第4話無視の真意は 3
「……ごめんなさい」
帰宅途中、その言葉が俺の耳から離れなかった。
何度も何度も繰り返される結衣との別れのシーン。
夕焼けの空には所々雨雲が見られた。そういえば、今日は夜から雨が降ると天気予報で言っていた気がした。
雨雲は今の俺の心情を映し出すかのように茜さす夕日の空へゆっくりと侵食していく。
どんよりした黒い雲に目を奪われては逸らす動作を繰り返しながら帰宅路を歩いていった。
侵食する雲は心情を映し出す他にも、これから起こる不確かな未来の暗示をしているのかもしれない。
だから俺は背けたのだ。そんな未来を拒絶するために。
****
「お兄ちゃん、おかえりー」
帰宅すると階段から降りてきた妹の千代ちよとすぐに顔をあわせることになった。
「てかどうしたの? この世の終わりみたいに顔を真っ青にして」
千代は挨拶するに加えて、そんな一言を追加してきた。どうやら今の俺の心情は表面にまで現れてしまっているようだ。
「ああ、それはだな……今日クラスで『遊園地といえば』の話題が起こってな。みんなしてジェットコースターだのお化け屋敷だの言って、観覧車派の人間が俺以外いないことに絶望を抱いてしまったんだよ」
自分の気持ちがバレないようにうまく話を作りつつ話していく。自分で言っていてなぜ遊園地なんてワードが出てきたのだろうかと疑問に思ったが、今日の放課に隣席のクラスメイトが夏休みに行く遊園地の話で盛り上がっていたのが耳に入っていたからだろう。
「そんなことで絶望抱くなんてどれだけ幸せな人生送ってんのよ。でも、クラスの人たちと仲良くやっているのがわかって妹の私はホッとしたよ」
千代は「よかったよかった」とうなずきながらリビングへと足を運んでいった。
最後にポイントの高いセリフを持ってくるのは今の俺には軽く致命傷になるのだが。
どんより沈んでいた心が今の他愛もない会話のおかげ救われた気がした。
ひとまず靴を脱ぎ、俺もリビングの方へと足を進める。
「智風、お帰りなさい」
リビングに入ると、すぐ横にあるキッチンで皿洗いをしていた母親から挨拶が飛んでくる。「ああ、ただいま」
何気なく返事しながらテレビ前のソファーに荷物を載せ、腰をかけた。
前にあるテーブルに置かれていたチョコレートに手を伸ばしてはすぐに口の中に入れる。
疲れている時の糖分は格別だった。
「お兄ちゃん、それ私の」
横にいた千代がそんなことを言ってきたが、聞かなかったことにしよう。
「そう言えば、智風」
さらに心を満たすために再びチョコレートに手を伸ばそうとすると後ろにいた母親から不意に声をかけられた。
まさか牽制するのが、千代ではなく母さんなのかよと思いつつ「なに?」と生返事をし、再び手を伸ばす。
「今日スーパーで結衣ちゃんのお母さんに会ったわよ」
伸ばしていた手の動きがピタッと止まった。不意に先ほどまでの心情がフィードバック
するように俺へと襲いかかってきた。流れる冷や汗は千代から見えない位置からだったことが幸いだった。
「あんた、結衣ちゃんと同じ高校に通っていたのね」
気が気でない俺のことを構うことなく、母さんは話を続けている。なるべく横にいる千代に動揺を察せられないよう平然を装いつつ、話に耳を傾ける。
「久しぶりに会って盛り上がちゃって。お互いの子供の話になった時にね、どこの高校に行っているか聞いたのよ。そしたら、智風と同じ高校、それも同じクラスで。なんで早く言ってくれなかったのよ」
テンション上げ上げで話を進めていく母さん。俺は「そんなことを嬉しく家族に話すのってなんか恥ずかしかったからさ」と軽く受け流すように答える。その傍らで俺は再び疑問を抱く。
「それでね、結衣のことこれからよろしくねだって。よかったじゃない。もう離れてから二年なんでしょ。それだけの月日が経っているのに未だ紡がれている愛。なんてロマンチックなんでしょうね」
後ろにいるため表情を見ることはできないが、今かなり幸せそうな顔をしているのは間違いないだろう。
横にいる千代は「ふっふーん、青春だねー」と俺を煽ってくる。
