第三話 謎の少女

「こっぴどく怒られてしまった……」


 ハンターギルドの隣に位置する木製の総合医療施設の中に建てられた一階の治療院の待合室で、アルファルドは長椅子に座って佇んでおり、手持ちの魔力通信機リンカーを眺めては気落ちしたようにがっくりと頭を下げた。


 ことの始まりは意識を失った少女を危機に陥りながらも治療院に運び込み、呪文で装甲衣アーマーを解除したアルファルドの魔力通信機リンカーから連絡が入るところにまで巻き戻る。

 

 通信先の相手であるハンターギルドの元を訪れ、魔物の大群の発生報告や不時着した魔導機に搭乗していた傷病者の対応までの一部始終を直接ギルドの職員に報告し終えると「よくやった」という声が出てきた。


 だが不時着した魔導機と街までの距離が短いとはいえ魔物の群れが出てくるリスクの高い時間帯に単独で救出に向かうという無鉄砲極まりない行動については怒りに満ちた発言が多く、非難を浴びた。

 

 依頼の前に徒党を集め、平均的にランクをそろえてから依頼を受け、不時着した魔導機からの救出と同時に傷病者の退避・回復と魔物の撃退に務めるように推奨されていた。にもかかわらず推奨することのできない単独での救助という行動には呆れて物も言えない職員もいた。


 ここまでアルファルドの対応に厳しく指摘するのには、それだけ大切にされている証拠でもあった。


 ハンターたちが避けて通る真昼の流星が降る時間帯にこうして依頼を遂行するアルファルドのような人材は極めて貴重だ。ランクに関わらず危険な地域から生還して戻り、しかも結果まで残している。


 生存率の高いハンターはまばゆい魔石の買い取りを請け負うハンターギルドにとっても良い収入源となる。だからこそ簡単に将来有望なハンターを失うわけにはいかない。


 アルファルドは行動を猛省し、以降は徒党を組みながらハンター稼業を続けようと心の中で誓った。あれだけの魔物群れに襲われたのだから、もう同じ轍を踏みたくない。


 改めて高齢ながら単独での依頼を続ける師匠ハダルがいかにハンターとして化け物じみているのかを痛感した。自分はまだ、師の足元にも及ばないということを学んだ。アルファルドにとって新たなトラウマになりかねなかった今回の依頼は苦すぎる経験となった。


 受け取った報酬は掲載されていた通りの金額で、数日間は宿に引きこもっていられるほどだった。


 待合室で急激な落ち込みからの回復を図っていると、白衣を着用し深紅の長髪をポニーテールにしてまとめた三十代ほどの女性医師——メラク・フォージがアルファルドの前にやってきた。


 彼女は医療施設で定期健診に来るアルファルドの主治医を過去に任されたことがありお互いに顔を知っている。


 メラクは先ほどまで救出した謎の少女を診てくれていた。


「終わったぞ」


 その一言を聞き、アルファルドは顔を上げて椅子から立ち上がった。


「どうですか、メラク先生?」


 メラクは曇った表情をすることもなく、極めて平常だった。


「ああ。容体は落ち着いているよ。不時着した割には軽い打撲で済んだことが一番の奇跡だな」


 ひとまず胸をなでおろした。


「良かった。あとは特に問題ないんですね?」


 アルファルドの問いに医師は頷くが「だが——」と、付け足す。


「彼女の生まれつきだと思うのだが、体内の魔力が不安定なんだ。先天性魔力不全症候群の兆候が見られる。輸液して安定させてはいるが、すぐに君の着ているような装甲衣アーマーが必要になるだろう。明日、彼女が回復したらハダルさんのところへ連れて行って相談するといい」


「わかりました。そうします」


 ハダルは医療施設——特に治療院の人々との顔が広く、メラクも当然のように知られていた。何しろ彼はアルファルドの生命維持装置を兼ねる装甲衣(アーマー)を製造できるプロセスを発見した張本人で、先天性魔力不全症候群の患者を救う希望の光となった。ちなみに装甲衣アーマーに関する一部特許も取得している。


「ところで、彼女の素性はわかったか?」


 アルファルドは首を縦に振らなかった。


「本人の魔力通信機リンカーには『スイ・タカハシ』という名前と生年月日から十六歳だということがわかりましたが、それ以外はロックがかかっているので話を聞かないと何とも言えませんね」


