第27話 死線③

「斉藤! 二時方向補助! 横芝もけん制を入れろ! 移動と同時にアツコに役置換スイッチ!」


「「はい!」」


 吉岡の指示と共にケンロウとチヒロが素早く動いて、二時方向から溢れてこようとする小鬼ゴブリンの足止めに掛かる。チヒロに矢が当たらないようにレナも位置取りを修正する。その前を阻むようにしてケンロウが槍を構えた。吉岡が切り捨てた小鬼ゴブリンたちをかき分けるようにして、暗がりから更に数体の小鬼ゴブリンが飛び出してきた。それをケンロウが必死に捌いていく。止めを刺すつもりは元から無い。長槍を出来るだけ長尺に持って手数を増やし、間合いに入らせなければ及第点、足に攻撃が加えられて戦線離脱させられれば満点だ。チヒロは火産霊カグツチより何段階も消費魔力を落とした魔術の詠唱を始める。それに気が付いた智小鬼ホブゴブリンが弓を後方から構える。


「レナ!」


「分かってる!」


 チヒロを庇う様にして智小鬼ホブゴブリンの射線上に盾を構えて侵入する。同時にカカカと盾に矢じりの立つ音が連続した。チヒロは無事だ。レナの後ろで何事も無かったかのように詠唱を続けている。例え命の危険を感じようとも詠唱を途切れさせないのは、レナとケンロウを信頼してくれている証だ。


魔素回路構築マギカサーキット 水属性ウォーターエレメント――成功グリーン 疑似精神機構フェアリーコントラクション――成功グリーン 対魔術防御構築アンチマギカ――成功グリーン 最終魔術補正オプティマイゼーション――完了オールグリーン

 レナ、ケンロウ、避けて!」


 チヒロの呼びかけに答えてレナとケンロウは飛び退る。智小鬼ホブゴブリンが次矢をつがえようとして焦っている顔が一瞬見えた。


魔術開放リリース――ミズチ!!」


 魔法陣の輝き共に水球が五つチヒロの前に生まれた。火産霊カグツチの炎球よりは随分と小さな水の球だ。一つ一つは拳よりも僅かに大きい程度だ。その水球は不意に壊れると、地面に向かってドボドボと流れ出す。流れた水が地面に当たってそのまま崩れ霧散するか思われた瞬間。それらは流れ落ちる水の形そのままに蛇の姿を取った。地面すれすれを高速で蛇行しながら、一匹が智小鬼ホブゴブリンの頭部を粉砕し、残りも他の小鬼ゴブリン達に襲い掛かる。


「嬢ちゃん! アンタやるねえ……!  芳賀、次はアタシらの番だ! 嬢ちゃんにデカい顔したかったら相応の働きをしな!」


 チヒロに賛辞を残しながら、美濃部が完全に統制を崩した小鬼ゴブリンの集団に切りかかっていく。芳賀は一瞬悔しそうな顔をしたが、何も言わず美濃部の後に付き従って残党の処理に入った。僅かに出来た余裕で吉岡を見れば、既に戦線を切り開いて先に進んでいる。ここでの【月詠ツクヨミ】の仕事はここまでだ。レナ達も吉岡に距離を離されないように後を追う。


(もうすぐ、もうすぐ六階層の主通路に復帰できる)


 その事実にレナは安堵の息を漏らす。結局、吉岡率いる混成パーティが選んだのは六階層内を迂回して主通路に戻る案だった。普通に主通路を抜けるよりも三倍以上時間が掛かる。それでも囲まれる恐れのある七階層に抜けるよりは、安全度が高いと判断したためだ。


「……あと、少しだね!」


「ああ、夕飯が恋しいぜ!」


 レナの雰囲気を察してチヒロとケンロウも意気を高める。正直なところ、空元気も良いところだ。通常なら帰還を選択する時間帯から追い打ちを掛けるように始まった脱出行だ。体力はとっくの昔に底を付いている。ただ今まで体験したことの無い危機的状況の連続に、精神が高ぶって良く分からなくなっているだけだろう。実際の所、チヒロも魔術枯渇の一歩手前で肩で息をしているし、ケンロウも細かい生傷がそこら中にある。そういうレナだって、ケンロウ程ではないが傷だらけだ。盾が相当に重く感じるようになってきていることからも、限界は近いのだろう。


(時間の感覚もめちゃくちゃだしね。今が何時なのか良く分からないや……)


 主通路を抜けるより三倍近い距離を歩いたのだ。随分と時間が経ったことだけは確かだろう。時計を見てしまうと心が折れそうなので見るのをやめる。【月詠ツクヨミ】の三人以外も、一様に疲れた顔をしている。特に片岡が酷い。前衛でケンロウと共に吉岡のフォローに入りつつ、回復、状態向上魔術バフを掛け続けたのだ。その幅の広い戦闘スタイルが、負担となって彼に圧し掛かっているのは確実だ。先ほどから目に見えてふらつく度合が増えている。とは言え、自分自身に余裕のない状況で、他人のフォローは難しい。


