第二十一話 その名は孤独

 夢の中にいて、それを夢と理解できる世界を見ていた。

 

 意識を失う直前のアルファルドはハレーに銃撃され、フォーマルハウトに発見されたところまでは覚えていた。

 

 この夢の世界はどの地にいて、どの時間帯にいるのかも解らない。

 

 明らかなのは両足で建物内の床に立っているということだ。


「ここは……?」


 医療施設や研究所の類廊下に当たる部分なのだろうと認識している。


 そうせざるを得ないだけの情報が今の視界に敷き詰められている。


 建造物の内部は白い壁で囲まれ、白い照明器具で照られ、消毒液の匂いまでもが再現されていた。


 耳に聞こえる音はわずかに反響しながら、限られた部屋の中に波紋を作り出す。


 目の前で両手を開いたり閉じたりしてみる。動きに支障はない。


 撃たれた個所を確認する。どこにも傷はない。


 深呼吸する。これも何事もなかった。


(身体は……動く……)


 こうして五体満足でいられるのも、これが正常だと脳が誤認識しているためだ。

 

 アルファルドの目の前には鋼鉄のドアが立ちはだかっており、現在立っている位置からは扉の向こうで何が行われているのかを視認できない。


 その先へ行くか行くまいか悩んでいると、背後で誰かが走っている音が聴こえてきた。


「なんだ……?」


 振り向くと息を切らしながら走る白衣を身に着けた女性がいた。

 

 顎のあたりまで伸びた銀髪を揺らしながら扉を開いて進んでゆく。

 

 その際、彼女は彼の身体を文字通りすり抜けて奥の部屋へと向かった。過ぎ去った後にはギィッと扉が鳴って閉まるだけだった。


「あっ……」


 振り返りながらアルファルドは気づいた。あくまでも自分はこの状況を観測している立場に過ぎないということを。


 焦りながら先の部屋へ向かった女性が気になり、自身も扉を抜けて進んでいく。

 

 当然ながらドアは触れられず、やはり幽霊のようにすり抜けていくしかなかった。

 

 辿り着いた部屋に入ると、そこは裕福な家庭の子供部屋に似た空間があった。

 

 大きなテトラネテス文字があしらわれたカーペットや積み木などあらゆる幼児に対応した玩具や道具が所狭しに棚に置かれている。

 

 その部屋の奥で、無機質なベビーベッドで眠る柔らかなエメラルドグリーンの髪を持つ赤子がいた。

 

 生後数か月を過ぎたあたりだろうか。生まれたばかりの状態からは脱しており、ずんぐりとした身体と傷のない柔和な肌が見える。


 その近くに、先ほどの女性が息を整えながら傍に座った。


「アルファルド……」


 彼女から名を呼ばれ、アルファルドは絶句する。


「……」


 大切そうに声をかけているその赤子は、自分自身なのかもしれないという確信に必然的に近づいた。


 同時に自分が探していたルーツは本当にこれなのだろうかと疑う。


 ハレーはアルファルドのことを不良品だと揶揄していたが、その理由にはまだ至らない。


「あなたは生き延びるべき子よ。ここにいては殺されてしまう」


 女性はそう言いながら眠る赤子を抱きかかえると、息づく間もなく部屋を飛び出していた。


 先ほどよりも駆けるのは速く、走力強化の魔法を駆使していることを感じさせた。


 呆気にとられ、反応が遅れたアルファルドも後を追いかける。


 夢の中なのか足取りは面白いように軽く、彼女に追うのは難しくなかった。 


「はぁっ……はぁっ……」


 彼女は何処までも続く長い廊下を一気に駆け抜け、白い床の上をひた走る。

 

 向かった先は施設のシャトル型魔導機が置かれている真っ暗な発着場だった。

 

 彼女と抱えられた赤子以外に人の姿はない。


「《開錠オープン》!」

 

 タイミングよく発せられた声と共に自動ドアと付近に設置されていた操作盤が動く。

 

 呪文によって命じられた機器が順を追って起動し、発着場の屋根がひび割れるようにゆっくりと展開すると一面には天体の輝く空が見えた。

 

 建物自体がかなりの高さを誇るのか、女性は突風に巻き込まれて倒れそうになる。


 荒ぶる暴風よりも子を守る信念が勝り、発着場の一番奥にある白い卵型の魔導機に接近する。


「これは……?」


 遅れて発着場にたどり着いたアルファルドが周囲を見渡しながら女性の向かった先を注目する。


「大丈夫。もう少しで自由の身よ」


 人を人以外として扱う行為が倫理的な問題に発展する可能性もあるが、彼女にとって迷っている時間はない。


 女性よりも一回り大きいが非常に中は非常に狭く、乗り込めるのは子どもでも難しい。

 

 それもそのはず、人々が移動手段として用いるものではなく、植物や魔物を単独で乗せるための実験用の魔導機だった。

 

 指先で魔導機を起動させると、機体は隙間から青白い光を放った。


 正面のハッチを開き、赤子を全身を革製のベルトで固定すると、ここから離れたくないという想いを断ち切って機体を閉じた。


「『卵運たまごはこび』に命じる。この機体をイオの安全な場所に着地させて」

 

 発光するコンソールに向かって呼びかける。


『こちら『卵運』。命令を受諾しました。直ちに実行します』


 不愛想な男性の声で魔導機は応答した。


 魔石が組み込まれたエンジンの高い駆動音と同時に機体が一気に浮き上がる。

 

