第二十五話 過去/出会いの病室
ある一人の女性と面会することになったのは数日後の事だった。
陽が傾いてきた頃の治療院では入院患者や面会に来た人たちが行き交っている。
施設の一階に広く作られた待合スペースにハダルは黄色い花束を持って座っていた。
依頼を終えて以降、子どもたちが『取引』の待ち合わせに選んだ場所がここだったのだ。
なんでも彼女たちの言う『おねえちゃん』が入院している。
事前に治療院を通して本人からの許可を得て、子どもたちの一時的な保護者という形で彼女と会うことになった。
「そろそろこっちに来る頃か」
壁に掛けられた四角い時計を見つめていると、顔なじみの男性医師が声をかけてきた。
すらりとした長身と短く切られた深紅の髪に目が行きがちになる。
「ハダルじゃないか」
白衣に付いているネームプレートには『イザール・フォージ』と書かれている。
「イザール先生。先週ぶりですね」
「あれから体調はどうだ?」
「倒れた時以上に調子いいですよ。これも先生のおかげで——」
言いかけた時、イザールがずいっとすさまじい剣幕で顔を近づけた。
「うあっ!?」
「そうやってまた無茶をする。自らの魔力を枯渇させて死にかける馬鹿な真似はやめろ」
彼のお世話になったのは、過度の依頼をこなして満身創痍となった時の事だった。
無理に無理を重ねて体内の魔力が尽きかけ、ギルド経由で運び込まれた経緯があったため、相当な迷惑をかけていた。
「わっ、わかってますって。今日は輸液しに来たわけじゃありませんから……」
焦りながら左手をパーにしてジェスチャーをすると、イザールも反省していることを理解し「それならいい」と、拘束を解放して表情を元に戻した。
「面会か?」
「見ての通りです」
「そうか。手短に済ませろよ。じゃあな」
「はい……」
きびきびとした歩き方で待合スペースを去っていくイザールを見送る。
この人を怒らせたら強大なSランクの魔物より対処のしようがないと思わせるだけの恐ろしさがあった。
ある意味での嵐が過ぎ去り、溜め息が漏れた。
更に十分ほど待っていると、革製の学生鞄を背負った二人の子どもがゆっくりと歩いてきた。カペラとフォーマルハウトだった。
「こんにちは」
二人に向かって手を振ると、気づいたように鞄を揺らしながら近寄ってきた。
「こ、こんにちは……」
フォーマルハウトは人見知りをしているのか、おずおずとしている。
「こんにちは、おじさん。約束、守った?」
挨拶をしながら話題を切り出したのはカペラだった。
「勿論。ちゃんと持ってきたさ」
「とりひき、だからね?」
未だ疑いの目を掛けられているカペラにまっすぐな眼差しで笑顔を見せる。
「大丈夫。二人ともよく我慢できた。偉いぞ」
左手で懐から二つの銀色に輝く石を取り出すと、二人の晴れやかな表情がハダルの目に映った。
北方の遺跡で手に入れた、鉱石のように光を反射させる魔石。
それは棘と丸を足して二で割ったようないびつなものだった
「大切に持つんだぞ?」
そっと子どもたちの両手に一つずつ、石が行き渡った。
手に取った二人がはやる気持ちを抑えているのか、笑顔を作るまもなく鞄の中へしまい込む。
「ありがとう!」「ありがと!」
「礼を言うのはまだ早い。会うべき人がいるだろう?」
フォーマルハウトが喜びを露にしながら『姉』を呼ぶ。
「おねえちゃん……」
落ち着こうとしているのかカペラがそっと自分の胸に手を当てる。
「はやくいかないと」
二人でハダルの衣服を掴み、催促する。
「「おじさん」」
代表者である彼がいなければ面会を行うことはできないことを知っている。
「こらこら、あまり服を引っ張るんじゃない……」
わくわくした心を持つ二人に導かれる形で病室を目指した。
度々訪れる診察室とは違い、このような空間にいると不思議と緊張する。花束を持つ手に汗が染み付きそうだ。
部屋をよく知る子どもたちが先行して歩いていたので、部屋の番号に迷うことなく向かうことができた。
個室となっている部屋の、看護師による手書きの名前を確認する。
入院する彼女の名は『ミモザ・ピーティ』。間違いない。
木製のドアをノックすると、部屋の中から女性の「どーぞー」と間延びした声が聞こえてきた。
「失礼します」
ドアが開いた瞬間を見逃さずにカペラが先に、遅れてフォーマルハウトが、最後にハダルが入室する。
「……」
初対面の彼女を目が合った瞬間、それは大げさかもしれないが、世界が一変したような空気に包まれた。
客観的にどれだけの感性に触れたかどうかはわからない。
持ってきた花束に似た
端正なその姿に心を奪われそうになり、花束が手から滑り落ちそうになった。
病衣を着た一人の女性は好奇心旺盛な少女のようにベッドに座って足をぶらぶらさせている。
「二人とも、いらっしゃい」
ミモザと思われる女性は両手を広げて子どもたちを招いた。
駆け寄ってきた二人の子どもを痩せた手でそっと抱き寄せる。
「おねえちゃん!」
「会えてよかったー!」
「話は聞いたわ。まったく。お父さんとお母さんを心配させちゃだめよ?」
「ごめんなさい」
「どうしても行きたかったの」
