第11話積もる疑問 2

 特に進展が起こるというわけではなく、一週間が過ぎていった。

 俺の心は沈んでいく一方であった。それは単に進展がなかったからという理由だけではない。

 最近、やけに運が悪いのだ。神のいたずらかと思うほど不運続きの毎日を送っている。


 例えば、ある日の昼食後の授業の時間。

 睡魔に勝てなかった俺は気付いた時にはうたた寝をしてしまっていた。その時にたまたま夢を見てしまい、夢の内容が『建物から落ちる』というものであったのが運の尽きであった。建物から落ちると同時に体がそれに反応してしまい、バランスを崩すとともに教室に鈍い大きな音が響き渡った。周囲からくる冷たい視線。哀れむような笑い声。呆れている先生。それらが合わさり、大きな羞恥心が俺を侵食して来た。おかげで目は覚めたが、現実逃避のためもう一度寝たいという心境であった。


 またある日の帰宅時。

 家に入ろうとドアノブを引っ張ると扉はビクともしなかった。どうやら家族全員、出かけているようで鍵がかかってしまっていたらしい。仕方なく、カバンから鍵を取り出そうと中を探ってみるが、いつも入れている場所に鍵がなかった。どこかへと落としてしまったようだ。こうなるともう妹または母が帰ってくるまで家に入ることができないため、玄関に座りながら物思いにふけていた。そして、帰って来た妹に「鍵忘れるとかボケすぎ」と笑われた。


 またある時の休日。

 月曜一限の授業で出された課題をやるためカバンからクリアファイルを取ろうとしたのだが、見つけることができなかった。どうやら学校に忘れてしまったらしい。なら起点を変えて明日朝早く学校へ行き終わらせようと思ったのだが、結局いつもと同じ時間に起きてしまい、提出できず先生に叱られた。


 そんな不運続きな毎日を送っていた次第である。

「これ全部自業自得じゃね?」とかは考えないようにしよう。グーの音も出ないから。


 俺は沈んでいった気分を癒すために学校帰りに近くのデパートに寄っていくことにした。書店に行き、今は話題の恋愛小説を手に取る。今の俺はとにかく「いい話」、「感動できる話」が欲しい。

 ページをめくり、一文一文ゆっくりと呼んでいく。


 この小説、最初から中盤にかけてはドロドロした展開が続いており、沈んでいた心がさらに沈んでいくという感覚に陥っていた。だが、後半からはどんでん返しの展開が続き、とても胸を熱くさせられた。そうだよ。この感動が欲しかったんだよ。


 次はどんな展開が来るのだろうかとドキドキしながらページをめくっていく。

 すると急に誰かに肩を叩かれた。


 ほら見たことか。これが今の俺の状況なのだ。感動を牽制して来るような状況を「不運」と言わずになんと言おうか。

 少し不機嫌になりつつも俺は顔を動かし、肩を叩かれた方へと向ける。


「智風くんよね。久しぶり」


 不機嫌はその一言とその人の容姿を見て一瞬で吹き飛んでいった。


「舞衣さん!」

「覚えてくれていたのね。ありがとう」


 黒髪ポニーテール。右髪につけられたヘアピンがふと彼女と重なる。おしとやかな胸ではあるが、引き締まった腹部や絶妙な出っ張りを見せる腰部によって抜群なプロポーションを誇っているのは似ているからなのだろう。


『六条 舞衣(ろくじょう まい)』

 結衣の母親である。


「それはもちろん! 忘れるわけなんてないですよ! お、お久しぶりです」


 急な出来事に対処しきれず、思わず上ずらなテンションで話してしまう。


「ふふっ。相変わらず元気そうで何よりだわ。久しぶりだし、少しお茶でもしていかない?」

「え、ええ。大丈夫ですよ」

「ほんと。よかったわ」


 俺の承諾に舞衣さんは笑顔で喜んでくれた。その姿はやはり彼女に重なる部分があった。

 これはこの上ないチャンスではないだろうか? 


