第22話 2つの[狂戦士]/クラン【月詠:ツクヨミ】①

 ジュリの視線に嫌な汗が、顔に浮いてくるのが分かった。

 どういうことだ、と何度も記憶を反芻するが何の答えも出てこない。トーリの慌てる様子をみても、ジュリの態度は変わらない。静かに粛々と説明を続ける。


「基本的に[狂戦士ベルセルク]の本体が活動している時に、理性の部分だけが気を失うなんてことはありえん。二つに分かたれているように見えてもそれは基本的には同一の精神じゃ。初め我は貴様から[狂戦士ベルセルク]化しているときに、統制不能と言えど理性が残っていることに希望を見た。痛みによる調教の果てに、精神の統合によって理性を保ったまま[狂戦士ベルセルク]を操ることができるかもしれないと思ったからじゃ」


 トーリが二の句を告げないでいるのを見ると、ジュリは言葉を続ける。


「しかしあの変異体バリアントとの闘いの果てに起こった[狂戦士ベルセルク]の覚醒は、我が今まで見た覚醒とは違った。トーリ、貴様は[狂戦士ベルセルク]として世界を憎み、壊しておったよ。当事者としてな」


「お、俺は……」


 トーリは自分の声が自然と震えだすのを悟った。確かに変異体バリアントとヒナタがどうなったかは覚えていない。覚えていないはずなのだ。[狂戦士ベルセルク]として目覚めると、トーリ自身は身体の制御を奪われてただ観察するだけの存在になる。制御したくても出来ないのだ。それはもう仕方の無いことで、トーリ自身ですら[狂戦士ベルセルク]の被害者だ。[狂戦士ベルセルク]という凶行を働く存在に、悩まされる理性トーリ。そういう図式のはずだ。


「否認からの解離。その結果が今じゃ。貴様は自分が行った事に耐えきれず人格を二分した。そうして生まれたのが偽覚醒状態の[狂戦士ベルセルク]じゃ。[狂戦士ベルセルク]がどれほど暴れようと、トーリの人格は別人格の暴走を盾に保護される。破壊の当事者からは外れることが出来るというわけじゃ。しかし、真覚醒では貴様自身が破壊の――」


「うるさいッ!」


 狼狽えた声が、ジュリの説明を遮った。ぐわん、と大きな眩暈がする。あの時の記憶は覚えていないはずなのに。ぶちまけた絵の具が逆再生で剥がされ、その下から絵が現れるようにトーリが見たことも無い記憶が現れる。頭が痛い。トーリは両手で頭を押さえると静かにうずくまる。ヒナタの頸を圧し折った記憶が、その後変異体バリアントと戦った記憶が、殺しきれずに逃げた記憶が、狂気に彩られた内面と共にじわりと溢れる。


「……そうか。俺が全部、やったのか」


 言葉にしてしまうと、トーリの中に、ストンと、その事実が収まってしまったような気がした。圧倒的な狂気、怒り、絶望、憎しみ。それらは全てトーリとは違う人格が行った他人事ではなく、トーリ自身が感じたものだった。[狂戦士ベルセルク]を発動させたトーリ自身が全ての元凶で、結果の根源だった。


「詰まる所、真覚醒状態の[狂戦士ベルセルク]の調教は困難を極めるじゃろう。我も貴様の記憶から断片的に覗いただけじゃが、あれは質が違う。痛みに対して忌避感を抱くとかそういったレベルではないかもしれぬ。予定が大幅に狂うじゃろう。それが謝罪の二つ目じゃ。トーリ、貴様に初めに話した程、簡単ではなさそうじゃ。すまぬ」


 トーリの理解が進んだことを見定めたのだろう、ジュリが言葉を重ねる。結局、[狂戦士ベルセルク]の調教も無理と言う事か。酷い閉塞感と虚無感の中で、ジュリの言葉は思考の上を滑っていく。


「しかしな。もし足りぬところがあれば補い合えばよい。弱者には弱者なりの――」


「ああ、そうだな」


 乾いた声がトーリの口から漏れた。いつの間にか頭痛が止んでいた。トーリは起き上がると膝を払う。ジュリは命の恩人だ。その事には感謝をしているし、恩がある。


(極力、彼女には協力しよう)


 その協力がジュリにとって頼りになるかは別の話だ。[狂戦士ベルセルク]の調教が難しくなったのだ。ジュリにとってもトーリの存在は取るに足らないもののはずだ。


(そもそもジュリは魔術師としての能力が高い。冒険者で言えば実力は少なくともB級以上だ)


 更に戦闘には適さなくても、この世界で確認されていない魔術も多数知っているだろう。その価値は計り知れない。すぐにトーリより力のある仲間が見つかるはずだ。それどころか後援者として大企業や政府機関に召し上げられるかもしれない。たかだかC級下位の冒険者に何ができるというのか。


(主従の契約を交そうと、もともとが不釣り合いだ)


 トーリの存在が必要なくなる日はすぐに来るだろう。そうしたらまたトーリは単独探索者ソロに戻るのだろう。どうせ[狂戦士ベルセルク]はどうにもならないのだ。いつ暴発するか分からない爆弾を抱えて、他の人間とパーティを組むことは出来ない。

 トーリは脇に置いてあった斥牙せきがを脇に差す。元々装備はほとんど全て失っている。出発に大した準備は必要ない。ジュリがトーリの短剣ショートソードを見て思いついたように話す。


