第25話懐かしい記憶
「そもそもチョコミントっていうのはね……」
ぼやけた意識の中そんな言葉が俺の耳に聞こえてきた。
「ねえ、聴いてる?」
目の前の彼女は俺の顔を覗いてくる。
ショートボブに右髪にかけられた猫型のヘアピンが特徴的だった。
「ああ、聴いてる。というか何度も聞かされてる」
「それだけ重要ってことなんだよ」
彼女の真剣な表情に思わず苦笑いを浮かべてしまう。
彼女は視線を俺から外すと自分の手に持っていたチョコミントアイスクリームを口にした。表情は幸せそうで、見ているこっちまで幸福をもたらしてくれる笑みだった。
俺もチョコミントアイスを食べる。いつも食べているチョコミントアイスとはちょっと違う味がした。
いつもなら慣れてきたせいか美味しく感じてしまうものなのだが、今はまったく感じられなかった。
「智風くん、やっぱりチョコミント嫌い?」
「え、いや! そんなことないよ。全然。結衣が好きなものを俺が嫌いになるわけないって」
「ほ、本当?」
「ほんと、ほんと」
必死に否定する。彼女、結衣が心配そうにこっちを見るのがいたたまれなかった。
「よかった」
安堵した結衣は再び、チョコミントを口にする。やっぱり表情は幸せそうだった。
それにしても……
俺はこの一連の流れに違和感を覚えた。
第一に結衣の容姿が幼くなっている。
胸やお尻の成長はまだなのか今の結衣の容姿とはかけ離れているように思える。
でも、なぜか違和感がなかった。
それは多分、着ている服に問題があるのだということがわかった。
中学時代の制服なのだ。高校で着ている服の色と微妙に違っている。
次に俺は今結衣の言葉に無意識に返していた。
勝手に言葉が頭の中に出て、気づけば口に出していた。
結衣の仕草に心惹かれるところもあるが、それも今の俺の感情とは少し違うように思える。
今の俺には心なしか安心感があった。
なぜこんな状態になっているのかはわからない。だが、これがどういう状態なのかは理解することができた。
これは俺の記憶なのだ。結衣といた大切な時間の。
「でね、さっきの続きなんだけど、チョコミントの歴史はあるアイスクリーム店から始まったんだよ」
再び結衣は語りかけてくる。
人は自分の好きな話をするとき目を輝かせる。今の彼女はまさにそれだった。
だから俺は彼女の言葉をじっくり聴いていた。結衣の好きを俺にも分けて欲しいと願っていた。
ふと視界が明るくなっていく。
****
「ねえ見て、智風くん。私たちの学校見えるよ!」
目を光らせながら前に座っている結衣は外の景色をのぞいていた。
気づけば俺は観覧車に乗っていた。
「結衣って観覧車好きな方なのか?」
「すごく大好きな方。こう広がる景色を見ると心が穏やかになるの」
「おお、まじか! 実は俺もかなり好きなんだ! 普段は局所的にしか見えない街が全体的に見える時って心が踊るんだよな」
「そうなんだよね。あと、遠くにそびえ立ってる山とかも趣があっていいって思う。みんな乗るならロマンチックな夜がいいとかいうけど、お昼も悪くないんだよ」
「それと天気や季節によっても見え方が変わってくるから観覧車は乗ってて飽きないんだよな」
「ふふっ。そっか、智風くんも観覧車好きなんだ。今度さ、観覧車巡りとかしない?」
「お、いいね。やろうよ」
「うん!」
結衣は元気よく俺に返事をくれた。
それから二人でまた景色を眺めた。時刻が昼だったためか視界は広く、いろいろな場所を探したりした。
「ねえ、智風くん……」
頂上へさしかかってくる途中、結衣がボソッと呟く。ためらいのようなものが混じっていた気がした。
「どうした?」
「そのさ、すごく綺麗な景色だね」
「そうだな。この場所高台に作られているっぽいからかなりの絶景だと思う」
「うん。だから……その……ちょっとロマンチックなことしたいなって思って」
「ロマンチックって……」
なんとなくわかってきたというような感じで体が熱くなっていくのを感じる。あくまで無意識だ。
これは俺の記憶。忘れられるわけがない記憶。
だからこの展開ははっきりと俺の脳裏に写っていた。
「キスとか……」
真っ赤な顔でこちらをのぞいてくる。自分で言って、とても恥ずかしかったのだろう。
凛とした瞳は心なしか上目遣いをしているように感じられた。
