第31話 仲間の意味②

「――甘ったれてますねェ」


「なッ」

 

 シオンのあまりの変わりように驚きながらも、ふつふつと怒りが沸く。今日初めて会った奴にトーリ自身の何が分かると言うのか。シオンはこちらの反応などお構いなしだ。侮蔑を含んだ声音を容赦なくトーリに向ける。


「だってそうでしょう? お互いに傷つけ合わない関係性があるとでもお思いで? 二つの自我を持った生物が寄り添おうと思った瞬間から、多寡は別として摩擦は発生します。傷つけ合わない関係など絵に描いた餅、人種の善性に誇大妄想レベルで期待を掛ける愚か者意外に存在しません。透利様の傷つけ合いはその度合いが少し大きいだけ。それに耐えられるだけの強さを持ったジュリエッタ様が仲間になる事も同意なさっているともなれば、実に合理的かつ、現状では選ばない理由は無い最適解となります。透利様の犬も食わない怯えきった魂を除いては、という前提ですが」


 シオンの歯に着せぬ言葉の前に、トーリは苦しそうに押し黙る。分かってない訳では無いのだ。


「わかりました。ジュリエッタ様、今後の戦略への具申がございます。述べてもよろしいでしょうか」


 シオンはその様子を見て説得を諦めたのか。会話の矛先をジュリに変更する。ジュリはシオンが会話をしていた僅かな時間が冷却期間になったのか、先ほどよりは幾分落ち着いた表情でシオンに答えた。


「許す」


「ありがとうございます。現状、対象の黒澤透利様は論理的な面からの説得には応じられないほどに、心理的な齟齬が多発しているようです。これはご本人様であっても修正困難な状況ですので、これ以上の説得は平行線を辿ると思われます。そこで、戦略を変更して篭絡では無く、陥落を目指すべきかと存じます。作戦名は脅迫、とでも名付けますか。概ねジュリエッタ様のご提案なさった作戦を原型に致しました。具体的には以下の提案を持ち掛けます。一つ目、これから共闘して生存者の救出を図る案に変更すること、二つ目、透利様とジュリエッタ様が見事生還し、生存者の救出が一人でも達成出来た暁には、透利様は自らの間違いを悔い改め、その腐りきった魂を入れ替えてジュリエッタ様とクランを組むこと。これらの案に乗らない場合、残念ですが黒澤透利様を殺害します。しかしこれは黒澤透利様自身の死の衝動が比較的強い為、効果としては限定的にならざるを負えません。また七階層に居るかもしれない生存者ですがトーリ様にとって結局は赤の他人。彼らを人質にとっても効果の程度の予測に不確定性が残ります。そこで、透利様を殺害後、透利様ご出身の孤児院を特定し、破壊対象に指定しましょう。孤児院の在籍者については、透利様の反応を見た上でまだ脅迫の対価として不足があるようであれば加えて殺害対象に指――」


「――ま、待て!」


 ジュリへのシオンの提案が途轍もなく不穏な空気を帯びてきたところで、トーリは慌ててシオンの提案に割って入る。


「何か?」


 シオンの美しい声が響いた。その声に憂いは無い。その事がトーリを震え上がらせる。もし何かの拍子に、トーリの殺害案に方向性が定まったら害をこうむるのはトーリだけでは済まない。トーリが大事に思っている人間まで傷つける結果になる。それはトーリの最も望まないことだ。トーリは震える声でシオンに尋ねる。


「ほ、本気で考えているのか」


「本気、の定義が曖昧ですが回答しましょう。私は嘘を付けますのでトーリ様が私の発言の真偽を完璧に判定することは困難かと思われます。しかし、この計画の遂行についてどの程度の意欲を持っているか、という趣旨であるならばジュリエッタ様がやれと御命じになられれば、ジュリエッタ様に創造された人工知能として完膚なきまでやり遂げて見せると、そうお答えします」


 その答えは極めて機械的で感情の籠らないものだった。その事がシオンの本気を示している。


「貴様は誰にも迷惑を掛けずに死ぬことは出来なくなったようじゃなぁ? どうするトーリ? 我と組むか、それとも皆を道連れにして死ぬかの二択じゃの」


 ジュリが勝ち誇ったように胸を反らす。その様子をトーリは茫然とした様子で認める。こんなにもあっさりと自分の決意が砕かれるとは思ってもみなかった。それが自分には覆せない状況で、誰とも知らぬ者たちと共に巻き込まれて死ぬことでさえギリギリだったのだ。それがトーリが見知っている者を巻き込むとなれば、その選択肢は潰える。死ぬことすら自分の好きに出来なくなった自分に自嘲の笑みを浮かべて、トーリは項垂れた。


