第24話 クラン【月詠:ツクヨミ】③

 山崎と芳賀が十分離れたことを確認すると、今度は吉岡はレナ達に視線を向けた。いや、正確にはチヒロにだ。


「横芝千尋さんだね。初めまして、僕は【百掌巨豪ヘカトンケイル】でリーダーの片割れをしている吉岡光輝と言います。後ろの二人は美濃部敦子と片岡裕也で、共にクランの仲間です」


 ニコリと人好きのするような笑みを浮かべて自己紹介した。紹介された二人もこちらに向かって会釈をする。美濃部は先ほどナイフを山崎に突き付けた女性だ。ウェーブの掛かった明るい茶色の髪を短く纏めた長身の美人だ。職種は恐らく探知者シーカー。隠密で行動したり、迷宮ダンジョンの探索、斥候などを主として行う職業だ。今は穏やかそうな笑顔をこちらに向けているが、少なくとも外見通りの性格ではないことをさっきの短いやり取りだけでも察した。そして片岡は近接も出来る魔術師といった所か。大柄な身体に刈り上げられた髪。姿勢も直立で微動だにしないその姿はいかにも実直そうな雰囲気を纏っている。両手に装着された手甲ガントレットが格闘技が使えることを、そして腰に下げた短杖が同時に魔術師であることを示していた。魔術師の中でも治癒術士ヒーラーや状態変化系の魔術に特化している者は、魔術によって近接の身体機能強化に劣らない身体機能を持つことが出来るため、平行でこなすこともあるらしい。

 名指しされたチヒロが一歩前に出る。


「吉岡さんですね。横芝千尋と言います。面倒な事になるところを助けて頂きありがとうございました」


 チヒロもニコリと笑みを返す。整っているがやや童顔な面差しにボブで纏められた艶のある黒髪のチヒロはレナから見てもかなり可愛い。美人と呼ぶにはまだ発展途上だから美人予備軍といった所だ。吉岡もチヒロの笑みに完璧な笑顔で「いえいえ……」と謙遜しているが、満更でもなさそうな雰囲気を出している。


(どうにも胡散臭いんだよなあ……)


 吉岡の人の好さそうな応答が、しっくり来過ぎていてレナは何となく違和感を感じている。先ほどの威圧を見た後だと、どうにも信じきれないのだ。


「いやー、助かったっス。『智蛇の王ケクロプス』さんに会えるなんて結構感激です」


 レナの疑心暗鬼などどこへやら、ケンロウは吉岡のことを信じ切っているらしい。冒険者を目指す者なら一度は憧れる存在だ。そんな存在に助けて貰ったとなれば憧れも一段と強くなる。ケンロウにキラキラした目で見つめられた吉岡は苦笑する。


「いえ【餓狼ガロウ】のメンバーはやや目に余るところがありましたからね。【百掌巨豪ヘカトンケイル】で調査と行動の分析をしていたんですよ」


 【餓狼ガロウ】と同時に迷宮ダンジョンに入った孤児の冒険者に、未帰還者が多いことに気が付いたのだそうだ。そこで現場を押さえるために【餓狼ガロウ】を見張っていたということだ。つまりは【月詠ツクヨミ】は山崎達を嵌めるための囮に使われたわけだ。


「一応見失わないように、探知者シーカーであるアツコと、救命が必要な場合に備えて治癒術士ヒーラーのユウヤを連れて来たんです」


 本来は山崎が完全に手を出してから助けに入る予定だったらしい。しかし今回狙われたのが【月詠ツクヨミ】の横芝千尋だった為、急遽助けに入る事にしたそうだ。襲われるまで見守る予定だったと聞いたケンロウは、ショックを受けた様子で僅かに表情を硬くして吉岡の話を聞いていた。吉岡は状況を説明し終わると、やや真面目な表情になってチヒロの事を見つめた。


「横芝千尋さん。貴女には才能がある。才能がある者には良し悪しに関わらず人が集まる。利用しようとする者、嵌めようと動く者、仲間として取り込もうとする者。その真贋を自ら見極めて、自分の身は自分で守らないといけない」


