第26話 死線②

「チッ! 先にやられた! 脱出するぞ! 足を止めるな!」


 突然の振動。それがどこかで起こった爆発音だと気が付いた時に、舌打ちしながらも最も早く状況に対応したのは吉岡だった。

 すぐに抜剣すると剣に淡い魔力の光を帯びさせる。東総重工社製、重壊じゅうかいシリーズ最新型5.0バージョンのフラッグシップモデル。製品名・重聖剣カレトヴルッフなどと大層な名前を付けた両刃の長剣だ。吉岡の場合は【百掌巨豪ヘカトンケイル】のリーダーと言うこともあって東総重工もスポンサーとして様々な援助をしていると聞いたことがある。確かにカタログよりも更にごてごてとした意匠が施された剣柄をしていることから、更に彼仕様にチューンされて、聖剣エクスカリバーの名に恥じない性能をしている事だろう。


「アツコは後方警戒、ユウヤは僕の後ろに! 絶対に傷を受けるな! 【月詠ツクヨミ】はアツコと僕の間だ! 可能な範囲でユウヤを守れ。 治癒術士ヒーラーを失うとジリ貧になるからな! あと、悪いが付いてこれないようなら見捨ているからそのつもりで!」


 【月詠ツクヨミ】の三人が突然の出来事に呆けている内に、素早く指示を飛ばして陣形を作る。流石はB級クランのリーダーだ。仲間達も特に細かい指示を受けなくても、自らの役割を請け負っていく。三人が爆発の衝撃から立ち返った時には【月詠ツクヨミ】と【百掌巨豪ヘカトンケイル】の混成メンバーは、移動を開始していた。


「アツコ!」


小鬼ゴブリンの気配多数! チッ! やっこさん完全にアタシらを囲い込む気だよ!」


 吉岡が呼びかけると、アツコはイラついた様子で後方から答える。未だレナの視界には一匹も姿は見えない。しかし探索に特化している探知者シーカーが言うのだから間違い無いのだろう。正直レナは状況についていけて無かった。しかし自分よりも上位の冒険者がこんなにも焦っているのだ。状況はかなり切迫しているのだろう。だが、小鬼ゴブリンの一匹も見えていない状況で、それがどの程度の危機なのか上手く把握することが出来ない。ただ目まぐるしく進んでいく状況について行くだけで精いっぱいだ。

 【月詠ツクヨミ】の三人は進んだ速度の倍以上の速度で来た道を戻っていく。進む速度は本当にぎりぎりだ。少しでも気を抜いたら置いて行かれる。その速度にケンロウもチヒロも顔色を悪くしながら引き剥がされまいと喰らい付く。


「――ッ! 駄目だ! クソ、このための爆発か!」


 不意に吉岡が怒りに満ちた声を上げる。既に着いていく事に精一杯で、周囲など気に留める余裕の無かったレナはそこで我に返る。吉岡が不愉快げに見る視線の先に崩れた洞窟の壁が見える。そこから先の通路が無いのだ。


(通路が塞がっている!? あの爆発で迷宮ダンジョンの壁を壊したって事!?)


 その状況の深刻さに改めて気が付く。普通、迷宮ダンジョンの壁は下位の冒険者がどんな事をしようと壊れるようなものでは無い。迷宮ダンジョンというものはただの洞窟よりもずっと頑丈に作られているからだ。もし壁を壊そうと思ったら、上級の冒険者が複数人で組んで壁を壊そうという明確な意志の下、準備をして達成するものだ。決して成り行きで起こるような代物では無い。それは小鬼ゴブリンたちにとっても同じ労力を要するということだ。この破壊は意図をもって行われている。


(四節の主通路が! コレだと私達地上に帰還できない!)