「……くそ、こんなの仲間じゃないだろ」


 トーリが呟いた内容を、シオンは聞き逃さなかった。


「透利様は仲間という言葉に甘い幻想を抱きすぎです。これは透利様の今までの経緯も影響していますね。透利様は一人孤独に冒険者をされて来られた。それは決して透利様の望んだ冒険者生活では無かったはずです。他のクランを組んだ冒険者の方々を羨望の眼差しで見ていたのでは無いですか? だから仲間という存在に憧れ、理想化しています。心の奥底から分かりあえる友人であり戦友、苦しいときも悲しいときも苦楽を共にしお互いに成長していく――そんな美しく理想に満ちた関係性があるとでもお思いですか?」


 シオンの声は子供をあやすように言葉を重ねる。何だか今日は自分の汚点を晒され続けているような気がする。トーリはシオンの言葉に反論する気も起きなくなっていた。いつの間にかシオンの声からは棘が消えていた。


「目的が合うから一緒に居る。仲間なんてそんなものです。逆に言えば、目的がたがえば離れます。それを恐れていては仲間など出来ないのですよ。まあ、その愚直さが透利様の美点なのでしょう。人種はジュリエッタ様を通して数多観察してきましたが、比較的好ましい方ですよ。透利様は。それに、透利様、透利様が希死念慮を抱かれた最大の理由は一つ潰えるかと思われます。ジュリエッタ様、ご説明いただけますか」


「ああ良かろう」


 ジュリへと水を向けられた話の流れに、トーリはジュリに視線を向けた。その瞳に覇気は無い。その様子をみてジュリは溜息を一つ付く。


「トーリ。一つ言い忘れておった。[狂戦士ベルセルク]の件じゃがな。貴様は何やら勘違いしておるようじゃが、我は調教を諦めたわけでは無いぞ?」


「なっ――!?」


 今度こそトーリは口をあんぐりと開けて固まった。次に口を突くのは子供の様な糾弾だ。


「だってジュリが難しいって言ったんじゃないか!? だから俺はッ! それになんでこのタイミングで!?」


「トーーーーリが勝手に間違ったんじゃろうがッ! 勝手に! 我は一言も出来ないとは言ってないもーーーん。今は難しいって言っただけだもーん。それを勝手に勘違いしたのはトーリじゃ! バーカ、バーカ」


「一番の切り札は最も相手にダメージを与えられるタイミングで導入するのが様式美ですよ、透利様」


 トーリの糾弾に答えたのは、賢者とは思えぬ幼稚な罵声と、慇懃な悪魔の声だった。トーリの心は完全に砕け散った。真っ白になったトーリにシオンは本人が聞いているかも確認せずに説明を続ける。


「ジュリエッタ様がおっしゃりたかったのは現状すぐに調教するのは無理という意味です。透利様の中の[狂戦士ベルセルク]は思っていた以上に凶悪なものでした。当初の予想であれば、十六階層での覚醒である程度変化が見られるはずでした。しかしそれは叶わなかった。まだ時間はかかるかと思われますが、ジュリエッタ様は決してあきらめた訳ではありませんよ」


 ジュリも頷く。


「その通りじゃ。この程度の経過時間で始めた研究を諦めるわけが無かろう。我は長命種メトセラぞ。二千年を生きる我らにとって貴様の一生など羽虫の一生に等しい。羽虫が生まれ、死ぬまでの間程度全て研究に費やしたとて、何の痛痒もない。それに我は貴様の[狂戦士ベルセルク]などに傷つけられるような惰弱さは持ち合わせておらん」


「ややジュリエッタ様は心情が読みづらいところがありますので、どう見ても鈍そうな透利様にコミュニケーションの補助を致しましょう。どうです、素敵なAIでしょう? 高性能な心情解析エンジンを用いた分析では、ジュリエッタ様はこうおっしゃっているのです――トーリが死ぬその時まで一緒に居たい。[狂戦士ベルセルク]なんて気にしないから、ずっと一緒に……」


「わあああああ―――ッ!」


 ジュリの心情部分は丁寧にもジュリの合成音声で再現されている。ジュリは完全に取り乱した様子でシオンを黙らせるために杖をぶんぶんと振った後、真っ赤な顔で杖頭のギリギリと魔石を握りしめた。


「だから貴様を呼ぶのは嫌なんじゃ! 我はそんなこと一言も言っとらん! 言っとらんぞおお!」


「おや? これは失礼致しました。高性能過ぎるのも時には問題になるのですね。創造主に疎まれるほどの自分の高機能が呪わしいですね――いかがでしょう透利様。ジュリエッタ様もこうおっしゃってます。救出する、しないの賭けなど行わず、仲間になりませんか?」


