第21話 2つの[狂戦士]

 「うああっッ!」

 

 自分自身の声に驚きながら、トーリは目を覚ました。一瞬、ここが何処だか分からずに混乱する。トーリはかぶりを振って周囲を見渡す。

 目の前には魔術の炎。揺らぐことも無く一定の灯りと温もりをトーリに与え続けている。

 隣には緑髪の少女。いつもは皮肉めいた笑みを浮かべて台無しにしてしまっている整った顔の造形も、今の様に伏し目に魔術の炎を眺める姿を見るとまるで違う印象を受ける。着古した民族衣装のような装備とも相まって、智の深淵を除く聖女が祈りを捧げているようにも見えた。


(そうだった。今はジュリと地上うえを目指していたんだ)


 徐々に明瞭になっていく意識に、記憶を手繰り寄せて状況を理解していく。ジュリは寝てはいないようだが、完全に覚醒もしていないようだった。微動だにしないまま炎を眺め続けている。また何か複雑な魔術関係の作業をしているのだろうか。特に危険は無さそうなので、とりあえずは放置することにした。見ても良く分からないが、内容を聞いても更に謎が深まるのだ。もう既にトーリはジュリの魔術については悩むのをやめることにしている。

 それよりも夢だ。深く考えようとして、不意に起こる頭痛に顔をしかめる。

 しかし久しぶりに何とも酷い夢を見た。あれから二年が過ぎて色々思うことはあったが、あれほど鮮明に記憶を再現した夢は本当に久しぶりだった。あの時の痛みさえ、未だに現実味を持っているような気がする。


(結局、気が付いたら地上付近で倒れていたんだよな……)


 変異体バリアントがどうなったのかも分からなかった。あの時の記憶は無いが、今[狂戦士ベルセルク]になった時の自分を客観的にみると、変異体バリアントに勝負を挑んでも勝つことは難しかったろうと思う。ヒナタが勝てなかった技量を有しているのだ。理性を失くした状態でむやみに突っ込んでいって勝てる相手だとは到底思えない。


(ヒナタは助からなかっただろう。いや、俺が殺したようなものか)


 記憶を失う直前に感じた手の感触を覚えている。頸骨を砕く感覚。手を開握しながら、その感触も思い出して歯を食い縛る。


(絶対に[狂戦士ベルセルク]を調教する。そして次は助ける。俺が死んでもだ……!)


 そう決意するトーリの視界の隅で、ジュリの瞼が僅かに動いた。ジュリの動きに反応してトーリがジュリに目線を向けると、その動きはもそもそと全身に広がり、ふう、と大きな吸気と共に数度瞬きをして覚醒へと至る。ジュリは起きると共に、クッ、と顔を歪めるとトーリと同じで頭痛を堪えるように頭を押さえた。


「ジュリも頭痛か?」


 その様子を見たトーリが声を掛ける。すると、ジュリは不愉快そうに頭を振ると、冴え冴えとした視線をこちらに向けて来た。


「響くから喋るでない――共感深度が深すぎたか」


 ジュリは舌打ちをすると、小声で詠唱を行う。頭部に小さい魔法陣が展開される。恐らく治癒系の魔術だ。


(何かジュリ、怒ってないか?)


 その口調はいつもより若干棘が際立っているように思える。十六階層での訓練を切り上げて、地上を目指したいと言った時と少し似ている気がした。何かジュリにとって不愉快なことをしただろうか。記憶が無い。


「まあ良い。探ったのは我の方じゃ」


 トーリがいぶかしんでいると、ジュリははあとため息をついて頭部の治療を終えた。ジュリの険が幾分和らいた。怒りだした原因すら良く分からなかったので、トーリは内心胸を撫で下ろす。矛を収めてくれるならありがたい。


「で、これからどうするつもりじゃ」


 そんなトーリの様子は、傍からみても筒抜けだったのだろう。ジュリは更にもう一つ深いため息をつくと、静かに問う。その瞳に苛立ちの要素は消えたものの、今度は冷徹に推し量るような、鋭くて冷たい気配が視線に乗っている。


