第十一話 修練場にて

 夕方のカリスト。


 ハンターギルドに着くと、アルファルドたちはあらかじめ予約しておいた修練場の受付に向かった。


 修練場は天候に関係なく使用できるように広大な土地に簡易的な屋根と壁が繋がっている屋内運動場のような施設だ。


 固い地面に魔力の込められた区画のための線が入っており、そこから不透明な魔力障壁が発生し、それぞれ予約したスペースで様々な鍛錬を行う先客たちで溢れていた。


 カウンターの周辺は主にハンター見習いの少年少女で占められており、アルファルドのような青年以降のハンターはあまり見かけない。


 中には師弟と見られる関係の二人組や、見習い同士、他にも親子で使用している区画もあったりする。


「小さい子もいますね」


 初めての環境に戸惑っているのか、スイはキョロキョロと辺りを見回している。


「学校の時間帯としては放課後にあたるから、今はハンター見習いの子たちがたくさんいる。だからスイがここにいて浮いてしまうなんてことはない」


 逆に修練場には正式なハンターが殆どおらず、アルファルドは異質な存在のようにも見えた。


「僕たちが使うのはこの場所だ」


 幾重もの魔力障壁をすり抜けてやってきたのは、操作盤と荷物を置く机以外には何も変哲もない地面が存在するだけの区画だった。


 周囲の状況は障壁によって見えることはなく防音機能も兼ね備えているのか、魔法の爆発音もまったく聞こえてくることはない。


「アル師匠。何もありませんよ?」


「今から色々と動かすよ。ちょっと待ってて」


 アルファルドが両手で操作盤を触ると一定の区画で魔力障壁が出現し、簡素な部屋へと一変した。


「わっ」


 飛び出した壁の近くにいたスイが反応し、少しだけ身体をビクッとさせた。


「こうして壁を作ることによって、いくら強力な魔法を使っても修練場自体の被害はまったく起こらないようになっている」


 地面を抉らない限りはいくらでも魔法が撃ち放題だ。ちなみに地面に被害を出してしまうと強制的に修繕費を請求されるので注意が必要だ。


 準備ができたところで軽く体操し、適度に身体を解してから魔法の訓練が始まった。


「最初に装甲衣アーマーを起動しよう」


「着てるだけではいけないんですか?」


「生命維持としてだけなら着るだけでいいんだ。でも、いざ戦うときになったら身軽にもなれて体内の魔力を制御できるこいつを使わない手はない」


 アルファルドは親指でビシッと自分の着ている装甲衣アーマーを差した。


「全身を魔力が循環するイメージを持つんだ。それができたら《装甲衣活動アーマー・アクティブ》と唱える。これだけだ」


「わかりました。やってみます」


 スイは教室で光魔法を発動した時と同様に両目を閉じ、自分の全身の輪郭をなぞるように感覚を集中させた。


 隅から隅まで清く流れる川のように流れる魔力を感じ取りながら呪文を発した。


「《装甲衣活動アーマー・アクティブ》」


 しかし、スイの装甲衣アーマーが起動することはなく、空間がシーンと静まり返るだけだった。


「あ、アル師匠。何も起こりません……」


 何も起こらない光景を見てスイはおろおろしている。


 ふむ、とアルファルドがハダルと似たような顎を触る仕草をして考えていた。


「着ている装甲衣アーマーの力を借りていると認識するといいと思う。簡単に言えば僕らは人衣一体じんいいったいなんだ。それもイメージに組み込んでみるといい」


「人衣、一体……」


 アルファルドたちは他の魔導士のように純粋な魔力だけで戦っているわけではない。


 人衣一体——それは大気の中に含まれる魔力と自分の魔力をバランスよく組み合わせて初めて成立するものだ。


 決してスイに魔導の素質がないというわけではない。


 未知の感覚に触れ、そして慣れていくという行程をまだ始めたばかりなだけだ。


 スイは瞳を閉じ、もう一度起動しようと試みた。


(——お願い、力を貸して)


 全身に熱を感じながら、自ら着ている装甲衣に呼びかけるようにして再び呪文を唱えた。


「《装甲衣活動アーマー・アクティブ》!!」


 スイは力が入ってしまい、驚くほど大きな声が出てしまった。


 すると今度は呼応したのか、真っ黒な装甲衣アーマーがギラギラと青白い光を発しながら強く反応する。


 黒い生地に白い幾何学模様の線が幾重にも重なり、神秘性を含んだ戦闘服へと変貌した。


「成功だ。スイから強力な魔力を感じる」

 

