第32話 邂逅①

 レナはその光景に息を飲む。

 見渡す限り小鬼ゴブリン達の群れ。その数は一〇〇〇では利かなかった。数千の単位で小鬼ゴブリン達がひしめいていた。六階層で捌いた群れより明らかに上級小鬼ゴブリンが多い。より質の良い武器防具を揃えた小鬼兵ゴブリンソルジャー小鬼術士ゴブリンメイジが至る所で隊列を組んでいる。その動きはただの徒党ではない。明らかに組織的に訓練された動きでこちらを注視している。これだけの数がいるのに静まり返っているのが小鬼ゴブリン達の練度を示していた。そして既に大聖堂での戦いの趨勢は決しているということも。

 しかし最悪の状況はそれだけにとどまらなかった。極めつけは大聖堂の祭壇側だ。そこに初めて見る魔物モンスターが座していた。


隷属竜スレイブドラゴン……なのか」


 吉岡が乾いた声で呟く。隷属竜スレイブドラゴン――鬼國牢きごくろうの深層階で出現する竜種だ。憎悪が立ち上がるような赤黒い鱗に長い尾。瞳があったであろう眼窩には杭が撃ち込まれ、背部に威容を誇ったであろう翼は根本から切り落とされている。そして首には極厚の金属で作られた隷属環がぶら下がっている。それは常時竜の反抗を罰という形で抑え込んでいるのか、彫り込まれた隷属魔術の術式を発光させている。名前は知っていたが、もちろんレナは見るのは初めてだ。そして隷属竜スレイブドラゴンに至るまでに見える倒れた人影。そこら中に切り傷と魔術による攻撃痕を穿たれて倒れる人間たちは、逃げ遅れた冒険者の成れの果てなのだろう。地面は人間の血で赤く染まっていた。


「……い、いや」


 膝が抜けるのを抑えられなかった。気が付くと盾を支えにして、地面に両ひざを突いていた。レナ達が出たのは大聖堂の祭壇側だ。ここから入口までには四キロはあるだろう。その距離をこれだけの小鬼ゴブリンたちと隷属竜スレイブドラゴンを退けて逃げ切れるとはとても思えない。もうすぐ大聖堂に倒れている冒険者と同じようになるのだ。

 絶望の表情を浮かべているのはレナだけでは無かった。チヒロも顔色を失って細かく震えていたし、吉岡や美濃部も微動だ出来ずに状況を眺めている。


「だから! 嫌だって言ったんだ!! こんなの変だ! クソだクソッ!」


 後ろから取り乱した叫び声が聞こえた。振り向くと斉藤が頭を抱えて叫んでいた。その瞳に理性は無かった。今まで静かにしていただけに、その狂乱ぶりが際立つ。斉藤の声に最前列にいた小鬼ゴブリン達から嘲笑が漏れた。醜態を見て楽しんでいるのだ。その侮蔑が斉藤の精神に油を注ぐ。


「何だよ。みんなして俺を馬鹿にしやがってよぉ! 山崎のヤロオだって俺をこき使うばかりで分け前だって半々でもねえし! おかしいだろ!? 不公平だろ!? なんで俺がここで死ななきゃならないんだ!?」


 盛大に唾を飛ばしながら絶叫する。その様子は異様だ。身振り手振りが大きく、感情の起伏がおかしい。焦点は既にこの空間にある何処にも結ばずに、虚空を彷徨わせる。


「ひ、ひひひ……そうか。またみんなで俺をめるつもりだな。そうやって皆で俺の事を馬鹿にするんだ。ふざけんな! ――うう、なのに山崎の奴まで死んじまって俺はこれからどうすればいいんだ……ひひ……そうか……結局俺が不幸になったのは、ケチが付いたのは……お前らのせいじゃねえか……」


 滅裂になる会話内容が突然途切れた。斉藤は糸の切れた人形のようにがっくりと頭を項垂れると、ゆるゆると頭を上げながら憎悪に満ちた視線を向ける。その視線の先は、チヒロだ。


「お前が俺らを馬鹿にするから! 餓鬼の癖に! 馬鹿にしやがって! 全部お前のせいだ!!」


 駄目だ、とレナが粟立った時には遅かった。斉藤は小鬼ゴブリンの血に塗れた剣を振り上げるとチヒロに向けた。その動きは大振りで力任せの一撃だった。普段のチヒロだったら魔術師の身体機能であっても避けられたはずだ。しかし今日は既に限界を超えて魔術を行使していた。足取りも覚束なく、いつ意識を失ってもおかしく無い程に。結果、チヒロはその身に剣を受けた。

 斉藤の切っ先がチヒロの背中から飛び出すのを、チヒロはスローモーションを見ているかのように眺めていた。突然の事態に身体は硬直して動かなかった。手を伸ばせば届く距離にいたにも関わらず何もできなかった。戒めが解けたのは全てが終わった後だ。


