第三章
第十九話 禁忌の呪縛
夕方、家の自室にいたスイにフォーマルハウトからの着信が響いた。
『こちら『
「こ、こちら『暗夜』、フォーさんどうされたんですか?」
『今は説明が惜しいんだ! とにかく開けてくれ!』
スイの
「わ、わかりました!」
すぐに通信を切り、二階から慌てて階段を駆け下りて玄関へ向かう。
するとドアを開けた先にはキャスケットを被ったフォーマルハウトと、肩を担がれているアルファルドの姿が目の前に映った。
「アル師匠!?」
彼女から見たアルファルドは身に着けた衣服がボロボロになり、傷だらけの変わり果てた姿で両目を閉じている。
スイは愕然とした。
ここまで無残にやられた師匠を一度も見たことなどなかったからだ。
「安心して。回復魔法は施してある。彼の部屋はどこだい?」
「……一階の奥です」
フォーマルハウトがずるずるとアルファルドを部屋に運び込んでそっとベッドに寝かせると「杖を取ってくる」と言って、一度部屋を後にした。
一連の動きを見ていたスイは状況がつかめず呆然としていた。
長杖を取って戻ってきたフォーマルハウトが手招きをする。
「君も部屋に入って。最後の処置を終えたら話がある」
フォーマルハウトに連れていかれる形で部屋に入ると、杖を手にした彼がアルファルドに向かって詠唱を始めた。
「《
これまで聞いたことのない言葉の数々にスイは戸惑いを隠せない。
意識を集中したフォーマルハウトは立て続けに呪文を唱えた。
「《
アルファルドの周囲に穏やかな風の渦が起こり、壁にピンでとめられたメモ用紙や窓枠のカーテンがなびく。
心なしか、スイの方にまで不安な精神が浄化されていくような錯覚を生んだ。しかし、本当にそれは錯覚だけだった。
詠唱と呪文を実行したのにも関わらず、アルファルドには何も起こらかなったのだ。
「俺では無理か……」
フォーマルハウトの杖を握る手に力が無くなった。
「どういうことですか?」
「アルファルド君は強力な
「呪縛弾……?」
聞きなれない言葉にスイは疑問符を乗せた。
「ああ。傷自体は内出血で収まっているけど、身体の至る所に呪いの紋様が見える」
視線を移した彼と同様にスイがアルファルドを一瞥すると、破れた服の隙間から人間の瞳に似たタトゥーのような黒い模様が撃たれた箇所にはっきりと浮かび上がっていた。
「呪縛弾はごく最近にできた最新式の銃弾だ。魔物を殺すのではなく、封印や使役するための手段として作られた。それを人に向けるなんて、相手はむごいことをする……」
「そんな……」
スイは悲愴感を抱いていた。
他者に向かって呪縛弾を撃つという行為は対象者を奴隷に仕立て上げることに近い。
現状では奴隷制度を禁止しているホロスでは許されざる罪に当たる。
「呪縛の構造が複雑で、一体どんな呪いに
「どうしたらアル師匠を助けられますか?」
「彼を救うには光を司る聖職者の力が必要だ。俺の魔法や今の医療では、どうやっても解くことができない」
フォーマルハウトの言葉を聞いたスイは一つ頷いた。
「その人は……います。きっと助けてくれると思います」
スイの脳裏に浮かんだ一人の聖職者。
昔からアルファルドの事をよく知る者。
彼なら、意識の戻らない師匠を復帰させることができるかもしれない。
「なら、その人に頼むといい。俺はギルドに報告してくる。彼が起きたらよろしく伝えておいてくれ」
「——わかりました」
俯くスイの表情は不安げだが、それを見たフォーマルハウトは助言した。
「彼はここで終わる
鋭い眼差しのままニッと笑みを浮かべ「じゃあな」と言って彼は部屋を去った。
扉が閉まると、今まであった会話の消えた空間が完成した。
人が二人いるはずの部屋なのに、ポツンと一人で取り残されたような感覚に陥る。
どうすることもできない無力な自分を責めたくなった。
それでも悠長に悩んでいる暇はない。
「急いで知らせないと……」
スイが
「予定通りね」
――少し目線を変えた先に予想外の来客がいた。
「び、ビエラさん!?」
スイの身体が少し跳ね、瞳が収縮する。
「名前、憶えていてくれて嬉しいわ」
何の足音もせずに施錠されていたはずのドアをどうやって通過したのかはわからない。
ただ言えることは、先ほど滞在していたフォーマルハウトが変装の魔法を使っているのではないということだ。
たとえ性別や顔、身長を変えたところで、個人に流れる魔力を観察すれば見破られてしまう。それだけ他人に成りすますことは不可能に近い。
「気になるでしょう? 私がどうしてこの場にいるのかって」
「それは、わたしに関係することですか?」
スイはアルファルドを庇うように前に出て、彼に危害を加えるのではないかと警戒している。
「そうね。貴女が一番知っておくべきことよ。あと戦ったりしないから安心して」
それを聞き、いったん警戒心を解いた。
「あなたは、わたしの何を知っているんですか……?」
恐る恐る、スイはビエラに問う。
「これから貴女——いえ、貴女たちの正体を教えてあげる」
「わたしたちの……正体……」