「それは私も聞いている。苗字だけで推察するならカレイドの人間だろうな」


 カレイド。テトラネテス大陸の東端に位置する島国で、かつて鎖国をしていた非常に古く独特の文化を持つ国だとアルファルドは認識している。


「また遠いところからやってきたんですね。あの子は」


「ルーツだけならな——おっと、そろそろ休憩に行かねば」


 メラクは自分の魔力通信機リンカーから時刻を確認して白衣のポケットにしまい込んだ。


「病室は二階の個室だ。そばにいてやれ。大切な依頼主だろ?」


 そう言うと彼女はスタスタとアルファルドの元を去っていった。


「依頼主、か……」


 二階へと続く階段を目指し、重い足を引きずった。


 一歩一歩、木の階段を上って個室となっている病室へ到着すると、扉の前で立ち止まって深呼吸をした。先ほど助けたとはいえ見ず知らずの人間が見舞いに来るのだ。どんな反応をされるかまったく予測できない。相手は依頼主だ。アルファルドの報酬の上乗せが彼女にかかっていることで、今後の人生を左右しかねない重要な瞬間だ。


 念のため、もう一度深呼吸をした。


 遂にコンコンとドアをノックする。


「はい」


 ドアの向こうから少女の声が聞こえてきた。既に意識が戻った様子だ。


 そして目線はまっすぐ、意を決しドアを開ける。


「失礼します」


 いざ入室すると、そこにはやはりアルファルドの救助した眼鏡をかけた少女——スイ・タカハシの姿が真っ白でシンプルなつくりのベッド上であおむけの状態で起きていた。


 服装は入院患者が身に着けているような簡素な病衣で、腕にはメラクや看護師から処置を受けたのであろう輸液するためのカテーテルが左腕に繋がっていた。


「あ……ええっと……どちらさまでしょうか?」


 スイはゆっくりと顔をアルファルド側に向けると、アルファルドの姿にピンとくる要素が思考から出てこなかったようだ。


 その反応を見たアルファルドはスイに自己紹介をしていなかったこともあり、一先ず自分から名乗ることから始めた。


「僕はアルファルド・アクロス。ハンターをやっていて、たまたま不時着していた魔導機から君を助け出したんだ。正確には救われたんだけどね。体調はどうだい?」


 矢継ぎ早に話してしまったが、彼女は会話に付いていけているだろうかと気になってしまう。


「頭の中が、ぼんやりしています……」


 突然の来客を気にしているのか、スイはゆっくりと起き上がる。


「一度に多くの魔力を放出したからだろう。あれだけ消耗すれば身体は少なからず堪えるはずだ」


 スイと名の持つ少女はアルファルドの腕の中で無意識のうちに唱え、自らの持つ闇の領域魔法を広げ、集団で襲い掛かった狼たちをあっという間に粒子化して追いやった。


 牽制や優位な戦況を作るための一領域魔法で、魔物を倒す威力を持つとなるとよほど強力な魔法であることに変わりはなく、代償として身体への負担は非常に大きいものになるはずだ。それが今のスイに眠っているとも起きていくともわからない状態が続いているという証拠でもある。


「そう……なんですね……」


「ああ」


 アルファルドは近くの椅子に座った。


「君の名前はスイで合っているか?」


「おそらく、合っています」


「おそらく? どういうことだ?」


 スイの言葉が妙に引っかかった。


 するとスイは考え込むように俯いた。


「記憶が無いんです。が、わからないんです……」


 あれほどの事態に遭遇したのを思い出せていないことにアルファルドは驚きを隠せず、動揺した。


「な、何も覚えていないのか?」


「はい。ごめんなさい」


 スイは俯いたまま謝罪した。


「い、いや、謝らなくていい」


 アルファルドは首を横に振った。


 救助依頼の追加報酬の話をするつもりが一瞬にして記憶喪失のことに持っていかれてしまい、何を話していいかわからず、しばらくの間沈黙が流れた。何とか話を続けようとアルファルドはスイの記憶のことをさらに聞くことにした。


「スイ。君の一番古い記憶はいつだ?」


「——昨日です。ずっと眠っていて、起きたら真っ白な牢屋の中にいました。しばらくして白衣を着た男の人に連れていかれて、一台の魔導機の中に逃げるように言われました。それで……」


