第一章
第一話 師匠と弟子
三つの大国と一つの島国から構成されるテトラネテス大陸。
大陸の西方にある国、ホロスの西寄りに存在する中心都市イオにて事が始まろうとしていた。
この世界では自然界にあふれる魔力を含んだ石『魔石』を動力源とした魔道具を駆使して人々が生きている。魔石は光り輝く宝石のような石で、各属性によって色が大きく異なる。
ホロスは熱心な教信者の多い聖教国でありながら技術革新を進める先進国でもあり、遠隔の会話を可能とする
しかしながらホロスは既存の技術すらも上書きしてしまうほどの改革を十数年かけて施行してきた。人々の中には古くからある文化をかき消してしまうのではないかという批判も数えきれないほど噴出している。
それでも人口比を見ると改革を評価する者たちが改革を反対する者たちを上回っており、現状では今後も魔道具による高度な技術が年々ホロスへと進出していくことは避けては通れないだろう。
暖かい雪解けの時期に十七歳の誕生日を迎えたアルファルド・アクロスはホロスの法律上、青年として認められるようになった。
快晴の朝方、場所は街中の狭い宿の二階に作られた部屋の一つ。壁にかかっている鏡と右手に持つ櫛を使って寝ぐせを整えている。小さな窓から降り注ぐ日差しが優しく青年を包み込んでいた。髪を整えた後はクローゼットのハンガーにかかっている薄手のフード付きコートに手をかけ、手慣れたように羽織っていく。着替えを終えた次に貴重品を身に着けると部屋を後にした。
アルファルドの職業はハンターで、街の外に出現する魔物たちから取り出すことのできる魔石を回収し、町の中央に建てられたハンターギルドでの買い取ってもらうことが主な収入源となっている。ハンターには剣術や槍術に長ける者、魔導に長ける者、はたまた射撃の心得がある者など様々な人種が行き交う職だ。その中でアルファルドは魔導を扱っている。
斡旋を行うハンターギルドの依頼内容によっては危険な仕事ではあるが、薬草の採集や街の警備の補助といった比較的安全な依頼も存在する。勿論アルファルドも最初はそのような依頼を着実にこなし、やがて魔石を回収する依頼へと転向していった。
アルファルドは生まれながらに両親がいない。親代わりの師匠となるハンターがおり、彼のサポートを行いつつ狩猟の指導を受け、晴れて青年になると同時に正規のハンターに登録することができた。アルファルドにとっては感謝してもしきれない恩人——師匠。
今日は自分がハンターとなってから一か月ぶりにその師匠と会う約束をしている。まだまだ新人の域を超えてはいないが、多少は成長した姿を信頼している師匠に見せることができるかもしれない。
師匠とはあらかじめ
宿を出てしばらく街を散策し、待ち合わせを行ったカフェテリアに入店して二人席の片方に座ると、コートのポケットから懐中時計型の魔道具を取り出して通信を始めた。
「こちら『遠雷』。着きましたよ、師匠——いえ、『
『——こちら『飛電』だ』
やたらと渋い男の声が
本来なら文章を送信するだけでやり取りが終わるはずだが、師匠はいつも頑なに拒み、音声通話にこだわっている。盤上で操作する立体コンソールが気に食わないらしい。
『もうちょっと待ってろ、『遠雷』。通信を切るぞ』
それだけを言い残して通信を終えた。
「——師匠はいつもこうだな」
周囲に聞こえないように静かに呟いた。
アルファルドも師匠も互いに異名で呼び合っているのは、魔力通信機(リンカー)特有のユーザー認証として、声紋認証を兼ねたコードネームの登録が欠かせないためだ。虹彩認証と併用して二段階認証が加えられているため魔道具のセキュリティとしては強固なほうだ。どこで登録したコードネームを発するかは任意だが、たいていの場合は言葉の最初か最後に発言していることがほとんどだ。
