第十七話 聖女複製計画
真昼のイオ。
リゲルは仮面の者たちの情報を得るべく、巨大な礼拝堂の地下の書庫を訪れていた。
普段は地方で活動する一神父が神聖なる書物を閲覧することを上層部が認めないのだが、寛容な大司教猊下が現在の状況を鑑みた結果、特別に許可が下りた。
「ここか」
地下の階段を下って入口を通ると、自動的に人を感知してパチッと照明が灯される。
すると人間が数千人入っても十分余裕のある空間に、数多の本棚と書物が弁当のようにぎっしりと詰め込まれていた。
「壮観、だな」
地下空間ということもあって内部の気温は低く、白い息を吐くまでとはいかないものの、キャソックを着ていても肌寒い。
「番号は……よし、ここで合っているな」
専任の司書から渡された紙のメモを頼りに内部を進んでゆく。
空間に響くのは無機質なコツコツという靴の足音だけだ。
「当たりだ」
しばらく数冊の本を閲覧していると何かを見つけたようにピタリと読む手を止めた。
——聖女複製計画。
この記載が載っている書物を収集し情報をかき集めると、書庫を脱して人気のない場所へ向かい、
「こちら『暁光』。『遠雷』に繋ぐ。聖女複製計画の詳細が分かったぞ」
『こちら『遠雷』。どんな感じだ?』
「まず事の始まりについてだ。時期は四星暦二六二年。意図的な災害を起こすためにステラ様を復活させようとした熱狂的な信者が暴走して世間の表に出たってところだ」
「ここまでは僕たちが学校で習った内容と同じだな」
更にリゲルの手に取った本に書かれていた文章には次のように記されていた。
「詳細はここからだ。一年前の四星暦二六一年。当時『シャウラ』って司祭が『始まりの終わり《リバース・ピリオド》』という組織を作って、各分野の学者たちを集めてステラ様を作らせるように指示をした」
『今じゃ考えられないほど狂っているようにも見えるな』
大衆が崇める偶像をこの世に出現させようとするのだ。とても安易なことではない。
「逃さまいと軟禁から法外な高額報酬までありとあらゆる手段を講じていたようだぜ」
『それで計画は失敗したんだな?』
「そうだな。どうにか人間らしきものは作れたらしいが、奇形児ばかりができてしまっていたと、そう記されていた」
現物を見ていない分、想像するだけでも異質で不気味な景色が広がりそうである。
「シャウラは人体の創造という禁忌を犯したことが大罪であるとみなされて、教会内の裁判によって判決は死刑。その数日後に執行された」
ステラ教の聖典には空から見守る聖女の下で人は誕生し、その者たちが更に人を産む。
『産む』のではなく『造る』のは、この世界の節理の真逆を行く行為であり、許されざる罪だと教会はみなしている。
「だが、これに関する事件は終わっていねぇ。四星暦二六三年。今度は差別によって女性が殺害されまくった」
『それが計画とどうつながっていたんだ?』
「計画が成功して偽の聖女様が出現したって噂が国中に広がって、何の関係もない金色の瞳を持つ女性が殺された」
『そんな根も葉もないことを誰が言ったんだ……』
「わかっちゃいないが、人々の持つ恐れがそうさせてしまったんだろうな。殺害を実行した信者および市民は教会がすべて把握して処分した」
ホロス国内のデマの情報拡散と比べると、その悪意は異常だ。根底から滅ぼさんとする姿勢が増幅されて悲惨な事件を生んだように思える。
「オレが調べたものでは以上って形だ」
『なるほど……とにかく情報ありがとな、リゲル』
「おうっ」
リゲルは通信を切ると、先ほどの書物で描かれていたシャウラという男の顔を思い出していた。
「これがあの野郎の狙いか……」
複製計画を指示したと言われている人物の瞳は、リゲルと同じ翡翠色に輝いていた。
自分を狙っていたのはそこに関連しているのではと睨む。
「もう少し調べてみる必要があるな」
踵を変え、書庫に戻っては計画に関わりそうな内容を更に抜き出していくと、本を持っていた両手が突如として震えた。
「これは……アルが……?」
リゲルは驚きのあまり目が点になり、本を落としかける。
教会の中に進む時間の流れが静かに狂い出していた。
*
時間も季節もわからない広く白い空間にハレーはいた。
目の前には報告を伝えなければいけない主が玉座に座っていた。
何度この空間に支配され続けてきただろうか。
不思議と抵抗する気にはならず、二本の足を折って跪いた。
「ハレー。その後の様子はどうだ?」
「はい。スイがアルファルドの指導によってハンターとしての役割を次々とこなしています」
「おお。進んでいるな。わしの身体も早く戻りそうだ」
喜ばしいことなのだろうと、主は白い歯を輝かせている。
「想定以上のスピードです。二人を生け捕りにしますか? 今からでも私の力なら可能です」
ハレーの提案に対し、主は首を横に振った。
「いや、向こうを誘うのだ」
「こちらへと呼ぶのですか?」
ハレーにとって意外な答えが返ってきた。思わず主の顔を見上げる。
「わしの眼前でやつに絶望をじっくりと見せてやろうと思っておる」
