第八話 弟子は師匠の夢を見るか

 事の発端はアルファルドが茶の入ったトレーを持って部屋に戻るまでの数分前に遡る。

 

 スイが提案に興味を示し、それを見たハダルが面白半分にその提案を示したことがきっかけだった。


「すでにお嬢ちゃん用に調整した装甲衣アーマーは用意してある。なにより金はいらない」


「い、いいんですか!? そんな、お金がかからないなんて……」


「だからこそ提案を受け入れてほしいのだよ」


「は、はい……」


「その提案とはな——」


   *


「僕がスイの師匠に!? 何でそうなるんですか!!」


 訳の分からない状況のままスイとハダルに紅茶の入ったマグカップを渡し、自身も椅子に座ってコーヒーを一口ほど飲んでから顛末を聞いたアルファルドは、驚きのあまり危うくマグカップを落としかけた。


「言ったとおりだ。ただでさえ高価な装甲衣アーマーを無料で渡すんだぞ。対価を払うのは当然だ」


 兵士たちの身に着ける装甲衣アーマーは本来とても市民の手には届かないほどの価格で販売されており、身の回りで着ている人間にはそうそう出会うことはない。


 そのような代物をハダルはアルファルドのような病を持つ人々に使えるよう、日々改良を繰り返しては対象者に価格を抑えて販売しているが、それでも企業に勤める青年の初任給ほどはかかるため、なかなか手を伸ばしづらい現状がある。


「た、高くても今持っている僕のお金ならちょうど払える金額です! どうしてわざわざそんな条件を付けたんですか!?」


「アルファルド、お前はもう正式なハンターだ。弟子を卒業してお前も弟子を取れ」


「それなら僕の代わりにスイを新しく弟子に取っても良かったんじゃないですか。僕では圧倒的に力不足ですし……」


 冗談ではなくアルファルドは二度もスイを窮地に立たせた張本人でもある。そんな自分が師匠の位置に立つなど考えられたものではない。


「昔伝えたが、私はお前以外に弟子は取らないと決めているのだ。だからこそ今度はお前がお嬢ちゃんの師匠となるのだ」


 納得できない。アルファルドはそんな感情に表情が支配されていた。


「スイは、それでいいのか?」


 恐る恐る確認するように聞いてみた。


 スイは迷わずこくりと頷いた。


「わたしは自分の記憶がなくて、頼りにできるのがアルファルドさん——いいえ、アル師匠とハダルさんでした。この依頼の契約が終わったら、一人で生きていこうと決めていましたけど、それよりももっといい方法があるって教えてもらいました。わたしを支えてくれる装甲衣アーマーをいただける代わりに恩返しもできたらいいなって……」