 吉岡の真剣な表情にチヒロも表情を硬くして頷く。


「有体に言えば僕たちもそうだ。本来なら罪を確定するはずだった者を逃がしてまで、君に恩を売った。僕は無理に引き抜こうとするつもりは無いが、横芝さんがより高みを目指そうとする時、自分を人々の悪意から守り切れなくなった時、そして周りにいる仲間を守りきれなくなった時に、新しい仲間として【百掌巨豪ヘカトンケイル】を選べるように先行投資をしたんだよ。決して善意ではない。そこは良く把握して、自分の行動に責任を持たなければならない」


 吉岡は例を挙げる度に指を立てながら説明する。仲間を守り切れない、と言う言葉が出た瞬間にチヒロの表情が硬くなったのが分かった。


(吉岡さんは私達にも言っているんだ……)


 さっきの山崎達の諍いの時、もし戦闘に発展していればレナもケンロウも大した攻撃も出来ずチヒロに守られる事になっただろう。下手をすれば人質に取られて、足を引っ張ったかもしれない。それに考えたくは無いことだが、どう考えても無事では済まなかった。全滅の可能性も十分にあった。吉岡は力の差が付きすぎた仲間は、共に助け合う関係になる事は出来ないと言っているのだ。


「私は……」


「今無理に答えを出す必要はないよ。よく考えてみて。横芝さんのお仲間も一緒にね。あと人の悪意には十分に注意してね。横芝さんは今、君が思っている以上に色んな人の目に留まっているよ」


 吉岡は口ごもったチヒロにあくまで優しく忠告すると、美濃部と片岡に目配せした。


「今日の仕事は終わったけど、せっかく迷宮ダンジョンに来たんだから、少し潜って夕飯ぐらいは稼いで帰ろうか。では、お互いの生還と命に見合う戦果を願って」


 吉岡は、硬い表情のまま立ち尽くしている【月詠ツクヨミ】の面々に冒険者同士の挨拶をすると、仲間たちと共に迷宮ダンジョンの奥へと消えて行った。

 嫌な沈黙が下りる。ケンロウでさえも言外にチヒロの足で纏いだと言われたことには気が付いたらしい。男としてのプライドを深く傷つけられた様子で俯いている。ケンロウはオロオロと頭を振るとチヒロを見つめた。


「俺、チヒロに比べると弱いよ。いい流れで冒険者をやれてるって思ってたけど、チヒロがいなくなる事を想像したら全然立ちいかないし。吉岡さんが言いってることは多分あってる。いいのかよチヒロ。俺らなんかと一緒に居て……」


 ケンロウは悔しそうな顔をしながら、吐き出すように言った。言いながらも、チヒロを失う恐怖におののいている。そしてそれはレナの思いの代弁でもあった。レナも自分の力に自信なんか持てない。ケンロウは楽観的だから、吉岡達に釘を刺されるまでは「チヒロは凄いなあ」位の考えしか無かったと思う。しかしレナはチヒロがD級に上がった時から、いつかチヒロが何処かに行ってしまうことを考えながら迷宮ダンジョンに潜って来た。もしそうなった時、レナとケンロウは他の冒険者を目指す孤児たちと同じように厳しい立場になって、たぶん最後は迷宮ダンジョンで死ぬか、奴隷になる。いつか来るかもしれないその瞬間を覚悟はしていた。だからチヒロが離れていくまでに強くなろうとレナなりに必死に頑張ってきた。才能が無いと散々揶揄されながらも、立派にC級として冒険者を続けている黒澤透利のような存在に成れるように。


(逃げては通れないことだ)


 そう思ってレナもチヒロを見つめる。チヒロも色々考えているのか、瞳を揺らす。チヒロ自身も安易に決めてはいけないことだ。その選択が元で命を落とすことになるかもしれない。その時に後悔するような選択ではいけない。