 六階層は網目の様に広がっているが、植物の主根と側根のように上層に抜けるために全ての通路と繋がる主通路があった。それが四節通路だ。それが今こうして破壊されている。そこに破壊者の悪意を感じる。抜け道は無いわけでは無いが、七階層を経由したり、六階層の中を迂回して三倍以上の距離を歩かなければならない。そして敵が意図して主通路を壊した以上、他の通路もすんなりと通れるとはとても思えない。


「誰ッ!?」


「た、助けてくれぇ! 敵意は無い!」


 不意に美濃部が今、自分たちが抜けて来たのとは別の側道に鋭い視線を向ける。と、同時に男が飛び出して来た。


「あんた! 【餓狼ガロウ】の!」


 ケンロウが警戒を隠さない声を上げる。目の前に現れた男はクラン【餓狼ガロウ】の芳賀義男だった。鎧は土埃と青黒い血に塗れていて、本人も細かい切り傷や擦過をそこら中に作っている。息も絶え絶えな様子で【月詠ツクヨミ】と【百掌巨豪ヘカトンケイル】の混成メンバーに近寄ってくる。


「山崎はどうした!」


「トオルの奴はやられちまったよう! あいつらに滅多刺しにされて……」


「芳賀、テメエ連れて来やがったな! ミツテル、来るよ!」


 吉岡が芳賀に問いただしそれに芳賀が答えている途中に、重ねて美濃部が鋭い剣幕で遮った。調度そのタイミングで側道の暗がりから、何かが投げ込まれる。それらに反応できたのは吉岡達だけで、【月詠ツクヨミ】の面々は反応することが出来ない。それは勢いが足らないのかレナ達に届かず、ずいぶん手前でワンバウンドしてからコロコロとこちらに転がってくる。

 その投げ込まれた物体を視認した時、レナの口からはヒュと悲鳴にすらならない吐息が漏れた。


「オアアッ!?」


 次に気が付いたケンロウが驚きと恐怖を半々に分けたような悲鳴を上げる。周囲も悲鳴こそ上げなかったがその物体が何かを確認すると、息を飲んだ様子が伝わって来た。

 投げ込まれた物体は山崎の頭だった。瞳孔が開き切り、驚いたまま気絶したような虚ろに空ろな表情と目が合ってしまったレナは、そのまま固まった。レナの異変に気が付いたチヒロがレナの腕に縋りつく。


「――ハァッ! ……ハァ……ハァ」


 僅か数瞬の事だったが呼吸も止まっていたらしい。冷や汗が伝う感覚共に心地良いとは言えない迷宮ダンジョンの空気が肺に流れ込む。

 嘔吐に至らなかったのは決してレナの意志が強かった訳では無い。状況が許さなかっただけだ。我に返ったレナが顔を上げると、そこには暗闇に二対ずつからなる暗く濁った光点が、空間を埋め尽くすようにびっしりと浮かんでいた。その殺意の乗った光点の一つ一つが、小鬼ゴブリンたちの目であると気が付く。縋りつかれた腕を通して、チヒロが細かく震えているのを感じる。チヒロもレナが震えているのを感じているだろう。


「う、うそ……」


 か細い声がレナから漏れる。小鬼ゴブリン五〇〇体という数がどういうことか、今正に身をもって知った。全員に重い沈黙が下りる。感じるのは絶望だ。とてもでは無いがこれを切り抜けて先に進むことなんて出来ない。数歩飛び込んだだけで、山崎の様に滅多刺しにされて、首を落とされて、彼らの戦果となる――。


「狼狽えるな! 装備を整えろ! 生存を諦めるな!!」


 レナの気持ちが完全に折れかけた時、後方から鋭い声が上がった。振り返れば吉岡が、厳しい表情で檄を入れていた。その顔に余裕は無かったが、闘志も失われていなかった。


「横芝! 詠唱準備! 一〇時方向側道に最大級のを叩き込め! ユウヤは状態向上魔術バフ準備。横芝の魔術を合図に全員に掛けろ! アツコと芳賀は殿しんがりを勤めろ。芳賀は同行を許すがその分は働いてもらうぞ! 渡辺は横芝を死んでも守れ。魔術師はお前の命よりも重い! 斉藤は僕の援護だ。僕が漏らした小鬼ゴブリンを長いリーチを利用して足止めしろ! 動けなくなればそれでいい! 前衛は僕が務める。さあ切り開くぞ! 合図は横芝の魔術だ! 決して置いてかれるなよ!」


 吉岡の言葉は折れかけたレナの心に沁み込んで、再び手足に力が入るをの感じる。吉岡がB級冒険者として周囲の者から認められている理由が分かった気がする。こういった危機的な状況で周囲の人間を引っ張って行けること、自らが士気の中心となって奮い立たせられること。こんな絶望的な状況でそれが出来る人間はやはり普通じゃ無い。普通じゃないからこそ、冒険者として頭角を現せるのだ。

