第32話 邂逅①
レナはその光景に息を飲む。
見渡す限り
しかし最悪の状況はそれだけにとどまらなかった。極めつけは大聖堂の祭壇側だ。そこに初めて見る
「
吉岡が乾いた声で呟く。
「……い、いや」
膝が抜けるのを抑えられなかった。気が付くと盾を支えにして、地面に両ひざを突いていた。レナ達が出たのは大聖堂の祭壇側だ。ここから入口までには四キロはあるだろう。その距離をこれだけの
絶望の表情を浮かべているのはレナだけでは無かった。チヒロも顔色を失って細かく震えていたし、吉岡や美濃部も微動だ出来ずに状況を眺めている。
「だから! 嫌だって言ったんだ!! こんなの変だ! クソだクソッ!」
後ろから取り乱した叫び声が聞こえた。振り向くと斉藤が頭を抱えて叫んでいた。その瞳に理性は無かった。今まで静かにしていただけに、その狂乱ぶりが際立つ。斉藤の声に最前列にいた
「何だよ。みんなして俺を馬鹿にしやがってよぉ! 山崎のヤロオだって俺をこき使うばかりで分け前だって半々でもねえし! おかしいだろ!? 不公平だろ!? なんで俺がここで死ななきゃならないんだ!?」
盛大に唾を飛ばしながら絶叫する。その様子は異様だ。身振り手振りが大きく、感情の起伏がおかしい。焦点は既にこの空間にある何処にも結ばずに、虚空を彷徨わせる。
「ひ、ひひひ……そうか。またみんなで俺を
滅裂になる会話内容が突然途切れた。斉藤は糸の切れた人形のようにがっくりと頭を項垂れると、ゆるゆると頭を上げながら憎悪に満ちた視線を向ける。その視線の先は、チヒロだ。
「お前が俺らを馬鹿にするから! 餓鬼の癖に! 馬鹿にしやがって! 全部お前のせいだ!!」
駄目だ、とレナが粟立った時には遅かった。斉藤は
斉藤の切っ先がチヒロの背中から飛び出すのを、チヒロはスローモーションを見ているかのように眺めていた。突然の事態に身体は硬直して動かなかった。手を伸ばせば届く距離にいたにも関わらず何もできなかった。戒めが解けたのは全てが終わった後だ。
「チヒロ!!」
「あひゃひゃひゃ――ざまあみろ! やっぱり俺より雑魚じゃねえか!」
狂ったように笑う斉藤の横で、そのまま崩れていくチヒロをレナは掻き抱く。チヒロを抱く手が温かく濡れる。チヒロの血だ。レナは必死に止血しようと傷口を抑えるが、泉から湧き出す水のように、チヒロの心拍に合わせて血液が溢れて止められない。
「てめえ……マジで何してやがる……」
美濃部が憤怒の表情で斉藤を睨んだ。吉岡も言葉を発さずに剣を斉藤に向ける。吉岡の表情は無表情な分怒り狂っていることが分かった。二人から殺意を向けられた斉藤は、今までの自信に溢れた様子から途端に怯えた表情に変わった。
「ひィっ! なんだよ……みんなしてよォ……結局、俺が悪いことになるのかよ」
斉藤は後ずさる。そして
「俺は悪くない! てめェらみんなクソみたい顔しやがって! いつか見てろ! ヒヒヒィアハハハァハハッ――オぶッ」
斉藤が側道へと逃げ込もうとした瞬間、暗がりから長槍が伸びて斉藤の脇腹を貫通した。一瞬何が起きたのかわからなかったのだろう。斉藤は呆けた表情で傷口とレナ達を交互に見る。からりと斉藤の手から剣が落ちる。口から咽込みと共に吐血した。そして半泣き笑いのような表情で、こちらに手を伸ばした。
「た、たす――」
斉藤の声が発される瞬間、新たに突き出して来た
洞窟の奥から槍の主がまた姿を現す。槍で武装した
これで退路も絶たれた。側道に戻って持久戦に入る事すら不可能になったのだ。
「……チヒロォ、いやだ――こんな」
レナは意識を失って浅い呼吸を繰り返すチヒロを抱きしめ続ける。どうやっても出血を止められない。
絶望に視界が暗くなっていく。レナ自身もとうに限界を超えていた。一度切れた集中の糸はレナの体を重く鉛のように地面に縛った。今はただチヒロの温もりだけを感じていたい。
