第九話 新たな師弟の始まり
夜、真っ暗な部屋の中でアルファルドが目覚めると、慣れ親しんだ寝るときには使っていなかった毛布が身体に掛けられていた。おそらく何の躊躇いもなく一気に睡魔の手に堕ちてしまったのを見かねたハダルが掛けたものだろうと認識していた。
寝ぼけ眼を手でこすり、全身を伸ばして体調を確認する。どうやら概ね疲労からは回復したようだ。
天井に備え付けの光魔石を入れた魔道具で明かりを点け、ずっと着ていた
自分の身体に合ったものを適切に着用したうえで脱いでいる期間が七十二時間時間以内であれば身体に支障をきたすことはほとんどない。いくら先天性魔力不全症候群であったとして
再び照明を消して部屋を出ると、廊下でばったりとスイに会った。
「アル師匠。疲れは大丈夫ですか?」
長いこと眠りこけていたため記憶が所々飛んでいる。
「——なんとかね」
スイに向かって返答しながら思い出した。自分は明日からこの子の師匠になるのだということを。
「まもなく夕食ですけど、食べますか?」
師匠と呼ばれることに慣れないアルファルドは妙にリズムを崩されたようで言葉がぎこちない。
「あ、ああ。食べるよ」
「ハダルさんがご馳走してくれるそうですよ。パスタというものだそうなので気になります」
「え、パスタを知らないの?」
「そうですけど……ひょっとしてわたしの口には合わないものなのでしょうか?」
意外だった。遠く東の国カレイドの出身者と推測するには訳の分からない料理もホロスにはある。
だが、広く伝来されていると考えられるパスタをまだ口にしたことがないというのはアルファルドとしても初耳だ。
「いや、違う。とても美味しいものだ。頬が落ちるくらいには、ね?」
「良かった。楽しみです」
スイは無邪気に微笑んでいた。これから未知の料理を食べるという楽しみに対し、首を長くして待っていたようだ。
その後は三人でカリストのパスタ専門店に行くことになった。前祝とばかりに食事代はハダルの奢りで、スイは張り切っていきなり大盛りのボロネーゼと水を注文する。
華奢な見た目とは裏腹の大喰らいのスイに触発されたのか、ハダルもカルボナーラの大盛りと赤ワインをウェイターに要求した。食べ盛りのスイと健啖なハダルを横目に、アルファルドは小盛りのジェノベーゼと果実水を頼んだ。
店全体ではピアノの旋律が流れており、部屋の隅で管理されている魔道具の一種である
「これがパスタという料理なんですか!? もちもちしていてとても美味しいです!」
フォークで食事をとるのに慣れないのか、最初は悪戦苦闘していたスイだったが次第にコツを掴んで周囲の客と同じように食事を楽しんでいた。
「喜んでもらえて何よりだ。食いっぷりもいい。アルファルド、いい弟子を持ったな!」
食事を喜ぶスイとハダルとは逆にアルファルドは素直に楽しめていない様子だ。
「このままだと冗談抜きで僕の財布が死んでしまいます」
スイが自力で稼げるまでの間はアルファルドが金銭面を管理することになっているが、スイの食事のペースからして。ハンターの食事では定番となっている外食を繰り返せば収支が赤字になりかねない。
「自炊すればいいだろう」
「そりゃそうですけど……」
職業柄ハンターは様々な都市を行き来するのでコンドミニアムのようにキッチンが備え付けられている宿に必ずしも巡り合うとは限らない。
さらに観光客の多い時期によっては宿泊費そのものが一気に跳ね上がることも珍しくはないため、必然的に最低限の水回りが整った部屋の宿に泊まりつつ安いレストランや屋台を探すのが一般的だ。
それでも今はフリースクールの認定を受けたハダルの家を拠点にできるうえ、最近まで生活していた自宅でもあるので宿泊費も払わずに済み、しかもキッチンもある。ハンターとしては絶好の環境に置かれていることは間違いない。
「スイをハンターとして育てるために私の家がある。自由に使うといい」
「——そうさせてもらうつもりです」
「それから、私は長期の依頼が出たからそれに参加する予定だ。留守は任せたぞ。