 レナは吉岡から貰った具体的な指示で、自分の役割を認識する。役割が与えられれば動くことが出来る。必死に動いてさえいれば、絶望に足を取られる事は無いのだ。ゴクリと唾を飲みこむと背中に背負った鉄板で縁取られた木製の大盾を、チヒロを小鬼ゴブリンの視線から守る様にして構える。レナの様子を見たチヒロもまた、瞳に強い力を戻して詠唱に入る。ケンロウもやや慌ててはいるが、吉岡の傍に移動していく。既にクランが違うとか、そういった感情は一切無かった。どう考えてもリーダーに相応しいのは吉岡だ。

 チヒロが空中を探る様にしながら魔術を構築していく。一つ一つ詠唱を行うごとにチヒロの足元に浮かぶ魔法陣に魔素が満ちていく。


魔素回路構築マギカサーキット 火属性ファイアエレメント――成功グリーン 風属性ウインドエレメント――成功グリーン 疑似精神機構フェアリーコントラクション――成功グリーン 対魔術防御構築アンチマギカ――成功グリーン 最終魔術補正オプティマイゼーション――完了オールグリーン――吉岡さん、行けます!! 」


 チヒロの頬を汗が伝う。それほどまでに細かい作業を必要としているのだろう。そして魔法陣の光が最大限に達した時にチヒロは、吉岡に発動のタイミングをゆだねた。頷いた吉岡はぐるりを皆を見回す。


「生き残るぞ、皆! 行け、横芝!」


魔術開放リリース――火産霊カグツチ!!」


 魔法陣がひと際強く光輝いた。同時に仲間と小鬼ゴブリンたちの中間地点に炎の塊が突然出現する。その炎は始めは人の頭位だったが徐々に大きくなりながら、回転して火力を高めていく。その炎が最終的に子供をすっぽりと包める程度の大きさになり、色が赤から青に変わった瞬間。炎は不完全な四足獣の形態を取った。

 ソレは獣で言うなら口にあたる部分を大きく開けて、人には聞こえない咆哮を放つと小鬼ゴブリンのいる側道目がけて突っ込んだ。

 ヒナタの精霊魔術。ヒナタは魔術に精神体フェアリーを埋め込む天才と言われている。精神体フェアリーを埋め込まれた魔術はその指向性が増し、敵と味方を区別し半自立的に動くことが出来る。これこそがたった半年でD級となったヒナタの力の源なのだ。

 魔術を放ったヒナタがぐらつく。火産霊カグツチはヒナタにとっても大技だ。精霊魔術であることに加えて、風属性との二重属性デュアルエレメンタルにすることによって燃焼温度を上げて格段に威力を高めている。実際の戦闘場面で使ったのは数えるほどしかない。魔力枯渇にはならなくても、一時的な体内魔力の急減による眩暈を起こす。レナはぐらついたヒナタを支える。


「大丈夫――?」


「大丈夫!」


 二人は短い言葉で確認をし合う。チヒロはレナの顔を見るとニコリと笑って、支えているレナから離れた。すでにチヒロの脚には力が戻っている。


「続け!」


 まだ残火の残る側道に吉岡が、跳躍に近い速度で突っ込んだ。チヒロの魔術から生き残った小鬼ゴブリンたちが、ノロノロと顔を上げる頃には吉岡が既に目の前だ。吉岡の重聖剣カレトヴルッフが無造作に横薙ぎに振られる。たったそれだけの動作で5匹の小鬼ゴブリンがまるで紙の様に両断され、それでも有り余る運動エネルギーが切り離された上半分を洞窟の天井へと吹き飛ばした。


(す、すごい!)


 レナはその恐ろしい程の身体機能強化に驚愕する。ケンロウは口が開いているし、チヒロも表情を取り繕っているが目を見張っていることからレナには驚いていることが分かった。


「【月詠ツクヨミ】! 速く走れ! 隊列を伸ばすな!」


 後ろから美濃部の檄が飛んで我に返る。見れば吉岡は側道の奥に消えようとしている。敵を切り開きながら進んでいるというのに、レナ達が走るのと変わらない速度だ。レナは踏鞴たたらを踏みながらも走り出した。

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