茶の中に映って揺れていた。
「い、いや。ギルドでもそんな話はまだ出てないぞ? あったら告知があるはずでは――」
「その前に動いてください。でないと確実に路頭に迷います。依頼書を使わなくなる時代はもう目の前です」
「じゃあ、何にとって代わるというんだ?」
「もちろん『魔力』です。これからは実体のない魔力紙でカルテを宙に浮かばせながらお医者さんは診断するようになるんです」
「信じられないな。まだ試験段階か何かじゃないのか?」
想像もつかない診療風景を見ることができずにいるハダルはずっと窓側の席で景色を眺めるだけだった。
「それも違います。既に何軒かの治療院では実用化が始まっています」
「これにハンター稼業はそんな変わらないと思うのだが……」
「新聞に載っていましたよ。『ハンターギルド、来年ペーパーレス化へ』ってニュースがありました。これです」
メラクは
すると端末の上に広く新聞紙ほどの大きさのホログラムがテーブルの前に浮かび上がり。ペーパーレス化を推し進める一面の記事が出現した。
「これが、魔力紙……」
半透明の記事に光る文章がまるで海面に反射する日光のようにキラキラと輝いていた。
まじまじと眺めるように見ていると、催促するようにメラクが呼びかける。
「満足ですか? 長時間は出せないのでここまでです」
「あ、ああ。閉じていいぞ」
メラクが操作すると、ネオンのような光がフッと切れて閉じられた。
「凄いものだな。ここまでテクノロジーと言うものは進化しているのか……」
しみじみ感じているハダルをよそに、メラクは手に持っていた魔力通信機(リンカー)をしまって伝票をレジへ持っていこうとする。
「早くお会計して行くとこ行ってきましょう」
「どこへだ?」
「決まっているじゃないですか。リンカーショップですよ。今すぐ契約しに行きます」
意気揚々とハダルとの契約を取らせようと必死だった。ここを逃せば次もこの面倒な待ち合わせを繰り返すことになるので彼女としても譲れなかった。
「私はそういうのに疎いと何度言ったら――」
「魔導機の操作盤みたいなものですから慣れたらすぐできます」
「簡単に言うなよ……」
「百聞は一見に如かず、ですよ?」
端末の導入に後ろ向きのハダルを前にしてメラクは言ってのけた。
長年機械を避けてきた自分に操作ができるのか、いささか不安だった。
*
「ありがとうございましたー」
端末を売る店員の声と共に二人は店を後にした。
夕暮れに染まる建物を背に歩き出すと思い返すように呟く。
宿の前までは同じ帰り道のためメラクの隣を歩くことになった。
「——予想外に簡単だった」
予期していた懸念が店員とメラクのアドバイスによってほとんど払拭され、基本的な操作があっという間に指先に馴染んだ。
「だから言ったじゃないですか。そういう風に作られているんです」
「しかし、この一台にSランクの依頼一つ分が消えるとは思わなかった」
駆け出しのハンターでは生活費を払うことで精いっぱいなことを考えると、非常に高額な買い物だった。
更に毎月の通信料の引き落とすための銀行口座の登録や身分の確認などを根掘り葉掘り聞かれ、小さな絡繰りの中に含める個人情報の多さに驚きを隠せなかった。
「そのうち安くなって皆が持つようになります。ハダルさんが持っているものはそれだけ最先端を行っているんですよ?」
右手に持った端末を眺めるハダルは勿体ないという感情に支配されていた。
「妥協すべきだったかな?」
「それは駄目です」
きっぱりとメラクが否定した。話によると低価格の端末ほど聞き取れない音声になっているなどの粗悪品が続出しているらしい。
「Aランクのハンターなんですから持つ物は充実させてください。それと無茶はしないこと!」
「それもイザール先生からの伝言か?」
メラクは腕を組んでジト目でハダルを見つめる。
「私からの警告でもあります」
「はははっ。親子揃ってそれか」
その応えに思わず笑い飛ばした。
「何が可笑しいんですか?」
「いや、親族でもないのにここまでしてくれるのはお前と先生ぐらいだ」
ハンター稼業を始めて以降、怪我や輸液の度に父子でお世話になりっぱなしのため、入院や通院を繰り返すたびに関わる二人とすっかり親しくなってしまった。
「何言ってるんですか。家族ぐるみの付き合いですし、これから大いに私たちに手伝ってもらうんですからね?」
返答したメラクの発言に少々引っ掛かった。
「どういうことだ?」
訊くと、立ち止まった彼女が一枚の小さな四つ折りの紙を差し出した。
受け取って開くと、端末のIDの情報と『陽炎』というコードネームが角張った文字で書かれたメモ用紙だった。
「詳しくは父さんに聞いてください。それが連絡先です」
多忙なイザールに連絡を入れるのは気が引けるが、これを彼女に渡すように頼んだということはギルドを通さない、ある意味での『依頼』ではないかと解釈する。
「じゃあ私はこれで。ケーキありがとうございました!」
メラクが頭を下げるとすぐに背を向けて元気よく駆け足で走り出し、イオの雑踏の中へ消えた。
ケーキの
そんな彼女を見送ったところでハッと、この世の絶望を見たような気分に陥った。
「連絡先の登録操作、聞くの忘れてた……」
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