第十六話 束の間の平穏と孤独な試験

 カリストの夜。

 

 約束通りアルファルドとリゲルは街の大衆酒場で待ち合わせて席に座り、テーブルの上の注文した料理を飢えた狼のように眺めていた。

 

 飲酒できる年齢に達していないにも関わらず、わざわざ酒場を選んだ理由としては「雰囲気だけでも酔いたい」というリゲルの強い要望により決まったものだ。


「乾杯!!」「乾杯」


 リゲルは元気よく、アルファルドは控えめに炭酸水の入ったグラスをぶつけ合うと、二人はそれを飲み合った。


「ぷはーっ! 酒場で飲む強炭酸はうめぇ!」


 炭酸水がこぼれた口を袖で拭う聖職者は傍から見ればただの中年を迎えた酒飲みのようにも見える。


「行儀が悪いぞ」


「ここじゃお前が礼儀正しすぎるんだよ。こういうぐらい思いっきり羽を伸ばさなきゃ、オレが駄目になる」


「既に駄目になっていると思うけどな」


 周囲を見れば、腕っぷしに自信のありそうな高ランクのハンターたちが各テーブルでどんちゃん騒ぎを繰り返している。


 店内は軽快なリズムの金管楽器が混ざったジャズが響き渡り、わいわいとした雰囲気を加速させている。


 この日は週末ということもあってかいつも以上に繁盛している様子がうかがえる。


 早速一杯を飲み干し、どんっ、と勢いよくグラスを置いたリゲルが話題を切り出した。


「そういや、アレを聞いていなかったな。お前とスイちゃんとの馴れ初め!」


「いや、馴れ初めって。僕たちは師弟関係だぞ?」


 そう言いつつアルファルドはグラスの半分ほど炭酸水を飲んだ。


「どこからそんな可愛い子を引っ張り出してきたか聞いておかねぇとな」


「こんな話をしたら君はきっと怒るぞ」


 散々ハンターギルドから非難を浴びたのだ。聖職者兼ハンターのリゲルであっても激怒するに違いない。


 しかし、彼にも確固たる信念があるのか、アルファルドに懺悔をさせることには一歩も譲らなかった。


「怒らねぇからさっさと話せ。これでも神父だ。今なら一杯おごりで済ませてやるから」


 リゲルは学生時代から何人ものクラスメイトの懺悔を聞いていた。


 アルファルドも何かに悩んでいると彼に問い詰められた挙句にすべてを洗いざらい告白する、といった具合でうまいこと吐き出されていた。


 幸いにも周囲はアルファルドたちのことなど気にせず騒ぐハンターたちに囲まれており、


「わかったよ。たっぷりと話してやる」


 アルファルドはスイと出会った経緯を端的に話し始めた。


 不可解な点の多い救助依頼を請け負ったこと、それを単身で飛び込んだこと。そして意識の薄れていたスイによって魔物の群れから救われたことをすべて話した。


阿呆アホ! そんな依頼を一人でやろうとするハンターがいるか!」


 見事に怒られた。それは一人の神父としてではなく、信頼する友としての怒りだった。


 アルファルドは膝の上に手を置いて大人しく叱られていた。


「おっしゃる通りで……というかリゲル、君は酔っているのか?」


「酔ってねぇし! つーか依頼ソレをやるんだったら真っ先にオレを呼べよ!!」


 いつにも増して声が大きくなっているが、本人は素面しらふである。無論、アルファルドもリゲルが酒の類を注文していないことはこの目で確認している。


「忙しそうだったんで、呼ぶに呼べなかったんだよ」


「ったく、スイちゃんに助けられるハンターとは情けねぇな。オレが鍛えなおしてやろうか?」


 そう言いつつリゲルは二杯目の炭酸水を飲み干した。


「昔にやっただろう。遠慮しておく」


 アルファルドはようやく一杯目を飲み終えたところだ。