嫌みたらしい妹の目に俺はチョコレートを同時に二つとることで応戦しておいた。
食べようとする俺の動作を、腕を叩くことにより遮ろうとするが、そんな攻撃では俺は屈しない。すぐさま口の中に入れ、勝負ありだ。
「お兄ちゃんの意地悪ー」と泣きべそかく千代にそれを微笑ましく見る母。
二人の相手をすることで冷え切った俺の心は少しばかし元に戻っていった気がした。
心安らぐ場所があるのはいいことだと改めて実感させられた時間だった。
****
夕飯を食べ終え風呂に入った後、タオルで髪が吸収した水を拭き取りながら自分の部屋へと向かった。
まだ所有物を出しきれていないために発生している数多のダンボールを避けつつ、ベッドへと腰を下ろす。
結衣のことで気が気じゃなかった今日はスマホをまともに開いておらず、届いていた一件のメールに目を通していなかった。
ポケットにあるスマホを取り出す。タイトル画面に表示された新着メッセージのところをタップするとLineの画面が開かれた。
メッセージをくれた相手は『王理おうり 和紗かずさ』
彼女とは幼馴染の関係にある。
連絡内容は「最近、結衣とはどう?」の一言だけ。
結衣との連絡が途切れた高校一年の時。家族に伝えることができなかった俺の唯一の相談相手が彼女だった。
引っ越して離れ離れになった今でも相談に乗ってくれる彼女には感謝以外に言葉が浮かび上がらない。本当はもっと他に話すべきことがあるはずなのに。
「進展なし」
ベッドに寝転び、短文を打ち終えるとすぐにスマホをスリープ状態へと移行した。それに沿うように俺の視線はスマホからそれについているストラップへと移行していく。
星の左半分のみのストラップ。もう一方、右半分を持っているのは結衣だ。
これは彼女が引っ越す直前に二人で分かち合った思い入れのある宝物だ。
このストラップのすごいところは一つ一つ別れ方が異なっているという点である。だから持っている片側の星を一つにできるのはともに分かち合った人のみ。
とてもロマンチックな産物である。
結衣も俺と同じく、このストラップを携帯につけたと言っていた。でも、今そのストラップは彼女の携帯には見られなかった。
ため息をこぼし、スマホを再びポケットにしまう。
仰向けになりながら今日起こった出来事をまとめ上げることにした。
リフレッシュされた気分によって、思考回路は徐々に組み上がっていく。
まず、今日の帰りの時間。結衣は俺に向かって「……ごめんなさい」と言った。それはおそらく記憶喪失であることを意味しているのだろう。
もし彼女が記憶喪失だと仮定すると俺が建てた『結衣に似ている人』説とうまく合致する。外見は彼女でも中身が違うのだからああいう反応を見せるのはごく自然なことだ。
これは前から組み上がっていた結論で今日その答えを聞くことで俺の心はどん底に突きつけられた。
でも、それは今日母親が俺に話してくれたことによってなくなっていった。
うちの母親のあのテンションから察するに結衣の母親と楽しく話せたのが想像できる。
自分の娘が記憶喪失であるにもかかわらず、お互いの子供の話でそこまで盛り上がることは可能なのだろうか。いや、そんなことはないだろう。
ならば、見えてくる答えは『六条 結衣』が嘘をついている。これに限られる。
記憶喪失でないことが証明できた俺は思わず安堵した。これで少しでも希望は見えてきた。
だから探さなければならない。
結衣が俺に向けたあの言葉の真理を。それはきっと親にも言えず、一人で抱え込まなければいけないことなのだろう。
これから自分がすべきことを頭の中で考えていく。
当初の目的を忘れてはならいない。
俺がこの街でやるべきことは『結衣に何が起きたのかを確かめる』ことなのだから。
リフレッシュされた体はやがて芯が抜けたように力が抜けていく。外から聞こえる雨音が俺の中にいる眠りの悪魔を呼び覚ます原動力となる。
襲いくる悪魔に身を委ねながら曇りゆく未来に一つの光をかざした。
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