第二章

第十二話 忍び寄る影、降り注ぐ光

 それは無と言えるほどの真っ白なトンネルの中だった。

 

 目的地に向かっていく足音が反響するこの場所を、何と表現すれば自分を納得できるのだろう。それだけ孤独を感じさせる長大な空間だ。

 

 所々で地下水と思われる液体が、トンネルの両端の溝に沿って流れている。

 

 仮面の男はコツコツと足音が響くだけの道をゆっくりと進んでいくと、堅牢そうな金属製の扉に行きついた。


「《開錠オープン》」


 迷うことなく呪文を唱えて扉の鍵を開けると、ギィッという音と共に扉が開いてゆく。

 

 その先にあった部屋もまた壁と床が共に真っ白で、あとは大小様々な黒い球体が空間の中に浮いているだけだった。


 ただし、中央の白い玉座に座る古ぼけたフードを被った人間らしき存在だけが灰色で、しかもその存在は仮面の男と通信を行っていたあの人物そのものだ。

 

 フードの人物は、何の打ち合わせもなく仮面の男がやってきたというのに優雅に飾り気のない玉座に座っている。そして仮面の男と目を合わせると、にんまりと口の橋を吊り上げた。


あるじ様。ただいま帰還しました」


 命令を受けている主に対し、彼は跪く。


「戻ったか。ハレーよ」


 仮面の男は主となっている人物からハレーという名前で呼ばれていた。


「はい。あれから一定期間が経過しましたので直接の報告に参りました」


「ご苦労。早速報告しろ」


「——端的に申し上げますと、スイという少女は例のハンターによって着実に力を伸ばしています」


「ほう」


 ハレーの主はそう言いながら肘掛けの上に肘を立てて頬杖をついた。


「特に魔法の上達が予想よりも早く、あと半年もあれば我々の脅威になりうる存在になるでしょう」


 ハレーはあらかじめ魔力通信機リンカーに入力された行動記録を参考にして自身の見解を述べた。


「うむ。驚くほど順調に進んでおるな」


「どうされますか? 今すぐ拠点に向かい、両者を抹消することも不可能ではありません」

 

 するとハレーの主はゆっくりと首を横に振った。


「いや、まだだ。わしの力を取り戻すにはまだ不十分だ」


「お言葉ですが主様、今の状態であればお身体の回復には十分な能力を彼らは持っています。奪うのであれは今が絶好の機会です」


「駄目だ」


「何故ですか! このままでは主様の命が——」


 ここまで冷静さを保っていたハレーが悲痛な想いを持って強い語気を出すが、主はそれを遮り、姿勢を正して言葉を続けた。


「落ち着け。あやつらの力を限界まで引き出したところをわしが奪う。お前はそれを手伝うだけでいい。まだ慌てる時ではない」


 ハレーはその言葉に対し何かを言いたげに顔を少し震えさせたが、両方の拳を握りしめ、ぐっとこらえて主の顔を見つめ、宣言する。


「——承知しました。私は主様の令に従います」


 主人に従った時から命令は絶対だ。いかなる状況であろうと理由を聞くことはせず、ただただ従順であり続けたが、今は少し異なっている。


 今日まで仕えてきた主が不治の病によって命の危機に瀕しているということをハレーは薄々とではあるが察していた。


 自分が敬い従ってきた者を失うなど、最近になるまで考えてなどいなかった。しかし、時間というものは残酷だ。


 徐々に主の身体を蝕んでいく病が憎いと思うほどに、ハレーの言葉も感情的に粗暴になり始めていた。


 それでも現状は堪えている方だが、いつ感情が爆発するか予断を許さない。命令を守る以上、今はただ経過を見守るしかなく、それゆえに歯がゆかった。


「それでよい。カリストに戻って記録を続けろ」


「はっ」


 主から踵を返したハレーは早歩きで主の間を去り、再び反響を続けるトンネルの中へ入り込んだ。


 数歩進んだ先でぴたりと両足が止まる。


(主様。一体何を考えておられるのだ……?)