 不運続きだった俺にとうとう光が差してきてくれた気がした。この一年結衣のことをずっと見てきてくれたであろう舞衣さんならきっと何か知っているはずだ。


 ****


 俺と舞衣さんはデパートにあるフードコートへとやってきた。

 平日の夕方、夜ご飯を食べているお客は何人か見られるが、それは数少ない。なので、四人がけの机に座らせてもらった。


「舞衣さん、スーツ着ていますが、仕事帰りか何かだったんですか?」


 まずはつかみから。ここに来る前に気になったことを一つ聞いてみる。


「ええ。今年から市役所の事務員の仕事始めてね。ようやく慣れてきたところよ」

「そうなんですか。家事と仕事両立なんて大変ですね」

「そうね。でも、結衣に家事手伝ってもらったりして色々楽させてもらっているところもあるからそこまで大変かって言われるとそうでもないかもしれないわね」


 舞衣さんの言葉から少し前の記憶が蘇る。最初のファミリーレストランで梶川が「家の手伝いをしたいから結衣が部活を辞めた」と言っていたが、どうやら舞衣さんが仕事を始めたことが根本だったようだ。


「さすが結衣ですね。将来はいいお嫁さんになってくれそうだ」

「ふふっ。当たり前よ。ところで智風くん、最近結衣とはどう? 久しぶりに会えて嬉しいでしょう。結衣の方は嬉しいって言っていたわよ」


 俺はその質問に息を飲んだ。結衣がそう言ったのが真実かどうかは定かでない。ただ、その言葉からして今の学校での状況がどうなっているかを舞衣さんは知らないようだ。となると俺は今ここでどう答えるべきなのだろうか。


「えっと……仲睦まじくさせてもらってます。また、結衣と一緒にいることができて幸せといいますか」


 考えることわずか数秒。俺は結衣と話を合わせることにした。考える時間が短いほどいつもやっていることが出てしまう。


「そう。よかったわ。智風くんは正直者で」


 舞衣さんは俺の回答に笑顔で答える。

 正直者とは一体? 

 めちゃくちゃ嘘ついているんだけどな。


「で、今結衣はどこにいるの?」


 だが、次の質問に舞衣さんから少し怒気のようなものを感じた。思わずたじろいでしまう。


「え? 今ですか? 家に帰って家事とかしてるんだと思いますが」

「結衣から今日は友達と遊ぶってメッセージが来たのだけれど」

「そうなんですか……」


 それじゃあ、今なにやっているかなんてわからない。梶川と遊んでいると言っても、最近は放課後に遊ぶ機会も減ったと言っていたし。他の友人とでも遊んでいるのだろうか?

 キョトンとしていると舞衣さんは目を丸くしながら俺を見る。


「智風くん、なにも知らないの?」

「え、ええ。全く」


 すると舞衣さんは顎に手を置いて何か考える動作を取る。それは一枚の絵画のような光景となっており、思わず見とれてしまう。


「ねえ、智風くん。一つ見て欲しいものがあるんだけど……」


 舞衣さんは言うや否や自分のカバンに手を入れ、携帯電話を取り出した。片方の指で何かを表示させるために操作を始める。

 そして、ある画面を俺へと見せてきた。画面に目を向けた俺は思わず目を丸くしてしまう。


 あまりの驚きに一瞬頭の中が真っ白になってしまった。

 そこにはLineでの結衣とのやりとりが表示されていた。一番下に目を向けると今日と書かれた下に一件、メッセージが送られていた。よく見れば、同じ文面が上にも見られる。


『今日、智風くんと遊ぶから夜遅くなる』


「なんで……」

「不思議でしょ。本当なら今結衣は智風くんと遊んでいるはずなのに、智風くんと言えば書店で本を読んでいたんだから。最初すごく驚いたわ。もしかして破局したってね」

「確かにそう取れなくもないですね」


 今日遊んでいるうちに結衣と喧嘩して、別れた。そして、心を落ち着かせるために書店で本を読んでいたって構図にはなっていたかもしれない。


「でも、その表情からして今日遊ぶことすら智風くんは知らなかったんでしょうね」

「舞衣さんの言うとおりです。そんな話全く聞いてませんでしたから」


 言ってしまえば、最近話すらしてないまであるのだが。


「智風くんも意味がわからないって感じね。ねえ、少し学校での結衣のこと聞かせてくれない。それに最近の智風くんと結衣の関係も。ここまで来たんだからさっきのは流石に通じないわよ」