「撤回せぬかぁ! このクソプログラムがァ!」


 魔石相手に凄みを聞かせているジュリを、差し置いてシオンは事も無げにトーリにそう提案した。シオンに身体があったら絶対ニヤニヤしながら、ジュリの様子を眺めているのだろう。それを想像してトーリは笑いが込み上げてきた。その笑いは次第に大きくなり呼吸が苦しくなるほどに笑いが止まらなくなる。トーリは笑いの為に目尻に溜まった涙をぬぐう。

 仲間になりたいと言われたのは初めてだ。その事がトーリ自身にも意外な程に、トーリの胸を温めていた。死を望んで、無理やり諦めさせられて、今度は仲間とう餌をぶら下げられ、生きる希望が沸いてきている。短い時間の中でくるくると回る自分の心情にトーリは戸惑いながらも、嫌な気持ちではなかった。


「いや、もう少し考えさせてくれ。少なくともここを脱出するまでは。あと、出しに使おうと考えていた俺が言うのも難だが、やはり七階層に逃げ遅れた人がいたら救いたい。こんどこそ本気でだ――すまないが力を貸して欲しい」


「すまないは余計じゃボケが。この程度我にとっては呼吸をするよりも簡単な事よ」


「私も微力ながらお供いたします。それに賭けに勝ってこそトーリ様に対する完全勝利が確定するのですから手を抜くつもりはございません」


 真面目な顔で頭を下げたトーリに、二人はそれぞれ是と応じた。


「では行くか――」


 随分と時間を食ってしまった。だが、必要な事でもあったと思う。この話が無かったらトーリは無駄な特攻を掛けるだけだった。


「まずは敵の状況把握を要求します。現状の情報量では作戦立案に支障をきたしています」


「そうじゃな。まずは七階層の全容をある程度把握したいの。トーリ、七階層をある程度高い位置から眺められる場所はあるかの?」


「ああ、任せておけ」


 七階層はトーリにとっても主たる探索層だった辺りだ。伊達に長く潜っていたわけではない。細かな地図も全て頭の中に入っている。トーリは七階層の中腹で壁の高い位置に抜けている通路を選択する。そんなに遠い距離ではない。

 ――ズズン、と二度目の振動が鬼國牢きごくろうを揺さぶる。

 一度目の揺れよりは随分と小さい。しかし鬼國牢きごくろう全体に揺れが伝わる時点で随分と異常事態だ。やはり時間は差し迫っている。注意深く揺れが収まるのを待ってからトーリ達は移動を開始した。



***


 トーリが走り出して、声が届かない距離まで開いたのを確認して、シオンが明滅した。


「ジュリエッタ様は透利様がだと考えていらっしゃるんですね」


 その声は先ほどトーリを交えて話した温かみのある声では無く、冴え冴えとした響きが籠っていた。ジュリはシオンの問いかけに頷く。


「ああ、黄昏の賢者の最後の賭けじゃ」


「可能性としては低いかと思いますが」


 シオンの率直な意見にジュリは一瞬寂しそうな顔をした後、自嘲気味に笑んだ。


「どうせジリ貧じゃよ。このままだと何も出来ぬまま終わる。この世界に来てトーリに初めに遭えたのは僥倖じゃった。で、あるならばそれに乗っかるのも一興」


「賢者とも在ろう者が運、ですか――」


「まあ今まで散々、確率論で勝負して負け続けたのじゃ。最後くらい趣向を変えたところで問題はあるまい」


 ジュリの顔はいっそすっきりしたものだった。その顔に至るまでの経過を思い、シオンは沈黙する。


「承知いたしました――個体名・黒澤透利を『対勇者決戦兵器』候補に認定いたします。これにより、優先度をジュリエッタ=リンクス=アーデルハイドに次ぐ、第二位に設定いたしました。ジュリエッタ様――悔い無き、人生を」


「……すまぬな。厳しい戦いになるぞ」


 シオンの判断にジュリは謝罪の意を示した。シオンにとってはジュリを支え共に戦う事こそが存在意義だ。主に謝罪される謂れなど無い。


「勿体無いお言葉でございます。それが私の存在理由レゾンデートルなれば」


「ああ頼りにしている」


 その言葉にシオンの感情回路は歓喜の処理を吐き出した。全ては創造主の為に。シオンは転移後の世界でも変わらず自らの存在理由レゾンデートルに忠実に、主の為の戦略案を練り始めた。

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