レナ達の決死の撤退戦は終焉を迎えた――。
***
「こっちだ!」
七階層へと抜ける側道の終点が見えて来た。あの先は七階層の中腹に繋がっている。トーリは徐々に近づいてくる大多数の
「シオン!」
「承知いたしました。
「必要ない。作戦立案を」
ジュリの命令を受けてシオンが答える。
生存者がいた。その事にトーリは粟立つ。自分の我儘によって随分と時間を喰ってしまった。もっと多くの冒険者がいたはずだ。それが既に四人。手遅れになってしまった者が多くいるのだろう。一人でも多く助けたい。それが罪滅ぼしになるような気がする。
「ジュリ! 俺をそいつらの所に――」
「ならん! トーリがそのまま行っても死ぬだけじゃ! 少し待て!」
トーリの勇み足をジュリが止める。今度はジュリの言葉も素直に聞けた。確かに今のトーリが一人で向かっても、取り残されている者達が居るところにすらたどり着けないだろう。同じ間違いは侵さない。焦れながらもトーリはシオンの演算が終わるのを待つ。
「――立案終了。ジュリエッタ=リンクス=アーデルハイド及び黒澤透利を今作戦の最重要人物に規定。作戦行動に移ります。ジュリエッタ様、魔術の使用許可を」
「許す」
「
第一階位:
「シオンも魔術を使えるのか!?」
魔術を使ったことに驚くトーリに、シオンは誇る様に魔石を輝かせる。
「ジュリエッタ様の創造された私であれば当然でございます――と、この話は追々させていただきましょう。浮かんだ映像をご覧ください」
トーリとジュリの間に立体映像として模式的な大聖堂の様子が表示されていた。その床面を埋め尽くすのは赤い光点。祭壇方向に一つ巨大な光点があることからこれらが
「――遠いな」
トーリの口から率直な感想が漏れる。トーリが居る位置は蒲鉾型の大聖堂の長辺にあたる壁だ。どちらかと言うと入口側になる。対して逃げ遅れた冒険者は反対側の長辺の若干祭壇側だった。地上に逃げるためとは逆方向に敵陣を突っ切っていかねばならない。
「ええ。問題は二点。こちらの圧倒的な戦力不足。いくらジュリエッタ様が一対多の戦闘に置いて強力な魔術師とは言え、逃げ遅れた冒険者を守り、
もちろん全ての
シオンが示した大聖堂の立体画像の祭壇側の所に線が引かれた。小さく区切られた方に
「そこでこのように戦域を区分して戦闘を行います。ジュリエッタ様はほぼすべての
「――構わぬ。
クククと笑いながら魔王の様なセリフを語るジュリ。全く意にも介さないらしい。ジュリらしいと言えばジュリらしいが、その様子にトーリは内心舌を巻く。
(四〇〇〇匹越えの
その中には役職付きの上級
――それを四〇〇〇匹。
俄かには信じがたい。
(ジュリは瀕死の俺を助け、地底湖に長大な橋を築き、シオンなんていう規格外の人工知能を従えた賢者だ――)
信じがたいことだが、ジュリならばできるかもしれないと思えた。それだけの自信がジュリとシオンからは感じられる。
トーリは信じる事にした。それは恐ろしく怖い事だ。今まで誰も信じずに一人でやって来たのだから。だが、仲間になろうと初めて言ってくれて、このような死地にまで付き合ってくれる人間を信じない訳にはいかなかった。
トーリは覚悟を決めながら、シオンに尋ねる。
「俺は何をすれば良い?」
「トーリ様は冒険者の保護と
シオンが若干言い澱む。恐らくトーリの実力を図りかねているのだろう。トーリ自身もその事は十分に理解していた。確かに
悔しそうに歯を食いしばるトーリを見てジュリは、事も無げにシオンに告げる。
「よい。トーリならば大丈夫じゃ」
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