第26話カノジョの真意は

 瞼がゆっくりと開いていく。視界はどんどん広がっていった。

 最初に見えたのは茜色に光る空だった。

 時刻は夕方くらいだろうか。茜色の空は一種の幻想的空間を生み出しているように思う。


「智風くん……」


 空を眺めているとふと逆の方から声が聞こえてきた。

 ゆっくりと視線を空から外し、そちらへと向ける。

 黒髪ショートヘア。右耳につけた猫のヘアピンは施されていなかった。


 先ほどの夢との食い違いに若干の違和感があったためか瞬時に気づくことができなかった。

 でも、声から俺の記憶がそこにいる人物を割り出していった。

 戻ってくる意識。体は自然と起き上がっていた。


「結衣……」


 俺の言葉にその人物、六条結衣は丸い目をこちらへと向ける。

 キラキラした瞳に柔らかそうな唇は微かに潤っていた。

 刹那、彼女から笑みが溢れる。


「うん、結衣だよ。智風くん」


 そこで気づいた。俺は解呪したんだと。


「気分はどう? 吐き気とかはない?」

「なんていうかちょっとモヤモヤするって感じだな」

「ほんと? 大丈夫?」

「いや、平気だ」


 一息つき、さらに俺は口にしていく。


「これからそのモヤモヤを解いていこうと思うから」


 結衣は目を大きくして俺を見つめた。その視線に優しい目で答える。


「マーグネース」


 開口一番。俺はその単語を口にした。


「結衣は梶川から聞いたか?」


 まずは互いの意思疎通を図らないといけない。今の結衣がどこまで知っているのかを知る必要があった。


「うん、聞いたよ。私の身に起こったこと。それに智風くんに起こったことも」


 さすがは梶川。全部教えた上で結衣をここに呼んだんだな。


「そっか」


 なら話は早い。伝えよう結衣に。俺の気持ちを。


「俺さ。最初、結衣に無視された時すごく辛かったんだ」


 丸くなっていた結衣の目はいつしか、その丸みをなくし真剣眼差しで俺を見ていた。


「メッセージ送っても既読無視されるし、電話しても出てくれなかったし、直接会ったにもかかわらず話をしてくれなかった。最初それがとても悲しかったんだ」


 結衣は何かを我慢するように腿に手を置きつつ、服を握りしめていた。結衣からしたらとてつもなく苦しい話かもしれない。でも、言うと決めた。

 言わずに後悔するくらいなら、言って後悔してやる。


「でも、あの結衣が何の理由もなく、突き放すなんてことはないと思った。だから梶川に相談したりして色々と根回しさせてもらったんだ。遊園地の企画も俺が梶川に相談した時に出てきたんだ。それで、あの時はごめんな。お化け屋敷で怖い思いさせちゃったりして」


 結衣は必死に首を横に振った。唇を噛みながらしっかりと堪える。


「それから観覧車で思いっきり拒絶させられた時も、意味がわからなくて混乱した。あの時の言葉が頭から離れなくて、傷ついてた。加えて遊園地以降、一層突き放されるようになって、さらに傷ついた」


 結衣から無視された期間は今でもはっきりと記憶の中に残っている。


「さらに時間が過ぎて結衣が入院した時。散々無視されてたからどうやって話せばいいか全く見当つかなくてさ。そしたら結衣が中学の頃の結衣みたいでさ。また混乱した。全くもって意味不明だった。でも、嬉しかったんだ」


 噛んでいた唇が解ける。次第に表情は柔らかくなって言ったように思えた。


「やっと戻ってきてくれたと思って。色々と意味のわからない出来事ばかりだったけれど、今の結衣が昔の結衣に戻っていたって事実だけで俺は良かったと思った。でも、世の中やっぱそれじゃダメみたいだった」


 きちんと理由を知る必要があるんだ。どんな出来事にも。


「結衣の病室を出た後、俺は梶川から『マーグネース』って言う未知のワードについて話された。そこで結衣がやっていた行動の真意を理解できたけど、そんな夢物語みたいな現象の疑問に埋め尽くされた。

 結衣は疎か、俺まで『マーグネース』の呪いがかかっていることにも驚きでさ。解呪のための道のりは長かった。でも、結衣に比べれば大したことないんだけど」


 こんな呪いに数年付き合っていた結衣を心からすごいと思った。


「そこから解呪に向けて色々と試行錯誤して、いろんな場所に赴いては何も起こらないって言うことを繰り返して全部理解できた気がした。結衣がどんな思いで俺を無視していたのか、どんな思いで『マーグネース』に向き合っていたのか全部わかった気がしたんだ。

