第23話 クラン【月詠:ツクヨミ】②

「いよう孤児ども。元気でやっているかあ」


 しばらく洞窟の中を進み続けると、後方から粘着質な声を掛けられる。レナは聞き知った声に思わず顔をしかめる。チヒロとケンロウも声だけで気が付いた様子で、嫌そうに後ろを振り返った。案の定、振り返るといたのはD級クラン【餓狼ガロウ】の二人だった。山崎徹やまざきとおる芳賀義男はがよしお。どちらも三〇代の後半になる熟練冒険者だ。山崎はでっぷりと太った腹に蛙のような顔を乗せた男で、芳賀は山崎とは対照的に背が高く痩せ形の身体にひょろひょろと長い手足が伸びるナナフシのような見た目の男だった。この【餓狼ガロウ】の力関係は分かりやすい。山崎が中心で芳賀が腰ぎんちゃくだ。二人について良い話は聞かない。冒険者の追剥に近いことをしているとか、人身売買に手を染めているとか色々だ。

 レナが話しかけずに二人を睨んでいると、山崎がおどけたように肩を竦める。


「なんだよ挨拶も無しかよ。ひでえなあ。冒険者としての礼儀ってもんがなって無えんじゃねえのか?」


 俺らが教えてやるよお、とニヤニヤしながら気安く近寄ってくる。芳賀も口を出すことは無いが、山崎と同様に下卑た笑みを浮かべている。


「いえ、挨拶が遅れてすみませんでした。どうも山崎さん、芳賀さん」


 いつものおっとりとした雰囲気を一変させて、チヒロが挨拶をする。


「お、やっぱり天才は違うねえ」


 山崎は気持ちの悪い笑みを絶やさずに、値踏みするような視線をこちらに向けて来た。遠慮なく舐めまわされるような視線に、レナは全身に怖気おぞけが走った。


「才能の無い孤児どもの世話は大変なんじゃないの? チヒロちゃん一人が頑張ってさ。【餓狼ウチ】においでよ。そうすれば助け合いの関係が築けるよ」


「なっ――!」


 山崎はチヒロだけを見て、その他の二人は眼中にも無いと言った様子で話しかける。山崎の安い挑発に乗ったのはケンロウだ。ケンロウは怒気を孕ませて、背中に抱えた長槍に手を伸ばす。一気に張り詰めた緊張感にレナは内心青ざめる。山崎はこんな戦闘には適さなそうな見た目をしていてC級だ。芳賀ですらD級――チヒロと同じ冒険者階級ランクだ。もしここで小競り合いが起こった時に、負けるのは確実にこちらになるだろう。レナが一触即発になろうとしている空気に冷や汗をかいていると、チヒロが一歩進み出た。


「有難いお話ですが結構です。私たちは既にクランです。安易な勧誘は止めていただけますか」


 いつもはふわりとした空気を纏っているチヒロが瞳に剣呑な光を宿す。ケンロウは常に考え無しだし、チヒロもこう見えて売られた喧嘩は買う主義だ。レナが心配した通り、山崎たちにとって期待通りの答えでは無かったのだろう。山崎が不愉快そうに眉を吊り上げると、唾を吐き出す。


「身の程を知らねえ餓鬼はこれだから嫌だな。このままだとあの『死にたがり』と同じに成るって言ってんだよ。もう犬死しただろうがな。所詮孤児なんてそんな末路がお似合いなんだよ」


「黒澤さんは死んでなんかいないッ!」


 黒澤透利の名前が出てきて我慢できなくなったのか、ケンロウが叫ぶ。レナも叫びこそしなかったものの奥歯をグッと噛み締めた。黒澤透利はレナ達と同じ孤児院出身のC級冒険者だ。孤児の身で彼の名を知らぬ者はいない。奴隷になる事を回避して、C級として冒険者を続けているその姿は孤児たちの憧れだった。常に単独ソロで行動し、鬼國牢きごくろうへの潜入時間も極端に長いことから、『死にたがり』なんていう悪口を言う冒険者も多い。

 山崎はケンロウの反応に満足したのか、また余裕の笑みを浮かべる。


「死んでるだろうがよ。もう既に鬼國牢きごくろうに入って三週間になるって噂じゃねえか。流石の『死にたがり』様でも三週間も単独ソロ鬼國牢きごくろうで生き残れるわけねえだろ。可哀そうだねえ、C級とは言っても才能も無く金も無いからみすぼらしい装備で鬼國牢きごくろうに長く潜ってよう」