(あと少し…。あと少しだから……)


 そう呪文を唱えるようにレナは言い聞かせながら、重くなった足取りを一歩一歩踏みしめていく。


「よし! 主通路だ!」


 先を歩く片岡の声が響いた。その声は喜色に満ちている。その声に反応して、レナも視線を上に上げる。確かにそこに側道の出口を見つける。その奥は、側道ここよりは僅かに広い構造になっている主通路だ。ここからなら五階層に抜けるのもそれほど時間が掛からないだろう。

 片岡が嬉しそうに側道出口に駆け寄っていく。パーティの隊列が乱れる。


「待て!」


 吉岡が鋭い声を発するが、片岡が側道の出口に近づく方が早かった。

 吉岡以外は、他のパーティメンバーもそんな片岡の行動を厳しく止めたりしなかった。その気持ちは嫌でも分かったからだ。消耗と終わりの見えない戦いに対する苛立ち。そしてその戦いに終わりが見えた時の嬉しさだ。皆、疲れ切っていた。特に【百掌巨豪ヘカトンケイル】の三人にとっては六階層など取るに足らない階層だった。そんな階層でどちらかというと浅層階の寄せ集めの小鬼ゴブリン達に足止めを喰らって命を懸けるような状況になっている事に片岡も美濃部も僅かにプライドを刺激されていた。


「大丈夫ですよ。もう出たも同然だ」


 確かに主通路に向かうにつれて小鬼ゴブリン達の攻勢は弱まっていった。これは敵を逃がさまいと要所に配置した小鬼ゴブリン達の布陣を人間が破ったとも捉えられる。恐ろしかったのは数だけなのだ。その最も厚い所を抜いてしまえば、怖いものなどない。予想以上に疲労がたまり限界が近づいていた片岡にとって、その戦況判断は捨て去るには惜しかった。

 片岡が側道出口にたどりついた時、主通路から一体の小鬼ゴブリンがよろけながら歩いてきた。


「ユウヤ! 戻るんだ!」


「ミツテルさん、心配し過ぎですよ。 主通路に伏兵はいません! 俺たちあの攻勢を突破したんですよ!」


 そのことがよほど嬉しかったのだろう。片岡は気が大きくなっているようで、小鬼ゴブリンの一体が近づいてきたくらいでは特に気にする様子も無いらしい。小鬼ゴブリンが近づいてきているのにも関わらず戦闘態勢もとらず、吉岡に話しかける。レナも小鬼ゴブリンに目を向ける。二階層に出るような本物の野良小鬼ゴブリンに比べてもまだ身体が小さい。手足も枯れ枝のように細くてとても剣などの武器を装備できるとは思えない。


(あれなら私の盾撃シールドバッシュでも倒せるかもしれない)


 非力な為に盾だけしか装備しておらず、攻撃手段の少ないレナですらそう思う。六階層が主な狩場である【月詠ツクヨミ】の三人にとって片岡の行動は気が抜けているように思う。しかしそれは自分達よりも実力が上の冒険者なら、その程度の余裕をみせながらでも問題の無い階層なのかもしれない。そう納得したところで、小鬼ゴブリンの様子を見てふと気になった。小鬼ゴブリンの頸には頑丈な金属製の首輪が付いていた。それは首飾りなどの装飾用では決して無い、あくまでも首輪だ。そしてそういった首輪をレナは知っている。


(あれ罪人や犯罪奴隷の人が付ける首輪に似ている気がする)


「……? 吉岡さん。あの小鬼ゴブリン、首輪――」


 念のため確認しようとレナが吉岡に伝えようとする。その時小鬼ゴブリンの首輪に付いた魔石が一瞬光った様にみえた。


Gyyyy!

 

 反応は激烈だった。小鬼ゴブリンが突然叫び出して悶絶し始めたのだ。片岡が何か手を出したわけでは無い。それなのに小鬼ゴブリンは全身を掻き毟りながら地面をのたうちまわる。

 おかしいと感じたのはレナだけでは無かった。吉岡は完全に足を止めて様子見に入り、チヒロも防衛魔術の詠唱に入る。片岡も先ほどの余裕は消え失せて、パーティに合流しようときびすを返した。油断していたとしても、状況変化を素早く察知して行動に移せる判断力は、さすがにC級と言った所だ。片岡も決して数回では済まない数の修羅場を潜り抜けて今この場に立っていた。疲労はしていても、決して他の冒険者に見劣りするようなことは無い。

 しかし今回に限って言えばそれは既に遅すぎる行動だった。

 小鬼ゴブリンの身体にボコリと腫瘤が出来る。それは瞬く間に全身に広がって趣味の悪い水風船の様に膨れ上がった。絶叫は消え失せて僅かに痙攣するだけになった小鬼ゴブリンの全身が魔素特有の燐光を放った。


「伏せろ!!」


魔術開放リリース――土蜘蛛!!」


 吉岡が吼え、チヒロが魔術を発動し、レナがチヒロの前で盾を構えたその時。


 爆炎が視界を満たした。

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