「チヒロ!!」


「あひゃひゃひゃ――ざまあみろ! やっぱり俺より雑魚じゃねえか!」


 狂ったように笑う斉藤の横で、そのまま崩れていくチヒロをレナは掻き抱く。チヒロを抱く手が温かく濡れる。チヒロの血だ。レナは必死に止血しようと傷口を抑えるが、泉から湧き出す水のように、チヒロの心拍に合わせて血液が溢れて止められない。


「てめえ……マジで何してやがる……」


 美濃部が憤怒の表情で斉藤を睨んだ。吉岡も言葉を発さずに剣を斉藤に向ける。吉岡の表情は無表情な分怒り狂っていることが分かった。二人から殺意を向けられた斉藤は、今までの自信に溢れた様子から途端に怯えた表情に変わった。


「ひィっ! なんだよ……みんなしてよォ……結局、俺が悪いことになるのかよ」


 斉藤は後ずさる。そしてきびすを返すと走り出した。向かう先は先ほど抜けて来た六階層へ至る側道だ。


「俺は悪くない! てめェらみんなクソみたい顔しやがって! いつか見てろ! ヒヒヒィアハハハァハハッ――オぶッ」


 斉藤が側道へと逃げ込もうとした瞬間、暗がりから長槍が伸びて斉藤の脇腹を貫通した。一瞬何が起きたのかわからなかったのだろう。斉藤は呆けた表情で傷口とレナ達を交互に見る。からりと斉藤の手から剣が落ちる。口から咽込みと共に吐血した。そして半泣き笑いのような表情で、こちらに手を伸ばした。


「た、たす――」


 斉藤の声が発される瞬間、新たに突き出して来た槍衾やりぶすまに串刺しにされた。斉藤はそのまま百舌もず早贄はやにえのように高く掲げられた後、無造作に打ち捨てられた。確かめるまでも無い。襤褸ボロ雑巾のようになり、絶命していた。

 洞窟の奥から槍の主がまた姿を現す。槍で武装した小鬼兵ゴブリンソルジャーたちだ。

 これで退路も絶たれた。側道に戻って持久戦に入る事すら不可能になったのだ。


「……チヒロォ、いやだ――こんな」


 レナは意識を失って浅い呼吸を繰り返すチヒロを抱きしめ続ける。どうやっても出血を止められない。回復薬ポーションなんてとうに尽きている。どんどん顔が蒼白になっていくチヒロに対して、何も出来ることが無かった。ただ思い通りにいかずに駄々を捏ねる子供の様に泣きじゃくってチヒロに縋りついていた。その様子を手を出すことも無く眺める小鬼ゴブリンの集団。その表情は種族を越えても分かる、侮蔑と嘲笑に満ちていた。考えなくても分かる。これからなぶり殺しに合うのだろう。

 絶望に視界が暗くなっていく。レナ自身もとうに限界を超えていた。一度切れた集中の糸はレナの体を重く鉛のように地面に縛った。今はただチヒロの温もりだけを感じていたい。

 レナ達の決死の撤退戦は終焉を迎えた――。


***


 「こっちだ!」


 七階層へと抜ける側道の終点が見えて来た。あの先は七階層の中腹に繋がっている。トーリは徐々に近づいてくる大多数の小鬼ゴブリン達の気配に緊張を高めながら側道を抜けた。そこは七階層『大聖堂』の中腹に張り出した踊り場の様相を呈していた。地面部分よりよりも最高地点で五〇メートルにも達する天井部分に近い所。おおよそ三〇メートルの付近に張り出した形で突き出ている。下層からしか抜けられない通路であると同時に、七階層に戻っても地上に降りるのが難しいために、本来なら無視される側道だ。潜入時間が極端に長く、鬼國牢きごくろうの浅層階を知り尽くしているトーリだからこそ、地図が無くてもたどり着けた場所だ。


「シオン!」


「承知いたしました。鬼國牢きごくろう七階層、通称『大聖堂』の分析を開始致します――全範囲索敵に成功。小鬼ゴブリン総数四七五二匹、竜種、隷属竜スレイブドラゴン一頭。人種の生存者、……四名。内一名は最重症と予想されます。小鬼ゴブリンの階級内訳は必要ですか?」


「必要ない。作戦立案を」


 ジュリの命令を受けてシオンが答える。

 生存者がいた。その事にトーリは粟立つ。自分の我儘によって随分と時間を喰ってしまった。もっと多くの冒険者がいたはずだ。それが既に四人。手遅れになってしまった者が多くいるのだろう。一人でも多く助けたい。それが罪滅ぼしになるような気がする。


「ジュリ! 俺をそいつらの所に――」


「ならん! トーリがそのまま行っても死ぬだけじゃ! 少し待て!」


 トーリの勇み足をジュリが止める。今度はジュリの言葉も素直に聞けた。確かに今のトーリが一人で向かっても、取り残されている者達が居るところにすらたどり着けないだろう。同じ間違いは侵さない。焦れながらもトーリはシオンの演算が終わるのを待つ。