 少し怖い感じの笑顔を放ちながら喋る舞衣さんに、俺には真実を話す以外の選択肢を残すことができなかった。


「少し長い話になります」

 俺がそう前置きすると、舞衣さんは無言で頷いた。承諾の合図と見て、一年前から現在の長い期間の話をし始めた。

 とは言っても、ついこの前同じ話をしたことがあったので、それを真似するだけであり、流れるような形でスラスラ話すことができた。


 だが、加えて今回は遊園地と今現在の関係について話さなければならない。その部分だけは自分の頭の中で整理しつつ話したためややローテンポになっていた。


「なるほど。去年の夏くらいから」


 話を聞き終えると舞衣さんはそんな言葉を口走り、何回か納得するような形でうなずく。

姿勢は先ほどの手を顎に置く形になっていた。今は多分俺の話を頭の中で反芻して考えてくれているので口を出すような真似はしないほうがいいだろう。


 少し経ち、頭の中で整理がついたのか舞衣さんは俺の方へと顔を向ける。


「智風くん、去年の六月にね。結衣の父、私の夫が亡くなったのって知っているかしら?」

「ん!? え!」


 舞衣さんの言った発言に思わず耳を疑ってしまった。結衣の父親が亡くなったって。そんなの一度たりとも聞いたことがなかった。


「やっぱり知らないようね。智風くんの母親と話した時も少し違和感を抱いたけれど、これでスッキリしたわ」

「えっと、母が何か失礼なことでも言ってしまいましたか」

「……いえ、大丈夫よ。気にしなくても平気」


 どうやら言ってしまったらしい。舞衣さん、ほんとすみません。


「喪中ハガキを智風くんにも送ったと思うのだけれど、結衣が出しに行くときにこっそり抜いたようね」

「でも、一体なんでそんなこと?」

「智風くんはもしそのはがきをもらっていたらどうしてた?」

「えっと、それは結衣を励まそうと思います」

「連絡が途絶えているのに?」

「えっと……あ!」

「そう。だから結衣はあえて智風くんのところだけ抜いたのかもしれないわね」

「お父さんを失って、結衣はどうでしたか? って舞衣さんに聞くのは失礼ですね。すみません」

「ほんと智風くんは優しいわね。大丈夫よ。一年経って、私もようやく落ち着いてきたから。結衣も最初はすごくショックを受けていたし、空元気の日が何ヶ月か続いていたわ。一年の終わりにようやく抜けてきたから安心していたけど、もしかするとまだ抜けきれていないのかもしれないわね」

「結衣、お父さんのことすごく好きでしたからね。よくお父さんの話をしていましたから」

「私としても自慢の夫だったからね。仕事が忙しくって、転勤が続いて、家族に迷惑かけているかもしれないからって、疲れているにもかかわらず休みの日はどこかへ連れていってくれて」