 アルファルドも無意識に立つ鳥肌から、スイの持つ潜在能力が計算などでは算出しきれないことを感じ取っていた。


「アル師匠、今なら何でもできそうです……そんな力を感じます……!」


 スイの感情は静かに喜びを爆発させていた。全身から魔力の可能性を最大限にまで引き出すほどの力を秘めているようだった。


「僕も改めて——《装甲衣活動アーマー・アクティブ》」


 装甲衣アーマーを起動したアルファルドも稲妻を模した紫色の電光を発し、一種の戦闘態勢に入った。


「今度は力を抜くように起動を解除しよう。《装甲衣解除アーマー・リリース》」


 呪文を唱えたアルファルドから光が消え、通常のコートの状態に戻った。


 それを見たスイは一度深呼吸をしてから脱力すると、アルファルドに倣って唱える。


「《装甲衣解除アーマー・リリース》」


 起動したときとは違い、一回で成功することができた。どうやらイメージの作り方のコツを掴んできたようだ。


「アル師匠、できました。随分イメージが頭の中に馴染んできたように思えます」


「よし、これを自在にこなせるようになるまで練習しよう」


「はい!」


 それからしばらくは起動と解除を繰り返す訓練を続けた。


 成功したことが決してまぐれなどではないことを証明するために、何度もイメージを繰り返しては呪文を唱える練習をひたすら続けた。


 継続していく中でやはり時には装甲衣アーマーが反応しない時もあり、実戦でそれが起きないためにも一回一回、丹念にアルファルドは指導した。


 修練場に入って三十分が経つころには、スイは自分の装甲衣アーマーの起動・解除を自由自在に操れるようになるまで上達していた。


 めきめきと上達する様を見たアルファルドは驚きを隠せなかった。


 幼少期に彼が習得するのに一週間はかかった呪文をわずかな時間でここまで成長したのだから、彼女には並々ならぬ魔導の素質があるのかもしれない。


「凄いな。このまま魔力の差では僕が弟子になってしまいそうだ」


 スイに水分補給用の水魔石を渡しながら思わず皮肉めいた言葉がこぼれてしまった。


「そんなことはないです。まだ攻撃魔法を教わっていないですし、何よりアル師匠の指導のおかげでここまでできたんだと思います」


「そう言ってもらえて師匠は嬉しいよ——《水変換コンバート・アクア》」


 アルファルドは弟子からの感謝を受け取りつつ宙に浮かせた水魔石を水に変換して飲んだ。


 吸い込まれるように口の中に入り、あっという間にごくりと、喉元を過ぎていく。


「《水変換コンバート・アクア》」


 スイも真似をして水魔石で水分を摂取した。


 この呪文と魔法は修練場に行く前に授業で教えたものだったが、同じ日に使いこなせるようになるとは思いもよらなかった。


 なかなか物質を変換するのは難しく、学校に通う生徒でも半日はかかる。


「アル師匠。それにしても、非常にご指導に慣れているような気がするんですが、教師の心得があるんですか?」


「子どもの家庭教師やハンター見習いの指導をしてほしいってハンターギルドからの依頼があって、それを時々こなしていた。だから、ハンターの基本と生活魔法は教えることができる。それなりにね」


「ハンターって何でも屋さんみたいですね」


「昔は冒険者ってやつらがその役を担っていたんだけど、移動手段が発達して冒険する者がほとんどいなくなってしまった。今は狩りをしない時にハンターが行う依頼だね」


 いくらハンターとはいえ魔石を獲得する依頼が延々と存在するわけではない。自由業フリーランスというだけあってどの依頼を選択するかは各々の裁量に依存するが、いつ同様のものが入ってくるかはわからない不安定さも同席する。


