第25話 死線①

(くそ、結局俺は駄目なのか)


 トーリは先ほどから何度目かの自問を繰り返していた。ジュリに言われたことがいつまでたっても頭から離れない。半分以上気もそぞろに洞窟の中を進んでいくが、幸い小鬼ゴブリンたちと出会う事は無い。これも隷属竜スレイブドラゴンたちを従えた小鬼ゴブリンの集団が通り過ぎた影響なのだろうか。トーリの頭ではそれ意外に原因が思い浮かばない。


(でもなんでこんな上階に小鬼ゴブリンの集団が上がってきたりしたんだ?)


 少しでも気持ちを切り替えようと、全く違う方向に思考を向ける。だがそういった前例を知らないトーリがどんなに考えても適当な答えは見つからなかった。


(ジュリなら知っているかもしれない……)


 ここ三週間の癖でほとんどずっと一緒にいる同行者に目を向ける。安息所セーフポイントで休憩する前は、あんなに「暇じゃ暇じゃ」と騒いでいたのに、一変して今はやや難し気な表情でトーリの後を静かについてくる。


(俺の……せいだよな)


 トーリは背後にいるジュリの気配に注意を払いながら小さくため息をついた。今まで良い関係を築いてきたのに、全てを台無しにしたのはトーリ自身だ。ジュリに[狂戦士ベルセルク]の根の深さを見せつけられた。自分以外の人格がやったことだからという免罪符を剥ぎ取られてしまった。断りも無く記憶を見られた事は、正直に腹が立つ。見せたくない傷を無理やり見られたのだから当然だと思う。しかしそんな事はただのきっかけだ。それ以上に、自分自身の浅ましさにトーリ自身は絶望していた。


(俺は、結局ヒナタを殺したことを[狂戦士ベルセルク]のせいにしたかっただけだ)


 右手に残る頸骨を砕いた感覚に怯えて、爪が食い込む程に手を握る。初めて[狂戦士ベルセルク]化した時の記憶は曖昧だ。しかし、ジュリに出会う直前に[狂戦士ベルセルク]化した時には、人格と[狂戦士ベルセルク]が分かれていた。だから[狂戦士ベルセルク]とはそういうものなのだと思った。ヒナタの時は状況的に瀕死だったし、何しろ[狂戦士ベルセルク]化自体が初めての経験だった。二年も前のことだったから、当時の記憶が多少曖昧になるのも当然だ。


(そしてそう勘違いした方が、俺にとってもからな)


 そうやってトーリは自分自身の心を守った訳だ。自嘲気味にトーリは嗤う。なんて卑怯なんだ、と。どうせ[狂戦士ベルセルク]を克服することも出来ない。いつか暴発し誰かを殺すことになるくらいなら、いっそのこと早めにくたばった方が、よほど為になるだろう。


(また同じ事を考えているな)


 小鬼ゴブリンの事を考えていたはずなのに、結局また[狂戦士ベルセルク]の事に考えがシフトしていた。今はこうして小鬼ゴブリンがいない状況が続いているが、いつどこで隷属竜スレイブドラゴンの集団に追いつくか分かったものでは無い。


(いくら何でも気を抜きすぎだな)


 自分はともかくジュリを危険に晒すわけにはいかない。それに地上に伝えないと大きな被害が出るかもしれない。自分の身の振り方は全てが終わってからでも良いだろう。既に九階層の一節。ここを越えたら八階層だ。いつ小鬼ゴブリンの群れと出会ってもおかしくない頃合いだ。


(本当なら既に追いついていておかしくないんだけどな。奴ら、思った以上に速い)


 トーリは気を引き締め直して、経路の先を見つめる。と、その時だ。

 ズン、と身体に響く振動が洞窟全体を鳴動させた。

 その振動に急激に緊張感が高まる。後ろを見ればジュリも剣呑な表情で周囲を探っている。トーリは腰に下げた斥牙せきがを引き抜くと、ジュリに問いかけた。


「何だと思う?」


「分からぬ。位置は遠そうじゃが……。じゃが、魔素によって守られている迷宮ダンジョンを鳴動ならしめるのじゃ。それなりのエネルギーを使った何かが起こっておる」


 ジュリの言葉にトーリは頷く。迷宮ダンジョンはただの洞窟に見えて、強固な構造をしている。鬼國牢きごくろうなども下方に広がる洞窟型の迷宮ダンジョンだ。そのアリの巣のような複雑な通路に加えて所々に大空間を有しているが、普通の洞窟に比べると崩落の頻度は圧倒的に少ない。更に洞窟内で戦闘になり、強力な魔術や大型の魔物モンスターと戦闘をしても無いとは言わないが滅多にある事ではない。迷宮ダンジョンそのものが何らかの魔物モンスターであり、その内部も魔素によって強固に構造を保持しているというのが通説だ。その迷宮ダンジョンが鳴動しているのだ。ただ事ではない。そして今、普通起こらない事が起きて居たら、隷属竜スレイブドラゴンと結びつけるのは自然なことだ。