 言いにくそうにスイの言葉が続いてこない。


「それで?」


 アルファルドはせかさぬ程度に自然とスイの発言を促した。


「自動で魔導機が飛び立つ直前にその人は殺されて、わたしは着の身着のままここまでやってきました。それで気が付いたらここに運ばれていて……これで……全部です……」


 話を聞いた限りでは点と点が全くつながらない。わかることはスイがここに来るまで過酷な状況下にいたことと、何もかもが不明なスイを助けようとして亡くなった白衣の男がハンターギルドに依頼を載せた可能性があるということだけだった。


「要するに、何もわからないままホロスに来たってわけか」


「ここが何処がとか、何があるとかはわかるんです。ただ、わたしに関する内容の記憶だけが、モヤがかかったみたいに思い出せない状態なんです」


「……」


 アルファルドは言葉を返せなかった。むしろ何も返さない方が賢明だと思考が判断したのかもしれない。


 スイが不意に両手でシーツを握り、若干瞳が潤った。


「アルファルドさん。無理を承知でお願いがあります。記憶が戻るまでの間、わたしを助けて頂けないでしょうか?」


 両目を閉じて熟考したが、その間は答えを出せずにいた。そして目を開いてこう結論付けた。


「まずは身体の治療が先だ。先生から聞いたところ、君には装甲衣アーマーが必要だ」


「アーマー?」


 訳が分からなそうにスイは頭に疑問符を付けた。


「僕の着ているコートがそうだ。魔力が不安定な人に魔力を安定供給するための、いわば生命維持装置みたいなものだ」


 アルファルドは両腕を広げて分かりやすく装甲衣アーマーをスイに見せた。


「そういうものがあるんですね」

「うちの師匠のところに行かないと手に入らないタイプだけどね」


「そうなんですか?」


「ああ。構造が特別でね。退院したらすぐにでも受け取りに行こう」


「え?」


 スイは思った。メラクから翌日には退院できるとは聞かされていたものの、いくらなんでも気が早すぎるのではないか、と。


 アルファルドには自らの経験から装甲衣アーマーの用意を早めに用意したい理由があった。


 仮にスイがアルファルドと同様に先天性魔力不全症候群ならば非常に限られた命の時間がある。この病気は発症から平均して七十二時間以内に輸液などの対処を行わなければ対象者の心臓を停止させる。


 現状、スイは魔力を多く含んだ輸液によって生きながらえている状態だ。輸液を頼らない方法で生活を送るためにはハダルの元へ行き、特別製の生地を使った装甲衣アーマーを着る必要があった。


「スイ。このままだと、君は命に関わる状態だ。僕のように死なないための、自分に合った装甲衣アーマーを身に着ける必要がある。願いを聞くのはそれからだ」

 

 スイはあまりの物事の早さに困惑しながらも頷いた。


「そのことはお医者さんから聞きました。でも、運が良かったって、言われました。頼りにできる人に拾われたって——」


、か」

 

 皮肉にも聞こえた。何よりの幸運だったのはスイに救われたアルファルドも同じだったからだ。そしてメラクはアルファルドにスイを託すような意味の言葉を彼女スイに投げかけていたらしい。

 

 依頼人の面倒を見ることはこれまでに何度かあった。大抵の場合は依頼人個人から得られる追加報酬を受け取ることが目的であったが、身元のはっきりしない、しかも自分よりも年下の少女を魔導機から拾うことは初めてのことだった。


 ハンターは良くも悪くも現金な人間が多い。

 

 ほとんどの者は報酬を受け取れば依頼人とは関わることなくまた新たな依頼をこなしていく。


 アルファルドも例に漏れず、このあとは何もなければスイとはこれっきりの関係で別れる予定だった。


 しかしながら、スイはアルファルドの羽織る軽くて丈夫な生命維持装置を使わなければ生命が危うい状況にある。通常なら報酬を受け取って宿に帰るところを、アルファルドは何かの縁が絡んでしまい、彼女を保護する立場になろうとしていた。


 メラクからはとても頼りにされているようだが、今のアルファルドは面倒ごとなど早く片づけて次の依頼をこなしたいという気持ちが強かった。誰もがステラというホロスの人々が信仰する聖人になれるわけではない。


 内心は複雑だった。


 それでも装甲衣アーマーを通して師匠であるハダルが絡む一件となるとアルファルドが断るわけにもいかず、必然的にスイの面倒を見ることに至った。


「とりあえず明日の午前中には治療院を出よう。師匠の家までには十分な時間がある」


 翌日、宿を出たアルファルドは退院したスイを迎えに行き、その足でハダルのいる拠点へと歩を進めることを決めた。

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