「行くならもっと訓練してから行きなさい。あなたたちだけではまだ早いわ」
優しい口調ながらも同時に厳しさがあった。
次に女性はハダルに目を向けると、彼に警戒することなくニッコリと笑った。
「あなたがこの子たちを助けてくれたのね?」
「は、はい。ハダルと言います。面会を許可していただけたことに感謝します」
不意に目を向けられ、容姿にくぎ付けになっていることを見透かされないように平静を保った。
「ギルドから聞いているわ。優秀なハンターさんだって」
「ありがとうございます。でも、私はそこまでではないです。上には上がいますし……」
「あらあら。謙遜しなくてもいいのよ?」
実際にAランクという強さは伊達ではない。ギルドからの信頼も兼ね備えてこそ今の級に到達しているのだ。
「とりあえず花、飾っておきますね」
「ありがとう」
ハダルなりの照れ隠しとして、室内に花瓶があったので持ってきた花束を入れることにした。
その時カペラはフォーマルハウトと目を合わせると、息を合わせるように頷いた。
「おねえちゃん」
「なぁに?」
「プレゼントがあるの」
学生鞄から二人が一緒に取り出したのは、先ほどハダルが渡した銀色に輝く石だった。
「これは……
ニシシと笑うカペラと「大丈夫かな」と不安になるフォーマルハウト。
ミモザの頭の中には怒りよりも心配が勝り、説教を始めようかというところだった。
それを見越してか、二人ともしょんぼりする。
「まったくあなたたちは――」
優しい声で遮るように話に入ったのはハダルだった。
「それは私が探してきたものです」
「——あなたが?」
予想外の応えに思わずミモザがきょとんとする。
「子どもたちと約束していたんです。二人の代わりにその石を探して渡すことにしていました。ですが、二人の手で渡したいということでこのような形になりました」
「……」
それを聞いたミモザは、呆れるわけではなく、何か別の感情が込みあがっているように見えた。
「ミモザさんのことを聞き、勝手な行動を取ってしまったことをお許しください。ですが、カペラちゃんとフォーマルハウト君の気持ちは本物です。それだけは信じていただきたいです」
二人との取引とはいえ、初対面で何もわからないままの彼女に事情を説明して理解してもらえるとは思っておらず、寧ろ受け入れられないということも覚悟に入れていた。
「あなたたちの行動は勝手すぎるわ。でも――」
彼女の声は震えていた。
「それでも、よかったわ。この石が今ここにあるなんて……」
ミモザは笑顔で、そして静かに泣いていた。
石を持ってきたハダルに彼女が涙を浮かべる理由はわからない。
ただ、笑いながら泣く姿から深い理由があることを感じ取ることはできた。
「困ったわね。ここにはお礼になる物がないわね」
入手した石にここまで心を動かす力があるとは思っておらず、思わず慌てふためく。
「お、お礼なんていいです! 貰ってください! 元気に、なれるんですよね?」
「ええ。とってもね」
涙を指で拭うミモザは子どもたちから石を受け取り、花瓶の置かれた机の上に置くと、彼女たちの頭を愛でるように撫でた。
「おねえちゃん……」
「悲しいの?」
彼女は首を横に振った。
「嬉しいのよ。二人とも覚えていてくれたのね……」
三人にしか分からないその理由を知ることはせず、ハダルは気づかれないように一度病室を後にしようとした。
退出するためにドアに手を伸ばそうとすると、ミモザが呼び止める。
「よかったらまた来て頂戴」
驚いて振り向いた。思いがけない一言だった。
「私が、ですか?」
ミモザはまっすぐ頷いた。
「そうよ。あなたに興味が沸いてきちゃった。この石を拾ってくるなんて、どれだけ強いハンターなのかなって」
「そ、そうですか。実は私も、です」
たどたどしく返した言葉が動揺を隠せていない。
「わたし? わたしはハンターじゃないわよ?」
「いえ、その、私もミモザさんのことが気になった、ってことです。特にこの石について思い入れがあることに……」
気づけばミモザの涙は頬に跡を残して消え、瞼も赤く腫れている。
病室の窓から差し込む光のように、晴れやかに微笑んでいた。
「なら、尚更来ないと駄目ね。約束よ?」
「いいんですか?」
「時間はあるもの。話し相手になってほしいわ」
ミモザがハダルにしたいせめてものお礼。
部外者の自分を、まるで親しい人のように接してくれた。
現在の彼女はどんな病を抱えて過ごしているのかは一部の者にしかわからない。
ただ、今は再び面会に訪れることで役に立てるのであれば、それだけでいい。そう思えるほどに魅力的に映った。
「——わかりました。時間を見つけて、またここに来ます」
「ありがとう。待っているわ」
姿勢を正して一礼し、個室を去った。
バタンとドアが閉まると緊張が解け、代わりに異なった感情が心臓の鼓動を加速させた。
長らく経験したことのなかった、ドキドキと跳ねる感覚。
頭から足の爪先まで雷が走ったように衝撃を受けたが、それを自覚するのは泊まっている宿に帰って装甲衣を脱ぎ始めた頃だった。
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