第20話 過去⑥

Geaaaッ!


 自らが対象になったと気が付いた小鬼ゴブリンに既に戦意は無かった。自分より格上であった小鬼兵ゴブリンソルジャーを倒したからだろう。酷く怯えた様子でその場で動けずにいた。トーリが迫ってくるのを察すると、震える剣をやっとトーリに向ける。しかしその動きは遅きに失していた。トーリは前に構えた剣ごと体当たりしていく。トーリは小鬼ゴブリンの剣先を難なく避けて、身体ごと剣を小鬼ゴブリンの胸に深く突き刺した。剣は小鬼ゴブリンの肋骨の隙間を狙い通り貫いて背中からその剣先を覗かせる。


(……今、だ!)


 自らの剣を取り落とした小鬼ゴブリンが痙攣を始めるよりも速く、トーリは小鬼ゴブリンを両脇から支えて持ち上げる。深々と突き刺したトーリの剣はそのまま小鬼ゴブリンを鞘に落ちることなく収まっている。


「があぁっ!」


 小鬼ゴブリンの体重はおおむね三〇から四〇キログラム。身体機能強化が弱いトーリは突き刺さった剣で小鬼ゴブリンを持ち上げる事は出来ない。しかし脇を抱えれば持ち上げる事は可能だ。そして小鬼ゴブリンの死体を前に掲げながら小鬼術士ゴブリンメイジへと走り出した。更に加わった荷重物に身体が悲鳴を上げる。トーリにも今自分が二足で立てている事自体が謎だ。

 粟を食ったのは小鬼術士ゴブリンメイジたちだ。明らかで慌てた様子で、再度魔術詠唱を行うと放ってくる。トーリが持つ小鬼ゴブリンの背中に炎弾と氷矢が突き刺さる。小鬼ゴブリンの身体はトーリよりも小さい。最早全身が熱くて感覚がよくわからないが、完全には防ぎきれてないだろう。だが即死の致命傷にならなければよい。結局、トーリの剣が小鬼術士ゴブリンメイジの間合いに入るまでに二度目の攻撃は無かった。

 さすがに役職持ちと言えど後衛職は近づいてしまえばトーリの敵ではなかった。これが片方を見捨ててもう片方が魔術で攻撃を仕掛けるようであればトーリは倒されていただろう。

 しかしそうはならなかった。小鬼術士ゴブリンメイジたちは腰に差した短刀を引き抜いて応戦を始めるが、リーチも技術もトーリの方が上だ。先ほどの魔術の攻撃によって、右の薬指と小指が炭化して剣の握りが甘くなっているがそれも状況を覆す程のダメージではない。


(……お返しだ……ッ!)

 

 散々魔術の雨を降らされたのだ。自然と怒気は大きくなる。トーリはふらつく身体を支えて、小鬼術士ゴブリンメイジ達の喉を切り裂いた。喉を抑えて悶絶する小鬼術士ゴブリンメイジ達を尻目に安堵の息をつく。これで直近の魔術詠唱は行えなくなる。止めを刺さなくてもその内に出血が小鬼術士ゴブリンメイジの命を奪うだろう。


(……あれ?)


 ヒナタと変異体バリアントに向き直ろうとして、トーリは膝から崩れ落ちた。咄嗟に剣を地面に突き刺して身体を支える。呼吸が苦しい。喉からは風切り音のような呼吸が絶えず繰り返されて、言葉を発することも出来ない。気が緩んだ途端、糸の切れた人形のように手足に力が入らなかった。視界は霞み、鼻は既に自分の血の匂いで馬鹿になってしまっている。全身の感覚は相変わらず曖昧で、今は熱さよりも寒さの方が強い。


(く……そ……動けよ)


 身体が限界に来ていた。例え格上に大金星を挙げたとしても、これでは負けたのと変わらない。冒険者としてダメージコントロールが出来ない戦いを挑んだ時点で失格だ。


(ヒナタは……どうなった……)


 先ほどまで聞こえていた剣戟が聞こえない。耳鳴りも酷いから自分が聞こえていないだけの可能性もあるが。

 剣に縋って何とか立ち上がろうとしたときに、それは振って来た。

 乾いた金属音と共に、とさり、とやけに軽い音がした。

 魔術の供給元が経たれて振刀しんとうの羽虫が舞うような振動音が収束する。


 人の腕って切られた後も僅かに動くんだなあ……


 そんな場違いな感想がトーリの頭を通り過ぎる。それが細剣レイピアを握り込んだまま根本から絶たれたヒナタの右腕だと思い至るまでに、更に数瞬。驚愕。意識が沸騰して立ち上がる。