このような異名を懐中時計に告げることにより本人だという確証が大幅に取りやすくなる。同じ異名を持つ者同士がコミュニケーションをとることはあるが、声紋と虹彩の違いで対応できるため仮に同名の者と通信を行ったとしても区別することができる。
五分ほど待っていると、通信中にホログラムに投影されていた男がカフェテリアで行き交う人々の間をすり抜けてやってきた。
服装はアルファルドと似たような薄手のコートとジーンズに身を包んでいる。アルファルドの姿を確認した師匠らしき人物が彼の座る二人席の反対側に迷わず座った。
師匠の名は、ハダル・オースティン。
年齢はちょうど四十歳。白髪の多さと髭を生やした風貌から、見た目以上に老けて見える。
そのうえ通信時と同様に声の渋さから尚更実年齢をつかみづらい。
「久しぶりだな。ひと月離れていたが、元気だったか?」
「この通り、何とか生きていますよ」
ハダルと再会して早々にアルファルドは苦笑していた。
一人でハンター稼業を担っていくのは当然ながら複数人で徒党を組んで仕事をすることよりもずっと困難なものだ。何しろ仕事場は大自然で魔物を相手にするため、ハンターギルドの内容によっては転々と宿を変える必要がある。
ハンターは別称として『
ハダルはアルファルドの実力を考慮して嘘だろうと言わんばかりに笑い飛ばす。
「『何とか』はないだろう。十分稼げているはずだ」
そう言いつつ、ハダルはウェイトレスを呼び出して紅茶と二人分の茶菓子を注文する。ちなみにアルファルドはタンポポから抽出されるコーヒーを注文した。苦みが少なくて甘い、アルファルドが好む味だ。一方で紅茶は飲めない。どうにも香りが苦手なのだ。
「年末の献金の精算を考えると憂鬱ですよ。魔力書類の入力とか面倒じゃないですか」
ウェイトレスが去ると、アルファルドはこれから到来する遠い未来の話にげんなりしている。もう一つハダルが笑い飛ばした。
「全部魔力通信機(リンカー)に記録されるから安心しなさい。私がハンターになりたてのころなど……」
ハダルの発言を遮ってアルファルドがその先を言う。
「何度も聞きましたけど全部紙の書類だったって話ですよね。昔の事ばかり話していると時代に取り残されてしまいますよ?」
師匠は弟子に余計な世話をかかれた。
「他人の心配より自分の心配をしなさい」
「こうして弟子の顔を見に来るだけ師匠も人の事言えないじゃないですか」
しばらく他愛のない話をしていると、ウェイトレスがマグカップに入った二人分の飲み物と茶菓子を持ってやってきた。アルファルドたちが受け取って礼を言うとウェイトレスは一礼して去っていった。
「それで、仕事の方はどうだ?」
ハダルが紅茶を一口。続くようにアルファルドはタンポポのコーヒーをゆっくり二口ほど飲む。
「風呂付の宿代が一か月払えている時点でおわかりでしょう」
「そりゃまぁそうだが、ちゃんと食えているのか? 最近は小食が流行しているそうだが、食が細いままではハンター稼業に少なからず影響が出るぞ」
健啖家で酒好きな師匠。同世代の者は消化機能が衰えがちだが、ハダルはいい意味で健康面を気にせず、好きに食べ好きに飲み明かしているようだった。それはアルファルドが彼と一緒に住んでいたころと何ら変わりはない。
いつもの師匠だな、と脳内で考えているアルファルドをよそに、ハダルが豪快に茶菓子に齧りついている。とりあえずアルファルドも合わせて一口ほど茶菓子を食す。
「過度に多い量を取ると思考や動作が鈍くなるので、それでいいんです」
ハンターは身軽さを維持することも大切な仕事だ。魔物に対し近接戦闘を行う際はハンター自身が何かしらの手段を講じ、身を守らなければならない。たとえ徒党を組んでいたとしても仲間が他者を救助できるとは限らず、寧ろ敵前逃亡すらありうる厳しい世界だ。逆を言えば強力な魔物に挑めば無謀だ、という状況から逃れなければならないケースも当然存在する。その選択をいかに判別するかは、ハンターの実力と経験に左右される。
