第二十三話 本物の手記

 アルファルドが意識を取り戻した同時間帯。


 窓のない狭い安宿にハダルは泊まっていた。


 ポツンと小さくて黄色い照明だけが小ぢんまりとした客室を照らしていた。


 ベッドの上で胡坐をかき、魔力通信機リンカーを取り出して通信を始める。


「こちら『飛電』。『はやぶさ』に繋ぐ。首尾はどうだ?」


 数秒の時間差を置いてホログラムとして出てきたのは、キャスケットを被った女性の姿だった。


『こちら『隼』。今のところ順調ですよ~』


 陽気な声の主はカペラだ。


「毎度のように誘ってしまっていて悪いな」


『全然そんなことないです! 予定通り明日そちらへ向かいます。あ、フォーも後からきますよ?』


 仮面の者たちに巻き込まれたことを間接的に知ることとなった。


「うちの弟子が世話になったみたいだな。何かしらの礼をせねば」


 カペラは首を横に振った。


『今回の依頼がお礼です。今まで助けていただいた恩返しだと思っています』


「はははっ。恩を忘れないでいるというのはいいことだな」


『昔は恩をあだで返すような輩がたくさんいたんですよね?』


 先回りされるようにカペラに昔話を切り出されるが、それが嫌というわけでもなかった。


 寧ろ自分に話を合わせてくれる彼女の機転に感謝したい。


「そうだ。だが今の若いものは勇敢だな。依頼に積極的で私も嬉しい」


『そりゃあ生活が懸かっていますし、何よりお金はいくらあっても足りないです』


 端正に整った顔立ちとは裏腹に、死線を潜り抜ける覚悟を身に秘めていた。


「貪欲だな、ハンターはこれくらい血気盛んなほうがいい」


 しばらく通信を続けていると話題はアルファルドのことに移った。


『それにしても、空魚の討伐依頼で会った彼が弟子だなんて、どうして教えてくれなかったんですか?』


「別に教えなくてもいいだろう。来るべき時に話そうとは思っていたがな」


『『名もなき英雄』の弟子ですよ? マニアが知ったら途端に有名人になりますね』


「そんな者などいるのか?」


『います。世界を侮らない方がいいですよ~』


 自分のことをよく知る者などごく少数だが、いざ憧れているマニアという者たちに出くわして握手など求められても複雑な感情を露にするだけに留まってしまう。それ故に人との交流は意図的に選択して行っている。


「そうか。私としてはできる限り知られてほしくないんだがな……」


 ハダルとしては弟子を公表するなど毛頭にも考えておらず、彼なりに無事に生計を立てて生きているならそれで構わないという心情を持っている。


『でも、ハダルさんの功績はもっと評価されてもいいと思うんです』


 学校の教科書にすら載らない英雄の素顔を知る彼女は口を尖らせた。


 それを聞いたハダルは遠い昔に諦めたように嘆息する。


「いいんだ。今のままで構わない。元々私が望んだことだしな」


 カペラはがっかりするわけでもなく、以前から彼に事情があるということを知っていた。


『強くは求めません。たとえ知ったとしても、あたしにとっては大先輩です』


「そうだな。私はただの昔話が好きな老いぼれだ」


 自虐するように返すと今度はカペラが苦笑した。現役のハンターに似つかわしくない表現に面食らったのだ。


「老いぼれは言い過ぎですよ。そしたらあたしやフォーはもうベテランじゃないですか」


 現在のカペラとフォーマルハウトは共に二三歳。紆余曲折ありながらもAランクのハンターになれたとはいえ、未だハダルには遠く及ばない。


「もう十分生きたさ。いい加減引退したいが、そうはギルドの連中が許さなくてな」


 思い切り笑い飛ばすが、ホログラムは納得するように頷く。


『ハダルさんは数少ないSランクなんですから当然です』


 最前線で魔物を狩り続けるベテランを信頼する声は多い。各地方で培った豊かな経験がハンターランクとなって活きている。


『もう少しだけ、あたしとフォーの憧れでいさせてください』


 憧れという言葉に何度も自問自答を繰り返した。


 果たしてそれほどまでに強さを持って何の意味を持つのか、答えが出ないままでいた。


 人の上に立ち、経験者としての教えを後進に伝えるようになってから、輪郭ははっきりしないものの、ようやく解に手が届くところまで行き着いた気がした。


「——仕方がないな。もう少しだけだぞ?」


 いい意味で溜め息をこぼした。


 これもまた、ある種の諦めだった。


『ありがとうございます』


 ハダルを尊敬している彼女はニッコリと笑みを浮かべた。


「こちらこそ、色々とありがとな」


『いえいえ! では後程!』


 その言葉を最後に繋がれていた通信が切れ、ノイズを混ぜながらホログラムは消えた。


 続けざまに端末の文字盤を確認し、時刻を見やる。


 時は夕刻。


 外は見えないが、日が暮れかけている時間帯であることだけは理解できる。


「頃合いだな」


 ハンターの多様な意味を含んだ笑顔と声だけが、ちっぽけな空間を支配した。


   *

 