 思い出してしまったのか舞衣さん声は少しずつ枯れ味を帯びていく。一年経って、落ち着いてきたといっていたが、舞衣さんも抜けきれていないんだと思った。

 ポケットからハンカチを取り出し、舞衣さんへと渡す。


「あ、ごめんね。智風くん。ありがとう」


 俺のハンカチを見た舞衣さんは自分が泣いていたことに気づいたらしく、優しい声音で言い、受け取った。


「だから結衣は迷惑かけまいと智風くんを離している部分があるのかもしれないわね」


 優しい彼女ならやりかねないかもしれない。辛い自分を見て、相手を辛くしてしまわないようにと。でも……


「迷惑って……」


 なぜ、迷惑かけるからといって、突き放そうとするのか。相手を辛くしてしまうなら彼氏でも突き放してしまうのか。その辛さを一緒に背負うのが俺の役目じゃないんだろうか。

 握り締める拳。正直、悲しさよりも怒りの方が今は強いのかもしれない。


「言いたいことはわかるわ。でもね、あの子以外と不器用なところもあるから。そこは優しく見守っていてあげて」


 口調は柔らかかった。俺はその言葉に対し、色々と反論したい気持ちはあったが、父親を亡くした二人の気持ちを思うとどうしても口を噤んでしまう。


「でも、それだけではないとも思う。智風くんとの連絡が途絶えた時期が同じ時期だったから原因がそこにあるのはわかるけれども、もっと何か違う原因があるのは確かだと思う」

「他に原因がですか?」

「ええ。たまに結衣ね、帰りが遅い時があるのよ。夫が生きていた時も一、二回あったからあまり気にしていなかったけれど、頻度的にはどんどん増しているように思えるの。友達遊んでいるから遅くなると思っていたけれど、今日智風くんを見て、もしかすると本当は誰とも遊ばずに一人で何かをしているのかもしれないと思った」


 一人でどこかへ行って、何かをしている。遊園地の日以降、梶川や友達と遊ばなくなったのはその場所に行く頻度が上がったからだろうか。


 結衣が行っている場所さえつかむことができればもしかすると全てがわかってくるかもしれない。


「ねえ、智風くん。私と連絡を取り合わない? もし何かあったら互いにメールを送り合うってことで」


 舞衣さんはLineのQRコードを俺に見せてくれる。


「わかりました」


 ポケットから携帯を取り出し、そのコードを読み取る。

 舞衣さんの時間の関係もあってか、俺と舞衣さんでの話はひとまずそこで終わる形となった。

 帰り道、俺は先ほどの話を頭の中で整理させていた。


 結衣の父親が死んだ。結衣は俺を悲しませまいと既読を無視した。

 同時に結衣はある場所へと行かざるをえなくなった状態にあるかもしれない。その場所

は今もなお行っており、俺を直接無視する原因になっている可能性がある。


 父が死んだこととその場所の関係は一体なんなのだろうか?

 ふと考え込んでいた俺をポケットからの携帯の振動が牽制をする。ポケットに手を入れ、携帯を取り出した後、Lineに入っていた一件のメッセージに目をやった。


 送り主は幼馴染の和紗だ。


 ここ最近の結衣の行動にはどんな意味があるのか同じ女性の立場として意見をもらおうとした。メッセージを送り、既読がついたものの彼女からの返信がなかった。これは和紗が考え込んでしまうタイプのために起こってしまう。大切な要件の時は既読後一日してようやく返ってくる。ときには数日かかる場合もある。彼女曰く、「大切なことなのになぜその場で考えたことをすぐに述べないといけないのか?」だそうだ。ごもっともであるため俺は何も言わないことにした。ただ、こちらの都合で和紗に数日使わせてしまっていると言う罪悪感にかられた。それを本人に言ったら「気にしないで」と言われたので、そうさせてもらうことにした。


 和紗の考えに考えたメッセージを俺は目にした。


「多分、結衣は智風に何か助けて欲しいと思っている」


 実に端的な文章。本当はもっと言いたいことがあったとは思う。ここに来る前はいつも一緒にいた俺だからわかる。和紗はそう言うところも含めてきちんと考えてくれている。言いたいことを全て割り出した上で今本人に何を一番言わなければならないのか。いつもそれだけを伝えてくれる。


「助けて欲しいか……」


 俺は小さく呟き、空を見上げた。

 日は徐々に長くなっており、6時代の今は夕日が街に沈んでいこうとしている状態であった。そのため空は暗がりに光

の靄がかかり、幻想的な景色を映し出していた。


 思わずそれに見とれて、立ち止まってしまう。

 この幻想的な景色も時が経てば消え、真っ暗な夜がやってくる。

 やっぱり、何もやらないのでは何も解決しないんだと思う。

 心の中で一人決心し、前を向いて歩き出した。

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