「それより師匠の方はどうなんですか? 年齢も年齢ですし、鈍ってしまっていないか気になります」
アルファルドの問いに、ハダルは首を横に振った。
「私はまだまだ現役さ。肉体的な衰えなどいくらでもカバーできる」
この世界ではアルファルドのような若手のハンターが目立って多くいる一方、数少ないベテランと呼ばれるハンターは三十歳以降と定義される。ハダルはすでにベテランの領域に入ってもう十年が経過しようとしている。
世代の新陳代謝が激しいハンター稼業において、第一線で活躍するハダルのような人物は非常に珍しい。大半は体力の低下に伴って早々と引退し、ハンター時代に積んだ実績を評価されてハンターギルドの職員に就職するのがハンターたちの人生の王道でもある。しかし近年は事務作業に特化した魔導機を導入し、人件費の削減や業務の効率化を図った結果、リストラが続出して別の職種を探す必要が出てきている現状が絶えない。
「アルファルド。先月からとはいえお前もハンターだ。現役が花で、引退すればあっという間にその花が散っていく現実はわかっているだろう。少しでも延命していくことこそ、私たちが生きるべき道だ。本当は長生きなんてしたくはないがな」
ハダルの言葉には衰えに対してあらがう姿勢が見られた。
「それは短期間で死ぬほど解りました。本当に僕は運がいい方なんだと……」
言いかけたとき、表情が曇る。
ハダルはアルファルドの顔色を見て察した。
「その顔は……知り合ったやつが死んだようだな」
「女性のベテランの方だったのですが、依頼のため一時的に徒党(パーティ)を組んだ後解散して、数分後には——」
「魔物に襲われたんだな? とてもつらかっただろう」
アルファルドの喪失感を分かち合うかのようにハダルは同情した。
共に依頼を終え、笑顔で別の依頼に向かっていた彼女の姿がひどく懐かしく思えた。
「最初は胸が痛みました。でも、慣れって怖いですね。師匠と一緒だったころはわかりませんでした。当たり前のように僕と同世代のハンターも、ベテランの方も、一歩間違えば死ぬんだって、死を慣れた頃にようやく理解できました」
「お前をハンターに仕立て上げた私は間違っていたのか?」
「そ、そんなことはありません! 僕はハンターとして仕事を教えてくださった師匠に感謝していますし、何しろこの特異な身体のことまで面倒を見ていただけたことが何よりありがたかったです!」
声の大きさから周囲にいたほかの客が何事かとアルファルドたちに視線を向けた。それに気づいたアルファルドは赤面しながら一つ咳払いをする。
赤子としてハダルに拾われた時には、生まれつき魔導の資格があるほどの素量を備えてなどいなかった。さらに体内にある魔力量が極端に少なかった。それは人々の中には血液と同等の機能を持つ魔力が流れているもので、放っておけば命そのものが潰える状態にあった。そんな自分を、師匠は全身全霊で助けてくれた。時にはハダルに反抗していた時期もあったが、辛抱強く自分を育ててくれたことに、アルファルドは感謝してもしきれない。
次々に依頼をこなしていく歴戦の勇士を近くで見過ぎてしまった弊害として、ハダルといればハンター稼業を決して死なない職種ではないかと錯覚してしまっていた自分がいた。それが今になって依頼を躊躇い、何日も稼げなかった時期があった。それでも、ハダルから受け継いだノウハウを何とかして昇華させようと必死だった。ハンターとして生きる術を教えてくれた師匠に少しでも恩を返していけたら、と。そう奮い立ったおかげで、今の自分があるのだとアルファルドは話しながらに気づいた。
