第二十話 星の巡り合わせ

 イオからカリストに着いたリゲルは、落胆の色を隠せないでいた。

 

 それはどこまでも続く降雨の街で傘を忘れたことではない。

 

 身近な者の正体に触れてしまったことを痛切に後悔している。


 親友の青年が自分の属する組織の敵側から誕生した存在と知り、それが琴線に触れてしまう。


「どんな顔して話せばいいんだよ……」


 雨の中を行き交う人々を眺めながら、発着場の屋根の下で佇んでいた。


 雲に隠れて見えない星まで貫くように天を仰ぐ。


「なぁ、ステラ様。どうしてオレとアイツは巡り会ってしまったんだ?」


 聖職者は力なく呟いた。


 宙に浮かんだその問いに、空は答えてなどくれない。


 雲の先にある星々が正解をくれるはずなどない。


「答えが欲しいよ、まったく……」


 事実を知ってしまったリゲルはアルファルドにそれを打ち明けるべきか悩んでいた。


 告げることによって今までの関係は崩壊の一途を辿るのではないかと逡巡(しゅんじゅん)する。


 両手の拳を握ったまま、動けないでいた。


 雨にうたれていないはずの身体が驚くほど冷ややかだった。


 何処からか漂う水の匂いが、一向に前へ向けない思考を支配する。


 その躊躇いから救ったのは、不意に鳴った魔力通信機リンカーの着信音だった。


「スイちゃん……?」


 ホログラムに表示された相手の名がアルファルドではないというだけで不思議と安心感を覚える。


 右手で端末を開き、たどたどしく応答を始める。


「こちら『暁光』。どうしたんだ——」


『こちら『暗夜』! リゲルさん、すぐに来てください! アル師匠が大変なんです!』


「え――?」


 突然の親友の危機に思わず面食らってしまう。


『呪いにかかっていて、それを解くにはリゲルさんの力が必要で……その……』


 通話を続けながら発信位置を特定する。彼の自宅で間違いないようだ。


 今しがた懸念していたアルファルドの状態を聞き、何も持たない左手が拳を作る。


『——さん! リゲルさん! あの、聞こえていますか?』


 彼女の声が、呪われた彼を救うという聖職者の使命感に駆られていく。


 両目を閉じ、数秒という短くも長い時間をかけ、目を開いて答えを導き出した。


「今から行く! 待ってろ!」


 通信を終え、キャソックが濡れることもお構いなしに、水溜まりだらけの道をバシャバシャと激走する。


「あの時の借りを返してやるからな……!!」


 天から見守る聖女へ応えるように、街中を駆け抜けた。


 身体強化も併用しながらの全力疾走が功を奏したのか、彼の家に着くまでそう時間は掛からなかった。


 雨に濡れた衣服も気にせずに玄関で呼吸を整えていると、リゲルの姿を窓から確認していたのか、スイがすぐにドアを開けてくれた。


「だ、大丈夫ですか?」


 呼吸が荒い聖職者の姿を見た彼女は、急いで彼を中へ招き入れた。


 リゲルはふらつきながらもゆっくりと家屋へ入る。


「ああ、問題ねぇ。それよりもアルの事だ。案内してくれ」


「はい……」


 髪から雨水が滴り落ちているが、それを気にも留めず呪われたアルファルドの眠る部屋へ急いだ。


「どうですか?」


 スイが見守る中、呪縛にとらわれた者の衣服の隙間から見える紋章を一目見る。


「——両腕、両脚、腹に『鈍重』と『催眠』の複合呪縛。胸のものは……複雑すぎてわからねぇな」


 何らかの目的で親友の動きを食い止めていることは理解できる。しかし、それが何の目的なのかまでは突き止められない。


「オレの力なら、胸以外なら呪いは解けるってところだ」


「お願いします」


「できるだけのことはやってやるさ」


 リゲルは早速両手を前に伸ばして詠唱を始めた。


「《解け呪禁、壊せ縛錠、闇を無に還す果てなき光よ、今――》」


 両手の間へ無機的な光が収束され、解放する直前までに至る。


「《呪紋崩壊コラプス・ザ・パターン》」


 まばゆい光が薄暗い部屋を反射し、真昼の明るさを一時的に取り戻す。


 数多の光球がアルファルドに刻まれた紋様を包み込み、黒い粒子へと分解してゆく。


 すぅっと紋様が徐々に薄くなり、心なしかアルファルドの表情まで和らいだ気がした。


 部屋が光を失う頃には大部分の呪縛が消え、粒子は部屋の中で霧散した。


「これで起きてくれるはずだ。ただ残った呪縛の作用が何なのかはアルに聞かないとわからねぇ。あと、代金として風魔石をもらうぞ」


「は、はい」


 しばらく濡れた身体と服を風魔石の変換魔法による温風で瞬間的に乾かし、未だ眠り続けるアルファルドを部屋着の格好に変える。


 二脚の椅子を持ち寄って彼が起きるのを待っていると、沈黙に耐えかねたリゲルが口を開いた。


「なぁ、スイちゃん」


「——なんですか?」


「一番近くにいた親友が造られた化け物だって知ったらどうする?」