 今だからこんなこと言えるのかもしれないけど、マーグネースにかかって良かったとも思ってる。マーグネースにかかっていなかったら結衣の気持ちを理解できなかったし」


 それにこうやって、結衣に話そうとも思えなかったから。


「でもさ、まだ完璧に理解したわけじゃないんだ。だからさ、聞かせくれ。結衣が思っていたこと全部を」


 俺は改めて、優しい目を結衣に向けた。真剣な表情をしていた結衣の目は一呼吸置くことで瞑り、穏やかな目へと変化していった。


「私ね。マーグネースのことを知る前、お父さんを事故で亡くしたの。最初連絡を聞かされた時は全く信じられなかった。唐突だったから、お父さんがいなくなったっていう事実が受け止められずに毎日生活してた。

 でもね、いつも座っている椅子に誰も座っていなかったり、いつも帰ってくる時間に『ただいま』っていう声が聞こえてこなくなったら自然と悟っちゃうんだよね。

 もうお父さんは生きていないんだなって。そう思ったら、自然と涙が出てきちゃって、止まらなかった。お父さんがこの世にいないと思ったら、なんだか私の中で色々崩れていっちゃって、立つことすらできないままずっと泣いてた。

 体が張り裂けそうになって、『なんで自分今こんな辛いんだろう』って体が言うこと聞かなかった。

 数日したらようやく自分の中で折り合いがついてきてね、自然と元気が出てくるようになった。それでも、あの時の気持ちを忘れたわけではないんだ。

 夜にファイルを整理していた時、ふと出てきたマーグネースに関する資料に私は目を釘付けになったの。確かに夢物語のような現象だったけれど、嘘ではあんなできた資料を書くことはないと思ったから私はこの現象を受け止めて読んだ。

 そしたら、私が過去に辿ってきた境遇とマーグネースの起こす現象が似ていた気がしてゾッとした。

 自分はもしかするとこの呪いにかかっいるんじゃないかって。だからこの資料が送られてきたんじゃないかって。

 読み進めていくとさらに恐怖に絡め取られたの。もしこのまま私が智風くんと連絡を取り合っていたらもしかすると智風くんまでお父さんと同じことになっちゃうかもしれない。

 その日から智風くんと連絡取るのが怖くなっちゃって。ごめんね、だから私智風くんに返信することができなかった。

 いつも智風くんからのメッセージに既読をつけては返信しようとして止まっちゃうの。返信したら智風くんに良くないことが起こっちゃうんじゃないかって文字を打っては消して、打っては消してを繰り返すの。

 でも、無視しては毎日メッセージをくれる智風くんを見ると『このままじゃダメ』な気がして、私は部活をやめて、マーグネースの解呪に専念するようにしたの。

 資料の他にゼロ磁場が書かれた地図があったからそれを頼りに進めていった。

 ゼロ磁場の量は多いというわけではなかったけれど、親に隠して行うには時間も費用も足りなかったから遠くのゼロ磁場にはあまり行けなかったの。

 友達と遊ぶと言う口実のもと平日はなるべく近くのを。休日には遠くのゼロ磁場に赴いていた。夜遅くなると感づかれちゃうから遠くに行っても、ゼロ磁場は一、二カ所しか回れなかった。 

 数ヶ月経っても解呪はできなかった。それでも着々とゼロ磁場は埋めていた。これならいつかは解呪できるはず。私はそれ信じて再び頑張った。

 でもね、その間もずっと智風くんと話せなかったのはやっぱり辛かった。

 きっと解呪できる。また智風くんと話せる日が来る。強く思って必死にゼロ磁場を回っていた。そしたらあんな大きなハプニングが来るなんて思いもしなかったな。

 智風くんが自分の学校に引っ越してきた。

 最初これこそ夢なんじゃないかって思って、腿を突っ張ってみたけど痛かった。これは現実なんだって、そこでわかった。

 嬉しい思いもあったし、悲しい思いもあった。辛い思いも虚しい思いも、ちょっと怒りを覚える思いもあったりしたかも。

 その中でも、今まで智風くんのメッセージを無視してきたことへの罪深さが大きかったと思う。

『智風くんは何も言わなかった私をどう思っているんだろう?』って思いながら隣に来る彼を見てしまった。

 そしたらだよ、あまり自信なさげだったけど、確かな笑みで『久しぶり』って言ってくれるんだもん。すごく嬉しかった。どうしようもないほどひどいことした私にそんな顔向けるなんて愛おしくになるに決まってた。

 凄く喋りたかった。でも、やっぱり体は言うこと聞いてくれなかった。ここで喋ったら智風くんに悪いことが起きると思った。だから何も言わず、辛い思いを悟られたくないと窓の方に視線を向けた。