「黒澤さんは『死にたがり』なんかじゃない! それに黒澤さんは――!」


 ケンロウは山崎の期待した通りに激高する。興奮して余計なことまで話そうとして、チヒロに睨まれた。それでケンロウは自分が口が滑りかけたのに気が付いたのかはっとした表情で口を噤んだ。レナにもケンロウの気持ちは分かる。黒澤透利の装備がみすぼらしいのはレナ達の孤児院にその稼ぎを寄付してしまうからだ。この事は本当はレナ達も知らない事になっている。しかし時々孤児院長に会いに来る黒澤を尊敬の眼差しで見つめていたら、冒険者になるときに孤児院長が「秘密だよ」と言いながら教えてくれたのだ。大きなお金を贈与していることがバレたら黒澤透利にも孤児院にも、どんな不利益が掛かるか分からない。だから表立って感謝もお礼も出来ないけれど、もし冒険者になって黒澤透利が困っていたら助けてやって欲しい、と。レナ達が冒険者になるときに一端いっぱしの装備を買えたのも、孤児院長が無利子でお金を貸してくれたからだ。そしてそのお金は黒澤透利が出してくれている。奴隷にならないための一歩を助けてくれたのは黒澤透利だ。だから憧れと共に大きな恩もあるのだ。その黒澤透利の事を悪し様に言うやつの事を許すことは出来ない。

 チヒロはケンロウが押し黙って睨みつけるだけになったのを確認すると、視線をまた山崎に戻す。


「黒澤さんは生きていますよ。今までも一週間程度の潜入は多かったんですから。潜りたくても潜ってられない山崎さんとは技術力が違うのです。そして、あまりしつこいと冒険者協会ギルドに通報します」


 チヒロはまるで花が咲いたような笑みを山崎に向ける。その可憐な笑顔は同性のレナから見ても美しいと感じるが、内容とのギャップを考えると相当に宣戦布告だ。案の定、ケンロウをやり込んだと思って満面の笑みを浮かべていた山崎の顔が、一気にどす黒くなる。


「ふざけんな。紅葉の野郎もあの孤児上がりのC級を優遇しやがって。てめえらも調子に乗ってんじゃねえぞ。迷宮ダンジョンじゃ失踪は珍しくねえんだからな。男は殺して、女は手足を切り捨てて死ぬまで楽しませて貰うって…」


「何を楽しむんだい……?」


 急に会話に割って入って来た声があった。その声は鬼國牢きごくろうの入口方向からで、ちょうど山崎の背後だ。声の主をいち早く認めたレナ達は一様に驚いた顔をする。背後から不意に会話に割り込んで来た声に山崎はチッと舌打ちをする。


「あ? 今はテメェと話をしている――」


 山崎の言葉は最後まで発されることは無かった。不愉快にも会話に割り込んできた相手を黙らせようと振り向いた瞬間、凄いスピードで山崎の懐まで飛び込んできた影が、そのまま山崎を吹き飛ばして壁に押し付ける。山崎はただ、ぐえ、と顔通りの蛙の鳴き声のような悲鳴を上げる。


「おお? オマエに『テメエ』なんて呼ばれる仲間は【百掌巨豪ヘカトンケイル】にはいねえんだよ。それとも何か? お前は身の程知らずにもミツテルに『テメエ』なんてふざけた呼び方をしたのか? そんな実力を弁えない奴の喉はいらねえよなあ? あったらミスの元だしな。そうだアタシが切ってやるよ。優しいだろ。出来るだけ喉だけ切るけど、間違って頭落としたらごめんな?」


 山崎を押し付けた相手は、喉元にナイフを当てながら早口で巻くし立てる。その声は美しい女性の声なのだが、内容が剣呑だ。壁に押し付けられた事に一瞬怒気を浮かべたものの、女性の背後に控える喧嘩を売った相手が誰なのかを確認した山崎は、今度は自分が顔を青ざめさせた。


「『智蛇の王ケクロプス』……!」


「オマエ何呼び捨てにしてんだよ。ついでに見るな、ミツテルが汚れんだろうが。目を抉ろうか、目を……」


「アツコ。その位にしてやれ」


 山崎の発言に更に威圧を強めたアツコと呼ばれた女性は、ミツテルと呼ぶ男性にたしなめられると先ほどの興奮がまるで無かったかのように、すぐさま山崎を離すとミツテルの背後に戻った。その変わり身の速さに山崎だけなく、レナ達も目を剥く。首元をきつく締められていた山崎は、軽く咳き込みながら恐怖の入り混じった目でクラン【百掌巨豪ヘカトンケイル】の面々を見つめた。芳賀が粟を食って開いた山崎との距離を埋めるように移動する。レナ達も驚きはしたものの、知らない相手では無い事に一定の安堵感を得た。神栖に住む冒険者で【百掌巨豪ヘカトンケイル】の吉岡を知らない者はいない。彼は山崎の味方では無いはずだ。これで山崎との諍いは有耶無耶になる。