「それは……ちょっと前にわたしも知りました。わたしも、その一人です」


「そうなのか!? なんか、すまん……」


 思わぬカミングアウトに驚きと自責の念が込み上がった。


「いえ、無理はないです。そういう風に造られたんだと思います。人の中に馴染むように、人外だとわからないように、そういう目的でわたしたちがいるんです」


 スイは俯き、独り言のように呟く。


「……」


「あっ、大丈夫ですよ!? 国を侵略しようとかそういった意図はありませんから!」


 黙り込んだリゲルによって空気が変わるのを察したスイが慌ててフォローする。


「いや、それは解ってる。けど……」


「けど?」


「このことは、アルには黙っておいた方がいいんじゃねぇかと思っていてな」


「それは、どうしてですか?」


 リゲルは踏ん切りがつかない様子で悩んでいた。


「いや、長い付き合いだからどうにでもなるってことは分かってんだ。ただ、万が一を考えるとちょっと怖くてな……」


 自身を落ち着かせるように膝の上で両手を組んだ。


 教会は彼らを計画から誕生した被害者だと解釈している。


 もしもその解釈が覆ったとしら、その時は親友と対角線に位置しなければならない。それを最も恐れているのだ。


「リゲルさんは、大切に思ってくれているんですね」


「当たり前だ。親友だからな」


「でも、どうしてそこまで尽くしてくれるんですか?」


「長い話になるぞ?」


「今のうちに聞いておきたいんです。この先、わたしがどうなっているかわかりませんから……」


「わかった。とりあえず話すぜ」


 鮮明に覚えている記憶の一端を思い返す。


「学校の社会学習に外へ出ていて、クラス全員で魔導機の工場見学に行った時だ」


 リゲルが忘れもしない中学部に入学して数か月が経過したころの出来事だ。


「オレが施設内で迷子になった途端に爆発と火災が起きた。しかも非常口も炎に包まれてどこも逃げられない状態だった」


「じゃあ今、リゲルさんが生きているってことは……」


装甲衣アーマーを着たアルが窓をぶち割りながらオレの所にやってきた。それで阿呆アホみたいな力でぶん投げられて脱出したってところだ」

 スイは呆然としており、リゲルの言葉が濾過ろかされることなく通り過ぎていく。


「アル師匠、無茶苦茶じゃないですか……」


「まぁ先生にひどく怒られた。特にアルは単独行動したことと、火の中に跳び込んでオレを助け出したことで二重にな」


「当たり前ですよ。そこで死んだら今のわたしはいなかったかもしれませんし……」


 彼女の言う通り、下手をすれば共に命を地獄へ持っていかれるところだった。


「でも、どうしてアル師匠はリゲルさんを助けに?」


「一度だけ、オレはアルを救った。それがすべてだ」


 神妙な面持ちでリゲルは事の発端を告げる。


「中学部に入学したての頃のアイツは、魔力をほとんど持っていないことからいじめられていた。それをたまたま見ていたオレが助けたんだ。その時に礼は貰わなかったが、ずっと借りとして持っていたんだろうな」


「——義理堅いですね」


「で、火災事故で借りを返した。そして今度はオレが長年の借りを返す番だと思ってここに来たんだが……」


 大半の呪いが解けたとはいえ、肝心のアルファルドは意識を取り戻せずにいる。


「……そろそろ起きてもいいだろ? なぁ、アル?」


 リゲルが嘆息した瞬間、僅かながら変化が起きた。


 アルファルドがピクッと両手を震わせていたのだ。


「アル師匠?」


「うぅっ……」


 悪夢の中を彷徨っているのか、額に玉のような汗をかき、瞳を強く瞑り、歯を食いしばって呻くようになる。


 呼吸も速く、吐く息の量も大幅に増えている。


「様子がおかしいですよ? 呪いは解けたんじゃ……」


 聖職者として多くの呪いを解いてきたリゲルは冷静だった。


「うなされているだけだ。この調子ならまもなく起きる」


 とは言うものの、呪いを解かれた本人は如何にも苦しそうだ。


「コーヒーを取ってくる。アイツが起きたあとに落ち着かせるならそれが一番だ」


 リゲルは真っ先にキッチンへ赴いた。やはり付き合いが長く、アルファルドに何が効くのかを熟知している。


 師弟二人きりの状況でスイはできることを考えた。


 熟考したのち、以前読んだ本に記されていた方法を試す時が来た。


「失礼します……」


 気休めにしかならないと考えたが、スイはアルファルドと手を繋いだ。


 あどけなさの残る顔とは裏腹にごつごつと骨の張ったアルファルド手を、スイの両手が握りしめる。


「こうすると苦しみが和らぐはずです。ですから、恐れずに起きてください」


 彼女の声が師に届いていること信じ、手をつなぎ続けた。


 そしてアルファルドは永遠に続くと思われた一瞬の悪夢から、今にも抜け出そうとしていた。

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