「ッ! ヒナ――――ガッ!?」


 突然視界がブレた。そう思った矢先に、全身を貫く衝撃が走る。気が付くと吹き飛んでいた。何度も地面をバウンドし、それでも止まらずに錐揉みで転がる。

 散々転がった後、最後は柔らかいものがぶつかってやっとトーリは止まることができた。


「あ゛……う゛えあっ」


 全身の骨がバラバラになったような感覚。

 肺に肋骨が刺さっている。更に霞んだ意識の中でそのことを悟る。息をしようとする度に血泡が口からあふれて、うまく呼吸が出来ない。何とか復帰しようと身じろぐが、返ってくるのは動くことなど出来ないという全身からの悲鳴だけだ。考えなくても分かる。致命傷だ。

 定まらない焦点で周囲を眺めると。ヒナタがいた。右腕を失い、左腕も爆発に巻き込まれた余波か襤褸雑巾のようになった状態で、悲しそうに笑っていた。


「トーリ。ごめんね。私賭けに負けたみたい」


 なんで両腕を失ってそんなに平静に笑っていられるのかと疑問に思い、それが身体機能強化の恩恵だと思い至る。実際の所はヒナタも全身を貫く激痛に襲われているはずだ。すぐに死ぬことは無いと言っても放っておけば長くは持たないだろう。証拠に失った血液によって顔面は蒼白で既に死相が現れているし、冷汗によって全身が濡れていた。だが、ヒナタはそうとは思わせない笑顔をトーリに向け続ける。


(俺…吹き飛ばされて、ヒナタが受け止めてくれたのか……)


 今更ながらにそのことに思い至り、ヒナタの所に辿り着いたんだなぁ、とまた場違いな思考がトーリの脳裏をよぎっていく。

 ズシリと足音が聞こえそちらに目を向けると、変異体バリアントがこちらに向けて歩いてきていた。右手には大ナタ。左手にはヒナタの振刀しんとう2.0が握られ、変異体バリアントの手の中で盛大に羽虫のような振動音を放っている。


振刀アレを拾いに行って、……俺は蹴られた……のか)


 突然襲われた衝撃の正体と、現状に連なる結果をやっとトーリは理解した。変異体バリアントは既に二人とも行動不能に陥っている事を察しているのだろう。余裕の足取りで近づいてくる。その表情に見られるのは、人類と大きくかけ離れた顔面をしていたとしても分かる程の強い愉悦だ。更に近づいてきた変異体バリアントの首元の装身具ネックレスの細部が見える。冒険者章タグに穴を開けて乱雑にチェーンを通した物だった。それだけの数の冒険者を襲い、そして殺して来た証だった。


(クソ……冒険者狩り……気取りかよ…)


 腹の底から憤怒が沸きがある。焼く様な怒りが全身を焦がし始める。

 こんなに腹が立つのは自分でも初めてだ、とトーリは他人事のように思う。考えてみれば冒険者も生活の為に小鬼ゴブリンを狩るのだ。もちろん自分がヒトであるからという身贔屓みびいきもあるが、小鬼ゴブリンが人を狩っていたからといって、このような義憤に駆られるような性格ではない。しかしそんな冷静な分析も、暗い怒りの前に吹き飛ばされる。


 苦しい。痛い。それを自らにもたらしめる全てが憎い。壊したい。自分の周りの全てだ。全てを細分まで壊して、脳漿をかき回して殺して、静寂の中で静かに嗤いたい。自らをもしいして静寂と沈黙のおりで静かに、静かに、静かに――


「ト、トーリ……!」


 ヒナタの声に湧き上がっていた怒りが一瞬収まって視界がクリアになる。しかしそれが怒りが収まった訳でなく、怒りが理性という蓋によって、一時的に覆い隠されたものだともトーリにはすぐに分かった。理性の裏で、黒い怒りがうごめいている。今にも溢れようと理性の蓋を内側から、圧力を高め続けている。


「ヒぃ……ナタ」


 トーリの口からひずんだ声が漏れる。逃げろ、と言いたかった。自らの制御出来ない怒りが身体を駆け巡っている。これが[狂戦士ベルセルク]なのか、と怒りを押しとどめようとする理性の欠片が理解を得る。


「貴方、[狂戦士ベルセルク]が現れようとしているのね!? 今、一瞬だけだったけど傷が癒えたわ!」


 ヒナタもトーリの状態に思い至ったのか痛みと貧血に顔を歪めながら擦れた声を出した。確かに少し視界がはっきりした様な気がするが、既に全身の感覚が曖昧になっているトーリには傷の治癒は良く分からなかった。それよりも怒りを抑え込む方に必死だ。全身を駆け巡る憤怒を全ての気力を使って抑え込む。


「はははは……や、く」


 理性を保つのが困難だ。[狂戦士ベルセルク]となってしまえば、恐らくコントロールが一切利かなくなるだろう、と冒険者ギルドの紅葉さんに忠告されたのだ。敵味方区別無く襲う可能性が高いと。このままでは近くにいるヒナタを襲い兼ねない。


(速く逃げてくれ! 速く!)