 【百掌巨豪ヘカトンケイル】は神栖の中で最大級の規模を誇る冒険者クランだ。癖の強い人間の多い冒険者をまとめ、数百人規模で機能的に動く集団を作り出している【百掌巨豪ヘカトンケイル】は、自衛軍に次ぐ発言力を持つとまで言われている。その【百掌巨豪ヘカトンケイル】を束ねるリーダーの一人がB級冒険者『智蛇の王ケクロプス』こと吉岡光輝だった。『智蛇の王ケクロプス』のようにB級冒険者以上には冒険者の特性を特徴づけた戰技号エリアスが付くこと多い。男性にしては長めの髪に、俳優のように整った顔立ち。そして数百もの冒険者を指揮する知略に、その細身の身体からは考えられないほどの膂力。その二〇代の前半でありながら、B級の称号に見紛う事無い戦歴を有している有名な冒険者だ。鬼國牢きごくろうで凶悪と有名な隷属竜スレイブドラゴンを史上二度目に倒したのも【百掌巨豪ヘカトンケイル】だと聞いている。いつもは大所帯で迷宮ダンジョンの深層の攻略をしていると聞いているが今日は少人数だった。吉岡の他にアツコと呼ばれた女性と、大柄の男性の三人で行動しているようだ。


「君は【餓狼ガロウ】の山崎徹さんだね。そして後ろが芳賀義男さん。いやすまない。うちの美濃部敦子がやりすぎてしまったね。とても熱心でいい子なんだけど、どうにも一直線なところがあって」


 吉岡はその整った顔に憂いを乗せて山崎に謝罪をした。迷宮ダンジョンにそぐわないと感じる程整った吉岡の容姿はどこかの俳優のようだ。そんな容姿も相まって、まるで演劇ドラマでも見ている気になる。自分の感情と意図を仕草で表現することに長けているためであることにレナは気付く。本心でなくても、泣いて見せ、相手に悲しんでいると思わせることが出来るタイプの人間だ。

 しかしその事に山崎は気が付かなかったようだった。吉岡の謝罪を付け入る隙だと感じたらしい。僅かに余裕を取り戻した山崎は、吉岡とは比べ物にならないほど下手糞な愛想笑いを表情に張り付けると、口を開いた。


「別に構いやしねえです。吉岡さん。【百掌巨豪ヘカトンケイル】の『智蛇の王ケクロプス』とお近付きになれたと思えば安い代償ですわ。御一緒のお嬢さんが誤解なさったようですが、決して【百掌巨豪ヘカトンケイル】に敵意があったわけでは無いです。自分は孤児たちの面倒を見ようと思って、迷宮ダンジョンのノウハウを共有しようとしていただけなんですわ」


 余りにも下らない言い訳にケンロウはギリと歯を食いしばる。今にも山崎の言葉を遮って「違う!」と喚き出しそうでレナははらはらした。ここで感情的になっても良いことは無い。何とかケンロウが押しとどまって山崎が最後まで話しきる。吉岡はニコニコと山崎の話を全て聞いた後で、その目を静かに細める。


「へぇ。冒険者思いじゃないか。僕もそういう協働の精神を大切にする方でね。君たちの行いにはいつもさせられているんだ。君たちとパーティを組んで行方不明になった冒険者が既に三名。同時期に迷宮ダンジョンに潜入して未帰還となったものが十二名。この前未帰還者の所有物が質に流れてたんだ―――今、確認している」


 急に冷気が辺りを包んだように感じた。吉岡から放たれた威圧に腰が抜けそうになったレナとケンロウが一歩、後ずさる。唯一踏みとどまったチヒロも冷や汗が頬を伝っている。一拍遅れてこれが魔圧なのかと思い至る。人間でもB級以上の魔力を持つ冒険者は魔圧が使える者もいると聞いたことがあるが、レナにとって初めての経験だ。周囲にいるだけでこうなのだ。直接、魔圧を受けている山崎と芳賀はもっと酷かった。芳賀はペタンと尻餅をついているし、山崎もヒッと小さく悲鳴を上げて恐怖に顔を引き攣らせている。


「僕もね。冒険者全体にとって利益のある行いなら、多少の犠牲でも目を瞑れるんだ。例え悲劇があったとしても、その冒険者が相対的に全体にとって利することができるような存在ならね。だが全体にとってマイナスになるようなら――分かるかな? 今後【百掌巨豪ヘカトンケイル】は君たちに注意を払う事を決めたんだ。君のその愚鈍な頭でも理解出来た? 僕、話す内容が回りくどくて分かり辛いことをよくもう一人のリーダーから怒られるんだけど?」


 吉岡はニコリと笑いながら殺意を向けるという器用なことをやってのける。その様子が山崎は涙目になりながらコクコクと頷く。


「分かったならいいんだ。以降、クラン【月詠ツクヨミ】メンバーの横芝千尋、斉藤堅朗、渡辺玲奈の三名には一切近寄るな。その他にも動向は観察させて貰う。さあ、話は終わりだよ。みっともないから早く何処かに行った方が良い」


 吉岡が殺意を緩める。この場から離れる許可を得た山崎と芳賀は、取る者も取り合えず迷宮ダンジョンの奥へと足早に逃げて行った。

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