 授業中、放課、お昼ご飯の時間。智風くんは隣だったからいつでも話す機会があった。話したかった。でも、喋りかけるほどの勇気が私にはなかった。

 代わりに私はゼロ磁場へ赴く頻度を少し多くした。早く解呪して智風くんと話したかったから。でも、一向に解呪先は現れなかった。

『このまま解呪先が現れなかったらどうしよう?』って、私は徐々に不安を抱えるようになっていた。

 智風くんと一緒の日直になった時、声をかけられた私は正直戸惑ちゃった。でも、さすがに無視はできない。少しためらいながらも喋ってみた。

 とても幸せだった。今まで話せなかった分、短い話だったけれどすごく幸せだった。

 だから同時に智風くんを亡くしたくないっていう感情が湧き出てきた。このままこの幸せを受け止めてしまえば、もう二度と手に入れることができないかもしれないから。

 智風くんに『覚えてる?』って聞かれた時はちょっと寂しかったかも。覚えてるに決まっている。こんなに好きな人忘れられるわけがない。でも、その言葉を少しだけ悪用させてもらちゃった。

 口にしてしまえば、智風くんとの関係にヒビが入ってしまうかもしれない。でも、関係がなくなるよりはマシだって思った。

 けど、まさかそれでも諦めてくれないなんて。智風くんはやっぱり侮れないなってなった。

 理子と関係を作って、私を強引に連れて来るんだもん。集合場所に智風くんがいた時はびっくりしちゃった。

 それに理子が『智風くん狙ってる』なんていうのも凄くずるかった。とても辛かった。私の気持ちを知らずにそんなことを平気で言ってきて、イラついた。私だって、智風くん

を取りたかった。

『お化け屋敷に行こう』って決まった時は恐怖であまり考えられなかった。でも、ランダムルーレットで智風くんと一緒のペアになることができてよかったと思った。

 もし、理子と智風くんだったら耐えられなかったと思った。

 怖い思いをしていた私をそっと庇ってくれたのがとても嬉しかった。あんなひどいこと言うんじゃなかったって後悔しちゃった。

 何を言ってもそれでも近くにいてくれた智風くんがやっぱり愛おしいと思った。

 好物のチョコミントアイスを買ってきてくれたのが嬉しかった。だから私は少し甘えてみることにした。

 多少の不幸ならば、私が庇えると思った。それにもしかすると全部嘘なのかもしれないっていう考えもあった。

 最初は控えめに行こうって決めていたんだけど、愛おしいっていう気持ちを抑えた体はいうことを聞いてくれなかった。

 抱きしめたい……キスしてみたいっていう感情が治らないで半ば強引になっていたと思う。

 でも、マーグネースって呪いはしっかり私の中にあった。それも起こる不幸は私にはどうにもならないことだっていうのもわかった。

 だから私はとにかく解呪しないといけないと思った。

 遊園地後から智風くん見ると気持ちが収まらないような気がして、強引に避けるようになった。繁殖して、マーグネースの探し方も強引になった気がしたの。多分、お母さんにはすぐに感づかれたと思う。

 ある時、お母さんに言われたの。『今日綾辻くんに会った』って。何が言いたかったのかはすぐにわかった。

 だって、その時送ったメッセージが『智風くんと一緒に遊ぶ』だったから。

 お母さんに話そうと思った。でもね、お母さんも私と同じ気持ちなの。違う、お母さんの方が辛いと思うの。

 お父さんを亡くして。誰よりも辛いのはお母さんだと思うの。だからそんなお母さんを今度は娘のために辛い思いをさせるのは嫌だと思った。

 私は何も言わずに自分の部屋に篭った。

 多分、明日が私にとって最後の一日になる。何もかも失うか、手に入れるか。

 行く朝の早い時間。私は親より早く起きて、遠出した。マーグネースを解くために。

 神様に願った。どうか私を救って欲しいと。

 ゼロ磁場に赴いた時、体に違和感を感じた。体が熱くなって、立っていられなくなった。

 そして、夢を見たの。中学校の頃智風くんと遊んでいる夢、私が引っ越しちゃう夢。大

切なあの頃の夢を見たの。そこで私は願った。去り際、智風くんに本当の気持ちを言って

欲しいと。

 智風くんは私が願った通り言ってくれた。自分の思っていたことを。どんなことでもよかった。たとえ非難されることでも嬉しかった。言ってもらえたことに嬉しさを感じていた。