 トンネルの中に充満する地下水の匂いと静寂が、ハレーの疑問をも包み込んでいった。


   *


「アル師匠! 起きてくださーい!」


 新たな師弟となって一か月目の朝、突如としてアルファルドの部屋にスイの大声とノックが襲い掛かった。


「ん……」


 昨夜はスイに授業と訓練を終えてからアルファルド個人で依頼を遂行し、深夜にヘトヘトになって帰宅していた。


 幸い今日は授業も訓練も行わない休日として設けられていたのでゆっくりと一日を過ごせると思いながら眠りに浸っていた。


 心地よく眠っていた所を弟子に起こされたので何事かと思い、眠りから覚めていない身体を無理やり起き上がらせてドアを開けると、当然ながら目の前にはスイがいた。


「どうした? 朝食なら今日は君の当番のはずじゃないか」


「違います。朝ごはんの話じゃないです。アル師匠にお客さんですよ」


「お客さん? 僕に?」


「玄関で待たせてしまっているので早く来てください!」


「おっ、おいっ!」


 何を切羽詰まっているのか、スイはアルファルドの手を引いて玄関まで連れ出した。


 眠気から覚醒していないままのアルファルドが玄関のドアを開けると、そこには仁王立ちしたアルファルドと同い年くらいの青年がいた。


 透き通った海のような青い髪に褐色の肌、翡翠色の瞳、そして服装は聖職者が着る漆黒のキャソックを身に着けている。


「久しぶりだな。アル」


 愛称で呼ぶその青年を、アルファルドはよく知っていた。


「リゲル……?」


 眠気が吹き飛んだ頃には長年の付き合いがある——リゲル・シルバを家に迎え入れていた。




「——そうかそうか! お前もとうとう師匠か! てっきりカノジョかと思ったぜ!」


「昔から僕に色恋沙汰なんて起こるわけがないだろう」


 リビングと化したハダルの部屋で、三人がコーヒーの入ったマグカップを持って椅子に座っている。


 部屋の中はアルファルドの淹れたコーヒーの香りで満たされていた。


「改めて紹介するけど、彼女はスイ。わけあって僕の弟子をやってもらっている」


「よろしくお願いします」


「おうっ、よろしくな」


 アルファルドがリゲルに軽くスイの紹介をしたところでスイが質問した。


「アル師匠。こちらの方は?」


「こいつはリゲル。学校に通っていた頃からの友人だ」


「親友と呼べ!」


 リゲルが訂正を要望するがアルファルドはそれに釣られることなく一蹴した。


「それは君の自由だ。勝手にしてくれ」


 九歳の時にパブリックスクールの中学部へと進んだ頃、どういう縁の巡り合わせか、面倒くさがり屋なアルファルドはこの暑苦しい熱血漢と共に学生時代を過ごしていた。


「それで、リゲルさんは何をされているんですか?」


 質問をしたスイに対してリゲルは自信満々に親指を自分に向けた。


「よくぞ聞いてくれた! 俺は今教会で神父をやりつつハンター稼業もやっている」


「君なら聖職者の仕事だけでも生活できるだろう」


「最近はそうでもねぇんだよ。非常勤も多いから最近はリストラも起きている」


「た、大変なんですね……」


「この間まで葬儀で手一杯になってな、ようやくハンター稼業ができるってもんだ」


「誰が亡くなったんだ?」


「いずれもCランクのハンターだ。単独の依頼で油断して魔物に襲われたと考えられるな」


「そうか……」


 高ランクのハンターが単独行動できるのは、それに見合った状況判断と実力を兼ね備えている者が多い。


 しかし、仮にそうだとしても難易度の非常に高い遺跡や森に挑んで死人が出ることに変わりはない。職業柄、リゲルはそういった場面を何度も目にしてきた。


「アル。ハンターランクが上がったとしても、お前はできるだけ徒党(パーティ)を組めよ?」


 リゲルはアルファルドを気遣うように忠告した。


「今はスイがいるから人に困ってはいない」


 アルファルドはコーヒーが冷めないうちに一口飲んだ。


「スイちゃんはどうなんだ? アルの事だからどこかしら抜けているところもあるだろ?」


 そう聞かれたスイはこくりと頷いてから言葉を紡ぎだした。


「そうですね。いつもアル師匠は油断や慢心があると思います。それにとても面倒くさがりですし……」


「正直に言われると反論できない……」


 胸に見えない矢が刺さったような感覚を覚えた。


「でも、そんなアル師匠に教わって、今のわたしは自分でも驚くくらい魔法が上達しました。記憶のなかったわたしに真摯に接してくれたことには感謝しています」


 素直な気持ちを前面に出したスイを見たリゲルは羨ましそうにアルファルドを見つめた。


「良かったな、アル。こんな可愛いお弟子さんに尊敬してもらえるなんて中々ないぞ?」


「ま、まぁ、もっとスイに尊敬してもらえるように、面倒くさがりなのは善処するよ」


 照れくさそうにアルファルドはポリポリと指で頬を掻いた。


「アル師匠。まさか照れているんですか?」


 見たことのない反応を見せるアルファルドにスイが追及する。


「な、何でもない」


 師は赤面していた。


「わかりやすいなぁ、おい?」


 悪ノリするようにリゲルもスイに乗じてニヤニヤと笑みを浮かべていた。


「二人してからかうんじゃない」


