第3話無視の真意は 2
それから一ヶ月が経ったが、俺と彼女の間での進展は皆無だった。なぜなら会話なんて全くすることができなかったから。話したことといえば、「教科書見せてもらっていい?」「いいよ」くらい。
席をくっつけ、それから何か話題を送ろうとするが、転校当初の結衣からの無視、集まる周囲への痛い視線が俺の頭に焼き付いて口を動かすことができなかった。
結衣の様子をチラッと見るも彼女は俺のことなんか気にする素振りもなく、板書を写していた。それがより一層話しづらさを生んだ気がした。
そんな居心地の悪さは一週間経った今でも全くなれる気がしない。
だが今日、そんな俺に転機が訪れることとなる。
結衣たちが視界から消えたことにより、ようやく我に返った俺は向きを前方に変え、再び歩き始めた。
今日の日直は「絢辻、六条」
つまり、俺と彼女が日直を務める日である。それに加え、今日は帰りにノートを職員室まで持っていく役目を任されている。ということは必然的に彼女と二人きりになれる空間が作られることになる。
多分これは、神様がくれた最大のチャンスなのだろう。ここで何か進展することができなければ、今後一切彼女に近づくことはできない。
今日は朝から今までずっと彼女に接するための方法を考えていた。
話の掛け方、間の取り方、視線の動かし方。加えて彼女の返答のバリエーションにそれに応える言葉。
今の俺に死角はない。このチャンスできっといい結果を残してみせる。
鼓動が高まり、それが動力源となり、足早になったことですぐに教室へとたどり着いた。
****
「じゃあ、これで解散だ。日直の人はこれを持っていくように」
帰りのST。先生は必要事項を語り終え、帰りを促した。号令の係りの人が席を立つよう指示し、俺たちはさようならの挨拶を交わした。
ここから俺の戦いが始まる。
「さようなら」するやいなや結衣の様子を伺う。結衣は仕事をいち早く終わらせようと教壇へ向け、足を運び始めようとしていた。
それに目をむけつつ、なるべく悟られないような自然な足さばきで彼女より先に教壇へと向かう。
二つに均等に積まれたノートの片方四割ほどを手で掴み、もう一方に積む。積まれたノートの方を両腕でしっかり掴み、俺は廊下側へと出ていった。
まずはちょっとした優しさ、気遣いをすることによって相手に厚意を示す。それにより、相手に『良い人』と言うレッテルを貼ってもらうことで話しやすくすると言う算段だ。
廊下へと出た俺は横目で結衣が出てくる様子を見ながらゆっくり歩き始めた。
ゆっくりにすることで彼女を自身の横につかせて、話しやすい状態へと持っていく。
あとは何か話題を出して、自然な会話を楽しみ、互いの中を紡ぐのが行きの流れだ。
これから起こることを脳内で反芻させていく。『絶対に成功する』と自分に言い聞かせ、冷静を保つよう試みる。
俺の作戦通り、結衣は俺の横についてくれた。
「えっと、六条さんって何か趣味ある?」
「……テニス」
「そ、そっか。楽しいよねテニス。シングルスかダブルスどっちの方が好き?」
「……ダブルス」
若干時差はありながらも結衣はしっかりと返答をしてくれる。それにしても結衣はダブルスが好きだったのか。中学校の頃はシングルスをやっていたので、すっかりシングルスが好きなものだと思っていた。
「じゃあ、今度さ二人でテニスとかしないか? 俺もテニスは結構好きだからさ。六条さんの好きなダブルスではないと思うんだけど、それでも楽しいと思うんだ」
少し一歩踏み出した話をする。
「……ごめんなさい。それはちょっと……」
「そ、そうか。ごめん、でしゃばったこと言っちゃって」
「……いえ」
何となくそう言われることはわかったが、実際に言われるとかなり傷つくな。
それからも職員室に着くまで何気ない会話を挟んでいった。
****
職員室へたどり着いた俺たちはノートを置いてすぐに出ていった。
扉を閉めながら誰にも気づかれないよう少しため息を漏らす。
結局、行きは予定通り何気ない会話をすることができたが、予想に反して多大なる精神的ダメージを負ってしまった。
その間に結衣はさっと教室へ戻るために足を進め始めた。
ついていくように俺も慌てて歩き出す。
ひとまずコミュニケーション的なものは取れたと信じたい。
だからここからは俺にとって、『重要な一言』を振り絞る時間にしたかった。
これが最大のチャンス。ここを逃したら俺は彼女に話をかけるすべを見失ってしまうだろう。
頭の中ではその言葉か浮かび上がっている。でも、言う勇気が出ない。
受け入れたくないから。言葉に対する彼女の返事を聞くのが正直怖い。
淡々と歩いていくと目的地へとたどり着く時間は短いものである。
最後の階段を登り終え、俺たちは何を言うこともなく、教室の中へと入っていった。
結衣は教室へ入るとすぐにカバンを取り、さっさと教室を出ていこうとする。
残されたチャンスはもうない。
「六条さん!」
横を通り過ぎる時、俺は勢い任せに結衣を呼び止めた。
心臓の鼓動が急加速していく。ドクン、ドクンと言う感触が伝わってくる。
結衣は俺の言葉を聞き、その場で立ち止まってくれていた。
待ってくれている結衣に俺はその言葉を伝えなければならないという使命感のようなものを抱いた。
「その……俺のこと覚えている……?」
この一ヶ月間で俺が抱いていた疑問。
もしかすると彼女は「俺のことを忘れているのではないだろうか?」という結論にたどり着くのは正直安易なことだったと思う。
俺のことを全く気にしない素振りを見せるのはただ単に俺のことを忘れてしまっているから。
中学校の頃の彼女は引っ込み思案なところもあったから、転校初日の時の態度を取るのはもしかすると必然的だったかもしれない。なんせ相手は自分にとっては『赤の他人』なのだから。
そして……
「……ごめんなさい」
得られた回答はたった一言。謝罪だった。それが意味することはきっと肯定の意味なのだろう。
結衣から出される静かな声音に血の気が引き、視界が真っ白になっていく感じがした。
分かっていたのにそれを本人から言われるほど辛いものはないだろう。
ああ……やっぱりそうだったか。
今自分はどんな表情をしているのだろうか。考えただけで恐怖心にかられた。
呆然と立ち尽くしている俺に構うことなく彼女は再び淡々と俺の後ろを歩き、扉を閉めた。
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