「恩返しなんて大げさだよ。何より救ってもらったのは僕の方だし」


「なら尚更後には退けないぞ? 諦めてお嬢ちゃんを弟子に取るんだ」


「うっ……」


 ハダルの指摘によってアルファルドの心にグサッと鋭い矢が刺さった感覚がした。


「お願いします! アル師匠!」


 スイが全力で頭を下げる。


 逃げられない状況を自分から作り出してしまうとは思いもよらなかった。


 おそらく、今まで逃げ続けてきた罰がここにやってきたのだとアルファルドは自覚している。


 そして開くとは思ってもなかった重い口を開けた。


「ああ、もう、わかりました。ここまで来たらやります。なんでもしますよ!」


 アルファルドの言葉の最後は自棄やけになってしまい、もうどうにでもなれといったところだ。


「よし、その意気だ! それでこそわが弟子だ!」


「そこだけ弟子扱いですか!?」


 いろいろと都合の良すぎるハダルに振り回されるアルファルドだった。


「明日からよろしくお願いします。師匠」


 改めて頭を下げたスイにアルファルドは顔を上げるように告げる。


「今まで通り『アルファルドさん』でいいよ。今の僕はとても師匠には及ばない」


「い、いえ、そういうわけには……」


 スイが口ごもっているとハダルが助け舟を出した。


「私がそう教えたのだ。お前はすでにお嬢ちゃんの師匠であるという自覚を持たせるためにな」


「何もそこまですることないじゃないですか。僕は今まで通りの関係で十分です」


 アルファルドの言い分に対し、ハダルは首を縦には振らなかった。


「駄目だ。これもお前のためだ。今のお前ではなく将来性を見据えてのことだ。アルファルド、明日からは師匠として弟子を鍛えるんだ。いいな?」


「は、はい……」


 師匠の「いいな?」は弟子にとっては絶対の命令でもあった。


 未だ困惑気味のアルファルドは素直に従うしかない。


「よし、お前が承認を得たことでやっと次に進めるぞ。装甲衣アーマーについてだ」


「そういえば、装甲衣アーマーはどこにあるんですか?」


 スイはまだ教えてもらっておらず、アルファルドも置いてある場所を知らない。


 ハダルがベッドから降りると、おもむろに本棚を動かし始めた。そして回転扉のように本棚が回ると裏側がクローゼットへと変身を遂げた。


「ここにあるぞ」


 クローゼットにはアルファルドが着用しているような無地の装甲衣アーマーが何着もハンガーに掛けられていた。


「師匠、いつの間にそんな改装を……」


 アルファルドがハダルの家から旅立った時にはただの木製の本棚だったはずだ、と記憶を疑う。


「はっはっはっ。お前がいない間に驚かせようと思って作ったのだ」


 ハダルがクローゼットの中から一着を取り出すと、早速スイに渡した。


「着てみなさい。御覧の通りいくつかサイズはあるから、合ったもの選ぶんだ」


「わかりました」


 スイが何着か試すと、大きくてぶかぶかなものや逆に小さすぎてきついものまで多種多様だったが四着目を着た時に身体にぴったりと合わさった。


「これが一番ぴったりです」


 アルファルドが着ている装甲衣アーマーと同様に見た目は黒い薄手のフード付きコートで軽く、非常に動きやすく作られていた。これを着用したことによって一先ずは命の危機を脱することになる。


「そうか、ならそれ持っていけ。先ほど言った通り無料タダで譲ろう」

 ありがとうございます、ハダルさん。これで安心できます」

 

 一先ずスイは胸をなでおろした。


「いや、まだ早い」


 ハダルは癖のように右手で自分の顎を触る。


「お嬢ちゃん。魔法は扱えるか?」


「い、いえ。使えないです」


 スイは真っ先に首を横に振った。


「なら問題だな。アルファルド、明日からお嬢ちゃんに魔法も教えてやれ」


「簡単なものならできますけど、そもそもスイは十六歳なので義務教育中ですよ? 学校に行く必要があります」


 どこかの学校に転入という形で入るのが無難ではないかとアルファルドは考えているが、ハダルは異なった意見を持っていた。


「高等教育期の最終学年だから専門分野を学べばいい。卒業したてのお前がいい教師になるはずだ。既に役所には許しを貰っている」


 ホロスの場合、個人情報を管理する役所に在学している学校を登録する必要がある。


 学校へ行かないというのはよほどの理由がない限り許可が下りない。


 生徒となる子どもたちは基本的に学校へ通うように法律で定められている。


「用意周到すぎですよ。よく許可が下りましたね」


「この家はフリースクール認定をされているからな。魔法専門なら学校を運営できる」


「フリースクールって何ですか?」


 スイがハダルに疑問を投げかけたところをアルファルドが解説する。


「ホロスには多くの市民が通うパブリックスクールと事情があって就学することのできない子どもたちが通うフリースクールというものがあるんだ。スイの場合、身元が分からないだろう? 学校関係者の信用を得られない可能性が高いから、そういった子は私設のフリースクールに通うことが例外的に認められている」


 フリースクールは主に孤児を対象とした教会の有志が立ち上げたものがほとんどで、ハダルのようにハンターが個人指導の形をとるものはまだまだ珍しいことだ。


「師匠。教えるにも生活魔法はいいとして、僕はスイに闇属性の魔法をどうやって教えたらいいんですか?」


 アルファルドは専門として雷属性の魔法を主に操るが、初めて会ったときにスイが繰り出したものは古くから存在する闇属性のものだ。彼はその専門ではないためまったく使いこなせない。