「だいたい、お前は肝心なところで抜けているよな。突拍子もない事をしでかす。そんなんじゃいくら聖女様のご加護があっても命が足りないぞ?」


「だからこそ僕にはこの強運がある」


「自信持って言ってるんじゃねぇ。自分をもっと大切にしろ」


「わかってますよ、神父様」


「本当にわかってんのかぁ? こんにゃろ!」


 アルファルドはエメラルドグリーンの髪をわしゃわしゃとリゲルに弄られた。


 嫌がる様子はなく、寧ろこのやり取りは学生時代以来でいつになく新鮮だった。


「はははっ。懐かしい。久しぶりだな」

 

 髪の毛をぐしゃぐしゃにされたアルファルドは、笑いながら髪形を整える。


「なっ? オレに付き合って良かったろ?」


「まったくだ。ありがとう、リゲル」


 弟子の育成から自身の収入など色々と気づけは多忙な日々を送っていたアルファルドにとって、束の間の平穏がここにはあった。


 改めて信頼できる友がいるという大切さを身に染みて感じた気がした。


「いいってことよ」


 先ほどまで叱るように声を出していたリゲルも、気づけば笑顔を見せている。


 そして話題は同様のものが続いた。


「そういや、スイちゃんに実戦をやらせるみてぇだけど、どのくらいの早さで進めるつもりだ?」


「三日でCランクの魔物の単独討伐を成功させる」


 それを聞いたリゲルは思わず意外そうに瞳を大きくした。


「スパルタだな。オレですら五日かかったぞ」


「彼女の潜在能力を考えれば十分な時間だ。最近の修練場でのシミュレーションテストは常に一万点オーバーだ」

 

 シミュレーションテストは魔石から生成した実体の魔物と戦うというもので、正確に弱点を突いて倒せばそれだけ高いスコアを出せる訓練だ。


「見習いじゃなかったらCランクでもおかしくないスコアじゃねぇか!」


 スコアだけなら即戦力でもおかしくない実力を持つ弟子の実戦を先延ばしにしてきたことにリゲルは呆れる。


「ったく、お前の過保護もいいところだ。敢えてスイちゃんにシミュレーションばかりやらせていたのか?」


 リゲルは腕を組み、アルファルドを見ながら仏頂面になっている。


「——二人揃って組み手に熱中してしまって、それで遅くなった」


 頬を掻きながら言いにくそうにアルファルドが弁明した。


「そこで遊び心を発揮するなよ!」


 この後は酒場にも拘らずリゲルから有難い説教が次々と飛び出し、それは流星が綺麗に観測できる深夜まで続いた。

 


   *


 実戦を始めてから三日が経過したその日の朝。

 

 カリストに点在する整備されていない流木だらけの海岸が、無限の波音と溢れる空を余すことなく堪能できる。

 

 スイの傍らを務める者はいない。


 実戦の訓練を始めて以降、孤独な戦闘は初めてではないが、同時に慣れているというわけでもない。


 今日はハンターギルドなどの「依頼」ではなく、アルファルドからの「試験」という名目で一人赴いた。


 ――目的の魔物を倒し、良好な状態で戻ってくること。それだけを念頭に置いてきた。


 一か月前とは違う。戦う術を持たずに魔物から逃げていた自分とは遠くかけ離れていた。


「《装甲衣活動アーマー・アクティブ》」

 

 魔力通信機リンカーを取り出し、流星を観測するためのレーダーを開いた。

 

 立っている位置情報から複数の流星がカリストに飛来することが計算から予想されている。


「今回の星は……これだ……」


 レーダーに記載された情報によれば、推奨されるハンターランクはC-10相当。


 ハンター見習いが倒すのには難易度が高いと言われている難敵だ。


「よしっ――」

 