「そうだ、それでいい。恩を仇で返すような真似をしない以上、私は幾分成長したお前を誇りに思っている」
「師匠を裏切るようなことなんて死んでもできませんよ」
「だといいが。人生なんぞ何が起きるかわかったもんじゃない。私もお前もな——」
そうハダルが言い終えた時だった。
ポーン、と音叉をならしたような通知音が
「魔物の大量発生の予報——お昼ですからね」
「この情報を知りたいのは私たちぐらいだというのに、町の人間までこいつで知らせるのは大げさすぎやしないか?」
「今に始まったことじゃないですよ。住人が外へ出たら危険なことを知らせないと、寄ってきた尋常じゃない数の魔物をハンターだけで対処するのは無理な話です」
「便利な時代になったものだ。時計塔の鐘を鳴らして合図を受け取っていた頃が懐かしい」
「今は通信機を使う時代です。さすがに三世代も超えたのでいい加減師匠も慣れたでしょう」
「会話だけは声でやり続けたい」
「せめて文章も使いましょうよ……」
ハダルは譲れないとばかりに首を横に振った。
「魔力を操り呪文を唱えてこそ私たちハンターだ」
誇らしげだった。
「何も
ハダルの音声へひどく拘る様子にアルファルドはそう疑問を投げかけた。
「わ、私が文章の入力を面倒だと思っていたら大間違いだぞ!」
師は赤面した。どうやら図星だった様子だ。
「じゃあ普段から打ってくださいよ」
「お前ももう子供じゃないんだ。それに、ハンターとしての依頼がこれからやってくるというのに、楽観的でいられるか?」
話題を切り返したハダルの言葉に、アルファルドはうっかりしていたとばかりに表情を変えた。
「そ、そうでした! 流星が降った後の魔物の討伐や不時着時の救助、緊急依頼として出ますよね!? ちょっと確認してみます!」
青白く光る文字の中には「緊急依頼:不時着した魔導機の人員救助を行うことの出来るD-7ランク以上のハンターを求む」と表示されていた。提示された金額もそれなりのもので、風呂付きの宿であれば数日は泊まれるほどだ。
通常ハンターランクはアルファベットと数字の組み合わせから算出される。最高ランクはS-1で、そこから数字の大きい順に十段階で難易度の低い依頼が組み込まれている。アルファベットはランクの高い順にS、A、B、C、Dで、そこに数字が加わり1~10が付随される。アルファベットが同じ場合は数字の小さい順に依頼の難易度が高くなる。
現在見ている依頼内容はD-5ランクを持つアルファルドの条件に合う依頼内容だった。自身のハンターランクと依頼の難易度を見極めながら立体コンソールを操作して受諾の有無を選択し終えると、自動的に魔力通信機のホログラムが消えた。
食事を終えたアルファルドがいそいそと片づけを始めた。
「行くんだな?」
「はい。支払いは現金でお願いします。またお会いしましょう」
「ああ。お互い生きていればな」
二人分のお茶とコーヒー、そして茶菓子の金額分の紙幣と硬貨をテーブルに置き、アルファルドはカフェテリアを早々と去った。
声のないテーブル席が寡黙に茶菓子のあった皿やコーヒーやお茶のあったカップを支配している。
しばらくしてハダル自身の沈黙を破るためウェイトレスを呼び勘定を頼んだ。
「申し訳ないが、現金で頼む。魔力が尽きてしまってな」
めったなことでは動くはずのない店の奥にあるレジスターが起動し、紙幣と硬貨は自動で計算機に委ねられ、伝票の金額を合致するか確認する。正確無比に数字が表示され、一枚の細長い紙製の領収書が飛び出したことを確認してハダルはそれを受け取った。
「さて、無事に帰って来られるかな……?」
誰に聞こえているのかもわからない、ベテランハンターの静かな独り言だった。
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