 するとハダルはクローゼットを回転させ元の本棚に戻すと、二冊の本を取り出した。


「この本を教科書に使え。全属性対応だ」


 分厚くて古い、まったく同じ内容の本をポイっとアルファルドに向かって放り投げた。


「おっとっと……いきなり投げないでくださいよ。ありがたいですけど」


 そう言いつつもアルファルドは難なく受け止めた。古びている割には埃が付いておらず、管理は徹底されているようだ。とりあえず二冊の本はハダルの作業机に置いた。


「さてお嬢ちゃん、いや、スイ。これから夕食まで自由に過ごしてくれ。客人用の部屋は二階にあるからそれを使ってもらって構わん」


「いろいろとありがとうございます。お世話になります」


 スイが礼を言うと、アルファルドがスイの買い物袋を持っていた。


「僕が案内するよ」


「はい。アル師匠」


「なんだか慣れないな……」


 アルファルドは二階の一室へスイを連れて移動し、客人用の寝室へと荷物を置いてハダルの部屋へ戻ってきた。スイは退院した直後の旅の疲れもあるため部屋で休むよう促すとそれを了承してくれた。


 部屋へと戻ってきたアルファルドに、ハダルは不思議そうに首を傾げた。


「お前は休まなくていいのか? 部屋ならあるだろう」


「それよりもお話があって来ました」


 一瞬の沈黙の中にドアの閉まる音だけが響いてゆく。


「ん? 何だ?」


「師匠、僕に何か隠していませんか?」


「何のことだ?」


「とぼけないでください。なぜあの時言わなかったんですか? 僕とスイに共通点があるってことを」


 アルファルドはやや不満そうに口を尖らせた。


「ばれたか……」


 ハダルはばつが悪そうにするわけでもなく、極めて平静を保っていた。


「僕が拾われた時と僕がスイを拾った状況が似ていたことを言わなかったのは妙でしたからね」


 アルファルドがハダルに拾われたのは赤子の時だった。


 物心ついてからアルファルドが話を聞いた時には脱出装置の形をした魔導機の中からハダルが救助したということになっている。


 発見当時のアルファルドに書類形式のIDが発行されていたが、名前と生年月日以外の情報の記載がなかったのだ。それを聞いたことは今でもはっきりと覚えている。


「僕をスイの師匠にした一番の目的は、僕がこの世界にやってきたことへの手掛かりにつなげるためですよね?」


 その問いかけにハダルは俯いたまま答える。


「——そうだ。その辺りも踏まえてお前をスイのそばに置きたかった」


 アルファルドは呆れたように溜息を吐いた。


「ならそうだと最初から言ってくださいよ。そうすればもっと簡単に弟子を説得できたでしょう」


 今のアルファルドであれば真実を確かめたいという探求心で胸が一杯になり、より一層スイの師となるための努力を惜しまなくなると考えた。


「現実から逃げてばかりのお前だからな。敢えて逃げ道を塞いでおいたのだよ」


「酷い……」


 ハダルの容赦の無さにアルファルドはしょんぼりしている。


「お前も夕食まで休め。ただでさえ長距離移動は身体に負担がかかっているんだぞ?」


「これくらい平気ですよ。僕だって正式なハンターなんですから——」


 アルファルドは急激に襲われた疲労に全身の力が抜け、その場に崩れ落ちようとした直前でハダルに支えられた。


「言ってるそばからこれだ。ここ数日は緊張もあっただろう。しばらくベッドで横になれ」


「す、すみません……」


 アルファルドはよろよろとハダルの部屋を出て隣の部屋へ行き、かつての自室のベッドの上に駆け込むように寝た。


 正式なハンターとなってしばらくは自分の実力以上の行動を慎んできたつもりだったが、身体は予想以上に悲鳴を上げている。


 路頭に迷う危険もあるハンター稼業への重圧もありながら依頼をこなし続けていたことによる疲労がここにきて一度限界を迎えていた。


 久しく帰ってこなかった故郷へ降り立ち、そこで油断してしまったのだろうと、自分なりの考察を薄れていく意識の中で続けたがすぐにそれは蒸気のように霧散した。

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