 少し強くなれた気がした。抱きしめた智風くんの体から勇気をもらえた気がした。

 暗闇の中、私は再び願った。『幸せな日々を』

 目覚めた私は、真っ先に駆け出した。きっと解除できたに違いないと。智風くんに会いたいと強く思った。

 そこで鉄パイプの落下に巻き込まれるなんて思ってもみなかったけど、今までの痛みに比べたら大したことなかった。

 入院中、度々来てくれる智風くんに対して心が踊った。

 色々と謝りたかった。自分に起こった境遇を話して謝りたかった。でも、夢物語のような話をして智風くんはどう思うのだろうと少し躊躇われた。

 だから私は関係を修復していくという形で頑張ろうと思った。これからは智風くんにたくさん甘えて、たくさん甘えられたいなって思ったの。

 そしたらさっきね。理子に全部話してもらえたんだ。改めてマーグネースのことについて、それとこの入院中に智風くんがマーグネース解呪に勤しんでいたこと。今日、マーグネースの呪いが解呪されたこと。

 私、それを聞いていてもたってもいられなくて、智風くんが眠っている間ずっとここにいたんだ」


 しゃべっている時の彼女の起伏は激しく、優しい口調になっていることもあれば、寂しい口調になっている時もあった。


 でも、最後にははっきりと笑みを送ってくれた。目に浮かんでいる涙は決して悪いものではなかったと思う。


「そっか」

「だからその……」


 少しもじもじする。何かを言おうとしている様子だ。俺はじっと待つことにした。


「ごめんなさい。私、智風くんにすごく失礼なことしたと思う。それもいっぱい」

「いや、そんなことないさ。それに、それだけ失礼なことされたんだったら、次はたくさんいいことして返してもらえばいいしさ」

「うん。約束する。私、智風くんのやりたいことをとことんやる」

「そっか。じゃあさ、一つやりたいこと言っていいか?」

「うん! なんでも大丈夫だよ」

「じゃあ……」


 俺は一息ついて、結衣の方を除いた。

 真剣な表情をした俺に結衣は目を丸くしていく。


「結衣……俺と付き合ってください」

「え……」


 結衣はぽかんと顔を赤らめ俺の方を覗いた。

 確かに、藪から棒にこんなことを言うのは正直意味がわからないか。


「いや、そのさ。こんなこと聞くのはちょっと恥ずかしいんだけど、結衣って俺のこといつから好きになったとかあるか」

「あ、その……ちょっと言いにくいんだけど、智風くんが告白してくれる前から好き……だったかも」

 やっぱり、梶川の言った通りなのかもしれない。確証はないが、振り払うことならできるだろう。

「そうか。あのさ、梶川から聞いたかはわからないんだけど。マーグネースってさ、好きになった人が自分のことを好きになるって言う効果もあるんだ」


 そこで結衣はハッとしたような表情を見せる。察しがついてくれたようだ。やっぱりこう言うのは敏感になるよな。


「だからさ。今、俺たちって解呪した仲であってさ。もうそんな効果はないんだよ。でも、俺の中ではまだ結衣のことが好きだし、大好きだからさ。そう言ったこと含ませずにさ。今一度、結衣に俺の思いを伝えておきたいんだ」

「そ、そうなんだ。わかった。じゃあ……その……もう一度お願いしていい?」

「あ、そうだよな」


 もう一度大きく深呼吸する。さすがに二回同じことを言うのは恥ずかしい。でも、これだけは伝えておかなければいけないんだ。


「結衣、俺と付き合ってくれないか」


 俺の言葉に彼女は満面の笑みで答えてくれた。


「はい、宜しくお願いします」


 刹那、肩から荷が降りるように俺の体にあった気持ちが一気に抜けていった気がした。


「だ、大丈夫?」


 ドッシリとベッドに横たわった俺を、顔を覗くようにして結衣は覗いてくる。


「あ、ああ。なんかすごい力の抜ける感覚に襲われて。起き上がれないかも」

「ふふっ。そっか。智風くんも大変だったんだよね」


 結衣は手を俺のほおに重ねる。


「今はゆっくり休んで。私はここにいるから」

「それじゃあ、余計休まれないかもな」

「ええ、そんな!」

「冗談冗談、じゃあ、お言葉に甘えて眠らせてもらおうかな」

「うん」

「なあ、結衣」

「寝るんじゃなかったの?」

「これだけ言わせてくれ」

「わかったよ」

「結衣の怪我が治ったらすぐにまた遊園地行こうな。また二人で色々なアトラクション乗ろう」

「うん、絶対だよ。約束。私また考えるからね」

「もちろん。じゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」


 長い戦いが終わったように張り詰めていた俺の気持ちは安らかな世界へと包まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る