これまでもアルファルドはハダルが依頼で長期の外出をしている間は留守と
「わかりました。ステラ様のご加護があらんことを」
「大げさな。ちょっと出かけるだけだ」
「いつ頃戻られるんですか?」
「そうだな。短くて一年といったところか」
果実水を飲んでいたアルファルドが驚きのあまり噴き出しそうになった。
一方のスイはその期間を長いのか短いのかよくわからない表情をしていた。
「長いじゃないですか。一体どんな依頼受けたらそんな期間になるんです?」
依頼の期間の長さに詰め寄るアルファルドをハダルは溜息を吐きながらあしらう。
「いろいろあるのだよ。詮索はするな。お前たちは気にせず研鑽を積め」
「は、はぁ……」
「ハダルさん。出発はいつなんですか?」
「この後だ。まずはイオへ向かう」
「急ですね……せっかくお会いできたのに……」
命の恩人の一人にしばらく会えなくなることを、スイはフォークを持つ手を止めて少しがっかりした様子だ。
「なぁに、今の時代は
「そうですね。またお会いできたらうれしいです」
束の間の食事を終えて専門店を出ると、そのまま魔導機の発着場へ行き、アルファルドとスイはハダルの見送りを決めた。
「なにも二人そろって来なくてもいいだろう?」
「今日が最後になるかもしれませんので、見送らせてください」
「
魔導機に入る直前でハダルは二人に向かって振り返った。
「二人とも、しばしのお別れだ。元気でな」
ハダルが乗り込んでハッチが閉まると、魔導機は急加速してカリストを離れていった。スイは魔導機に向かって存在が見えなくなるまで手を振っていたが、アルファルドはその光景をただ見つめるだけだった。
*
同時間帯。
とある建物の屋根の上からカリストの発着場を見つめる者がいた。
同日の昼頃にアルファルドと接触した、黒い仮面に白いローブを身に着けた男だ。
男はハダルの乗った魔導機が発着場から去ったことを確認すると懐から
「こちら『
ホログラムからフードを目深に被った人物が出現した。
『『閃光』だ。ご苦労』
低い声を聴く限りではこちらも男のようだ。
通信を続けていると、ハダルを見送ったアルファルドとスイが拠点に戻ろうと動き出していた。
「目標が更に移動します。始末しますか?」
『いや、その時はまだだ』
男はホログラムの先にいる人物の回答に納得できなかった。
「なぜですか? 今が絶好の機会です」
『そう焦るな。まだ成熟しておらん』
「しかし、芽は若いうちに摘み取らねば脅威になります」
今ここで対象を抹消することができれば、男や通信先の人物に関わる大きな損失を被ることなく事態を収束できる、そう見て取れた。しかし男の上司と思われる人物は真逆の意見を示した。
『最も美味なる実りを迎えた時こそが収穫の時期だ』
男はすべてを受け入れたわけではないが、意味を理解することはできた。機が熟すにはまだ早いことを。
「——承知しました。引き続き監視を継続します」
『期待しているぞ』
通信は『閃光』が先に切った形となった。
報告がを終えたことを確認した男は
*
翌日、昼前に目が覚めたアルファルドはキッチンへ向かい、白い箱型の魔道具である
「酒しかない……」
しかしながら、本来の機能を十分に生かせていないような顔ぶれで、中身はハダルの愛飲している酒の入った複数の瓶を除いてほぼ空っぽの状態だった。
ホロスで飲酒が可能となる年齢は十九歳からで、アルファルドもスイも酒の瓶に手を出すことは当然ながらできない。
仕方がないので家を出てしばらく歩いた先にある魚市場にでも出向こうかと考えていると、昨日服屋で購入した白い長袖シャツ姿のスイがキッチンにやってきた。
「おはようございます……アル師匠……」
寝ぼけているのかスイの表情がぼんやりとしている。こんな時でもハダルの言いつけを固く守り、アルファルドを『師匠』と呼んでいる。
「ああ、おはよう。スイ。よく眠れたか?」
「カペラさんから通信が入ってお喋りしてたら、つい夜更かししてしまいました……」
「そうか……」