「今は十二階層六文節と七文節の中間といった所だ。ここから途中休憩までに一気に七階層を目指す」


 トーリは真剣な表情でジュリに告げる。そろそろトーリが主探索階層にしていた深度に近づいている。これから先はどんどん魔物モンスターの質、量共に楽になっていくはずだ。隷属竜スレイブドラゴン小鬼ゴブリンの群れに遭わなければ、大きな問題は無い。


「あの時、俺のみた隷属竜スレイブドラゴン達のスピードと階層距離を考えると、すれ違うのは十から八階層のどこかになると思っている」


 あの群れの大きさからだと、そんなに速度を上げることは出来ないはずだ。特に八階層は通路が狭く迂回を強いられる。抜けるのにある程度の時間が掛かるだろう。


「七階層は『大聖堂』と呼ばれる広い空間になっている。遮蔽物も少ないからそこに到達するまでには追い抜きたい。それに七階層からは冒険者の数もぐっと増える。出会い頭に極力、避難を促しながら進もう」


 七階層から上は本格的に初心者層になる。駆け出しの冒険者が多く探索に出ているはずだ。孤児院に在籍する者たちも含めて。大人達は自己責任だとしても、子供たちは出来るだけ助けてやりたい。トーリの言葉にジュリは静かに目を細めるだけだ。何となくその視線がトーリの不安を煽る。トーリは自分でも気が付かない内に早口になっていく。


「あと隷属竜スレイブドラゴンについても一応情報共有しておきたい。隷属竜スレイブドラゴンは奴隷紋によって縛られた下竜の一種だ。目を潰され、羽をもぎ取られ完全に小鬼ゴブリンの奴隷にされているらしい。更に魔術無効を施した首輪をつけられていて、これは魔術攻撃を防ぐというよりも、竜砲ブレスを撃たせない為のものらしい。でも結果的には魔術による攻撃も全て無効化するから、ジュリも気を付けてくれ」


 トーリは一息に捲し立てて、会話が途切れる。嫌な沈黙が流れた後、再びジュリは溜息を付いた。今度は諦めたような溜息だ。あくまでゆっくりとした口調でジュリは話す。


龍種ハイドラゴンでもない只の竜種ドラゴンに後れは取らぬ。しかも魔術無効の首輪など猶更じゃ。魔術無効とは恐らく取り込んだ魔素を魔力に還元させる部分を阻害するもの。魔力への変化が出来なければ身体機能強化も働きづらい。そうなると魔術無効はマイナスの方が大きい。竜種ドラゴンともなれば、下竜だろうが大型の魔物モンスターのはずじゃ。それが身体機能強化などの魔術的補助も無しに十全に動けるとも思えん。竜砲ブレスも使えない、超回復も無い、動きも鈍重となればそれはもうただの大きなトカゲじゃ。魔術を直接当てなくても倒す方法などいくらでもあるが、今回は倒すことすら必要ない。ただ逃げれば事なきを得る」


 ジュリはつまらん、と一言呟くと事も無げに肩を竦める。本来は討伐にB級とC級上位の冒険者数名で対応しなければいけない魔物モンスターなのだが、ジュリに言わせると雑魚の様に聞こえてしまうから不思議だ。


「そういうものなのか。俺は戦ったことすらないから良く分からないが。隷属竜スレイブドラゴンですら竜種ドラゴン龍種ハイドラゴンではないんだよな。龍種ハイドラゴンってそんなに強いのか?」


 トーリにとって隷属竜スレイブドラゴンですら直接見たのは初めてなのだ。龍種ハイドラゴンは大阪の街を焼き尽くしたことぐらいしか知らないし、スケールがデカすぎて想像も出来なかった。

 ジュリはトーリの質問に眉根を寄せると溜息を付く。まるで何も知らない子供に呆れるようにだ。


龍種ハイドラゴンは生物の頂点。竜種ドラゴンとは存在の格からして違う。系統分類上は同系統の種族じゃし、竜種ドラゴン龍種ハイドラゴンへと進化する前種であるというような文献を読んだことがあるがの。我は見たことがないし、ほぼ『眉唾』と言って差し支えないレベルじゃろう。竜種ドラゴン龍種ハイドラゴンではその身の内に蓄える魔力量の桁が違う。竜種ドラゴンではよほど特殊な状況下でも無い限りあれほどの魔力を内に秘める事は無いし、出来たとしてもまず死ぬじゃろうな」