 呼吸を整え、空を見上げて撃ち落とす流星を今か今かと待っている。


 星空に一瞬の煌めきが起こった刹那――


「《重力発撃グラビティ・シュート》」


 ——空を掴むように右掌を突き出すと、無色透明な魔力が収束され、瞬く間に降り注ぐ流星に向かって突き進む。

 

 飛来するあらゆる魔物を落とす、地属性の上位魔法。

 

 空を舞う光は吸い込まれるようにスイの傍へと強引に引き寄せられ、砂地の地面へ隕石が落ちたような音と煙を包みながら直撃。


 立ち消えた煙の中から現れたのは全長が五メートルほどの宙を浮遊するクラゲだった。


「きゅおおおおおおっ」


 小動物に似た鳴き声を発しながら、突然撃ち落とされた怒りと共に数多の触手が伸び、濁流のごとくスイに襲い掛かる。


「すみませんがこれも試験の為です!」


 砂地に足を取られつつも、装甲衣アーマーで強化された思考と体躯を駆使して捌いていくが、毒を含んでいる触手に気を取られ、一向にクラゲの懐へ潜り込めない。


 スイの想定していた以上に隙がなく、見た目以上に素早い。

 

 修練場のシミュレーションやDランクの領域に踏み込んでいた時とも違う、一つ上のレベルの差に戸惑いを隠せない。


「どうすれば……」


 攻撃を逡巡している暇はない。


 この手の魔物の弱点は明確で、傘の中心にある赤いコアを破壊すること。


 問題は鬱陶しく入り乱れる触手の攻撃をいかに掻い潜って接近戦に持ち込めるかがカギだ。

 

 平行線の戦いの最中に一つ思案し、距離を取りつつ即座にイメージして呪文を唱える。


「《闇流発撃ダーク・ストリーム・シュート》」


 真っ向から小細工なしに撃った魔力の塊を大盾で防ぐようにクラゲの触手たちが魔力障壁を展開して受け止める。


 闇の力に触れた部分から障壁の分解が始まり、数秒間の発動が終わるころにはほぼすべての触手が溶けるように消失していた。


「きゅおお……」


 好機。


 触手が再生を始める前に一気に接近し、傘の真下へ潜り込んだ。

 

 素早いイメージから足先に魔力を充填し、右足を踏み込む。


 その動作は真上へまっすぐに狙いを定めたサマーソルトキック。


「はあああっ!!」


 渾身の蹴りは右足が傘の真ん中を見事に捉えて貫き、中心に存在した核(コア)が粉々に砕かれて消滅。


 クラゲは鳴き声の再生を止め、爆発でもしたかのように全身を四散させると、周囲に透き通った肉片が飛び散る。


(よしっ――!)


 心の中でガッツポーズを決め、そのまま空中で姿勢を整えて両足で着地した。


 試験はクリア目前。きっと胸を張って帰れる。


 しかし、身体は良好のままでは終わらなかった。


「痛っ……!」


 文字通り地に足がついた直後、右手が異変を感知し激痛が走る。


 気づいた時には手の甲に毒とミミズ腫れを貰っていた。


 接近した際に残った触手から受傷してしまったらしい。


「つうっ……」


 毒が周り始めているという事実に頭の中が焦燥し、心拍が激増する。


「ふぅーっ……はぁーっ……」


 それでも正常な左手で水魔石を取り出すと、額から汗を出しながらも深呼吸で落ち着かせて呪文を唱える。


「《回復水変換コンバート・アクア・ヒール》」


 朝陽で水色に反射する石が命を繋ぐ水へと溶け、患部へ浸透する。


 傷口に沁みる余り多少の呻き声が出たものの、大事には至らずに済んだ。


 心臓の鼓動はしばらくして元のリズムを取り戻し波の音を聴く余裕を生む。


 かくしてアルファルドからの試験は終わりを迎え、報告のための帰路に就いた。


「これで、皆さんに近づけた、かな……?」


 必死に周囲の背中を追い、強さを渇望する少女の独り言だった。

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