「さて、少し休んだら攻撃魔法を教えようと思うけど、いいかな?」


「是非。やらせていただきます」


「うん。積極的なのはいいことだ」


「わたしもアル師匠のようにハンターになって稼いで、ゆくゆくは世界中の美味しい料理を食べに行きたいと思います!」


「行きつく先はそこなんだね……」


 アルファルドは苦笑した。


 スイが並々ならぬ食へのこだわりを表明してから数分後、二人は攻撃魔法の練習に取り掛かることにした。


 装甲衣アーマーを起動した二人はパラパラと本をめくり、攻撃魔法の記載されているページを時折覗き込みながら繰り出し方を確認する。


「攻撃魔法を教えるのに教科書を使うなんて初めてだよ」


「今まではどうやって教わっていたんですか?」


「雷魔法専門の先生から手取り足取り教えてもらった。おかげで感覚的に魔法が撃てる」


 魔法の属性は基本的なものだけでも炎・水・地・風・雷・光・闇が存在し、その他応用の属性として身体強化などを司る無属性がある。


 攻撃魔法を教科書に頼らない利点として、荷物が手ぶらで済むことや自身の感覚を研ぎ澄ますことによってそれぞれに合った魔法の発動を習得することができる。


 ただし、そのやり方は他人に教えるには向き不向きが確実に存在し、指導する教師の手腕に比重を置く場合が多い。


「スイは論理的に魔法を撃つ必要があるようだ。今開いているページには効率のいい闇魔法の習得方法が書かれている」


 スイの場合、十六歳という年齢は通学していれば最終学年にあたるため、生徒としての及第点に追いつくには専門の攻撃魔法を習得するスピードも必須だった。


 その背景も踏まえてハダルはアルファルドに闇属性を含んだ本を選んで渡したのだろう。


「今の私にならすぐできちゃいそうです」


 スイは自信満々ににっこりと笑う。


「そうなることを祈っているよ」


 アルファルドが操作盤を操り、ホログラムで再現された固い鱗と翼を持つ飛竜を出現させる。


 いわゆる攻撃魔法を放った先で当てるための大きな的だ。


 ホログラムの飛竜は大きな口をあんぐりさせたまま動かない虚像となっている。


「まずは僕が手本を見せる」


 アルファルドは目を開いたままイメージを開始し、右手にバチバチと鳴る電撃の光球を発生させ、それを掴む。


「《稲妻発撃ライトニング・シュート》」


 呪文を唱えた直後、巨大な空魚を攻撃した時と同様に振りかぶって光球を投擲する。


 光は紫色の電気を纏いながら一直線に飛竜めがけて突き進み、見事に直撃する。


 落雷時特有の雷鳴と少々の煙を出しながら魔力障壁が衝撃を受け止めた。


「こんなものだろう」


 スイは攻撃魔法の撃ち方をまじまじと見るのはこれが初めてで、関心を示すと同時に不思議な点に気付いた。


「魔法を放つだけなのに、どうして動作を付け足すんですか?」


「この方が魔法の速度が勝るんだ。威力が下がる分、素早く的に当てられるから誰でも簡単に撃つことができる」


 呪文を唱えた時点で発動した魔法は重力から解放されるが、そのあとの軌道を操るのが魔導士の真の役割だ。


「スイ。今度は君の番だ。適性のある闇属性の魔法を撃ってみよう」


「はい!」


 アルファルドが飛竜の的から離れ、次はスイが攻撃魔法を放つことになった。


 本をじっくりと再確認して机に置き、呪文を頭の中に入れたスイは両目を閉じてイメージの構築を始める。


 宇宙に点在する、光をも飲み込む宇宙のブラックホールを脳内で浮かび上がらせると、不意に右掌からずっしりとした鉄球を持ったような重みを徐々に感じ取っていた。


 それは魔力の重みで、スイの手をがっしりと掴んで離そうとしない。


 事実、アルファルドが見守るその光景には闇を放つ光球がスイの手の中に収まっている。


(——この量なら撃てそうかも)


 そう感じ取った瞬間に目を見開く。


「《闇流発撃ダーク・ストリーム・シュート》!!」


 スイは思わず声を力強く込めたその一撃を、右の横手で的に投げ込んだ。


 しかし、繰り出した闇属性の攻撃魔法はホログラムのわずかに右側をかすめ、魔力障壁に当たった。


 小規模の爆発と音が広がってゆく。衝撃で煙が舞った直後にブラックホールが発生し、周辺の煙と爆風を吸い込みながら空中で消滅した。

 

 禍々しい闇の流れは、可愛げな笑顔の彼女とは一線を画す存在感を示していた。


「——外れちゃいましたね」


 スイには一回で魔法が発動できた喜びがあったものの、同時に的に当てられずにがっかりした感情が混ざり合っている。


「いや、初めてでここまでできるものではないよ。どんどん試していこう」


 その後予約した時間の許す限り、アルファルドはスイに教えることのできる魔法を本から探してはつきっきりで指導した。


 中には本人の才覚に恵まれずに発動すら適わなかった属性もあったが、的への命中の有無に関わらず適性のあった闇魔法全般は発動することに成功し、一先ずの収穫を得た。

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