スイは覚めない眠りを続ける師匠を見やった。
共に日常を過ごしていながら今まで明らかにならなかった二人の出自。
この時に確信していることは、ビエラが二人の知らない事実を突き止めている可能性があるということだけだ。
「どうして体内の魔力が不安定だと思う? どうして眼鏡を掛けていると思う? そして、どうして記憶が無いと思う?」
一部の者にしか知らない情報を掴んでいることに驚きを隠せなかったが、それ以上に思い当たる節が所々で散見された。
「そんなの、ただの偶然です。不安定なことも、視力が悪いことも、記憶がないことも――」
「偶然なんかじゃないわ」
ビエラは即座に否定した。
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「貴女は、聖女複製計画を知っているかしら? その計画自体が頓挫したことも」
この話はホロスの歴史の学んだ時にアルファルドから聞いたものだ。教科書にも載っている重要な出来事としても語られている。
「二百年以上前に終わったと聞いています。それと何の関係が?」
「実はね、計画は今も続いているの。終わってなんかいないわ」
「——どういうことですか?」
「続いていることの確たる証拠が、貴女たちなの」
少しの間を置いて、言葉が紡がれる。
「貴女と彼は聖女複製計画における失敗作。つまり、造られた人外よ」
「えっ……」
予想だにしなかった事実にスイはうまく状況が呑み込めないままでいる。
「成熟するには足らない者たちを幾つも生み出したのは事実。でも、稀に能力の欠けた人間を誕生させることがあったの。それが貴女と彼なの」
「わたしたちが……人外……」
ビエラから語られ始めた事実にそれを返すのがやっとだった。
「失敗作は生まれつき魔力が不安定なことに加えて、成長するにつれて視力が低下することがあるの。それに該当したのは貴女だけのようね」
失敗作ということになれば、計画上生かしておく価値は皆無に等しい。
いつ殺されても何らおかしくはない状態だった。
「それなら、どうしてわたしたちを生かそうと……」
「私は当事者ではないから詳しくは知らないけど、造り続けていくうちに情けが出て逃がした可能性はあるわ。貴女のその様子だと、連れ出す前に記憶は消されたようね」
「わたしの……記憶……」
アルファルドに救われて以来、気づかないふりをしていた自分の過去。
先天性魔力不全症候群。低下した視力。失われた記憶。
そのどれもが聖女複製計画における人体創造の代償だった。
「どうしたら……どうしたら、いいんですか……」
今まで出会ってきた人たち、そして付き添ってくれた人にどんな顔をして接したらいいのだろうか。
正体の判明した今、うっすら涙を浮かべるスイの呼吸は浅く、心拍が加速して今にもパニックを起こしそうにしていた。
それを感じ取ったビエラがスイの肩に触れ、助言を加える。
相手がこの状態ではまともに聞き入れることすら困難だと判断したからだ。
「落ち着いて。意識を呼吸に集中してゆっくり深呼吸しなさい」
スイは混乱の最中、彼女に言われるがままに深く呼吸を続ける。
「すぅー……はぁー……すぅー……はぁー……」
肺の中に大量の空気が入り、新鮮な酸素を脳に運んでゆく。
痺れを持った全身がゆっくりと錯乱を手放していた。
「はぁ……」
次第に呼吸と心音が落ち着きを見せ、ようやく胸をなでおろした。
「大丈夫?」
「はい。大丈夫、です」
ビエラの表情は読めないが、表に出る仮面がスイの味方であることを示す象徴にも見えた。
「ここから先は貴女が判断しなさい。真実を探すことも、秘密を守るようにこの場から去ることもできるわ」
「……」
「そこで提案なのだけれど、三日後にガニメデに来てほしいの。そこに、貴女の探している記憶が見つかるかもしれないわね」
「わたしの記憶……」
紛れもなく喉から手が出るほど欲しい情報だった。
ハンターとしての研鑽を積んでいく際に頭の端に置いておいた記憶のこと。
ようやく手に届くところまでの道筋ができ始めていた。
「私が言えることはここまでよ。あとは貴女次第ね」
ベッドの先に見える、雲行きの怪しい窓の外を見つめるビエラは何を思うのか、スイにはわからないままだった。
「じゃあね。またお会いしましょう」
そう言うとビエラの全身が徐々に光となって輝いた。
光が一気に粒子へ変換されると、煌めきながら窓の隙間へ向かって風のように去っていった。
「……」
悪い夢でも見ていたのかもしれない。そう現実から目を反らすことは容易い。
それでも現にビエラは告げた。ガニメデに行くことでしか真実は分からない、と。
「リゲルさんに連絡しないと……!」
今はアルファルドを救うという使命感に駆られながら、その先を悩ましく考えるスイだった。
外でポツポツと地面に点を打っていた雨粒が、一気に本降りとなってカリストに襲い掛かった。
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