 チヒロは丸々数分の間無言で考えた後、振り払うように顔を上げる。そして真剣な表情でケンロウとレナを見つめた。


「私、【月詠ツクヨミ】を抜けないよ。やっとみんなで冒険者になれたんだもん。十三歳になるまでずっと我慢して、レナとケンロウと一生懸命計画を立てて。そしてもしかしたら揃って市民権を買えるかもってところまで来てるんだから! だから私はまだ【月詠ツクヨミ】で頑張りたい! そしてレナもケンロウも強くなって! 今は私が少し先に行ってるけれど、必ず追いついて。期間はそうだな……十五歳の成人でどう?」


 チヒロは自分なりの考えを二人に伝える。その顔に緊張が混じっていることにレナは気が付いている。

 レナはチヒロの発言を反芻する。チヒロはレナにとって、仲間で親友だ。裏切ったり、不利益を与えることになる事が分かっていて利用したりは絶対にしたくない。


(チヒロが【月詠ツクヨミ】に居てくれるのは嬉しい。だけど、それがチヒロにとって足枷にならない?)


 今は正直、チヒロがレナとケンロウを引っ張ってくれている状態だ。チヒロがいるからレナもケンロウも迷宮ダンジョンに対して積極的な潜入が出来ている。また同時にチヒロにとってもレナとケンロウは前衛職としてまだ有用なはずだ。チヒロが優位ではあるが、お互いに助け合う形が保てている。成人するまでにあと一年半。その間にチヒロと開いた差を埋める事。一方的に守られる存在にならない事。それが出来なければチヒロはクランを検討しなければいけないと言ったのだ。


(ずっと一緒にいる、と簡単に言われるよりずっといい)


 よく考えてくれていると思う。実力差が今以上に開けば絶対に一緒にはいられなくなる。そのことを分かってくれている。

 緊張の面持ちでレナ達の返答を待っているチヒロにレナも、真剣な表情で頷く。


「今はまだ弱いけど……絶対に強くなる。絶対にチヒロを守る。ついでにケンロウも」


「お、俺も強くなるよ! 前衛として! ――って、ついでってなんだレナ!」


 真面目にチヒロに伝えようとして思わず突っ込んでしまったケンロウに、チヒロはふふ、と笑みをこぼした。お互いの緊張がほぐれる。レナはぐ、と拳を前に突き出す。冒険者になる前から、夢を語るときに決めたクラン【月詠ツクヨミ】の合図だった。冒険に出れなかった頃はこういったちょっとした符牒を決めることでさえ楽しかった。最近は実際の潜入に時間も体力もとられてすっかり最初の気持ちを忘れていたような気がする。

 レナの拳を見て、チヒロは控えめに、ケンロウは大きな動作で拳を突き出した。共に笑顔だ。


「私はどんな敵からも仲間を絶対に守れる重装兵タンクに! チヒロを守って迷宮ダンジョンの最奥を目指す!」


「私は深淵を覗く大魔術師に! 魔術の理を解き明かして見せる!」


「オレは最強の槍使いになる! 竜種ドラゴンを倒して竜殺しの戰技号エリアスに得る!」


「「「【月詠ツクヨミ】に幸運と勝利のさかずきを!!」」」


 わん、と三人の声が洞窟に木霊した。まだここは二階層に入るかというところで、狩り尽された場所だ。他のクランの迷惑にもならないだろうし、自分たちが魔物モンスターに襲われる可能性も低い。久々にやった符牒に三人は照れ笑いを浮かべる。冒険者がまだ夢であった頃に考えた代物だ。今実際に冒険者になってみれば、その荒唐無稽さと青臭い目標に、言ってた本人でさえ恥ずかしさを覚えてしまう。


(でも、大事なことだよね)


 厳しい現実ばかりのこの世界で、仲間と目指す夢くらい追っても良いとレナは思う。今日は六階層を目指す予定だ。二階層の十節を越えた辺りから逸れ小鬼ゴブリンが現れだすだろう。今日はどんな冒険になるか。三人は意気揚々と深部に足を進めた。

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