斥牙せきがじゃがな。魔石を用いずに魔術だけで構成したからの。もうあまり長くは持たんぞ。戦闘の時は努々ゆめゆめ気を付けることじゃ」


「分かった」


 元々小鬼ゴブリンが持っていた、なまくらがここまで仕事をしたのだ。切れ味も一級を保ち続けている。トーリにとっては脅威的だし、あとは隷属竜スレイブドラゴンどもをすり抜ける際に気を付ければ、それほど激しい戦いは無いはずだ。ジュリもトーリが準備を済ませたのを見て、立ち上がる。数言、詠唱をすると今までトーリとジュリを温めていた魔術の炎が消えた。人工の光を失っていつもの暗さに戻る。ところどころに群生するヒカリゴケによって完全な暗闇ではないが、身体機能強化の無い人間には全く見えないだろう。トーリたちは暗闇に目が慣れるのを待って、安息所セーフポイントを出る。洞窟型迷宮ダンジョンである鬼國牢きごくろう特有のむっとした湿度と、えたような匂いがトーリの鼻腔を刺激する。


安息所セーフポイントでは匂いとかそういったものまで調整されているのか。迷宮ダンジョンってのは本当に変なものだな)


 また鼻が馬鹿になるまでの間は、この不快な匂いと付き合う必要がある。不快感に幾分顔を顰めながら、トーリ達は出発した。


***


 むわりとした体にまとわり付くような空気が、渡辺玲奈わたなべれなを包んだ。鬼國牢きごくろうの中はいつもこんな空気だ。


「レナちゃん、この中はやっぱり臭いねー」


 隣を歩く横芝千尋よこしばちひろが苦笑いしながら、レナの顔を覗き込んでくる。チヒロの大きくて澄んだ瞳に、赤毛をツインテールに纏めた釣り目のレナ自身が写り込んでいて思わず目を逸らす。レナは自分のいつも不機嫌そうな顔が好きでは無い。出来ればチヒロのような顔が良いとレナは思う。チヒロは濡羽のような黒髪をボブに切り揃えていて、いつも表情豊かだ。その笑顔の周囲にはいつも人が集まってくるような気がする。レナ自身も含めて。

 チヒロの指摘にそんなに顔に出ていたのだろうかとレナは表情を引き締めると、二人よりも前を歩いていた斉藤堅朗さいとうけんろうが、完全に揶揄からかうつもりの表情でこちらを振り向いた。ケンロウもチヒロに引き寄せられた一人だ。十三歳になったばかりのケンロウはこのクランの中で最も幼い。この時期の精神年齢は男の子の方が低いと言われるが、正にそんな感じだ。まだ背が伸びている時期で子供感丸出しの見た目とも相まって、レナはいつもケンロウと話すと弟と話しているような気になる。


「レナは分かりやすいよなあ、チヒロ」


「うっさいよ、ケンロウ。前注意して歩いて」


 チヒロに気のあるのが見え見えのケンロウは、よくこうしてレナを出しにしてチヒロに話しかける。さりげないと思っているのはケンロウだけで、あからさまな態度はレナもチヒロもやや辟易している。チヒロも困ったような苦笑いを浮かべることが多いので、その気持ちに答えるつもりは無さそうだ。


「まだ一階層じゃねーか。こんな狩り尽された場所には小鬼ゴブリンすらでねーよ」


「そう言ってこの前新品の胴当てに傷つけたの誰だっけ? クランの備品なんだからね」


 レナにバッサリと切られたケンロウはやや不満げな様子を見せたが、結局は話の取っ掛かりも見つからなかったのか、また前を向いて辺りを警戒し始めた。


月詠ツクヨミはチヒロあってのクランなのにね。クラン内でもめ事は起こさないで欲しいな)


 月詠ツクヨミはまだ出来て半年も経たないクランだ。そもそも三人とも今年十三歳になったばかりだ。冒険者になってすら半年も経っていない。三人は同じ孤児院に居て、十三歳になったら冒険者に成ろうとお互い約束していたのだ。そして冒険者になったと同時に月詠ツクヨミを結成した。ここまでならよくある話だ。十三歳で戦う能力も経済的な後ろ盾も無い子供たちにパーティやクランを組んでくれるような冒険者はいないので、自然と孤児院出身の子供同士で組みやすくなる。他に組む相手もいないから、結局短期契約のパーティではなく、永続契約のクランとして出発するのだ。

 月詠ツクヨミもそうして生まれたクランの一つだった。ただし一つ他の孤児院出身のクランと違ったのは、チヒロが存在したことだった。チヒロはたった三ヶ月で魔術の才能を開花させたのだ。子供の冒険者だけで構成される駆け出しのE級クランが、小鬼兵ゴブリンソルジャーを倒した。それが五回を超えた頃には、ただ運が良かっただけ、から、才能のある子供がいる、に周囲の評価が変わった。チヒロがたった三ヶ月でその能力が認められてD級に昇格すると、今度は他のクランによる引き抜き合戦が始まった。ただの子供はいらないが、才能のある子供であればどの冒険者も欲しいらしい。レナが隣で聞いていても目を剥くような金額で、チヒロは勧誘されていた。それを全て「仲間がもういるから」と断ってくれているのだ。生憎、才能が有ったのはチヒロだけで、ケンロウもレナもただの子供の域に収まっている。だからこそチヒロには今抜けられると困るのだ。友情だけでない打算も含まれた自分の思考に幾分ウンザリして、それを振り払うように首を振った。


(私だって強くなる! チヒロを守れるように! ケンロウもついでに!)


 重装兵として最も高価な装備である、鉄板を張り付けてある大盾を背負い直してレナは一人決意を固める。そんなレナを知ってか知らずか、戦闘時以外はおっとりタイプのチヒロは自らの長杖を握りしめながら、目が合ったレナにニコリと笑いかけた。

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