 トーリの言葉の意味を悟ったのだろう。ヒナタは一瞬驚いた顔をした後、寂しそうに苦笑した。


「もう駄目だよ。トーリ。私の剣は折れたの。ううん、こんな賭けをしようと思った時点で折れてた」


 僅かにかぶりを振ると、ヒナタは笑顔を崩すことなくトーリを見つめる。逃げる様子の無いヒナタを見てトーリは青ざめる。未だに言う事を利かない身体をよじる様にしてヒナタから距離を取ろうとするが、数センチしか身動みじろぐことは出来無い。


「いひいひひいひひひぃ……い、やだ……!」


 口を開くと憤怒の中で哄笑しそうになる自分を無理やり押さえつけて、トーリはヒナタに逃げてくれと伝える。


「ありがとう。そしてごめんね。こんな事に巻き込んでしまって。こんなになるまで気が付かなった。頑張っているつもりでいた。でももう無理みたい。こんな世界は嫌だよ。戦ってみたけど駄目だった。お母さんに会いたい! お父さんに会いたい! 生まれたばかりだった弟に! 私やっとお姉さんになったばかりだったのに! 魔物モンスターのいない世界でダイガクセイに成りたかった!」


 ヒナタの笑顔はぐしゃりと歪んで、瞳からは涙が溢れた。歯を食いしばって、最早戻ることの無い世界への怨嗟を漏らす。

 もう駄目だ、とトーリは諦める。もう抑えることが出来ない。景色が歪む、視界が紅く染まる。トーリの全身が強く跳ねた。理性の殻を食い破って、憤怒が溢れ出す。


 全てを全てを全てを全てを全てを全てを全てを全てを全ててて全全全全全全壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊壊


「あ゛はははははははははははははははははははははっっ!!」


 海老反りになったトーリの口から、哄笑が溢れ出す。その声は息継ぎさえせず止まることもなくトーリの口から漏れる。漏れ続ける。永遠にも感じられた哄笑がピタリと止まる。トーリが仰向けの状態から直立へと跳躍する。予備動作も無いその動きは、まるで倒れる様子を逆再生したかのようだ。既に傷は癒えたのかおもむろに手指を開握すると、だらしない笑みを浮かべた。

 トーリの視界の隅で、変異体バリアントが笑顔を深めたのが分かった。新たな敵の出現に喜んだのだ。強者の区別もつかないとは。何て愚かしい、醜い、見るに耐えない。殺そう。殴殺して、刺殺して、絞殺しよう。撲殺した後に、圧殺して、轢殺だ。


 変異体バリアントがトーリへと一気に距離を詰めてくる。ヒナタの事は既に脅威外として無視することにしたらしい。そのスピードは速い。身体機能強化を持たない人間であれば、その姿を捉える事すら出来ないだろう。その手には大ナタと細剣レイピアが握られている。

 変異体バリアントはトーリへの攻撃に刺突を選んだようだった。細剣レイピアを深く構えると、最小限の動きで繰り出してくる。ブウンと切断力強化による振動音が周囲の空気をかき乱す。トーリはそれを避ける気も無い。身体の損傷など気にならない。問題はどう敵を殺すかだ。


 正に細剣レイピアがトーリに届こうとした瞬間。細剣レイピアとトーリの間にヒナタが割り込んだ。

 細剣レイピアがヒナタの胸に深々と刺さる。細剣レイピアの切断力強化が鎧ごとヒナタを串刺しにして、トーリの眼前でその切っ先を止めた。

 がふ、とヒナタが大量に吐血する。ゆるゆると持ち上げた顔は既に土気色をしている。


「せめて……もの、つぐない……」


 言葉を絞り出す度にヒナタの口からは血液が溢れる。しかし、トーリには良く分からなかった。壊したいモノの前に、壊せるモノが割り込んできた、と思う。放っておいても壊れるが、勝手に壊れるよりは、壊した方が楽しいだろう。

 トーリはヒナタの頸へと右手を伸ばす。そのほとんど脈を感じられない頸動脈に添わせるように手を当てた。


「トーリ、生きて」


 トーリがヒナタの頸部を締め上げるの同時にヒナタの口元がそう動いた。


 ゴキリ、と頸骨が砕ける感触が右手に広がった。


 トーリの中で僅かにこびり付いていた理性の欠片が、絶叫を上げて閉ざされた。


 ――何もかもを壊してやる。何もかもをだ。

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