「鉢合わせだけは避けたい。少し迂回はするが、走るぞ」


「トーリ……いや、何でもない。走るのは構わぬ」


 ジュリは何か良い澱んだ後、表情を真顔に戻すと自らの脚に何か魔術を掛けた。恐らく身体機能を上昇させる魔術だろう。ジュリが何を言おうとしたのか気にはなったが、今はゆっくりと問答している時間も無さそうだ。ジュリの準備が終わるとトーリは斥牙せきがを抜身で持ったまま、走り出した。


***


 【百掌巨豪ヘカトンケイル】や【餓狼ガロウ】とのいざこざから丸々半日が過ぎた。洞窟の中なので時間感覚がおかしくなるが、地上であれば昼過ぎはとうに過ぎて夜に入る頃合いと言った所だ。レナ達は順調に迷宮の深部に潜っていた。既にもう六階層だ。なのにほとんど小鬼ゴブリンたちと出くわさない。深部に行けば行くほどクランとしての評価も高くなるので、それは悪い事ではないが、戦利品が無いと結果的に赤字になってしまう。


「なんか今日、小鬼ゴブリンの数が少なくないか?」


 ケンロウがつまらなそうに担いだ長槍をくるくるを回しながらこちらを振り向く。チヒロもやや困った表情で頷く。


「普通は上層と言ってもここまでくれば普通は小鬼ゴブリンが増えてくるはずなんだけどね。今日はスッカラカンだね」


 レナも溜息を付きながらあまり役に立っていない大盾を背負い直す。


(頑張ろうと決めた途端にコレだもんなあ)


 世の中上手く行かないものだ、とレナは苦笑する。


「どうする? もうちょっとだけ深くまで行ってみる?」


「どうすっかなあ。次は七階層だからなあ」


 レナの問いかけにケンロウは嫌な事を思い出したように鼻根にグッと皺を寄せる。チヒロもやや難しい顔だ。この下の七階層で一度、小鬼兵ゴブリンソルジャーの群れに追いかけ回されたことを思い出しているのだろう。あれは本当に生きた心地がしなかった。七階層は大型のドーム状に開けた大空間で通称『大聖堂』と呼ばれる巨大空間だ。縦長に伸びる蒲鉾のような構造をしていて、長辺で五キロにもなる。ほとんど隠れるようなものは無いので七階層で運悪く囲まれると、命に係わる問題になる。七階層が新人にとっての登竜門だと言われる所以だ。


(あの時は必死に側道を探して、六階層に逃げ戻ったんだっけ)


 六階層は七階層にまとわりつくように網目状に広がる階層で、何か所も七階層と通じる道が通っている。その一つに飛び込んで、あとはひたすらに逃げて小鬼兵ゴブリンソルジャー達をまいたのだ。逃げ切った瞬間、六階層であることも忘れて三人でへたりこんだのは、今となっては良い思い出だろう。

 確かに何となく敵がいないからという理由で、七階層に再挑戦するのは少し油断しすぎだろう。しっかりと準備をした上で挑もう。レナもそう納得して、どの経路で帰るか三人で話し合いを始めた時に、洞窟の奥から声が掛かった。


「いた! オマエら! こんなところにいたのか!」


 口調は荒いが、声は美しい女性の声だ。声に聞き覚えがある。午前中、鬼國牢きごくろうに入った直後に関わった【百掌巨豪ヘカトンケイル】の美濃部敦子だ。美濃部はやや息を荒げながら三人に近づいてくる。更に後方には吉岡光輝と片岡裕也の姿も見える。皆、一様に表情が硬い。


「なんで六階層のこんな外れに居るんだよ……」


「私達七階層はまだ未踏破なので、六階層で稼ぐしかないんですよ。それよりどうしました?」


 肩で息をしている美濃部にチヒロは答える。確かにここは既に六階層でも随分外れの方だとレナは思った。もう少し進めば、『祭壇』と呼ばれる七階層の奥側に一気に抜けることが出来る。七階層を最短で横切る場合は便利だが、その分六階層で酷く時間を食うためにあまり好まれない経路だ。


