第二十二話 植え付けられたもの

 アルファルドが夢の中から生還したのは雨が止まない夜の自室だった。

 

 力強く瞑っていた両目を勢いよく開けると、白い照明で照らされた天井の他、身を案じていたと思われる眼鏡の少女が視界の隅に入ってきた。


「はぁ……はぁ……」


 脈打つ心拍は激しく、いつの間にか着せられていた部屋着も、汗でぐっしょりと身体に張り付いて不快感を覚える。


「アル師匠。わたしがわかりますか?」


 傍にいる弟子の声でようやく自分が手を握られていることを把握したが、それに動揺する余裕はなく、彼女と目線を合わせることで精いっぱいだった。


「ス……イ……?」


 若干の掠れた声と共に顔と声の主をまっすぐに見つめた。


「はい、わたしです」


 安堵の笑みを浮かべたスイは、師匠の意識が回復したことが分かった途端に自分の両手を凝視した。


 師匠とはいえ異性の手を握っていたことを忘れかけていたようだ。


 慌てて握りしめた彼の手をベッドの上に置いて離し、若干恥ずかしそうに「こほん」と咳払いをした。


「フォーさんとリゲルさんに感謝してくださいね? 起きることができたのは、紛れもなくお二人のおかげですから……」


 朧気な思考の中、アルファルドは「ああ」と淡白に答えるに留まった。


 握られていなかった方の手でゆっくりと額の汗を拭いながら、自分が現実の中の一人間として存在しているのだと確認する。


「僕は……一体……」

 

 夢と現実の区別がつかないわけではないが、一時的に現実感のある世界にいただけに、今いる場所が夢の中だと勘違いしそうになる。


 その時、ガチャッとドアを開けて部屋に入ってきたのはこれもまた、彼にとっては見覚えのある聖職者だった。


「おっ、起きたな? コーヒー持ってきたから飲んどけ。眠りを妨げないヤツだ」


 湯気の出ているマグカップを持ちながら、安心したように顔を緩ませる。


「リゲル……」


 意識が途絶える前に聞いた、ハレーの言葉を思い出した。


 詳細を聞きたければ聖職者を尋ねろ、と。


 思い出した途端に「リゲル!」と起き掛けにしては大きな声を出しながら、玩具のびっくり箱のように勢いよく起き上がる。


「わっ!? っとっとっと!?」

 

 それに驚いたスイが椅子から転げ落ちそうになり、なんとかバランスを取って元に戻る。


「今すぐ話してくれ! 聞きたいことがある!」


「おい待て、今大声を出したら――」


 起き上がった勢いを声で制止させそうとするリゲルだったが、アルファルドはその意図をかみ砕く暇はなかった。


「僕の知らないことを知っているのは君だろ!? いいから教えてく――痛ってぇ……」


 核心に迫ろうとした途端、全身に受けていた傷が一斉に疼く。


 激痛のあまり、思わず最後に撃たれた胸の辺りを押さえた。


「そんなに声を出したら傷に響きますよ?」


 痛みに耐えながら必死に右手を伸ばそうとしたところをスイに抑えられた。


 リゲルは呆れた様子でマグカップをアルファルドに差し出した。


「とりあえず飲んで着替えろ。話はそれからだ」


「す、すまない……」


 止まらない痛みに観念すると、聖職者の言葉を受け入れて容器を受け取る。


 タンポポを焙煎した香ばしい匂いのコーヒーをゆっくりと口に含む。苦みが少なく甘みのある飲み慣れた味に安心感を覚える。


 マグカップの中で苦痛に歪んだ自分の顔が映って揺れた。


 アルファルドがコーヒーの温もりで身体を満たすまで、二人は敢えて会話をすることはなかった。

 

 ゆっくりと飲み終え、痛みが走りながらもなんとか着替えを済ませると、仕切り直しで話を再開した。


「落ち着きましたか?」


「ああ。二人とも、色々ありがとな」


「礼はいらねぇ。今はどんな感じだ?」


 椅子に座ったリゲルが医師の問診のように容体を聞く。


「全身が痛い……」


 アルファルドは力なく答えた。


「見りゃあわかる。他に何か違和感を覚えるところはないか?」

 

 少しの間を置いて考えた時、汗だくの原因となった大本を辿った。


「酷い夢を見た」


「夢? どんな夢だ?」


「僕が幽霊になって、まったく知らない人の過去に行った。幼かったもう一人の僕がその人に連れていかれて、僕を逃がして殺された。それだけだ」


 混濁した際の意識から遠のき、すべてを思い出すことは困難だったが、端的に映像を浮かび上がらせることはできた。

 

 途切れ途切れに話すアルファルドの話を、リゲルが取り出した魔力通信機リンカーのメモ帳アプリに記録していく。メモを取るのは対話によって人々を救済する聖職者の職業病でもあった。


 カルテを打ち込むがごとく右手で操作を続け、しばらくして考え込むようにピタリと手を止めた。


「アル。お前は呪いによって何らかの記憶を植え付けられている」


 そう言ったリゲルを見て思わず両目が瞬いた。


「——記憶を植え付ける呪いなんて聞いたことがないぞ?」

 