主は嬉しそうに口元で笑みを作る。
「力を奪っていく光景を目に焼き付けたいのだ」
ハレーからしてみれば、徹底的に他者から希望を奪っていくという姿勢を貫く、主らしい理由だった。
「承知しました。二人を誘い込みます」
了承すると最後に主は付け加えるように述べた。
「まもなく美味なる果実の収穫がやってくる。心しておけ」
「はっ」
ハレーは立ち上がって背を向け、無に隣接するこの空間を去った。
すると扉をくぐった先の白いトンネルでビエラと行き違おうとしている。
彼女は同じ仮面を付けているが比較的背が低く小柄で、エンケとの違いは一目瞭然だった。
ビエラもまた、主への定期的な報告を行う途中だったのだろう。
「このまま従うの?」
おちょくるわけでもなければ敵対するわけでもない、はっきりとしない態度で疑問を投げかけられた。
「どういう意味だ?」
「主様のおかげで私たちがこうして生きられているのは分かるわ。でも、本当にそれでいいと思う?」
「君にはわかるまい」
救いの手を差し伸べてくれた自分の主を疑い、裏切ることなどできない。
しかしビエラは、ハレーに対して随分な期待を寄せていた。
「私はね、貴方を信じているわ」
「もう一度聞く。どういう意味だ?」
この世の法則を無視するような言葉に理解が追いつかない。
「真実に気付きなさい。ずっと目を背けていても無駄よ」
そう言い残したビエラはハレーの背後にある扉を開き、主への定期報告へ向かうべく部屋に入った。
見送ったハレーは顔の向きを正面に戻したと思えば、やや角度を下げて俯いた。
ハレーの思考には部屋の中ではなかった苛立ちが募っていた。その証拠にわなわなと両腕が震えている。
「裏切れば、その先は死が待っているだろうに……」
その独白は反響し、虚無に消えるばかりだった。
*
夕方、カリストにそびえる山の頂でアルファルドがフォーマルハウトと連絡を取っていた。
『——では闇魔石の取り分については俺が七割、君が三割で問題ないね?』
「はい。それで問題ないです」
今回の依頼では、ホロスでも確保できる量が少ない貴重な魔石を二人で回収するというものだ。
成功すればそれなりの高額報酬のため、アルファルドにも気合が入る。
『
「いえ、フォーさんの実力を加味すればこのくらいがぴったりだと思いましたので」
アルファルドが愛称で呼ぶフォーマルハウトのハンターランクはA-6。これ以上はないと言っていいほどの心強いハンターだ。
『そうか。それじゃあお言葉に甘えさせてもらうよ』
「改めて、今日はよろしくお願いします」
『ああ。成果が出るといいね。じゃあ』
通信を終えると、アルファルドは端末をポケットにしまい、ストレッチのように全身を伸ばし始めた。
力を付けてきたスイに師として追い抜かれないようにと、自身の実績も着実に積み重ねてきた。
現在のハンターランクはリゲルと並んでD-1に上昇し、間もなく一つ上のCランクに手が届きそうである。
「そろそろ来るかな」
フォーマルハウトの合流を待っていると、突如として
『流星を確認。周辺を警戒してください』
「誤報か……?」
見上げても、そこには青と橙が工芸品の模様のように混ざり合う空しかない。
「また会ったな、ハンターよ。いや、アルファルド」
「うおっ!?」
声の聞こえた正面に顔を戻すと、
何の拍子もなく立っていた男にアルファルドはビクッと全身を
「お前は先月の……というかなぜ僕の名前を知っている?」
「申し遅れたが、名前はハレーだ。質問には答えない」
最初に出会った時と同じように奇妙な返答のリズムを保ったままだ。
「何しに来た? また警告か?」
「そうだ。依頼を放棄しろと言ったはずだ」
語気は強いが、初めて出くわした時と何ら変わりはない口調だった。
「申し訳ないけどあの時の依頼は達成した。僕も彼女も狂わされることなんてない」
そう言いながらもアルファルドを取り巻く環境は刻々と変化を続けていた。
今まで敵意のないはずのハレーから暴力的な、あるいは明確な殺意が仮面の中から溢れているように見えたのだ。
「狂うのはこれからだ」
一瞬にしてハレーの右手に握られた得物を見た瞬間、すべてを悟った。
「《
咄嗟に
直後、アルファルドの背後にしっかりと立っていた樹木が落雷を受けたようにぱっくりと縦に割れ、中身が大きく露出している。
銃口からの硝煙と共に向けられた、夕陽をギラギラと反射させる銀色の大型リボルバー。
対魔物戦の切り札とも言われる魔導銃が、ハレーの右手に身をやつしていた。
「『命の器』の隣にいるに相応しい者かどうか、見極めてやろう」
「くっ……!」
魔物を確殺する武器を他者に向けている者ほど、対処しなければ無関係な人物まで殺される危険性が高まる。
逃げ癖のあるアルファルドですら、この場から立ち去るという選択肢を消していた。
避けられない戦いを、受け入れるしかなかった。
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