「オレが話すよりも、ミツテルが話す方がわかりやすいから」


 呼吸が僅かに落ち着いてきてきた美濃部が後ろを仰ぐと、既に吉岡光輝がすぐそこまで追いついてきていた。吉岡自身は汗一つもかかず涼しい顔だが、一緒に走っていた片岡裕也は息も絶え絶えだ。美濃部もそれなりに疲労している所をみると、やはり身体機能強化の差なのかと分析する。更に片岡は回復術士ヒーラーであるため身体機能強化の幅が美濃部よりも更に劣るのだろう。

 吉岡は【月詠ツクヨミ】の三人に駆け寄ると、厳しい表情をチヒロに向けた。


「何か鬼國牢きごくろうがおかしい。さっきから他の冒険者を上に帰して回ってるんだ。何か気が付いた事はないか?」


 先ほど会った時の柔和な表情が少し崩れかけている。それほど取り繕っている余裕も無いと言う事かと、レナは思う。


「確かに魔物モンスターの数がやたら少ないですね。まるで揃って引っ越しでもしちまったみたいにいないです」


 ケンロウが少しおかしな敬語で吉岡に説明するが、これは平常運転だ。むしろ、レナやチヒロにとっても何故こんなに吉岡達が焦って行動しているのかが良く分からない。迷宮ダンジョン全体から突然魔物が消えてしまったら、冒険者は途端に生活に困る。魔物モンスターは危険なものだが、収入源でもあるからだ。しかし吉岡の焦りはそんな長期的に起こるような心配事ではないはずだ。実際に今、冒険者を地上に帰しているのなら差し迫った危機が迫っているということだ。

 吉岡がケンロウの言葉に頷く。


「やはりそうか。僕たちも同じだ。こんなに小鬼ゴブリンが出ないことははっきり言っておかしい。どんなに少なくても逸れ小鬼ゴブリンは出るはずだ」


 確かにそれはそうだ。レナは吉岡の言葉をヒントに考える。小鬼ゴブリンはすぐに徒党を組む。組んで上下関係を築いて、徐々にその集団を大きくしていくのが常だ。そんな大小問わない小鬼ゴブリンの集団がこの鬼國牢きごくろうには数多く存在している。小鬼ゴブリンたちは鬼國牢きごくろうに侵入してきた人種も襲うが、それ以前に小鬼ゴブリン同士でも血を血で洗う争いをしている。そんな群雄割拠の状態で、完全な空白地帯が生じるなんておかしい。そこまで考えて、サッと嫌な考えが浮かんだ。チヒロも同時に思い浮かんだらしい。その顔が青ざめる。


「まさか巨大な群れが……?」


「ああ、その可能性があると思っている。一から七階層までの潜在的な小鬼ゴブリンの数は五〇〇程度だと予想されている。今まではそれらが互いにいがみ合い、バラバラに動いていたから人種の付け入る隙が出来ていた」


「五〇〇! そんなに!」


 実際に出来上がった可能性のある群れの大きさを聞くと、チヒロから思わず悲鳴が上がった。レナも冷や汗が背中を伝うのを感じる。もし、五〇〇が徒党を組んで組織的に人類に牙を剥いたら。それは恐ろしい想像だ。通常十~二十階層である中層に出る群れでも百に届くかどうかなのだ。それの五倍の規模がこんな浅い階に出現したら、どれだけ死者が出るが分からない。自衛軍も協力しての大掛かりな討伐へと発展するはずだ。もちろん一介のクランがどうこう出来るレベルを超えている。


「それは本当に小鬼ゴブリンだけで行っていることなんですか? 誰か他の人間が関わっているとか……」


「それは分からない。しかし完全に小鬼ゴブリン社会と切り離した上で、取り上げた小鬼ゴブリンの幼体でさえも人種を殺そうと襲ってくるんだぞ? 人間が小鬼ゴブリンを、しかもこの数を従えてどうこう出来るとはとても思えない」


 チヒロの問いに吉岡は答える。「それに直近では僕たちがやることは変わらないしね」と付け加える吉岡にチヒロも納得したようだ。【月詠ツクヨミ】のメンバーに異論がないことを確認すると、吉岡は満足したように頷く。


「ああ、だから一度は全て引き上げる。入潜所にも連絡して入口はすぐに封鎖だ。僕たちは体制を整えた後に自衛軍と組んで状況把握に努める。さぁ、分かったらすぐにここから――」


 ズン、と腹の底に響くような衝撃がレナ達を駆け抜けた。

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