「――立案終了。ジュリエッタ=リンクス=アーデルハイド及び黒澤透利を今作戦の最重要人物に規定。作戦行動に移ります。ジュリエッタ様、魔術の使用許可を」


「許す」


魔素調整ディアボリディエリブルシェリブス  力場支配ヴァリグリドミネェイショニス  物理法則支配リジブスコラポリスドミネェイショニス   体組成支配カルプスドミネェイショニス


第一階位:朧の憶灯イルゾナ


「シオンも魔術を使えるのか!?」


 魔術を使ったことに驚くトーリに、シオンは誇る様に魔石を輝かせる。


「ジュリエッタ様の創造された私であれば当然でございます――と、この話は追々させていただきましょう。浮かんだ映像をご覧ください」


 トーリとジュリの間に立体映像として模式的な大聖堂の様子が表示されていた。その床面を埋め尽くすのは赤い光点。祭壇方向に一つ巨大な光点があることからこれらが小鬼ゴブリン隷属竜スレイブドラゴンだと言うことが分かる。ならば、赤い光点に囲まれて今にも消えそうな四つの青い光点が逃げ遅れた冒険者だ。


「――遠いな」


 トーリの口から率直な感想が漏れる。トーリが居る位置は蒲鉾型の大聖堂の長辺にあたる壁だ。どちらかと言うと入口側になる。対して逃げ遅れた冒険者は反対側の長辺の若干祭壇側だった。地上に逃げるためとは逆方向に敵陣を突っ切っていかねばならない。


「ええ。問題は二点。こちらの圧倒的な戦力不足。いくらジュリエッタ様が一対多の戦闘に置いて強力な魔術師とは言え、逃げ遅れた冒険者を守り、小鬼ゴブリン達を撃ち滅ぼすにはやや手数が足りません。また後方には竜種とは言え隷属竜スレイブドラゴンが控えています。この竜種は隷属環によて一切の魔術を受け付けないという特性を持っています。たかが竜種、ジュリエッタ様であれば決して苦戦する相手ではないものの効率の悪い戦い方を強いられることになります」


 もちろん全ての小鬼ゴブリンを倒す必要はないし、隷属竜スレイブドラゴンも叩く必要も無いが、人間たちが逃げそうになれば隷属竜スレイブドラゴンをぶつけてくるだろう。小鬼ゴブリン達は何かしらの目的を持って動いているような気がする。それが何なのかはトーリには分からないが。

 シオンが示した大聖堂の立体画像の祭壇側の所に線が引かれた。小さく区切られた方に隷属竜スレイブドラゴンと冒険者が含まれ、残りの部分には小鬼ゴブリンのほとんどが入った。シオンが言葉を紡ぐ。


「そこでこのように戦域を区分して戦闘を行います。ジュリエッタ様はほぼすべての小鬼ゴブリン達を殲滅。退路の確保をしていただきます。後衛職故に前線で戦うことは非効率的ですが、この際は仕方がありません」


「――構わぬ。小鬼ゴブリンなどに遅れは取らぬからな。我が魔導の真価、その身に刻んでやろう」


 クククと笑いながら魔王の様なセリフを語るジュリ。全く意にも介さないらしい。ジュリらしいと言えばジュリらしいが、その様子にトーリは内心舌を巻く。

(四〇〇〇匹越えの小鬼ゴブリンだぞ!?)


 その中には役職付きの上級小鬼ゴブリンも含まれているだろう。本来はたとえ一〇〇匹であっても、数人のクランでは全滅を覚悟するレベルなのだ。

 ――それを四〇〇〇匹。

 俄かには信じがたい。


(ジュリは瀕死の俺を助け、地底湖に長大な橋を築き、シオンなんていう規格外の人工知能を従えた賢者だ――)


 信じがたいことだが、ジュリならばできるかもしれないと思えた。それだけの自信がジュリとシオンからは感じられる。

 トーリは信じる事にした。それは恐ろしく怖い事だ。今まで誰も信じずに一人でやって来たのだから。だが、仲間になろうと初めて言ってくれて、このような死地にまで付き合ってくれる人間を信じない訳にはいかなかった。

 トーリは覚悟を決めながら、シオンに尋ねる。


「俺は何をすれば良い?」


「トーリ様は冒険者の保護と隷属竜スレイブドラゴンの討伐、いえ足止めを――」


 シオンが若干言い澱む。恐らくトーリの実力を図りかねているのだろう。トーリ自身もその事は十分に理解していた。確かに隷属竜スレイブドラゴンはB級の冒険者がクランを組んで倒す強大な魔物モンスターだ。ジュリもシオンも、雑魚のように語るが決して楽な相手ではない。それをC級下位のトーリ一人で捌くのはかなりの無理難題に思える。純粋に実力が足りない。ジュリが規格外の行いをしようとしているのに、巻き込んだトーリがそれに釣り合う仕事が出来ないのだ。

 悔しそうに歯を食いしばるトーリを見てジュリは、事も無げにシオンに告げる。


「よい。トーリならば大丈夫じゃ」

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