真っ赤な表情が映ったのかほおが熱を帯びたように熱くなる。無意識とはいえ、今の俺にもそう言った感情が芽生えているように思う。
「あ、ああ」
たじろぎながらも承諾する。
お互い見つめ合い、顔を近づけていく。
髪につけられた香水が鼻をくすぐった。目の前にいた結衣は次第に瞳を閉じていく。それに重ねるように俺も視界を閉ざしていく。
残ったのは柔らかい唇の感触だけだった。
これが俺のファーストキスだったと思う。
瞬時、暗かった視界に一筋の光が差した。ともに唇の感触は和らいでいった。
再び視界は真っ白になる。
****
「私ね、引っ越すことになったの」
「え、今なんて……」
今度は学校の帰り道。結衣から突如その言葉が出てきた。
頭の中に靄がかかる。この時の俺は状況を飲み込めずにいた。いや、状況を飲み込みたくなかったっていうのが正しいのかもしれない。
「ごめんね智風くん。私もうここにはいられないの」
悲しげな顔をする彼女に思わず言葉を失ってしまう。
引っ越すってことはもうこんな風に毎日を過ごすことができないということ。
とても悲しくて、辛い。でも、あの時の俺には引越しの知らせをした彼女の表情にやり場のなさを感じてしまっていた。
「そうか。でも、携帯があるし離れててもいつでも話ができるからそんなに悩む必要はないよ」
だから俺は彼女を励まそうとポジティブな方向に運んでいこうと思っていた。
俺の話を聞いて、結衣は目を丸くする。それから穏やかな表情になり、俺に微笑んでくれた。
「そうだね。私たちもう会えない仲になったわけじゃないもんね」
「ああ。向こう行っても、Lineは毎日のようにするし、電話もする。向こうで彼氏なんて作らせないからな」
「っ! そんなことしないよ! 智風くんこそ私以外の子と付き合ったりしないでね」
「しないよ。そんなこと絶対に」
「ほんと?」
「ほんと、ほんと」
「そっか。よかった」
結衣は優しく微笑んでいた。
うまく励ませた。この時、俺はそう思った。
でも、もしかすると本当は違ったのかもしれない。
視界はまた真っ白になる。
どれにしようかな?
俺は結衣との別れの前に一人でプラネタリウムに来ていた。
おっ。これいいんじゃね?
俺が手に取ったのは二つに分けられた星型のアクセサリーだった。
これは今の俺の携帯につけられていたものだ。
とてもロマンチックな産物に心惹かれ、すぐさまレジへと赴く。
レジで並んでいる最中、俺はこの後の展開について考える。
結衣と別れる間際にこれを渡すことによって俺は彼女に自分の思いを伝えようと思った。
でも、本当にこれでよかったのだろうか?
無意識に沸き起こっている虚無感を感じながら俺は意識を動かす。
こんな別れ方でよかったのだろうか?
引越しの知らせをしてくれた時に見せたあの笑みは心からの笑みだったのだろうか。
あの時の俺は励ませてよかったと思ったが、果たしてそれは正しい選択だったのだろうか。
自分の気持ちを伝えずして、このアクセサリーに乗せるなんてただの逃げではないのだろうか。
「では、次の方」
考えているとレジの店員に呼ばれる。ふと、視界はまた真っ白になっていった。
結局、自分の心に整理がつくことはなかった。
****
「じゃあ、私いくね」
荷物を積み、結衣は最後の別れを俺に告げた。
ポケットには買った星型アクセサリーが入っていた。
「結衣……」
「どうしたの?」
きょとんとする彼女。俺はポケットに手を突っ込んだ。アクセサリーを手で掴む。
このまま無意識化で流れていく記憶のシーンをただただ眺めるだけでいいのだろうか。
先の展開をこの時の俺はまだ何もわかっていない。
虚無感をさらに虚無感で包みこむような感覚に襲われることをこの時の俺はまだ知らない。
俺は意識的を集中させ、無意識化に行動する自分を制御しようと試みた。
刹那、アクセサリーをポケットから出そうとした俺の手はその場で止まった。
結衣は未だに何かを待つようにして俺を見ている。
さらに意識を集中させ、俺は自身に言い聞かせる。
俺があの時プラネタリウムに行ったのは虚無感に包まれた自分の心を癒すため。物という形で結衣に何かを渡そうとしたのもそれの類なのだと思う。
でも、一時の間は解けなかったじゃないか。
自分でもわかっているはずだ。これは正解じゃない。励ますために自分の気持ちを押し殺すことは正当なことではない。