 さらに反応したところをリゲルが更に笑い、アルファルドは調子を狂わされてタジタジになっていた。


 照れ隠しをするように一つ咳払いをして本題に戻そうとした。


「——それで、わざわざ僕をからかいに来たわけじゃ無いんだろう?」


「その通り。でもお弟子さんの顔を見られただけ直接来た甲斐があったな」


「どうして連絡に魔力通信機リンカーを使わなかったんですか?」


「万が一にも通信を傍受されちゃたまったもんじゃないからな。だから直に来た」


「そんな重要なことなのか?」


「そうだ。今から大真面目に伝えるぞ。覚悟はいいか?」


「いいからさっさと話せ熱血バカ神父」


「なんだと臆病ハンター」


 一触即発の罵倒が飛び交うがアルファルドもリゲルも嬉々として発していた。


「アル師匠。言葉が……」


 スイに対して優しい口調の多いアルファルドが乱暴になっていた。


「いいんだ。こいつとは長い付き合いだから」


「スイちゃん、これが冗談なのはわかってるって。今から話すぞ」


 嘆息したリゲルが少しの間を置いて話し出した。


「実はな——」


 リゲルの周囲の空気に緊張が走る。


世界ホロスに危機が迫っているという噂だ」


「はい……?」


 先に素っ頓狂な声を発したのはスイだった。

 

 ホロスはひとたび街の外に出たら魔物に出会う確率は魔力障壁から遠ざかるほど高い。

 

 わざわざ危険な地域に出向いてハンター稼業を行えば死亡する可能性は一気に高まる。


 それでも、見えない壁で守られた国と地域が全滅するような災害は歴史を紐解いてもここ数十年はなかったことだ。


「都市の外が物騒なこと以外、ホロスは平和だろう? なんで危機がやってくるっていうんだ?」


「確かに、終わるような前触れは、今のところないように思えます」


 今のホロスは新緑に包まれたとても朗らかな季節だ。カリストの街並みを見ればこの時期のように世間が穏やかであると信じたい。


「これはまだ噂の範囲だということは忘れるなよ。二人とも、黒い仮面に白いローブを纏った人間と会わなかったか?」


 それを聞いたアルファルドには思い当たる節が大いにあった。


「わたしはないです。アル師匠はありますか?」


「一度だけ会った。先月のことだ」


「お前、よく生きているな……」


 返答したアルファルドを見ながらリゲルは呆れていた。


「どういうことだ?」


「先月から数件ほどステラ教の信者が変死している。上層部伝いの話だが、なんでも仮面をつけた野郎に殺されているらしい。仮に殺されなかったとしてもハンターランクがB以上のやつぐらいしか生き残れていねぇ」


 最近でも魔力通信機リンカーに表示された新聞記事で不審死の事件が報道されていることはアルファルドたちも認識しているが、詳細のことまでは記事に表示されることはなかった。


「僕はそれらしき奴と話したが、殺気は見られなかったな」

 

 今思えば、あれは警告のような言葉を示していたように感じる。


 スイに関わるなという意味で捉えているが、それらしき場面に遭遇しているとは言い難い。


「だとしたらお前は運が良すぎる。ステラ様の加護がありすぎなくらいの幸運だ。その命を大事に使えよ?」


「わかってるよ。忠告どうも」


 アルファルドにとっては悪運への強さをこれまで幾度となく発揮していた。


 スイを救出した時も意識のはっきりしていなかった彼女から救われ、空魚から彼女を助けた時もカペラとフォーマルハウトの助力があってこそ負傷することなく事態を収拾することができた。


 改めて自分の運の強さに頭が上がらない。


 アルファルドからその幸運を取ったら悲惨なことになるのは目に見えていた。


「それと話は変わるが、久々だから今夜は付き合え。語り明かそうぜ」


 リゲルがニッと口の端を吊り上げると、アルファルドも応じる。


「断る理由はない」


 二人が今後の予定を話しているとスイがコーヒーを飲み終えて立ち上がった。


「わたし、これからメラク先生の所へいきますね。定期検診がありますので」


 それを聞いたアルファルドは頷いた。


「うん。先生によろしく頼む。それと、安全のために高速移送魔導機リニアを使ってほしい。往復分のチケット代は僕が負担する」


「わかりました。行ってきます」


「ああ、行ってらっしゃい」


 ばたんと部屋のドアが閉まると、リゲルがフッと笑った。


「弟子に甘いな」


「別にいいだろう」


 マグカップを机に置いたリゲルは靴紐を締め直し始めた。


「さて、オレも仕事してくる」


「結婚式か?」


「お前で言うところの『遊牧民ノマド』だよ」


「そうか。気をつけてな」


「おうっ、心配すんな! 何かあれば連絡するぜ」

 

 また一度ドアが閉まったところでアルファルドは一人部屋に残された。


「さて、もう一休みするかな」


 三人分のコーヒーがあったマグカップをキッチンのシンクに置いて自室に戻ると、ベッドの上で横になり、ぼうっと天井を見つめるだけだった。


「もう臆病ハンターだなんて、言わせないからな——」


 誰も来ないであろう空間でぼそっと呟き、それが部屋中に響くだけだった。

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