 我が子を見守るように上昇する機体を女性は見つめる。


 自らの内部に格納していた両翼を広げ、建造物の先の彼方へと飛び去った。


「これが、僕……?」


 アルファルドもまた離れた位置からその光景を見やったが、更に背後から人物が自動ドアを開けてやってきた。


「アンカよ」


 スタスタと早歩きでやってきたのは、短い茶髪と左目に眼帯を身に着けた中年の痩躯の男だった。


 服装はアンカと呼ばれた女性同様に白衣を着ている。


 見るからに彼女の上司だとアルファルドは考えたが、予想は恐ろしいほど的中した。


 突然の来訪者に驚くこともなく、寧ろ想定内の出来事だとアンカは睨んでいた。


明日みょうにちに殺すと言ったはずだ。逃がしたところで何になる?」


 アンカは眼帯の男から目を反らさず、狙撃手のような視線で射貫く。


「申し訳ありません。今まであなたの下で働けたことは光栄です。ですが、もう我慢の限界です」


 アンカは高額の報酬と充実した福利厚生を生活全般に受け、彼からの恩恵に浴している。一方で倫理的な問題の最適解を上司の一声で下されてしまうなど、独裁的な研究体制を許していた。


 赤子を生存させたい研究員と兵器になれない身体だからと切り捨てる上司。双方は真っ向から対立していた。


「不良品に人としての価値を付けようというのか?」


「アルファルドは魔力が不安定なだけの普通の子です。私が親であれば、あの子の成長を見守りたいというのが自然です」


 その赤子は既に此処を去った。すべてを引き換えにしてでもアンカが逃がしたかった命だった。


 彼女の言葉を遺言と解釈した眼帯の男は口の両端を吊り上げた。


 素早く懐から一丁の魔導銃を取り出し、殺意を抱いてアンカに向ける。


「今の私を撃っても意味はありません。あの子に懸けるだけです」


 勇ましい姿勢を崩さない彼女を見て、男は薄笑いを浮かべる。


「そうだな。ここまで来てお前を殺す意味はない。だが——」


 角張った指を伝い、冷酷な引き金が引かれた。


「——同時に生かす意味もない」


 銃声が一つ、発着場の屋根や壁に反響し、遠くに響いた音は煌びやかな星の海に沈んだ。


 銃丸じゅうがんは明らかにアンカの胸を撃ち抜き、白衣を染める深紅の花びらを散らせる。


 彼女の身体は重力に引き寄せられる形で仰向けに倒れた。

 

 誰も語る言葉を失くした間を読んだのか、煽るような風が止んだ。


「……」


 アルファルドは立ち尽くしたまま何もできなかった。もとよりこれは夢の中で、身を挺してアンカを守ったとしても弾はすり抜け、必ず彼女は死ぬ運命だった。


 満足する間もなく男は発着場の操作盤に近づき、飛翔した魔導機の目的地を探り当てようとするが、盤の画面全体が文字化けを起こしており、居場所を掴めない。


「撹乱魔法を幾重にも掛けるとは愚かなことを――」


 この魔法を解くには、仕掛けたアンカの宣言する呪文が不可欠だった。


 彼女が死んだ今、限られた場所と時間で赤子の居場所を突き止める方法はない。


 それでも、男は笑みを消すことはなかった。


「いずれにせよ今は時間がたてば確実に死ぬ。だが生き抜いた時には利用してやろう。わが望みのためにな……」


 空を見上げ、彼女を殺害したことを悔いることなく高々と笑うさまは荒ぶる鬼神に等しい。


「滑稽なものだ、孤独な者アルファルドよ! その名が示す通り、お前はどこへ行っても孤独だ!」


「……!?」


 演劇のような男の独り言にアルファルドは目をしばたいて愕然とした。


 今まで与えられた名前に今まで固執することがなかったが、その意味を顕示する状況に置かれている。


「差し伸べられた手は時を経て災いへと変わる! どんなに抗おうと施設ここに生まれた時点で無意味だ!」


 彼にとって孤独と言われる状態は絶えず存在したが、大抵は様々な人と幸運に支えられて生きてきた。


 たとえ魔力が不安定なことが原因で周囲から蔑まれようとも、師匠から与えられた装甲衣アーマーと信念を頼りにしてここまで過ごしてきた。


 気付けば独りではないという確信に変わるはずだった。それが、すべて意味の無い行為だというのか。


 自分が生きてきたことは、すべてこの男に見透かされていたというのか。


「さぁ、全力で足掻くがいい! 生きようが生きまいがこの運命からは逃れられん!」


 突き抜けるように天に叫ぶ男は傍から見れば狂った教祖のようにしか見えない。


 それを離れた位置から見ていたアルファルドはギッと奥歯を噛み締めた。


(名前……孤独……)


 自然と両手が握りこぶしを作り、怒りとも嘆きともいえない感情が頭の中を巡る。


 その時、豪華な舞台のように景色が暗転し、闇に包まれた空間が広がった。


 研究施設も発着場もアンカも眼帯の男もすべてが無に帰った。


 真っ黒な闇の海が躍動する津波となってアルファルドに襲い掛かる。

 

 突然の夢の濁流が彼の全身を乱暴に包み込み、意識という名の身体を溺れさせる。


 どうにか手足を動かそうと藻掻くが、浸水しきった服と一気に注がれた水が反乱を繰り広げる。


(僕は……まだ……)


 気づけばすべての酸素を闇によって吐き出され、自力で生還する手立ては立ち消えた。


 夢の中で命の灯が消えた。


 それは同時に現実へ戻る命の始まりでもあった。

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