「つ……らい……よ」
唇をゆっくり動かし、言葉を口にする。
ふと結衣の目が大きくなっていく。それにかまわず、言葉をつなげた。
「やっぱ、辛いよ。結衣と別れるのすごく寂しい」
意識を集中させ、自分の気持ちを彼女へと告げていく。ポケットから取り出そうとしたアクセサリーはそのままポケットに入れておいた。
「どこか行ってしまうなんて嫌だ。まだ三ヶ月しか一緒にいられなかったのにどこかへ行ってしまうなんて嫌だ。辛いよ」
傲慢なのはわかっている。自分勝手なのはわかっている。今この瞬間に言うべきことではないのも十分理解している。
「智風くん……」
結衣も困惑しているに違いない。
それはそうだ。あの時何も言わなかったのにいざ前にした瞬間に吠え面晒すなんて、すごくカッコ悪いし、ずるいと思う。
「俺は結衣とずっと一緒にいたいんだ。もっともっと結衣とやりたいこといっぱいあるんだ。だから……」
ためらうな。続けろ。自分の思いだけは伝えるんだ。
「だから、行かないでくれ」
言い切った。俺が言いたいことは全部言い切った。
疲れているのか息の乱れを感じる。空気の数量がいつもより多かった。
ふと彼女の顔を除く。こんな俺を彼女はどう思っているのだろうか。
思わず目を見開いた。同時に地面に吸い寄せられるように雫が数的落ちていった。
「私も。智風くんと一緒にいたかったな。もっともっと一緒に遊びたかったな」
泣きながらも彼女は笑顔を作っていた。あの時見せた笑顔とは違っていた気がした。
「やれなかった観覧車巡りもやりたいし、いろんなもの食べたり、いろんな場所にも行ってみたい。まだまだやりたかったことたくさんあるのに……」
鼻水をすする。彼女の涙は一層増すばかりだった。
「智風くんと離れるなんて私も嫌だよ」
そう言って、結衣に俺は抱きしめられた。
「智風くん……」
結衣の涙は冷たくて暖かかった。
一緒にいられない辛さ。本当に好きでいてくれた嬉しさ。
合間見える二つの感情が今のこの涙には混ざっていたような気がする。
ようやく言えた。そして、ようやく言ってくれた。
暫くの間、俺たち二人は互いのぬくもりを確かめ合っていた。
「でも、もう行かないといけないね」
それでも、いつまで経っても、こうしてはいられない。
現実は甘くない。こうしていたら引越しが取り消されるなんてことはありえないんだ。
「ああ、なあ結衣」
だから最後にこれだけは言っておきたかった。
無意識化で行われた記憶のシーンにいつのまにか俺は介入できるようになっていた。
「大きくなったら、また会おう。今度はいろんな場所行って、いろんなことしよう」
「うん」
「だからさ。俺は信じて待つことにするよ」
結衣はまたきょとんとする。この時の彼女もまた俺と同じく何も知らない。
「何を?」
「俺たち二人の幸福をさ」
今の彼女に、そして未来の彼女に送ったメッセージだ。
「うん。私も信じる。またいつか智風くんと再会して、幸せに暮らせる日々を」
笑った。素直に俺の話を聞いて笑ってくれた。
涙は流れていなかった。目元に残っていた雫が夕日に反射して明るくなっているだけだった。
そうして俺たちは互いの帰路に渡った。
ポケットにあった星型アクセサリーは結局渡すことができなかった。
刹那、また視界が見えなくなった。
今度は白ではなく、黒だった。
海の中なのか、息がしづらかった。
スーッと透き通った音が耳へと入っていく。
真っ暗な世界。
意識を集中させすぎたからだろうか。疲労が身体中を蝕み、力がどんどん抜けていく。
瞼が重くなっていき、視界が狭まる。といっても、感覚だけで実際見ている風景は変わらない。
どんどん遠のいていく意識。このままだと闇に閉ざされてしまうような気がした。
『君は何を望む?』
不意にそんな声が聞こえる。
実際に耳に入ったわけではない。頭の中に言葉が浮かんで来るようなイメージだ。
何を望むか。
俺が思う前、無意識のうちに解答を述べていた。
海の中、はっきりとはしない。それを本当に言ったのかは聞こえない。
でも、俺は確かに願った。
結衣との幸せな日々を。
たった一つのかけがえない解答を胸に、闇の中へと沈んでいった。
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