 緩やかな小雨に変わり始めた日没のカリスト。


 回復魔法の甲斐があり、アルファルドは痛みからだいぶ解放された。


 あれから少しの時間が経って相談した結果、ハダルの手記に関する詳細を調べていく必要が出てきた。


 その手記を探すためにベッドを降りて靴を履き始める。


「師匠の手記を取ってくる」。


「当てはあるのか?」


 イオの書庫には写ししかなかったことをリゲルはその目で確かめていた。


「ああ。この家の中にある」


「ハダルさんの部屋には全部市販されている本しかなかったような……」


 スイの言葉通り、あの本棚の本はすべて購入したものばかりだが、ハダルの書籍はそれがすべてではないことをアルファルドは知っていた。


「秘密の多い師匠の事だ。寄贈したものには書かれていないものがある。ちょっと待ってて」


 そう言って自室を後にし、真っ先に向かったのはキッチンだった。


 一見すれば何の変哲もないコンロやシンクが存在するだけだが、その先にはスイにも教えていない部屋がある。


 出入口は魔力冷蔵庫フリッジャー――もっと言えばその真下の床に存在するものだ。


「《反重力領域アンチ・グラビティ・フィールド》」


 唱えた呪文の先にあった白くて重い物体は床の上で浮きあがり、簡単に手で押し引きできるようになった。


 キッチンの邪魔にならない位置に移動させると、冷蔵庫に隠れた床の中から七十センチ四方の扉が出現する。


「ここに入るのは久しぶりだな」


 立ち入ることを禁じられたわけではない。ただ、ここから先は名もなき英雄とその弟子だけが許される空間で、登録できる生体認証は二人までと厳密に設定されている。


「《開錠オープン》——」


 ギイィっと扉が開く音が寂しげにキッチンに響く。


 扉の先にある梯子を伝って降りて照明を点けると、高さが三メートルほどのキッチンと同等の空間が広がっていた。


 壁沿いに装甲衣アーマーの掛けられたクローゼット、年季の入った本が敷き詰められた本棚、非常時のために温存された魔石の入った無数の木箱が所狭しに置かれている。


 かび臭さや埃っぽさはなく、おそらくはハダルが依頼に出た一か月前から変わっていない様子だ。


「ん?」


 地下室の奥に置かれた小さな机に目が行く。


 もっと言えば、その机の上に置かれた物体たちに目を奪われた。


 ほのかな暗さに足を取られないよう、ゆっくりと近づく。


「《極小光(ミニマム・ライト)》」


 自らの魔法で明かりを灯すとその存在がはっきりと判った。


 机上には栞を挟んだ古ぼけた日記帳と、銀色に輝く魔石が二つ置かれていた。


 魔石の大きさは彼の拳と同等の大きさだった。


 更に日記帳には「アルファルドへ」と大きく乱雑に書かれた書置きがクリップで挟まれていた。取り出して裏返すと、これまた乱れた文字で綴られた文章が広がる。


 

 ――お前がこの書置きを読んでいるということは、それだけ過去を知りたいのだろう。

 

 ここに書かれていることは、私がお前を見つけるきっかけとなった出来事の、ほんの一部だ。

 

 心して読むがいい——。


 

 どうやらハダルは、時期を見て弟子がここにやってくることを予見していたようだ。


 日記帳と魔石を持ち去って地下室を後にすると同時に、冷蔵庫を元に戻してキッチンを出る。


 スイとリゲルが待つ自室に戻ると、当の二人が何やら話し込んでいたが、アルファルドの到着を持って話は打ち切られる。


 二人の反応を見るに良からぬことを共有している雰囲気ではない。


 寧ろ意識を失くしていた間にそれに関わる内容を話していたようだ。


「何を話していたんだ?」


 不思議そうに聞くと、スイが人差し指を口に当てて笑った。


「ふふっ。内緒です」


 彼女の隣でさりげなく口笛を吹いていたリゲルがすべての元凶だと悟り、睨みつけた。


「リゲル。吹き込んだな?」


「べ、別にいいだろ。減るもんじゃねぇし」


 神父は聖女に誓っているのか、悪行ではないと言い張る。


 大方予想はつくが、どうせ学生時代の話だろうと思い、それ以上は言及しなかった。


「手記を見つけた。書置きまであるとは思わなかった」


 実際に手に取った日記帳を見せると、やけにリゲルが凝視していた。


「こんなに簡単に見つかるとは拍子抜けだな。オレの苦労は何だったんだ……」


「でも確実に師匠は知っている。聖女複製計画にまつわる出来事を――」


 仕組まれているのではないかと疑ってしまうが、同時に導かれるようにあの部屋へと行き着いたとも思える。


「とにかく、読んでみましょう」


 ベッドに座り、栞の挟まれたページから読み始める。


 三人が本を囲んで字面を追うと、当時の情報が跳び込んで景色が一変する錯覚が目の前で起きた。


 この手記から始まる限り、すべてはハダルが動いた一つの依頼から始まった

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