即席の徒党を組んだあの二人は今、どこにいるのだろうとアルファルドは考えた。方角としてはイオの方向に向かっていたので、きっと移動ついでに敢行しようとあの依頼をハンターギルドに頼んだのだろう。
「それで、何を話したんだ?」
「カペラさんから趣味やファッションのことを教えてもらいました。わたしにはよくわからないことが多いので、とても助かりました」
ハンターには女性が少ないといえば嘘になるが、カペラのように最前線で戦う者は珍しい。大抵は後衛として徒党をサポートする立場になることが多い。
カペラは偶然スイと出会い、同性のハンターだと半ば勘違いして喜んであのようなスキンシップを繰り返していたのかもしれない。
と、アルファルドが考察を張り巡らしていると「くぅっ」と、スイのお腹が鳴る音がした。思わずスイはお腹を押さえて恥ずかしそうに赤面している。
「——食材を買ってくるけど、一緒に行くかい?」
アルファルドが提案すると、スイの表情がぱぁっと明るくなったような気がした。
「は、はい! ぜひご一緒させていただきます!」
新たな師弟となった二人の最初にとった行動は、朝食の食材を得るために家から少し離れた港の魚市場へ行くことだった。腹ごしらえをしなくては肝心のハンター稼業も修行もできないだろうというアルファルドの持論も含まれている。
港に併設されている魚市場は、漁で獲った新鮮な魚類と氷を入れた箱が所狭しと屋台の中にびっしり広げられている。これが海岸に沿って数多の出店が並んでおり、多くの観光客や主夫、料理人などが新たな食材を探してやってきていた。
店の中には購入した魚をその場で捌いて調理しやすい状態に整えてもらえるほか、獲れたての魚で作られた塩焼きなどの簡単な料理を販売するものもある。
「魚がありすぎて迷ってしまいますね」
「買うものは決めてある」
「何を買うんですか?」
「マッカレルという魚だ。僕はそれを水煮にしてマヨネーズとソイソースを混ぜたものをサンドイッチにして食べるのが好きなんだ」
「マヨネーズ? ソイソース?」
「あまり深く考えずに食べればいい。あれは人類の叡智の結晶だ」
アルファルドにしては大げさな表現でマッカレルのサンドイッチを説明する。
それくらい美味しいものなのだとスイに伝えたいために敢えてそういった言葉を選んだ。
二人はある出店で足を止め、先ほどアルファルドの言っていたマッカレルと呼ばれる魚が売られており、アルファルドがそれを購入したついでに店員に捌いてもらった。
ちなみにスイは空腹に耐えかねて二枚貝の浜焼きを買い、とても美味しそうに食べていた。
その後は戻る途中の街の調味料店で瓶詰めのマヨネーズとソイソース、それにパン屋で食パンを買って帰宅する。
早速食材と共にキッチンに向かったアルファルドが、
「《時よ進め《アドバンス・タイム》》」
通常では数時間はかかる水煮をわずか数分で作り上げてしまう生活魔法の一種だ。
水煮として出来上がったマッカレルをボウルに移し、マヨネーズとソイソースを混ぜて和えたものを薄切りにした食パンで挟んで完成。サンドイッチの出来上がりだ。
比較的空間の広いハダルの部屋をリビング代わりにしてアルファルドとスイはサンドイッチをいただく。
「美味しい……それになんだか懐かしい味もします」
スイがそう感想を漏らすのも無理はない。記憶を失っているとはいえカレイド出身ということであれば、サンドイッチに使われている濃いソイソースの味を身体は覚えているはずだ。
なぜならこの調味料の発祥の地こそカレイドなのだ。アルファルドとしてもこのコメントは想定の範囲内だった。
「気に入ってもらえて良かった。これを食べて一休みしたら手続きをしに行こう。それまではくつろいでいていい」
「……」
スイはこくりと頷きながら無心でサンドイッチを食べていた。
アルファルドは一生懸命に咀嚼するスイを見て、もしかしたら彼女は記憶が無いながらも郷愁に浸っているのかもしれないと静かに唸りながら考え込んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます