第十五話 遥か先へ

 午後のカリスト。


 スイを待っていたアルファルドが、発着場併設のカフェテリアで時間を過ごしていた。


「師匠からだ——」


 相手は久しく連絡を入れていなかったハダルだ。



 周囲に通話を聞かれぬように立体コンソールを操作して魔力通信機リンカーを念話モードに切り替える。機器を介して脳内に信号を送ることで、会話を聞かれることなく通話が可能となる。


『『飛電』だ。『遠雷』に繋ぐ。アルファルド、聞こえるか?』


『こちら『遠雷』。お久しぶりです、師匠』


『その後の様子はどうだ? 元気にやっているか?』


『意外と大変で、途中で逃げたくもなりました』


『はははっ。お前らしい答えだな』


『笑わないでください。しかもホロスで不穏なことが起きるかもしれませんし』


 それを聞いたホログラムのハダルは、少しだけ様相が変わった。


『仮面を付けた者のことか?』


『やはりご存じでしたか』


 依頼で遠出をしているハダルの耳にも入っていたようだ。


『私が臨時で入った徒党パーティでも噂は広まっている。念のため用心しておけ』


『そのつもりですが、師匠はどこまで仮面の人物を知ってらっしゃるんですか?』

 

 ハダルは悩むように唸った。


『まだ情報が掴めんのだ。ステラ教の信者と接点があるとしかわかっていない』


『それはリゲルが教えてくれました。どうやら信者たちを殺して回っていることは事実のようです』


『ほほう、あの小僧もよくやるな』


『先ほど戦っていたらしいです。返り討ちにしたようですが』


『はははっ、それは凄いな』


 通話の先でハダルは豪快に笑い飛ばしている。


『感心している場合じゃないですよ……僕も一度遭遇しましたが、殺意は見られませんでした』


『お前と小僧とでは性格が違うらしいな。できるだけ気を付けなさい。それと、スイの育成はどうなっている?』


『基本的な生活魔法と、得意な攻撃魔法を修練場で使いこなせるほどにはなりました』


 ここ最近のスイの成長は目覚ましい。


 以前は当てられなかった練習用の標的に連続して攻撃魔法を当てられるようになり、実生活でも進んで魔法を絡めるようになった。


 傍で指導を行うアルファルドにとって、何よりも代えがたい感動がそこにはあった。


『そうか。いい進み具合だな。実戦経験はどうだ?』


『それはこれからですね。まだ早いと思います』


 その答えを聞いたハダルは真剣な声色でアルファルドに話し始めた。


『アルファルド。一つ忠告しておく』


『何ですか?』


『この先は世界のありとあらゆるものが不安定になりかねん。今の遥か先を見て弟子を育てろ。いいな?』


 久々にハダルの声から「いいな?」という言葉が出てきた。口調としては聖人のように優しく紡ぐが、アルファルドはそれを聞くと背けない絶対の命令として身体に沁み込んでいる。


『は、はい……』


『私からは以上だ』


 ハダルの口調が嘘のように元に戻った。


 重要な話が終わり、アルファルドは思いついたように話題を変える。


『ところで師匠。今はどちらにいるんですか?』


『ガニメデだ』


 ホロスの北に位置する都市ガニメデ。


 山間に作られた街で、ロープウェイで山の頂上から見る夜の街並みは宝石の海ようにキラキラと煌めいて見え、地元の観光スポットとして知られている。


『随分と遠くにいるんですね。生活は大丈夫ですか?』


『なぁに、今のところはうまくやっている。お前もスイの育成に集中しろ』


『わかりました。お身体に気を付けて依頼を続けてください』


『お前もな。たった一人の弟子だ。私の指導を無駄にするんじゃないぞ?』


『こういう時だけ弟子扱いするんですね……』


 常々都合よくアルファルドはハダルに振り回されていた。


『腐ってもお前は私の弟子だ。そこだけは忘れるな』


『わかってますよ。ご連絡ありがとうございました』


『ああ。またな』


 念話を終え、魔力通信機リンカーをポケットにしまった。


 ハダルと話しているうちにスイが到着する時刻が近づいてきた。


「行くか——」


 レジにいたウェイターに紙幣と硬貨を渡してアルファルドは店を去った。


   *


「アル師匠!」


 発着場に着いたスイは、アルファルドの姿を見て安堵したように笑顔を見せた。

 

 本を入れた買い物袋を持って彼に駆け寄る。


「良かった。無事に帰ってきてくれて」

 

 生活を共にする時間が長かったため、こうして離れている時間は久しくなかったことを考えると、アルファルドは保護者の立場として心配にならざるを得なかった。


「少々大げさな気もしますけど、戻って来れて良かったです」


 スイも最近になってアルファルドが気に掛け過ぎているのではないかという本音を少しだけ漏らしている。


「通信の続きは家に戻ってから聞くとして——治療院はどうだった? 何ともなかったか?」


「はい。検査の結果は問題ないということでした」


「はぁ……安心したよ。君に何かあったら大変だからさ」


 アルファルドはホッとしたように気を休めた。


「わたしは大丈夫ですよ?」


「ああ。結果的にはね。早くうちへ戻ろう」


 この日のアルファルドはいつも以上に周囲を警戒しながら、スイと一緒に帰宅した。


 ハダルの部屋に入った二人は、情報を共有すべくお互い椅子に座って状況を整理する。


「仮面を被った女性か……」


 最初にアルファルドが接触した仮面の人物は男性だった。


 リゲルも戦闘した際に声から男だと認識している。


 しかし、スイが出会った仮面の人物は女性。危害を加える意思はなかったという。


 アルファルドは椅子の背もたれに寄りかかりながら考え込むように右手で顎を触っている。


「雰囲気はアル師匠が会ったとされる人に似ていると思います。とても人を殺すような感情は持ち合わせていませんでした」


「仲間割れでもしているのか……?」


 情報を集めた限りでは仮面の者たちの行動に一貫性がない。


 推測にはなるが同じ仮面を祖に持った、似て非なる存在の可能性もある。


「リゲルさんを襲った人といい、アル師匠に話しかけた人といい、謎が多いですね」


「ああ、まったくだ」


 この後に教会へ報告を終えたリゲルと魔力通信機リンカーで情報を共有することにした。


「――ということだ。こっちからの情報はこれで全部だ」


『感謝するぜ。それとお前、今夜は予定通り付き合えよ』


「こんな時に飲むのかよ」


『こんな時だからこそ行くんだよ。わかったな?』


「はいはい。わかりましたよ、神父様」


『それじゃあな』


 通信を終えてアルファルドが部屋を後にしようとした時、スイが呼び留める。


「あのっ、アル師匠。お願いがあるのですが……」


「ん? なんだ?」


 アルファルドが不思議そうに振り向いた。


「わたしに、ハンターの実戦を経験させてください」


 突然の、いや、この期間の急激な成長から考えるにはある程度予測もできた提案だ。


「スイ。まさかとは思うけど、今回の一件でそれを決めたのか?」


「というわけではないのですが、見習いとしてアル師匠やハダルさんに少しでも近づきたいんです」


 確かに一部の師匠たちは経験を積ませるために積極的に見習いへ依頼をこなすように指導する例はある。


 しかしながらアルファルドは実戦を学ばせることには慎重な姿勢でいた。


「正直に言うと危険が伴う。たとえ僕が一緒だったとしても君を守り切れるかどうかは分からないよ?」


「だとしても、です。この状況が続けばわたし自身を守れる手段もなくリゲルさんのように狙われることもあるかもしれません。どうか実戦に参加させていただけませんか?」


「そう言われてもな……」


「駄目、ですか?」


「うっ……」


 スイは上目遣いでアルファルドを見つめる。


 同時にアルファルドは念話で聞いたハダルの言葉を思い出した。


 彼の言った「今の遥か先を見て弟子を育てろ」という言葉が頭をよぎる。


 師匠の進言と弟子の強い意志に動かされてしまった。


 どうして自分はこうも折れやすく、そして妙に納得してしまうのだろう。


 アルファルドは色々と諦めたように溜息を吐いた。


「わかったよ。その代わり、最初は確実に一体の魔物を仕留めるやり方からしか教えない。それでもいい?」


「は、はい! ありがとうございます!」


「じゃあ明日から教えよう。覚悟しておくように」


「了解です!」


 スイはクイッと片手で眼鏡を上げると、弟子入りを表明した時のような毅然とした姿勢でアルファルドを見つめた。

 

 師弟の特訓は、新たな局面を迎える第一歩を踏み出そうとしていた。

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