 対象者の短期的な記憶を消す忘却の呪文は使用者を限定させるが存在する。

 

 しかし、記憶を植え付ける呪文と言うものは聞いたことがない。ましてや一度呪文を受けてしまえば、失った短い記憶は二度と取り戻せないのが通説だ。


「そ、そんなことができるんですか? だとしたらわたしの記憶が戻ることも——」


 このまま二人の質問攻めに遭いそうな聖職者は片手を出して落ち着くように促した。


「まぁ待て。まず、お前を撃った銃の詳細はわかるか?」


 リゲルが端末をしまうと、アルファルドが徐々に戦闘時の記憶を頭の中で浮かび上がらせた。


「あれは間違いなく『装甲殺しアーマー・キラー』だった……とんでもない火力だ……」


 思い返したアルファルドは思わずぞっとして、頭を抱えた。


 世界中の兵士が信頼を持って身に着ける軽量で頑丈な装甲衣アーマー。それを貫く武器となれば十分な脅威に値する。体内の魔力を大幅に消費するという代償が大きい分、それだけの高い潜在性と威力を誇る兵器でもあった。


「——闇魔石を混ぜた銃弾で装甲衣アーマーを瞬間的に壊していたってことですか?」


「そういうことになるな」

 

 闇魔法は攻撃した対象を傷つけるのではなく粒子の域にまで分解する特性がある。

 

 致死量まで攻撃を与え続ければ、苦痛を与えずして殺すこともできる、それだけ恐ろしい属性魔法なのだ。


「確実に呪いを与えるために要らねぇものを剥がしつつ、呪縛を撃ち込んだってところだな」


 リゲルが椅子の背もたれに身を預けながら考察した。


「記憶を操作しただけなら呪いとしての構造は難しくねぇ。問題は何の呪いと混ざっているかだ」


「君でも解らないのか?」


「解けたら今頃苦労しねぇよ」


 聖職者として人々の呪いを解いてきた彼が口をヘの字にして考え込むように腕を組んでいる。


「今まで体験しなかったモンが夢に出てきたってことは確実に記憶を弄られている。何の目的かは知らねぇが……ん? 記憶を弄る……?」


 何かに引っ掛かったのかリゲルが自分の顎に手を添えてぶつぶつと言葉を反芻する。


「どうかしましたか?」


「いや、こっちの話だ。気にしないでくれ」


 おそらく所属する教会での事情があるのだろうと、余計な詮索は行わないことにした。


「とにかく呪いに関してはここまでだ。考え出したらキリがねぇ」


 続けるのが嫌になるほど表情が険しくなっているリゲルを見て、アルファルドもそれを考えるのを止めた。


「お二人とも、今は知っている情報を確認し合った方がいいんじゃないかと思います。改めてわたしも伝えておきたいことがありますし」


「そうだな。アルにはまだ教えていない」


 それぞれの事実を知っている二人は本調子を取り戻しつつある彼と目を合わせる。


「薄々気付いているだろうが、お前が知りたいものはさっきの夢に当てはまる内容だ」

 

「……」

 

 アルファルドが生唾を飲んだ。


「リゲルさん、いいんですか?」


「大丈夫だ。踏ん切りはついてる。スイちゃんも打ち明ける準備はできているか?」


「はい。わたしも受け止めては、います」


 雨音が緩やかに小雨へ変わった頃、三人の中で各々の情報が共有された。


 最初にアルファルドはスイの出自を知り、最初は目を丸くしたものの、邂逅した時の状況を考えると不思議と腑に落ちた。


「——で、オレが知っているのは、お前が一六年前にその研究施設で生まれたっていう記録のことだ」


 二人の一部始終を聞き、天を仰ぐように脱力した、


「そうか……やっぱり僕は人間じゃなかったんだ……」


「教会もそれで煮たり焼いたりするわけじゃねぇから安心しろ」


 夢で見たあの施設で自分は生まれ、イオに逃がされた。


 何よりもこれが偶然ではないと気づいたのは、スイも同様の理由で逃がされた可能性があるということだ。


「でも僕の記録があるなら、スイの出生に関する記録も書庫にはあるはずだ」


「いや、それがスイちゃんのは無かった」


「どうしてだ?」


「書かれていたのは、ハダルさんが昔に寄贈した手記の写しだったんだ。どこで情報を手に入れたかは定かじゃねぇが、過去に計画への関わりがあったのはどうも事実らしい」


 ハダルの名が刻まれた文献は非常に少なく、大抵は本人が書籍への掲載を断っていると、何度か耳にしていた。


「師匠……それを知ってて僕に教えなかったのか?」


 自分を疑うように呟いた。


 数日前に発着場で行った通信を思い出す。


 確かにハダルは、自分たちの呼ばれた例の地に滞在しているようだった。


「ガニメデに行っているとは聞いていたけど、まさか……」


 そこに確証があるわけではない。ただ、心の奥底では微かに胸騒ぎが沸き起こっていた。

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