 それでもジュリは結構説明好きだ。不機嫌な様子ながらも聞けばこうして細かく説明してくれる。龍種ハイドラゴンを見た事の無いトーリにとっては、恐ろしく強いと言うことが分かったぐらいであったが。

 ジュリは「ところでじゃな」と一旦言葉を区切ると、トーリの正面を向いて座り直す。その表情は真剣な様子だ。恐らく眠りから覚めてから、ジュリが不機嫌である事の原因が語られる事になる。その事を悟ったトーリも居住まいとただした。


「先に進む件については分かった。我からも貴様に話がある」


「……なんだよ」


 空気が悪い。ジュリは何かを覚悟したような様子にトーリは気圧される。ごくり、と自分の唾を飲みこむ音が周囲に響いたような気がした。


「貴様には二つの謝罪をしなければならぬ。まずは一つ目じゃ。貴様と繋いでいる念話の魔術じゃがな。あれには少しからくりがある。それは相手の精神や記憶に深く食い込める、ということじゃ。本来は繋がれた二者に不平等はないのじゃがな。魔術的な技術が我の方がトーリより大幅に上回っているからの。端的に言えば一方的に我が貴様の記憶を探ることが出来る。……それで先ほど覗かせて貰うことになった。ヒナタとの記憶を」


 ジュリの口からヒナタという言葉が出てきて、トーリは一瞬思考が真っ白になる。意味を反芻し、理解する。次に襲ってきたのは憤怒だ。奥歯がギリ、と嫌な音を立てた。トーリはジュリの襟首を掴むと強引に引き寄せる。ジュリの身体は人間でいう一〇歳前後の体格しかない。思いの他軽く、トーリの腕力でもジュリは脚が付かないくらいに持ち上がった。襟首で持ち上げられてそれでもジュリは抵抗はせず、表情も変わらない。


「――なぜ、そんなことをした」


 息が吹きかかる様な距離で睨み合って、噛み締めた歯の隙間から言葉を絞り出した。今まで誰にも言ってなかったことだ。トーリ自身にとっては罪の記憶。それを土足で踏みにじられたような気がした。


「貴様の事を知るためじゃ。その為には必要だと判断した。こう言うと卑怯な言い回しになってしまうがの。[狂戦士ベルセルク]の為じゃ。[狂戦士ベルセルク]は発動時の精神の在り様が特殊じゃ。その為にはトーリという人格を記憶の面からも深く分析する必要があった。言わずに捨て置こうと思ったんじゃがな。貴様にとって殊更大事な記憶だったようじゃからな。謝った方が良いと思った。――すまぬ」


 [狂戦士ベルセルク]という言葉を聞いて、怒りが萎んだ。その萎んだ部分に、理性が流れ込んでくる。トーリは舌打ちをすると、ジュリを下ろす。完全に怒りが収まった訳ではない。そのまま睨むトーリを前に、ジュリは襟首を治すと再度トーリを見つめた。


「謝罪の二つ目じゃ。貴様、ヒナタのあの一件の際に初めて[狂戦士ベルセルク]となっておるな?」


「ああ、それがなんだ」


 ジュリの質問に、幾分苛立ちが籠った返答を返す。


「初めての時と、我と出会う前、出会ってからの[狂戦士ベルセルク]の時と何か違いは無いか?」


「……? 違いってなんだ」


 記憶を遡ってみるが、大きな違いは思い至らない。トーリの思い当たることが無い様子にジュリは「偽っているわけでは無いようじゃな」と溜息をまた一つ付く。


「はっきり言おう。貴様の[狂戦士ベルセルク]には二種類あるぞ。一つは偽覚醒状態とでも言うのか、貴様の理性と分離する方式じゃ。貴様が我に説明したものじゃな。貴様は痛みを感じず、理性を残したまま身体の統制が効かなくなるパターンじゃな。これは実際に我自身も[狂戦士ベルセルク]を調教をしたときに確認しておる。……問題は真の覚醒状態があったことじゃ。貴様、ヒナタを失った変異体バリアントとの闘いを覚えておるか?」


「……覚えていない。あれは本来の俺が気絶した後に[狂戦士ベルセルク]がやったんだろ」


「そういう認識になるか」

 

 その声はやけに冷たくトーリに響いた。

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